主な式典におけるおことば(令和7年)
天皇陛下のおことば
1.17のつどい-阪神・淡路大震災30年追悼式典-
令和7年1月17日(金)(兵庫県公館)
今から30年前の今日、多くのかけがえのない命が一瞬にして奪われ、住み慣れた街と暮らしが失われました。震災の後、私も皇后と共に被災地を訪れましたが、被災された皆さんが、困難な現実を前にしながらも互いに励まし助け合い、懸命に前へ進もうとする姿は、今もなお脳裏に深く刻み込まれています。
現在の復興した美しい街並みを目の当たりにし、これまでの皆さんの努力に敬意を表するとともに、復興に尽力された多くのボランティアや各分野の活動団体、さらには海外からの支援と協力に対し、改めて感謝の意を表したいと思います。
阪神・淡路大震災以降も、国の内外を問わず、各地で大きな自然災害が頻発しています。昨年1月に発生した能登半島地震の際にも、兵庫県の皆さんが、現地に駆けつけ、被災者に寄り添いながら、震災から得た経験と教訓を生かした支援を行ってきたほか、海外で起こった災害の被災者に対しても心を寄せ、支援を行っていることは、意義深いことと思います。
阪神・淡路大震災から30年を経て、震災を経験していない世代の人々が増えています。兵庫県では、震災を風化させてはならないという決意のもと、世代や地域を越えて経験と教訓を「繋ぐ」取組を進めており、中でも、震災を経験していない若い人たちが震災について自主的に学び、考え、自分の言葉で発信し、次世代へ
これからも、震災の経験と教訓を基に、皆が助け合いながら、安全で安心して暮らせる地域づくりが進められるとともに、そこで得られた知見が国の内外に広がり、次の世代へと引き継がれていくことを期待いたします。
最後に、亡くなられた方々の
第217回国会開会式
令和7年1月24日(金)(国会議事堂)
国会が、国民生活の安定と向上、世界の平和と繁栄のため、永年にわたり、たゆみない努力を続けていることを、うれしく思います。
ここに、国会が、国権の最高機関として、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、その使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します。
国賓 ブラジル大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐
令和7年3月25日(火)(宮殿)
<英文>へ
- <ポルトガル語(仮訳)>(PDF形式:73KB)3ページ
この度、ブラジル連邦共和国大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ閣下が、令夫人と共に、国賓として我が国を御訪問になりましたことを心から歓迎いたします。
私たちは本年、1895年にブラジルと我が国との外交関係が樹立されてから130年の節目の年を迎えます。この130年にわたる交流の中で、日ブラジル両国関係は、政治や経済にとどまらず、文化、スポーツなど幅広い分野に裾野を広げ、近年ますます緊密になっています。ブラジルから日本への訪問者数も年々増えています。また、約21万人のブラジルの人々が現在我が国で生活し、経済活動や地域社会の活性化、そして日本とブラジルとの人的交流に重要な貢献をされており、日本各地で毎年ブラジル・フェスティバルが開催されています。ブラジルでは、若い日系人の方々の活躍もあり、北部のアマゾン地域から南部に至るまで、日本祭りが各地で大きな盛り上がりを見せているとも聞いております。本年の「日本ブラジル友好交流年」を通じて、両国の友好関係がますます深まることを切に願います
顧みれば、1982年、私の最初の海外公式訪問国はブラジルでした。当時のフィゲイレード大統領を始め、ブラジルの皆さんから温かい歓迎を受けたことをよく覚えております。それとともに、貴国の国土の広さ、多様性、そして人々の明るさが強く印象に残っています。
2008年、日本人ブラジル移住100周年にあたり、私は再び貴国を訪問いたしました。その際には、ブラジリアで貴大統領から大変心のこもったおもてなしを頂きました。それから17年、御夫妻をこうして国賓として日本の地にお迎えし、晩餐会を開催できますことを誠に感慨深く思います。
ブラジルを訪問した際には、初期の日本人移住者の皆さんの手作りの道具類や資料を目にし、移住された皆さんが、様々な御苦労を乗り越えながら努力を重ねられたことを感じました。祖国日本を遠く離れ、ブラジルに移住された方々とその子孫である日系人の方々は、ブラジル社会の発展にも大切な一員として貢献してこられました。その背景には、日本人移住者を温かく迎え入れてきたブラジル政府、そしてブラジル国民の皆さんの御厚意があったことを忘れることはできません。ルーラ大統領の国賓としての訪日を歓迎する晩餐会に、これまで両国の友好関係の増進に寄与されてきた日系ブラジル人の方々が出席されていることをうれしく思います。
日本とブラジルは、長年にわたって様々な分野で協力してきました。持続可能な開発の分野では、ブラジル北部において、日系農家の方々が胡椒や熱帯果樹、樹木栽培を組み合わせた森林農法を開発され、我が国からの専門家の派遣や熱帯果樹のジュース加工工場の整備等の支援を通じて、持続的な土地利用や森林保全が今日まで引き継がれています。また、ブラジルの広大なサバンナ地帯で、「不毛の大地」と呼ばれていたセラードを農業地帯として開発する過程では、日系人や我が国のJICAを含む多くの人々が尽力されたと聞いています。私自身も、ブラジリアの「セラード農牧研究センター」を二度訪問する機会がありました。日本とブラジルの長年の協力により、ブラジルが今や世界に誇る食料供給国となっていることを喜ばしく思います。
現在、世界では、気候変動の影響を受けた自然災害が多発しています。昨年、貴国リオ・グランデ・ド・スール州で発生した豪雨による洪水により、多くの尊い命が失われ、被災された方も多数に及んだことに心が痛みます。一日も早い復興を心よりお祈りいたします。日本でも、昨年、能登半島地震を始め、豪雨などによる多くの自然災害が発生しました。貴大統領が重視しておられる環境・気候変動の分野、そして防災の分野において、今後も日本とブラジルが協力して世界に貢献していくことを願っております。
東京では桜も咲き始め、我が国は今、美しい春を迎えようとしています。大統領御夫妻の我が国御訪問が、実り多く、思い出深いものとなることを願うとともに、お二方の御健勝とブラジル国民の幸せを祈り、杯を挙げたく思います。
2025年日本国際博覧会開会式
令和7年4月12日(土)(2025年日本国際博覧会会場EXPOホール)
この博覧会のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」です。「大阪・関西万博」を契機として、世界の人々が、自分自身だけでなく、周りの人々の「いのち」や、自然界の中で生かされている様々な「いのち」も尊重して、持続する未来を共に創り上げていくことを希望します。
ここ大阪は、1970年にアジアで初めて万国博覧会が開催された地です。当時10歳だった私は、博覧会の会場を何度か訪れ、様々な国のパビリオンを巡って、世界の人々との触れ合いを実感するとともに、月の石を見たり、ワイヤレス・テレホンでの通話を楽しんだりして、当時の最新の技術に驚いたことなどを今でもよく覚えています。今回の博覧会を通じて、子どもたちが世界の国や地域、人々への理解を深め、次世代の技術や、SDGsの達成に向けた世界の取組などにも触れることにより、未来の社会について考えることを願っています。
ここに、2025年日本国際博覧会「大阪・関西万博」の開会を祝し、大きな成功を収めることをお祈りいたします。
2025年 日本国際賞(Japan Prize)授賞式
令和7年4月16日(水)(新国立劇場)
日本国際賞は、世界の科学技術の発展に資するという我が国政府の構想により、民間からの寄付を基に1982年に創設されました。この賞は、世界中の科学技術者を対象とし、科学技術の進歩に大きく寄与する成果を挙げ、そのことがひいては人類の平和と繁栄に著しい貢献をしたと認められる人に贈られます。
今年の授賞対象分野は、「物質・材料、生産」分野、及び「生物生産、生態・環境」分野でした。「物質・材料、生産」分野でラッセル・ディーン・デュプイ博士、「生物生産、生態・環境」分野でカルロス・M・ドゥアルテ博士が、それぞれ受賞されたことを、心からお祝いいたします。この度受賞されたお二人が、それぞれの研究を通じて、科学技術の発展や人々の暮らしの利便性の向上、また、持続可能な地球環境の実現に向けて大きく貢献されてきたことに、深く敬意を表します。
今回の授賞対象分野を始め、近年、世界が地球規模で直面する課題は、ますます多様化し、複雑化してきています。そのような中で、科学技術が果たすべき役割は一層重要になってきていると思います。私たちが、より広い見識の下、様々な分野の
日本国際賞が、人々に幸福をもたらす科学技術の発展に一層寄与するとともに、人類の平和と繁栄に貢献することを願い、式典に寄せる言葉といたします。
第75回全国植樹祭
令和7年5月25日(日)(秩父ミューズパーク)
埼玉県においては、昭和34年に
埼玉県は、
森林は、私たちの生活に欠かすことのできない大切な役割を果たしています。木材などの林産物を供給するほか、水源を保全するとともに、多くの生き物の生息地を提供し、生物の多様性を守っています。また、国土の保全や地球温暖化防止にも寄与するなど、様々な恩恵をもたらしてくれます。
近年、気候変動の影響がより顕在化してきている中で、森林が持つ役割の重要性はますます高まっています。一人一人が、これからも森林を大切にし、木の循環利用を進めながら健全な森林を育み、未来へと引き継いでいくことは、私たちの果たすべき使命であると考えます。
本日表彰を受けられる方々を始め、日頃からそれぞれの地域において森林や緑を守り育てる活動に尽力されている全国の皆さんに敬意を表します。そして、そうした活動が、今後とも多くの人々によって支えられるとともに、次の世代に着実に引き継がれ、発展していくことを期待します。
終わりに、この度の大会テーマである「人・森・川 つなげ未来へ 彩の国」にふさわしく、人々が森や川を大切にしながら自然に親しみ、健全な森林づくりや木材の利用を更に進める活動が、ここ埼玉の地から全国へ、そして未来へとつながっていくことを願い、私の挨拶といたします。
気象業務150周年記念式典
令和7年6月2日(月)(パレスホテル東京)
古くから、人々が生活していく上で、暦を作って年中行事を行ったり、農作業を行ったりするために、気象を把握し予測することは重要なことでした。そして現在、我が国で気象業務の中心的な役割を担っている気象庁は、明治8年に、前身である東京気象台が業務を開始して以来、国民の生命と財産を様々な災害から守ることや、交通の安全の確保、産業の発展などに寄与し、大きな役割を果たしてきました。
この間、離島やへき地、危険を伴う山頂など、環境の厳しい場所を含む全国各地において、長年にわたって観測データの蓄積や、それに基づく予測情報の発表などを行ってきた気象庁の職員の皆さん、そして、これらの業務を支えてきた、地方公共団体や研究機関、企業、気象予報士、報道機関など多くの関係者の皆さんのたゆみない努力に敬意を表します。
近年、地震や台風、線状降水帯による大雨などの災害により、甚大な被害が発生しています。また、将来起こり得る大規模地震や火山の噴火などに対し、私たちの備えを今一度確認する必要があると強く感じます。そのためにも、自然現象を絶え間なく観測し、災害対応に資する情報を的確に社会に発信していくことが大切です。
気象業務を担う皆さんが、150年にわたる歴史を通じて積み重ねられてきた知識と経験を生かしながら、今後とも、国民から寄せられる期待と信頼に応え、社会の安全と人々の安心を確実なものとしていくことを願い、式典に寄せる言葉といたします。
第7回国連水と災害に関する特別会合「協力とパートナーシップのための水と災害」(ビデオ)(仮訳)
令和7年7月8日(火)(アメリカ合衆国 国際連合本部)
<英文>へ
令和7年7月8日(火)
アメリカ合衆国
国際連合本部(ビデオ)
閣下、並びに御列席の皆様
1.始めに
本日は第7回国連水と災害に関する特別会合にお招きいただき、ビデオでお話しする機会を得たことを
2.水供給のための協力とパートナーシップ
本日はこの会議のテーマである「協力とパートナーシップのための水と災害」についてお話ししたいと思います。私たちは暮らしや
3.「足りない」水と「多すぎる」水の問題を皆で乗り越える-協力とパートナーシップに関する日本の事例-
この写真を御覧ください(図1)。これは日本の山梨県にある三分一湧水と言われる江戸時代から使われてきた分水施設ですが、貴重な水をめぐって公平に分かち合うために地域の人々が集まり、分水柱を動かして皆が納得する水の配分を行っていました。この施設は今でも利水者や地元の人々によって作られた当番制の維持管理の仕組みが守られるなどして有効に使われており、また毎年分水の行事が関係集落の立会いの下で行われています。
こちらは、滋賀県にある西野水道といわれる、多すぎる水、すなわち洪水を排除するためのトンネル施設です(図2)。約180年前、度重なる水害に悩まされてきた地域の人々は、仏僧西野
このように、多くの国や地域がそうであるように、日本でも、「足りない水」も「多すぎる水」も、地方の人々の協力とパートナーシップによって克服されてきました。
4.国境を越えた水と災害の協力とパートナーシップ
さらに国境を越えた水のパートナーシップは国の発展に大きな意味を持ちます。明治初期の1870年代、福島・安積原野は水源に乏しく未耕作地帯が広がっていましたが(図3)、地元の人々が開拓のため「開成社」を結成し、協力して新たな水源地を造りました(図4)。
この成功に着目した明治政府は同地での大規模な農業開発を構想し、国内で4番目に大きな猪苗代湖からの導水を計画しましたが、これには多くの技術的困難を伴いました。政府はオランダから招へいしたファン・ドールン長工師に調査計画を依頼し、その基本計画のもとで、約3年を掛けて十六橋水門と37の
開拓活動の拠点だった「開成館」は現在も保存されています(図6)。私も妻の雅子と共にこの開成館を訪れましたが、当時の人々の開拓の苦労と夢を想い、感慨深いものがありました。
こうした国境を越えた協力とパートナーシップに支えられ、開国したばかりだった日本は、近代国家の建設に向けた歩みを進めることになりました。
多くの国際協力により進歩と繁栄を手に入れた日本は、学び蓄積した経験を世界と共有してきました。これは一昨年私が訪問したインドネシア・ジョグジャカルタ市にある砂防技術センターです(図7)。日本と同じく多くの火山を抱えるインドネシアでは、土砂災害が頻発することから流域の土砂制御が大きな課題でした。この課題解決のため、日本の砂防技術者が約40年にわたりインドネシアの人々と共に現地に適した工法や手法をこのセンターで開発し、多くの技術者を養成してきました。今ではこのセンターが周辺各国のための技術開発と技術移転の中心となり、気候変動と水に関する科学技術の発展と技術者の養成に大きく貢献していると伺っています。
5.水が育む協力とパートナーシップ-過去・現在から未来へ-
今まで見てきたように、一人一人が水の恩恵を享受し、その脅威から逃れるために人々は協力し、団結して、共に汗を流してきました。その協働は長い水協力の歴史を作り、時には国境を越えて広がっていきました。そして水を共同して治め、利用する中で人々のつながりと友好の輪が広がりました。協力と協働の対象だった水が、気が付けば人や地域の友好とパートナーシップの礎になっているわけです。地球温暖化が進行し、洪水や干ばつ、水需給のひっ迫に人類が直面している現在、様々なレベルでの協力とパートナーシップを進めることの可能性に一人一人が気付き、行動を起こすことが今こそ求められているように思います。
6.終わりに
SDGsの目標期限まで5年を切りました。目標達成のため求められる加速度は日々高まっています。各国の行動を促し、協力とパートナーシップを高めるため国連2026年水会議のテーマについて明日集中的に議論されると伺っています。明日の会議、更に今後のプロセスによって、世界の水問題の解決のための、全ての人々の新たな行動が促されることを期待しています。そして私も、水に関する協力とパートナーシップが広がり、人類の平和と繁栄につながることを願いながら、水に関する関心を持ち続けていきたいと思います。
ありがとうございました。