天皇陛下お誕生日に際し(平成28年)

天皇陛下の記者会見

会見年月日:平成28年12月20日

会見場所:宮殿 石橋の間

記者会見をなさる天皇陛下
記者会見をなさる天皇陛下

宮内記者会代表質問

問 今年は五輪・パラリンピックが開催され,天皇陛下にはフィリピンや東日本大震災,熊本地震の被災地などを訪問される一方,三笠宮さまやタイのプミポン国王とのお別れもあり,8月には「象徴としての務め」についてお気持ちを表明されました。
  この1年を振り返って感じられたことをお聞かせください。
天皇陛下

今年1年を振り返ると,まず挙げられるのが,1月末,国交正常化60周年に当たり,皇后と共にフィリピンを訪問したことです。アキノ大統領の心のこもった接遇を受け,また,訪れた各地でフィリピン国民から温かく迎えられました。私が昭和天皇の名代として,初めてフィリピンを訪問してから,54年近くの歳月が()っていました。この前回の訪問の折には,まだ,対日感情が厳しい状況にあると聞いていましたが,空港に到着した私どもを,タラップの下で当時のマカパガル大統領夫妻が笑顔で迎えてくださったことが,懐かしく思い出されました。

今回の滞在中に,近年訪日したフィリピン人留学生や研修生と会う機会を持ち,また,やがて日本で看護師・介護福祉士になることを目指して,日本語研修に取り組んでいるフィリピンの人たちの様子に触れながら,この54年の間に,両国関係が大きく進展してきたことを,うれしく感じました。

両国の今日の友好関係は,先の大戦で命を落とした多くのフィリピン人,日本人の犠牲の上に,長い年月を経て築かれてきました。この度の訪問において,こうした戦没者の霊の鎮まるそれぞれの場を訪ね,冥福を祈る機会を得たことは,有り難いことでした。また,戦後長く苦難の日々を送ってきた日系2世の人たちに会う機会を得たことも,私どもにとり非常に感慨深いことでした。

今後とも両国の友好関係が更に深まることを祈っています。

東日本大震災が発生してから5年を超えました。3月には,福島県,宮城県の被災地,そして9月には岩手県の被災地を訪問し,復興へ向けた努力の歩みとともに(いま)だ困難な状況が残されている実情を見ました。その中で岩手県大槌町では,19年前に滞在した宿に泊まりましたが,当時,はまぎくの花を見ながら歩いたすぐ前の海岸が,地震で海面下に沈んで消えてしまっていることを知り,自然の力の大きさ,怖さをしみじみと思いました。

この5年間,皆が協力して復興の努力を積み重ね,多くの成果がもたらされてきました。しかし同時に,今なお多くの人が困難をしのんでおり,この人々が,1日も早く日常を取り戻せるよう,国民皆が寄り添い,協力していくことが必要と感じます。

4月には熊本地震が発生しました。14日夜の地震で,多くの被害が出ましたが,16日未明に本震が発生し,更に大きな被害が出ました。その後も長く余震が続き,人々の不安はいかばかりであったかと思います。

5月に現地を訪れましたが,被害の大きさに胸を痛めるとともに,皆が協力し合って困難を乗り越えようと取り組んでいる姿に,心を打たれました。

今年はさらに8月末に台風10号による大雨が岩手県と北海道を襲い,その中で高齢者グループホームの人たちを含め,多くの人が犠牲になったことも痛ましいことでした。

このような災害に当たり,近年,個人や様々な団体と共に,各地の県や市町村などの自治体が,被災地への支援の手を差し伸べ,さらにそれを契機として,全国で様々な地域間の交流が行われるようになってきていることを,うれしく思っています。

8月には,天皇としての自らの歩みを振り返り,この先の在り方,務めについて,ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。多くの人々が耳を傾け,各々の立場で親身に考えてくれていることに,深く感謝しています。

8月から9月にかけて,リオデジャネイロでオリンピックとパラリンピックが開催されました。時差があったこともあり,毎朝テレビで,日本人選手の活躍する姿が見られたことは,楽しいことでした。オリンピックと同様に,パラリンピックにも多くの人々の関心が寄せられていることをうれしく思いました。

10月中旬にタイのプミポン国王陛下が崩御になりました。昭和38年に国賓として訪日された時に初めてお目に掛かり,その翌年に,昭和天皇の名代として,皇后と共にタイを訪問し,国王王妃両陛下に温かく迎えていただき,チェンマイなど,タイの地方にも御案内いただきました。即位60周年のお祝いに参列したことを始め,親しく交流を重ねてきた日々のことが,懐かしく思い出されます。

10月下旬には,三笠宮崇仁親王が薨去(こうきよ)になりました。今年の一般参賀の時には,手を振って人々に応えていらしたことが思い起こされます。戦争を経験された皇族であり,そのお話を伺えたことは意義深いことでした。

11月中旬には,私的旅行として長野県阿智村に行き,満蒙開拓平和記念館を訪れました。記念館では,旧満州から引き揚げてきた人たちから話を聞き,満蒙開拓に携わった人々の,厳しい経験への理解を深めることができました。

また,その際訪れた飯田市では,昭和22年の大火で,市の中心部のほぼ3分の2が焼失しています。その復興に当たり,延焼を防ぐよう区画整理をし,広い防火帯道路を造り,その道路には復興のシンボルとして,当時の中学生がりんごの木を植えた話を聞きました。昭和20年代という戦後間もないその時期に,災害復興を機に,前より更に良いものを作るという,近年で言う「ビルド・バック・ベター」が既に実行されていたことを知りました。

12月には,長年にわたるオートファジーの研究で,大隅博士がノーベル賞を受賞されました。冬のスウェーデンで,忙しい1週間を過ごされた博士が,今は十分な休養をとられ,再び自らが望まれているような,静かな研究生活に戻ることができることを願っています。

年の瀬が近づき,この1年を振り返るとともに,来年が人々にとって良い年となるよう願っています。

天皇陛下のお誕生日に際してのご近影

この1年のご動静

天皇陛下には,本日,満83歳のお誕生日をお迎えになりました。

陛下は,今年8月,象徴としてのお務めについてのお考えをビデオを通して国民にお話しになりましたが,この1年,国事行為に関して,国務大臣10名を始め,副大臣20名,大使48名を含む97名の認証官任命式,新任外国大使36名の信任状捧呈式,大綬章及び文化勲章の親授式に臨まれたほか,内閣から上奏のあった1,031件の書類にご署名,ご押印をなさいました。また,宮殿や御所では,文化勲章受章者及び文化功労者,勲章・褒章受章者や各種の表彰受賞者,日本学士院会員,日本芸術院会員,新認定重要無形文化財保持者夫妻,青年海外協力隊帰国隊員及び日系社会青年ボランティアの代表,シニア海外ボランティア及び日系社会シニアボランティア,両陛下のご成婚を記念して創設された皇太子明仁親王奨学金の奨学生,みどりの学術賞受賞者及び緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰受賞者等にお会いになり,その労をねぎらわれ,栄誉を祝されました。その回数は75回を数えました。

このほか,各省庁の事務次官,外務省総合外交政策局長等からのご進講を8回,行幸啓や行事に関するご説明を44回お受けになったほか,皇居勤労奉仕団延べ7,921人に51回にわたってお会いになりました。秋の園遊会及び毎年恒例の新嘗祭献穀者のご会釈は,崇仁親王殿下薨去(こうきょ)に伴うご服喪中のためお取りやめになりました。

なお,宮殿や御所における行事のうち,全国警察本部長等の拝謁,全国検事長及び検事正会同に出席する検事正等の拝謁,地方裁判所長及び家庭裁判所長の拝謁,自衛隊高級幹部会同に出席する統合幕僚長等の拝謁,全国市議会議長会総会に出席する市議会議長等の拝謁等,国・地方の行政機関等の長らが全国会議で上京した際などに定例的に行われてきた拝謁については,今年5月,両陛下のご公務の在り方を改めて検討し,今年度から取りやめることにしました。また,総務大臣始め知事のお話・午餐については,行幸啓等の機会を通じて多くの知事とお会いになっていることから,同様に取りやめとしました。隔年行事として行われていた中学校長会総会に出席する中学校長の拝謁,小学校長会理事会に出席する小学校長の拝謁及び不定期の行事である国際緊急援助隊員及び国際平和協力隊員のご接見については,皇太子殿下にお譲りになりました。

今年1月には,国交正常化60周年を迎えるフィリピン国大統領閣下からの招請により,国際親善のため,両陛下で同国をご訪問になりました。昭和37年に昭和天皇のご名代としてお訪ねになって以来54年ぶりのご訪問で,国賓として,歓迎式典,ご会見,晩餐会に臨まれ,フィリピンの国民的英雄ホセ・リサールの記念碑に参られたほか,かつて日本に留学生,研修生として滞在した人々や日本で介護福祉士,看護師として働くことを目指して日本語を学ぶ人々など,フィリピン国の多くの人々とお会いになり,友好を深められました。さらに,現地で活躍する青年海外協力隊員やフィリピン在住日系人とご懇談になったほか,アジア最大規模の国際農業試験研究機関である国際稲研究所(IRRI)をご訪問になりました。

また,フィリピン人戦没者が眠る英雄墓地をお参りになった後,ルソン島カリラヤにある日本人戦没者を悼む「比島戦没者の碑」に参られました。海外にある日本人戦没者慰霊碑のお参りは,戦後60年に当たる平成17年のサイパン島「中部太平洋戦没者の碑」,戦後70年に当たる昨年のパラオ国・ペリリュー島「西太平洋戦没者の碑」に続いて3度目でした。ご訪問前にも御所にフィリピン戦没者の遺族をお招きになりましたが,「比島戦没者の碑」でも集まった多くの遺族とお話しになり,その苦労を慰められました。

東日本大震災の関係では,今年3月,両陛下で5周年追悼式にご臨席になったほか,同月,震災復興状況ご視察のため福島県及び宮城県に行幸啓になりました。福島県では,三春町の葛尾(かつらお)村役場三春出張所で,葛尾村長や被災者から復興状況や帰村に向けた準備の様子等をお聴きになり,葛尾村を支援する三春町長等をおねぎらいになりました。宮城県では,女川町をご訪問になり,町長から復興状況等をご聴取になるとともに,復興した商店街や水産加工会社をご視察になりました。途中お立ち寄りの石巻市の宮城県水産会館では,震災の犠牲となった漁業関係者の慰霊碑に参られ,その後,県漁業協同組合会長から話をお聴きになりました。また,仙台市では,東北大学で震災と医療に関する展示をご覧になりました。

さらに,9月末に第71回国民体育大会ご臨場のため5日間のご日程でご訪問になった岩手県では,北上市及び盛岡市における国体行事へのご臨席に先立ち,東日本大震災の復興状況を視察されるため,皇后さまと共に片道約110kmの道のりを自動車で移動され,沿岸部の大槌町及び山田町をご訪問になり,両町長から説明をお受けになったほか,復興した大槌町魚市場や復興のシンボルとして建設された山田町ふれあいセンターをご視察になりました。経由地の遠野市,釜石市でも,それぞれの市長,議長から,その後の後方支援や復興の状況をご聴取になりました。

多数の死傷者,避難者が発生した4月の熊本地震では,発生の翌朝,犠牲者に対するお悼みと被災者へのお見舞い,災害対策に従事する関係者へのおねぎらいのお気持ちを侍従長を通じて熊本県知事にお伝えになり,翌5月に皇后さまと被災地を日帰りでご訪問になりました。現地では,自衛隊ヘリコプターにて南阿蘇村と益城町にご移動になり,南阿蘇村長,西原村長,益城町長及び熊本市長から被災状況等を聴取され,避難所で被災者をお見舞いになるとともに,災害対応関係者にお会いになり,おねぎらいになりました。

8月に,台風10号による大雨災害で岩手県及び北海道で多数の死傷者,避難者が発生した折にも,それぞれの知事に対し,侍従長を通じてお見舞いのお気持ちをお伝えになりました。

このほか,地方へのお出ましは,いずれも皇后さまとご一緒に,今年4月,神武天皇二千六百年ご式年に当たり,奈良県の神武天皇陵及び橿原神宮をご参拝になり,その折,奈良県立橿原考古学研究所,橿原神宮宝物館,高松塚古墳,高松塚壁画館をご視察になりました。6月には,第67回全国植樹祭ご臨場のため長野県をご訪問になり,お泊所で平成23年の長野県北部地震による栄村の被災者とご懇談になったほか,唱歌「ふるさと」の作詞家・高野辰之の記念館,信州大学国際科学イノベーションセンター,アファンの森をご視察になりました。9月には,第36回全国豊かな海づくり大会にご臨席のため,山形県酒田市及び鶴岡市をご訪問になり,鶴岡市立加茂水族館,松ヶ岡開墾場をご視察になりました。10月には,第40回国際外科学会世界総会の開会式,レセプションご臨席のため京都府をご訪問になり,その折,賀茂御祖神社,賀茂別雷神社をご参拝,京都国立博物館及び京都府立医科大学をご視察,京都御所の曝凉(ばくりょう)をご覧になったほか,宮内庁職員による両陛下傘寿奉祝茶会に臨まれました。

平成25年からお始めになった私的ご旅行では,11月,皇后さまと愛知県及び長野県をご訪問になり,愛知県では江戸時代に築造された日本有数の農業用ため池で,世界かんがい施設遺産にも登録されている犬山市の入鹿池を,また,帰路には小牧市のメナード美術館にお立ち寄りになりました。長野県では,戦前,旧満州に最も多くの開拓団員を送り出した長野県の南信州阿智村に建設された「満蒙開拓平和記念館」をお訪ねになり,旧満州からの引揚者3名から話をお聴きになりました。また,47年ぶりのご訪問となった飯田市では,天龍峡をご覧になった後,昭和22年の「飯田大火」の復興過程で,当時の飯田東中学校の生徒たちの提案により,防火帯道路に植えられ,育てられてきた「りんご並木」で飯田東中学校の生徒たちによる収穫作業をご覧になり,お帰りがけには生徒たちによる「りんご並木Forever(フォーエバー)」の合唱をお聴きになりました。

ご静養としては,両陛下で葉山御用邸,御料牧場及び那須御用邸にお出ましになりました。御料牧場では,ご滞在中に農林水産祭天皇杯を受賞した畜産農家のハム工房をご訪問になり,那須御用邸では,例年どおり農家をご訪問になったほか,陛下のお考えからご即位20年の機会に御用邸用地の一部を宮内庁から環境省に移管して整備された「那須平成の森」を散策されました。8月下旬は,皇后さまとご一緒に長野県軽井沢町,群馬県草津町でお過ごしになりました。

私的ご旅行を含む地方へのお出ましは,ご静養のための御用邸,御料牧場等へのお出ましを除き,1府10県21市9町3村でした。

都内の行幸啓としては,国会開会式,全国戦没者追悼式,恒例となっている日本国際賞,日本芸術院賞,日本学士院賞,国際生物学賞の授賞式などの式典にお出ましになったほか,4月に春のお彼岸に合わせて昭和天皇の武蔵野陵,香淳皇后の武蔵野東陵をご参拝になり,帰路,福生市の玉川上水と酒造場をご視察になりました。これにより,両陛下は都内の23区及び多摩地方の全ての市町村を訪問されたことになります。また5月には,学習院中等科ご入学後の昭和21年5月から3年半余をお過ごしになった小金井市をご訪問になり,終戦直後の様子を思い出されながら,東宮御仮寓所の跡地及び周辺を整備した江戸東京たてもの園や小金井公園を散策された後,当時から続く農家をご訪問になりました。かつて小金井におけるご生活の様子を折々に陛下からお伺いになっていらした皇后さまは,昭和49年宮中の月次歌会のお題「麦の穂」に対し,「思ひゑがく小金井の里麦の穂揺れ少年の日の君立ち給ふ」という()歌をご詠進になっています。

これら都内へのお出ましは41回を数えました。

外国との関係では,この10月にベルギー国国王陛下及び王妃陛下を国賓としてお迎えになり,初日に歓迎行事,ご会見,宮中晩餐に臨まれ,翌日にベルギー国メッヘレン市と姉妹都市である茨城県結城市をご案内,3日目にはベルギー国国王王妃両陛下ご主催の答礼コンサートにお出ましになり,その後,別室にてお別れのご挨拶をなさいました。翌11月末にはシンガポール国大統領閣下及び令夫人を国賓としてお迎えになり,歓迎行事,ご会見に臨まれ,宮中晩餐をお催しになったほか,離京前に改めてお別れのご挨拶のため迎賓館赤坂離宮をご訪問になりました。

国賓以外のご接遇では,ジンバブエ国大統領閣下及び令夫人とのご会見,午餐に臨まれたほか,フィンランド国大統領閣下及び令夫人,東ティモール国大統領閣下及び令夫人,ウクライナ国大統領閣下及び令夫人,パナマ国大統領閣下及び令夫人,クウェート国首相,ガーナ国大統領閣下及び令夫人,サウジアラビア国副皇太子殿下,ブラジル国大統領閣下,カザフスタン国大統領閣下,ドイツ国大統領閣下及びシャート女史とご会見になりました。これまで公式実務訪問賓客としてご来日の元首については,ご会見・午餐を催されてきましたが,本年5月以降はご公務の見直しにより,ご会見のみとなりました。

パレスチナ大統領,ノルウェー国国会議長,アンゴラ国国会議長,ハンガリー国国会議長夫妻,カナダ国首相夫妻,救世軍万国総督夫妻,国際オリンピック委員会会長,国際パラリンピック委員会会長夫妻,ミャンマー国国家最高顧問及びインド国首相をご引見になりました。

さらに,スウェーデン国国王陛下を御所でのご夕餐に,パラオ国大統領閣下,シンガポール国首相夫妻及びヨルダン国国王陛下,タイ国王女チュラポン殿下を御所でのご昼餐に,ブータン国前王妃陛下及び王妹殿下,赤十字国際委員会総裁,レソト国国王陛下及び王妃陛下を御所でのお茶に,第14回G7下院議長会議に出席する各国下院議長等を宮殿での茶会に,それぞれお招きになりました。

また,10月,半世紀以上にわたる長いご親交のあったタイ国プミポン・アドゥンヤデート国王陛下崩御の報に接せられた折には,深くお悲しみになり,直ちにシリキット王妃陛下にご弔意をお伝えになるとともに,侍従長をご弔問使として在京タイ国大使館に差し遣わされました。両陛下にはお気持ちとして3日間の喪に服されました。

在京外交団とは,この1年間に着任後間もない15か国の大使夫妻をお茶に,着任後3年を経過した20か国の大使夫妻を午餐にお招きになり,離任する20か国の大使夫妻をご引見になりました。日本から赴任する50か国の大使夫妻にも出発前にお会いになり,帰国した11か国の大使夫妻をお茶に招いて任地の様子をお聴きになりました。

10月27日,昨年百歳をお迎えになった崇仁親王殿下が薨去されました。両陛下はお悲しみのうちに7日間の喪に服され,ご遺族と悲しみを共にされました。ご生前中の6月には聖路加国際病院に殿下をお見舞いになりましたが,薨去後は4回にわたり三笠宮邸を訪問されたほか,斂葬の儀の後にご拝礼のため豊島岡墓地へ行幸啓になりました。また,ご高齢であられるご服喪中の三笠宮妃殿下を案じられ,11月末に両陛下でお見舞いに三笠宮邸をご訪問になりました。

宮中祭祀については,恒例の祭祀等に19回お出ましになり,天長祭及び歳旦祭はご代拝とされました。また,新嘗祭神嘉殿の儀につきましては昨年同様,(よい)の儀はお出ましの時間を短縮して儀式の半ばより出御され,暁の儀はご健康への影響を考慮して,儀式終了までの間,御所でお慎みになりました。

陛下は今年も例年どおり,皇居内生物学研究所の一画で種籾(たねもみ)のお手まき,お田植えをなさり,お手刈りをなさいました。また,陸稲と(あわ)をお子様及びお孫様方とご一緒に種をまかれ,刈り取られました。粟は新嘗祭の折にお手刈りになった水稲と共にその一部をお供えになりました。神嘗祭に際しては,お手植えになった根付きの稲を神宮にお供えになりました。

ご研究に関しては,平成20年に論文を発表された2種類のハゼ類について更に研究をお進めになり,今年2月,前回と同じく秋篠宮殿下を始めとする専門研究者とご一緒に,論文「ハゼ科魚類キヌバリとチャガラの核DNAとミトコンドリアDNAを用いた種分化の解析」をオランダの学術雑誌「GENE」に発表されました。

また,今年8月には,タヌキの食性に関する論文「皇居におけるタヌキの果実採食の長期変動」を国立科学博物館研究報告A類(動物学)に共著でご発表になりました。これは,平成21年1月から平成25年12月までの5年間にわたって,皇居内の同一のタヌキの溜糞場(ためふんば)で採集した(ふん)に含まれる植物の種子から,タヌキの季節的な果実採食の変動を分析したもので,1か所のタヌキの溜糞場を5年間にわたり継続して調査した研究論文は内外を通じ初めてのものでした。天皇陛下のタヌキに関する論文は,平成20年に「皇居におけるタヌキの食性とその季節変動」を共著で発表されたのに続き2本目となります。

ご健康面では,2月末よりA型インフルエンザによる発熱を伴うお風邪の症状がおありで,2月29日から3月3日までの行事をお取りやめになりました。また,12月にも,発熱を伴うお風邪の症状がおありのため,一部の行事をお取りやめになりました。

12月23日のお誕生日当日は,午前中は御所で侍従職職員から祝賀をお受けになった後,宮殿で皇族方を始め宮内庁職員等による祝賀を5回にわたりお受けになります。また,この間に3回にわたり長和殿ベランダに立たれて国民の参賀にお応えになります。午後からは内閣総理大臣,衆参両院議長,最高裁判所長官の祝賀をお受けになった後,皇族方もお加わりになって,三権の長,閣僚,各界の代表等との祝宴に臨まれます。その後,外交団を招かれての茶会,元側近奉仕者等との茶会,次いでご進講者等との茶会に臨まれます。夕刻には未成年の内親王,親王殿下のご挨拶をお受けになり,夜にはお子様方ご夫妻とお祝御膳を囲まれます。

   

天皇陛下お誕生日行事一覧

平成28年12月23日(金)
時刻 出御 行事 事項 場所
午前9:00 御代拝 天長祭の儀 三殿
同9:30 両陛下 祝賀及びお祝酒 侍従長始め侍従職職員 御所
同10:00 天皇陛下 祝賀 長官始め課長相当以上の者,参与及び御用掛 鳳凰の間
同10:05 皇后陛下 祝賀 長官,次長(職員総代),参与 花の間
同10:20 両陛下
お始め
一般参賀 春秋の間
(東庭)
同10:30 天皇陛下 祝賀の儀 皇太子同妃お始め皇族各殿下 松の間
同10:30 皇后陛下 祝賀 皇太子同妃お始め皇族各殿下 梅の間
同10:40 両陛下 お祝酒 皇太子同妃お始め皇族各殿下,元皇族,御親族 連翠(南)
同11:00 両陛下
お始め
一般参賀 春秋の間
(東庭)
同11:05 天皇陛下 祝賀 宮内庁職員,皇宮警察本部職員 北溜
同11:30 天皇陛下 祝賀 旧奉仕者会会員(元宮内庁職員及び元皇宮警察本部職員) 北溜
同11:40 両陛下
お始め
一般参賀 春秋の間
(東庭)
同11:50 天皇陛下 祝賀 堂上会総代(3名) 鳳凰の間
午後0:55 天皇陛下 祝賀の儀 内閣総理大臣,衆・参両院議長,最高裁判所長官 松の間
同1:00 両陛下
お始め
宴会の儀 内閣総理大臣等 豊明殿
同3:00 両陛下
お始め
茶会の儀 各国の外交使節団の長及びその配偶者 春秋の間
同3:30 両陛下 茶会 元参与,松栄会会員,元側近奉仕者,元御用掛 連翠(北)
同4:40 両陛下 茶会 御進講者等御関係者 御所
同6:00 両陛下 祝賀 愛子内親王殿下
悠仁親王殿下 
御所
同6:30 両陛下 お祝御膳 皇太子同妃両殿下
秋篠宮同妃両殿下
黒田様御夫妻
御所