秋篠宮皇嗣同妃両殿下 ポーランド及びフィンランドご訪問時のおことば(一覧)

ポーランド

令和元年6月28日(金)
アンジェイ・ドゥダ ポーランド共和国大統領主催午餐会(大統領官邸)

ドゥダ大統領閣下,令夫人,御列席の皆様,

日本とポーランド共和国国交樹立100周年に当たる本年,ポーランド政府のお招きにより,妻とともに貴国を公式訪問できましたことを誠にうれしく思います。また,本日はここ大統領官邸において,ドゥダ大統領閣下ならびに令夫人に午餐会を催していただき,またここで大統領閣下より温かい歓迎と日本とポーランド両国の関係についてのお言葉をいただきましたことに,深く感謝申し上げます。

私の両親である上皇上皇后両陛下は,天皇皇后であった2002年に貴国を訪れ,貴国が豊かな芸術や文化,そして科学などの分野において,世界の歴史に残る貢献をしてきたことに深い感銘を受けられたと伺っております。そのような思い出の地を,両国の記念すべき年に,私どもが訪問できましたことは大きな喜びであります。

貴国は,18世紀における国の分割や第二次世界大戦時のワルシャワの壊滅的な破壊など,多くの困難に見舞われましたが,これらの困難を乗り越えて,自由と独立を獲得し,今日の繁栄を築いてこられました。そして,昨2018年には独立回復100周年を迎えられました。この場を借りてお慶び申し上げます。

貴国の独立後,我が国はいち早く貴国政府を承認し,国交を樹立しましたが,両国の間にはそれ以前からの交流の歴史がありました。貴国の建国の父であるユーゼフ・ピウスツキ元帥は,未だポーランドが独立回復を目指していた1904年に我が国を訪れました。ピウスツキ元帥は後に国の指導者となってからも,我が国との関係促進に積極的に取り組みました。また,ピウスツキ元帥の兄であるブロニスワフ・ピウスツキ氏は,樺太においてアイヌの研究の進展に大きく貢献し,現在日本人のご子孫もいると伺っております。

私は,100周年を祝う今回の訪問において,両国の交流の歴史の一端に触れることができればと考えております。

ワルシャワ大学は,日本研究と日本語教育に100年の伝統を持ちますが,日本語と日本の文化を学ぶ学生たちが,両国の架け橋になってくれることを願っています。また,大統領閣下のご出身地であるクラクフには,日本文化を愛したアンジェイ・ワイダ監督が設立した「日本美術技術博物館」があります。そして,30年前に貴国が民主化への道を歩み始めた時,我が国は貴国の発展を願い「日本・ポーランド情報工科大学」を設立しました。今回は短い滞在ではありますが,これらの両国関係の発展に深く関わりをもつ施設を訪問するとともに,両国間の様々な学術交流について見聞を深めることを楽しみにいたしております。

両国の人々は,互いの文化に強く惹かれてまいりました。多くの日本人がフレデリック・ショパンの音楽を愛し,ポロネーズやマズルカに魅了されてまいりました。私たちも,ポーランドの豊かな文化や芸術を堪能できることを心待ちにしておりました。また,ポーランドにおいても日本の芸術や文化,武道が関心をもたれていると伺っております。

以前,駐日大使を務められたヤドヴィガ・ロドヴィチ大使は,日本の伝統演劇である能の研究者として著名です。今回,当地において,貴大統領閣下ご夫妻と100周年を記念して開催される能公演をご一緒に鑑賞できますことを誠に有り難く思っております。

ここに改めて,ドゥダ大統領閣下ご夫妻の温かいおもてなしに対し,心から感謝申し上げます。そして国交樹立100周年を契機として日本とポーランド共和国の友好親善関係が一層進展することを願い,大統領閣下ご夫妻のご健勝と,貴国の発展,そしてポーランド国民の幸せをお祈りして,杯を上げたいと思います。

Na zdrowie (ナ・ズドロービエ)(乾杯)

令和元年6月29日(土)
クラクフ市長主催午餐会(織物会館)

マイフロフスキ・クラクフ市長,チフィク・マウォポルスキエ県地方長官,コズウォスキ・マウォポルスキエ県知事,
御列席の皆様,

日本・ポーランド国交樹立100周年に当たる本年,ポーランド政府のお招きにより,妻とともに貴国を公式訪問できましたことは,私たちにとって大きな喜びであります。

また本日,古都として有名なクラクフを訪れることができ,大変嬉しく思っております。ヤツェク・マイフロフスキ市長には,私たちのために午餐会を催していただくとともに,温かい歓迎のお言葉をいただき,深く感謝申し上げます。

2002年,当時の天皇皇后両陛下もご訪問になった,美しい中世の街並みの残るこのクラクフを訪問することを私たちは大変楽しみにしておりました。

日本の古都京都と似た古い歴史を持つクラクフは,日本人も関心を抱いており,毎年多くの日本人が訪れると聞いております。私も,先ほどヤギェロン大学のコレギウム・マイウスを訪問してから,中央広場を歩き,そして,この部屋でヤン・マテイコの壮大な絵画を目の前にし,クラクフの伝統と文化を強く感じております。

わが国とポーランドとの間には,この100年の間に様々な人々の交流がありました。なかでも,クラクフとは文化ならびに芸術を通じた深いつながりがあります。フェリクス・ヤシェンスキは,北斎の浮世絵を初めとする日本の美術品を愛し,蒐集しました。この蒐集品に魅せられた映画監督のアンジェイ・ワイダ氏は,日本美術技術博物館を設立され,今では日本とポーランドの文化交流の中心拠点になっていると伺いました。

私たちにとって,今日一日のみの訪問ではありますが,歴代の王の居城であったヴァヴェル城を仰ぐ古い町並みを有し,地動説を提唱した天文学者ニコラウス・コペルニクスが学び,詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカが長年過ごし,法王ヨハネ・パウロ2世が教区司教を務めた,このクラクフの町の歴史と文化の一端を知ることができればと考えております。

ここに日本とポーランド共和国およびクラクフ市の友好関係の一層の進展と,ご列席の皆様のご健勝とご多幸を祈念し, 杯を上げたいと思います。

Na zdrowie (ナ・ズドロービエ)(乾杯)

令和元年7月1日(月)
日本ポーランド国交樹立100周年記念レセプション(大使公邸)

グリンスキ副首相,並びにご列席の皆様

今夕,このワルシャワにおいて,多数の関係の皆様とともに,「日本ポーランド国交樹立100周年記念レセプション」に出席できましたことは,私たちにとって大きな喜びであります。

日本とポーランド共和国が1919年に国交を樹立して以来,今年で100年の歳月が経ちました。この節目の年に,私たちは,ポーランド政府のお招きにより,緑あふれる美しい陽光の季節に,この豊かな文化と伝統の国を訪問し,100年に及ぶ両国の長い友好の歴史の一端に触れることができました。

両国の交流を振り返る時,1904年に日本を訪問したユーゼフ・ピウスツキ元帥とその兄にあたるブロニスワフ・ピウスツキ氏のことが思い浮かびます。一昨日,私たちもヴァヴェル城の大聖堂で拝礼をしてまいりましたが,ピウスツキ元帥は,ポーランド共和国の建国の父であるとともに,日本とポーランドとの関係の礎を築いた人でもあります。また,ブロニスワフ・ピウスツキ氏は,アイヌについての詳細な研究を行ったことで知られております。

1920年代,日本はシベリア孤児の救出に尽力いたしましたが,ポーランドのコルベ神父は1930年代に長崎で布教活動をし,そのお弟子であったゼノン修道士は,日本の戦災孤児の救済などに力を尽しました。

さらに近年は,阪神淡路大震災や東日本大震災で被災した児童・生徒がポーランドより招待され,励ましを受けました。

このようなエピソードに代表されるように,両国の友好関係は長年の善意と信頼の積み重ねによって発展してまいりました。

今回の訪問を通じ,両国にゆかりのある大学や博物館を訪れ,また両国関係に深く携わってこられた方々にお会いし,その絆の太さを実感するとともに,両国の未来に大きな期待を抱くことができました。これまで両国関係を築き上げてきた先人の努力に敬意を表しつつ,さらなる発展に向け,ともに歩んでいければと思います。

先ほど私も本日訪れましたワルシャワ生命科学大学の学生の皆さんが,日本とポーランドの国歌を斉唱され,その美しい歌声に魅了されましたが,この後,日本人学校の児童・生徒の皆さんによる太鼓の演奏,そして裏千家ポーランド支部の皆さんによるお点前のご披露茶会もあると伺っており大変楽しみにしております。

終わりに,ご列席の皆様のご健勝,ポーランド共和国と貴国国民の益々のご繁栄,そして日本とポーランド両国の友好関係の一層の進展を心から祈念し,杯を上げたいと思います。

Na zdrowie (ナ・ズドロービエ)(乾杯)

フィンランド

令和元年7月3日(水)
フィンランド大統領表敬挨拶(大統領夏の官邸)

日本とフィンランド共和国の外交関係樹立100周年に当たる本年,フィンランド政府のお招きにより,妻とともに貴国を公式訪問できましたことを,大変うれしく思います。また,本日はニーニスト大統領閣下に夏の大統領官邸にお招きいただき,厚く御礼申し上げます。

1985年,私の両親である,現在の上皇上皇后両陛下がフィンランドを初めて御訪問になった際,ジャン・シベリウスの家を訪れ,出迎えた人々からスズランを贈られ,歓迎していただいたと聞いております。そのような縁のある地に,今回の訪問が実現したことは私たちの大きな喜びであります。

両国間に外交関係が開かれた100年前に初代駐日代理公使として日本に赴任したグスターフ・ヨーン・ラムステッド氏は,その後も,言語学者として,また,フィンランド日本協会の初代会長として,わが国の様々な人物との絆を深め,両国民の交流とそれを土台とする友好関係の礎を築きました。

近年,空路の充実により両国の距離は以前にも増して近くなり,文化に限らず,先端技術,環境,デザインなど様々な分野で貴国と我が国との交流がより活発に進められていることは大変喜ばしいことでございます。100年の時を経て,人々の交流が次の100年に向けて更に発展し,両国間の友好関係がより深まっていくことを切に祈念いたしております。

令和元年7月3日(水)
日本フィンランド外交関係樹立100周年記念レセプション(大使公邸)

ハーヴィスト外務大臣,御列席の皆様

本日,ここに,ハーヴィスト外務大臣,そして両国の友好関係の発展に貢献してこられた多数の関係の皆様とともに,「日本フィンランド共和国外交関係樹立100周年記念レセプション」に出席できましたことは,私たちにとって大きな喜びであります。

100年前,初代駐日代理公使として訪日したグスターフ・ヨーン・ラムステッド氏は両国の友好関係の構築に多くの力を尽くしました。同公使は,日本という異国の地で,日本を代表する民俗学者である柳田国男や詩人の宮沢賢治らとの交流を重ねながら,1935年に創設されたフィンランド日本協会の初代会長として,現在まで続く両国民の交流とそれを土台とする友好関係の礎を築きました。爾来,両国の人々が友好の絆を紡ぎ,その幅を広げ,今日に至っておりますことを大変喜ばしく思います。

本日,ご出席になっている皆様は,文化,芸術,学術,そして,政治,経済などの様々な分野において,両国の交流を深め,その活動を通してお互いの国の深い理解に向けて絶え間ない努力をしてこられました。ここに深く敬意を表させていただきます。

本日,フィンランドの夏の薫りに満ちたクルタランタにてニーニスト大統領閣下ご夫妻に温かく迎えていただき,親しくお話をする機会をいただきました。その中で,フィンランドの人々も日本と同様に自然を敬い,また,お互いに相手を思いやる精神をお持ちであると強く感じました。この共通の精神によって,地理的には遠く離れていても,100年の長きにわたって両国の友好関係を発展させ続けることができたのではないかと思います。

終わりに,ハーヴィスト外務大臣をはじめ,ご列席の皆様のご健勝,ならびにフィンランド共和国の繁栄と国民の幸福を祈念いたします。そして,100年の時を経て,人々の交流がこれからもさらに発展し,両国の友好関係が,フィンランドの夏の太陽のように明るく,末長く続いていくことを願ってやみません。

令和元年7月5日(金)
科学・文化大臣主催昼食会(トゥースラ)
【実際のおことばは,英語で述べられています。こちらのページでは,和訳したものを掲載しています】

サーリッコ科学・文化大臣
パプネン様
御列席の皆様

 このたび,日本フィンランド外交関係樹立100周年という節目の年にあたり,妻とともに初めてフィンランドを公式訪問できましたことを大変うれしく思います。また,ここトゥースラにおいて,サーリッコ大臣およびパプネン様に昼食会を催していただいたことに深く感謝申し上げます。

 私の両親である上皇上皇后両陛下が最初にフィンランドを訪問されたのは,1985年のことです。その際,ここアイノラ・シベリウスの家を訪れ,温かく歓迎いただいたと伺っています。

 初代駐日代理公使に任命されたグスターフ・ヨーン・ラムステッド教授の日本での活動を支えた一人が渡辺忠雄牧師です。その妻フィンランド人のシーリ夫人との間に生まれた渡辺暁雄氏は,私も幾度となくお話をしたことがありますが,日本フィルハーモニー交響楽団を創設した指揮者としてジャン・シベリウスの音楽を日本人の心に届けました。本年4月,同交響楽団によるフィンランド初公演が実現したことは,誠に大変喜ばしいことであります。

 本日,日本シベリウス協会最高顧問である舘野泉氏によるすばらしいピアノコンサートが開かれましたが,このコンサートがここアイノラで開催されたことがいかに重要であるかということは,ここにいらっしゃるどなたもが感じておられることと思います。

 近年,音楽,美術,デザイン等両国の文化交流が以前にも増して活発に進められています。両国間の人々の交流がこれからも更に進み,また両国間の友好関係が末長く今まで以上に発展することを祈念いたしております。

 どうもありがとうございます。

秋篠宮皇嗣同妃両殿下のご印象

令和元年7月10日(水)
ポーランド及びフィンランドご訪問を終えて

日本とポーランドとの国交樹立100周年ならびにフィンランドとの外交関係樹立100周年にあたり,ポーランド,フィンランド両国政府のお招きを受け,それぞれの国を訪問できましたことを誠に嬉しく思います。


【ポーランド】

ポーランドの訪問においては,ドゥダ大統領閣下を表敬し,大統領閣下ならびに令夫人と親しくお話をさせていただく機会を得ました。また,ご夫妻は,私たちのために午餐会を催して下さり,さらにポーランドを発つ前日には,宿舎へとお別れにもお越し下さり,大変有り難いことでした。

この節目の年に関連する行事としては,お能の公演,ショパンコンサート,サクラの植樹式,そして記念のレセプションに出席いたしました。とくにお能の公演には,大統領ご夫妻のご出席もいただき,両国の100周年を記念する大きな行事として記憶に残るものになると感じました。

コンサートでは,ショパンの名曲とともに,同じくポーランドの作曲家でありかつて首相も務めたパデレフスキの音楽が演奏されました。

植樹式においては,私たちは日本とポーランドの交流の一角を担ってきたポフシン植物園でサクラ(Autumnalis Rosea)を植樹しました。このサクラがポーランドの地にこれから美しい花を咲かせていくことを楽しみにしております。

記念のレセプションにおいては,裏千家のポーランド支部の方々によるお点前や日本人学校の児童・生徒たちによる太鼓の演奏が披露され,出席者は日本の文化の一端にふれるよい機会になったと思います。

記念行事のほか,首都ワルシャワ,そして二つの地方都市(クラクフとウォヴィチ)で,ポーランドの歴史と文化に接するとともに,日本と関わりの深い場所を訪れることができました。

最初に参拝をしたワルシャワの無名戦士の墓所と同日午後に訪れた旧市街では,第二次世界大戦によって完全に破壊された街とその後に復元された街の様子の説明を受けましたが,実際の場所において,戦後直後の写真と対比させながら復元された現在の街を見るにつけ,改めてワルシャワが受けた被害と,これらの困難を乗り越えて,自国の伝統と文化を保ちつつ,今日の繁栄を築いてきたことへ,思いを馳せました。

キュリー夫人の生家であった同夫人の博物館は,機会があれば訪れたいと思っていた場所です。今回,キュリー夫人の業績のみならず,夫人の家族や当時の実験室の様子なども知る機会となりました。

足を延ばした古都クラクフでは,コペルニクスやヨハネパウロ2世が学んだヤギェロン大学を訪れ,コペルニクスが在籍した当時の学籍簿や北米大陸が最初に記された地球儀,また,ショパンが弾いたピアノなどを見学することができました。私たちは二人ともショパンの曲には親しんでおりましたので,1曲でも奏でることができればよかったのですが,生憎忘却の彼方になっており,残念ながら音を確かめるだけとなりました。

その後に訪ねたヴァヴェル城は,歴代の王の居城となっていた場所です。今回は隣接する大聖堂を中心に見学をいたしましたが,この大聖堂は,戴冠式や結婚式,葬儀など大切な儀式が行われた場所だと聞きました。聖堂内の一部が赤い大理石で作られ,今までに見てきた聖堂とは何処か異なる装飾が印象的でした。これに続いて訪れた科学アカデミー生物体系進化研究所博物館では,ケブカサイの全身個体を見ることができましたが,これは,私たちにとっては初めての経験となりました。

もう一つの地方都市ウォヴィチは,切り絵細工で有名なところです。今回,民族博物館を訪れた際に切り絵の実演をしてもらいましたが,羊毛を刈るための鋏を巧みに使って紙を切り重ねていく様子はまさに匠の技と言えましょう。また,同博物館で見学をしたかつての農具や彩り鮮やかな衣装,さらにその綺麗な衣装を着て子どもたちが踊る姿を見て,少しばかりではありますが,この地域の豊かな文化や暮らしにふれることができました。

今回の訪問において,日本とポーランド両国の交流で印象に残ったこととして,ポーランドの人たちが,今まで聞いていた以上に,そして私たちが想像していた以上に日本に関心を抱いているということがあります。ワルシャワ大学日本語学科の学生たちの日本語の水準が非常に高いことに感銘を受けるとともに,日本への関心事が多岐にわたっており,話を聞いている私たち日本人の側にとっても参考になることがありました。

また,クラクフで訪問をした日本美術技術博物館(通称マンガ館)では,日本に関係すること全てを対象に様々な催しをしているとの話を聞きました。今回は「子どもの着物」や「コンコン!日本の絵本作家」の企画展示を興味深く鑑賞し,とくに,水石についての展示がなされていたことには驚きました。また,ポーランドを代表する映画監督で創設者のアンジェイ・ワイダ氏の意向を汲んで,日本語の教室や茶室もあり,ややもすれば限られた範囲に集中してしまう可能性のある博物館が,本来の意味での博物館を体現しているように感じました。

もうひとつ,日本の協力で作られたポーランド日本情報工科大学においても新しくできた日本文化学の学生とともに,先端技術において両国で協力する姿を垣間見ることができたことは有意義なひとときとなりました。そして,日本文化学以外の専攻の学生もそれぞれ日本についての関心を抱いてくれていることを嬉しく思いました。

なお,私たちが別々に訪れたものとしては,

(文仁)ワルシャワ生命科学大学及びヴィラヌフ・オボールィ付属実習農場を訪れ,現在の農業教育・研究や畜産の現状について説明を受け,有意義な意見交換をすることができました。

(紀子)青少年マルチメデイア図書館を訪ね,ポーランドで活躍する児童図書に関わる方々と実り豊かなお話をし,イラストワークショップ参加の子どもたちと交流することができました。


【フィンランド】

次の訪問国であるフィンランドでは,ナーンタリにある大統領夏の官邸において,ニーニスト大統領閣下へ表敬,大統領閣下ならびに令夫人から温かくお迎えいただきました。そしてご夫妻は,私たちのために午餐会を催して下さいました。さらに,午餐会の後は,宮殿の庭園をご夫妻と一緒に散策をしながら,植栽されている樹木などについてのお話を伺いました。

100周年に関連する行事としては,記念レセプションと国立公文書館における特別展示,そしてアイノラ・シベリウスの家で催された舘野泉氏の演奏による記念コンサートに出席いたしました。

記念レセプションにおいては,両国の友好親善に寄与している方々とお話をしましたが,その中にはヘルシンキ大学において日本について学んでいる学生・院生も来てくれていました。日本への留学経験のある人たちもおり,ここでも日本への関心を強く持ってくれていることを有り難く思いました。

国立公文書館での展示では,外交関係樹立に関する当時の文書等を見せていただきましたが,これらが100年を経た今日でもよい状態で保存されていることを喜ばしく思いました。また,コイヴィスト大統領へ贈られた大勲位菊花大綬章も展示されておりました。同大統領は,1986年に国賓として来日されましたが,その折りの宮中晩餐会には,文仁も出席し,大統領が勲章を付けておられたことをよく覚えております。

シベリウスの家で開催された舘野泉氏による100周年記念コンサートも素晴らしいものでした。シベリウスの楽曲は,母親をフィンランド人に持ち,日本フィルハーモニーの創設者の一人である渡辺暁雄氏によって日本に紹介されましたが,その日本フィルハーモニーが今年の4月に初めてフィンランドで公演を行ったことは,大変喜ばしい出来事であったと思います。この度は,シベリウスが50年以上にわたり暮らした,緑豊かな木々と草花に囲まれた家で,「フィンランディア」をはじめ,同じくフィンランド出身のパルムグレンの曲や日本の童謡に静かに耳を傾けることができました。

さらに,シベリウスの家の2階では,フィンランドの民族楽器「カンテレ」の演奏がありました。二人の少女が奏でる柔らかく繊細なカンテレの音色を聞きながら,心和むひとときを過ごしました。

今回,最初に訪れた国立博物館では,「カレワラ」をテーマとした天井画やフィンランドの歴史をたどりつつ,日本の初代臨時代理公使だったラムステッドの展示,二国間の100周年にあたって日本から寄贈され,記念行事で使用した「御神輿」を見ることができました。

引き続き訪れたアテネウム美術館では,フィンランドの代表的な絵画を鑑賞し,また日本と北欧が相互に影響を与えあった作品の企画展示を見学しました。西欧の画家が浮世絵を参考にしたことは知られていますが,民藝も北欧の芸術と関係したことは興味深いことでした。

その後に訪れたヘルシンキ大聖堂では,約6000本のパイプのオルガンから流れる音楽で出迎えられ,ミサや洗礼などの行事について今まで知らなかった話を聞きました。

首都のヘルシンキ以外には,大統領の夏の宮殿をはじめ,古都のトゥルク,エスポー,フィスカルス,トゥースラを訪れました。

トゥルク城の中世からルネサンス期を経て,幾度となく作り替えられていったお城に,歴史的な物語を感じました。トゥルクの大聖堂が元は木造の小さな教会であったことにも驚きました。また,大聖堂を出たところには,当地の柴犬愛好家の人たちが大勢送迎に来てくれており,思わぬところで日本と繋がりのある人たちと出会うことができました。

近年,日本でも関心が高い出産育児支援の拠点である「ネウヴォラ」のあるエスポー市のイソオメナ・ネウヴォラを訪れ,どのような支援が行われているのかを職員そして利用者から話を聞く機会に恵まれました。ネウヴォラは,母親の妊娠期から生まれた子どもが就学するまでを無料で支援をするシステムですが,基本的に出産前から就学まで担当のネウヴォラ専門職が相談にのるとの説明があり,利用者もこのシステムのお陰で安心して出産できるとのことで,子育て支援の一つのモデルになるように思いました。

ラーセポリ市にあるフィスカルス村は,17世紀に製鉄で始まった村ですが,現在では多様な芸術家たちがここに住み,活動を行っております。私たちも,アーティストたちと話をし,その一端にふれることができましたが,特に木製品の製造過程の一部や加工法などは,見ていて大変面白いものでした。

最終日には,国立博物館の野外展示場であるセウラサーリを訪れ,ラップランドのサーミの家や昔の農家,そして木造の教会などの展示を見学いたしました。短期間で多くの地方を廻ることはできませんが,このような場所で,少しでもフィンランドにふれることができ,よい想い出となりました。

フィンランドにおいても,私たちが別々に訪れた施設がありました。

(文仁)ファルクッラ牧場を訪れ,牧場関係者ならびに畜産学の研究者から生ける文化財である在来家畜についての現状の説明を受けるとともに,これらの保存と継承について有意義な意見交換をすることができました。

(紀子)新子供病院を訪ね,ムーミンのイラストが描かれるなど子どもたちが緊張しないように様々な工夫がされ,家族と一緒に過ごすことができるとの説明を受けました。また,フィンランドの児童図書の関係者や結核対策の専門家にお会いし,相互の理解を深める時間を持つことができました。

今回,ポーランドとフィンランドにおいて,大統領閣下ご夫妻,そして政府関係者から大変ご丁寧にお迎えいただくとともに,行く先々で多くの人たちに温かく迎えていただいたことは,大変有り難いことでした。私たちの訪問に際し,力を尽くしてくださり,心を寄せてくださった多くの方々に感謝の意を表します。この100周年を一つの契機として,日本とポーランド,日本とフィンランドとの友好親善関係がさらに深まることを心から祈念しております。