第6回国連水と災害に関する特別会合における天皇陛下ビデオ基調講演


「巡る水」-水循環と社会の発展を考える-

令和5年3月21日(火)

アメリカ合衆国

国際連合本部(ビデオ)

ハン・スンス 水と災害に関するハイレベルパネル(HELP)議長
チャバ・コロシ 第77回国連総会議長
閣下、並びに御列席の皆様

1.はじめに

「気候変動下で水及び災害被害軽減の中間レビューを結節する」のテーマの下で開催される、第6回国連水と災害に関する特別会合で基調講演ができることをうれしく思います。講演に先立って、先月トルコ及びシリアで発生した地震や昨年の夏に発生したパキスタンでの大洪水、正に今月に入ってのバヌアツでの壊滅的なサイクロンと地震を始め、世界各地で起こった災害により亡くなられた方々に対して、心から哀悼の意を表するとともに、被害に遭われた方々にお見舞いの気持ちをお伝えします。

明日からこの国連本部で、水に関する持続可能な開発目標の達成を課題とする、46年ぶりの国連水会議が開催されます。本日はこの課題にちなみ、水循環を通じた私たちの社会の発展を振り返り、その中でこの特別会合のテーマである水、災害、気候変動の関係についてもお話ししていきたいと思います。

2.人、社会と「巡る水」─江戸に見る循環型社会の成り立ちと水

(1)江戸の発展と水

まず、私の住む街である東京が、数百年前に江戸と呼ばれていた時代について、江戸の町の発展と水とがどのように関わっていたのか、ということから話を始めたいと思います。江戸は、徳川家康が1603年に幕府を開いて以降、急速に発展を遂げました。当時その中心であった江戸城周辺は、この図に示すように、すぐ東側に日比谷入江と呼ばれる海が入り込む低湿地帯でした(図1)。一方で、西側は武蔵野台地からつながる高台が続き、小河川に削られた複雑な地形をなしていました。このような地形の特徴は、現在でも、愛宕山や目白台など山や高台に由来する地名や、市ヶ谷や谷中など谷に由来する地名、また、九段坂や神楽坂など坂の名の付く地名が多くみられることからもうかがえます(図2)。江戸が、当時の政治、軍事や交易における地政上の要衝地であることは明らかですが、その地を持続可能な形で発展させることは、そう容易ではありませんでした。

初代の徳川家康をはじめとして江戸幕府歴代の将軍たちは、この地の発展のために水を巧みに使いました。まず飲み水ですが、徳川家康によって建設が始められた上水道システムはよく知られています。多摩川、井之頭池、善福寺池など江戸西部の豊富な水源を取水地点とし、江戸の複雑な起伏に沿って石樋や木樋を張り巡らせた上水道網(図3)は総延長150㎞に及び、共同井戸などによって町の隅々にまで飲み水を供給しました(図4)。同時にこうした給水のための井戸を共同で維持管理し、一度使った水を洗濯や庭の散水に再利用するなど、貴重な水を大切に使う文化も育ちました(図5)。

また、「衛生」については、江戸の発展に伴い、その周辺部での食料の増産が課題となり、いわゆる「下肥」が農産物の生育に欠かせない有効な肥料として、江戸中期には経済価値を持ち始めたことが注目されます(図6)。これを江戸の町から運び出す船が、江戸低地部の水路網などを通じて近郊の農業地帯に向かい、帰りには下肥を使用して生産された農産物を載せて江戸の町へと戻ってきます。ここに、当時、世界でもあまり例を見ない循環型社会が形成されることになります。この農作物をめぐる循環を成り立たせるのに重要な役割を果たしたのが、水路を利用した交通です。

(2)循環型社会を支える内陸水運ネットワーク

交通手段の限られていた当時、水運は今にもまして重要な物流手段でした。幕府は江戸城東側の低湿地帯を開発し、掘割を築き水路を巡らせて稠密な舟運網を構築しました(図7)。さらに、江戸の中心部に流れ込んでいた利根川の流路を関東平野の東側の太平洋に移すという大がかりな工事を行いました。この事業には、江戸や周辺の町を水害から守る、治水の効果もあったようですが、このようにして形成された内陸水運ネットワークは、江戸の町々及び江戸とその周辺地域間の物資輸送に大いに活用されました。この時代には、高瀬舟と言った平底の河川舟運に適した船が発達し(図8)、江戸東部から内陸へ、さらには利根川などを通じて太平洋岸までの物資運搬に威力を発揮しました。こうした稠密な内陸水運ネットワーク(図9)は江戸の循環型社会形成に大きな役割を果たしました。

(3)江戸の洪水対策

さて、アジアモンスーン地帯に属し多雨地域である日本において、治水は、領主にとって自分の所領を治め、経営する上で最重要課題の一つでした。8世紀に完成したとされる、最初の正史である『日本書紀』には、仁徳天皇が茨田堤(まんだのつつみ)を築き、洪水を防いだとされています(図10)。また戦国時代の有力武将であった武田信玄は、以前この会合の基調講演でお話ししたように、「暴れ川」と言われた釜無川を、信玄堤(図11)を始めとする治水施設を巧みに配置することで治め、荒れた氾濫原を豊かな穀倉地帯に変えました。

一方、もともと海岸沿いの低湿地であった江戸が高潮や洪水に対して脆弱(ぜいじゃく)であったことは想像に難くありません。実際、江戸の中心部は度々洪水に見舞われています。これに対し、江戸初期に隅田堤などの幾つかの堤防が低地部に築かれ、舟運用の水路などでの雨水の一時的貯留と一体となって洪水の低減に効果がありました。この隅田堤(図12)には桜が植えられ、花見の客が堤防を踏み固めて強化するように工夫されたともいわれています。また、大きな洪水のときには、幕府が「御助船」を出動させて救助活動を展開するとともに、被災者のために避難小屋を建てて食物を支給したほか、江戸市中に保有されていた多数の船が救援に向かったともいい、水害への対応がある程度組織的に、かつ迅速になされていたことがうかがわれます。

(4)江戸の水循環と社会の発展

このようにして見ていきますと、当時の江戸における「水」を軸とした包括的な循環型社会の成り立ちが見えてきます。自然や地形の条件を生かし、江戸を包含する大きな水循環を活用した多様な取り組みと働きかけにより、水に支えられた江戸は人口百万人を超える、当時として世界最大級の都市に発展しました(図13)。それはあたかも螺旋(らせん)階段を上るように、様々な水の課題に一つ一つ取り組みながら、上へ上へと昇っていく歩みでした。

(5)江戸から東京へ─現代社会と水

ここまで見てきたような江戸における水循環の諸要素は、近代を経て現在の東京にも息づいています。人口1,400万人の東京の上下水道網は広範で稠密ですが、その西部地域の水源は江戸時代と同じ多摩川に求められています(図14)。下水には資源としての高い社会経済価値が認められています。これは私が訪れた品川の下水処理施設ですが(図15)、下水の再処理によって雑用水やエネルギーを賄い、現代の循環型社会システムを構築することが可能になっています。

水災害を軽減する努力は現在でも続き、戦前に開かれた荒川放水路、高度成長期に築かれた利根川のダム群や2006年に完成した首都圏外郭放水路(図16)などが、洪水からの首都圏を守るために威力を発揮しています。

江戸に見られた災害時の救援に船舶を活用する方策は、現代の災害対策として再び脚光を浴びてきています。東京の荒川などでは震災・水害時の交通途絶地域への物資輸送のため、河川沿いに緊急用船着場を整備し、傷病者や救援物資を輸送する計画が立てられ施設整備が進んでいます。地震と火災などにより、10万人以上が亡くなったと推定される関東大震災から100年を迎えた今年、歴史に学びながら、水の利用の面からも首都圏の災害対策を見つめ直すことは、有意義なことではないでしょうか。

3.地球と人類を巡る水─水の巡りの中で私たちの未来を考える

江戸で実現された水循環型社会は、現代の技術によって、新たに息が吹き込まれるのと同時に、私たちが未来に向かう持続可能な社会の発展を考える上で、経済、食糧エネルギー需給、交通輸送、災害対策など様々な視点を私たちに提供してくれています。

世界各地でも自然や地勢条件に応じて様々な水の利用がなされ、文化が形成されてきました。一方、近年の気候変動によって水災害や渇水といった現象が頻発するなど水循環の姿が変化してきており、これらへの対応が人類共通の課題となってきています。今、温室効果ガスは最高レベルに達し、大気の温度は上昇傾向が止まりません。海洋熱量は過去最高となり、氷河の退潮傾向も加速していると聞いています(図17)。

気候変動の影響の8割は水を通じて感じられるといわれます。気候変動問題の解決は水問題の解決なしには不可能で、その逆も(しか)りです。それでは、この2つの課題解決に私たちはどのようにアプローチしていけばよいでしょうか。そのヒントは水循環にあります。私たちの社会は水が循環する中で、食糧やエネルギーを取り出し、多すぎる水から社会を守り、少なすぎる水を分かち合ってきました。江戸の事例のように、人類はその歴史を通して、自然と共に歩み、災害に対応し、水の恩恵を享受してきたと言えます。こうした事例から学び、水循環全体を俯瞰(ふかん)し大局的にとらえ、水、災害、気候変動の課題をつなぎ、総合的に解決していくことが期待されます。

4.おわりに

明日からこの国連で46年ぶりの水会議が始まります。その第3インターアクティブダイアローグでは、本日の会合テーマと関連する気候変動・レジリエンス・環境の総合的な議論が行われると聞いています。今日の特別会合、明日からの水会議で、多くの有意義な議論がなされ、水に関するSDGs達成に向けた世界の行動が加速していくことを願ってやみません。

ありがとうございました。