第4回アジア・太平洋水サミットにおける天皇陛下記念講演

令和4年4月23日(土)
熊本県熊本市熊本城ホール

人の心と水-信仰の中の水に触れる-

 記念講演に先立って、熊本県、九州地方、全国、そして世界各地で起こった様々な災害により、亡くなられた方々に対して、心から哀悼の意を表するとともに、被害に遭われた方々をお見舞いいたします。
議長、各国元首閣下、ご出席の皆様。


1.はじめに-熊本の人と水によせて-

 古来より、人と水とが深く関わってきた熊本市に於いて第4回アジア・太平洋水サミットの記念講演を行うことを嬉しく思います。熊本県は、近年、残念ながら度々水害による被害に見舞われていますが、もともと、山紫水明の地として知られてきました。
 阿蘇山、金峰山などによるカルデラ地形に特徴づけられた熊本県では、『後撰和歌集』の「年ふれば わが黒髪も白河の みづはくむまで老いにけるかも(桧垣嫗)」の歌に詠まれた白川や、緑川、菊池川、筑後川、球磨川などが恵みの水を田畑にもたらすとともに、大地に染み込む豊富な地下水が人々の生活を支え、都市にとっての潤いと活力の源にもなっています。特に、熊本市周辺は、阿蘇山の噴火に伴う火砕流が降り積もってできた台地の上に立地しており、火砕流堆積物は水を透しやすいことなどから、降った雨が良質な地下水となり、人口74万の熊本市の全ての飲料水を賄っています。人口70万を超える都市において、このようなことを実現している例は世界でも稀です。多くの市民の皆さんが水環境の保全に取り組んでいるからこそのことであり、この熊本市は、まさに清らかな水の都といえましょう。
 熊本県をはじめとして、我が国では豊かな水が豊饒な大地を創り、先祖代々続く人々と水との関わりが、その地域固有の文化と社会を形成してきました。人々と水との関わりの歴史によって文化や社会が形作られてきたことは、日本のみならず、アジア太平洋地域をはじめとする世界各国の地域でも同様と考えられます。世界の文明、文化を眺めると、水は人々の生活を支えるだけでなく、人と自然の関係や、人々の自然観、世界観にも大きな影響を及ぼしてきました。日々の水への感謝や畏れが、やがては、水を心の清めや祈りの対象へと変化させ、水を通じた信仰へと繋がっていった事例も日本や世界各地で見られます。本日はそうした人の心と水との関わりを、水に関する民俗信仰という視点からお話していきたいと思います。

2.山岳信仰と水

 山岳信仰とは、日本の各地に広くみられる民俗信仰の一つの形態です。富士山や白山、大峰山や大山などの信仰が良く知られ、それらの山の神を祀る神社などが広く分布しています。山岳信仰は日本だけでなく世界にも見られ、特徴的な山岳や、山と関わりの深い民族の存在する地などで発達しています。アジアを例にとれば、中国のカイラス山は、仏教やヒンドゥー教の聖地とされ、多くの人々が巡礼に訪れていますし、私も訪れたことのある、ネパールヒマラヤのマチャプチャレやブータンヒマラヤのチョモラリも聖なる山と見なされています(図1)。
 熊本県の阿蘇山は、日本を代表する活火山として広く知られるとともに、山岳信仰の対象でもありました。そして、有名な中岳の噴火口(図2)は、火口の底に水を湛え、信仰の対象として、健磐龍命(たけいわたつのみこと)が祀られています。健磐龍命には、阿蘇カルデラの湖水を切って美田を拓いたという言い伝えがあり、その子の速瓶玉命(はやみかたまのみこと)は水分(みくまり)神として麓の阿蘇神社に祀られています(図3)。阿蘇地方には、このように古くから、阿蘇山の火山神への信仰と、阿蘇谷の開拓に伴う農業開拓神や水神との合体した信仰が存在したと言われています。
 この写真は熊本市内に多くある湧き水の写真です(図4)。熊本市では江津湖や金峰山湧水群などの名水があり、県内には、白川水源など清らかな水が豊富に湧き出す名所もあります。阿蘇山への信仰のみならず、こうした名水もまた、多く信仰の対象になっており、小さな祠などが湧き水の傍らに置かれています(図5)。
 次に、石川県、岐阜県、福井県にまたがる、日本を代表する霊山である白山と水との関係を見ておきましょう(図6)。白山の標高は2700メートルを超え、手取川、九頭竜川、長良川という大きな河川の源流になっています。そのことも関係してか、白山は古代より「命をつなぐ親神様」として、水神や農業神としても崇められてきました。そして、泰澄という僧侶によって白山が山岳信仰の場として開かれたのは奈良時代の717年と伝えられ、2017年には開山1300年祭が執り行われています。日本における山岳信仰には、水につながる伝説や信仰と結びついたものが多くあることがお分かり頂けるかと思います。
 さらに、水に関わる民俗信仰は山だけでなく、森や、林業といった人々の生業にもつながっていきます。これは滋賀県の安曇川(あどがわ)流域に残るシコブチ神社ですが(図7)、この流域では、古くに林業が盛んで、伐採をした木材を筏に組み、川に流す際に多くの難所を越えなければならず、その安全を祈る「シコブチ神社」のネットワークが形成されたと言われています。このように、人々の様々な水への願い、感謝や想いが、水への民俗信仰へと広がっていったと言えましょう。

3.アジア・太平洋を繋ぐ水の信仰 -(1)蛇神(ナーガ)の旅-

 さて、少し視野を広げて、水の信仰を通じたアジア太平洋地域の繋がりについて見ていきたいと思います。その繋がりを探る手掛かりとして、まず蛇の神、次に龍神を取り上げます。
 こちらの写真をご覧ください(図8)。これは縄文時代の土器ですが、蛇の文様をかたどっており、古来より蛇が信仰の対象となっていたことが伺われます。実は、古代から蛇を神、或いは神の使いとして祀る例は日本だけでなく、アジア、欧州、南北アメリカ大陸、アフリカ、とほぼ世界中に広がっており(図9)、また多くの場合、そうした蛇には大雨、日照り、雨乞い、虹や雲と言った水文や気象にまつわる神話や伝説、言い伝えが残されています。理由としては、蛇の形が蛇行する河川や虹・雷の形を連想させることや、蛇が水棲であったり水中にもいることなど諸説あります。いずれにせよ、ヒンドゥー教や仏教など国を超えた信仰が広まる以前に、それぞれの地域で蛇などを通じた水への信仰が素朴な形で生まれていたことは確かなようです。日本古代の『古事記』、『日本書紀』の神話に出てくる八岐大蛇もその一つの例と言って良いでしょう。
 アジア太平洋地域において、各地域で文明が興って以降、宗教の広まりとともに蛇にまつわる神話と偶像の移動も始まります。中でも仏教の伝播はアジア・太平洋において人々の心の中に大きな影響を及ぼしましたが(図10)、水神である蛇の概念と偶像も大陸を跨ぐ移動を始めます。この写真(図11)はヒンドゥー教の蛇の神、ナーガ像で、猛毒を持つコブラがモデルとも言われます。ガンジス川での清めに重きを置くヒンドゥー教では、水にまつわる神々が重要な意味を持ち、半身半蛇のナーガ像が多くの寺社の彫像などに残されています。
 私は、2012年にカンボジアのアンコール・ワット寺院を訪れましたが(図12)、多くの場所でナーガの像や彫刻を目にしました(図13)。中でも、寺院内の第一回廊の壁画レリーフには、ヒンドゥー教の世界創造神話である「乳海攪拌」が浮き彫りになっており、不死の薬を求めて、下の写真のように、中央の山に巻き付いたナーガの頭と尾を、正義と悪の神が、それぞれに両方から引っ張ることにより山を回し、海を攪拌している様子が描かれています(図14)。また、カンボジアの建国神話には、ナーガが、大地を覆っていた水を飲み干して土地を作ったという話もあり、ナーガと水との強い関係をうかがわせます。インドネシアの寺院にもナーガの像が見られます(図15)。
 ここで、日本の例を見てみたいと思います。この写真をご覧ください(図16)。これは大阪・本山寺にある宇賀神像です。とぐろを巻く蛇の上に人間の頭部が載る宇賀神像は日本にも多く見られます。また、こちらは滋賀県にある、日本最大の湖である琵琶湖の竹生島にある弁財天像で(図17)、その頭部にも宇賀神像が載っています。
 弁財天といえば、日本三景の一つである広島県の厳島や、ヨットで有名な神奈川県の江ノ島などが有名ですが、いずれも島という水に関わる場所に祀られています(図18)。さらに、同じ島であっても、東京上野の不忍池には、江戸時代に、琵琶湖の竹生島に見立てて島が築かれ、弁財天を祀る弁天堂が建てられています。熊本県内にも弁財天を祀った島があると聞いています。また、山岳信仰の山としてよく知られた奈良県の大峰山の弥山山頂には、天河弁財天の奥宮があります(図19)。大峰山は古くから紀伊平野を、さらに近年には大和平野も潤す豊富な水量を持つ吉野川の水源となっており、水と弁財天信仰との密接な関係がうかがえます。弁財天は、日本では、福徳の神である七福神の一柱に列せられ、「弁天様」として人々に親しまれていますが、インドで発したヒンドゥー教の水神であるサラスヴァティー神が原型となっており、仏教の伝播とともに日本に伝えられてきているようです。サラスヴァティーとは「水を持つもの」の意で、水神(弁財天)と頭の上に乗る蛇とが近い関係を持っていることが分かります(図17)。蛇を通じた水の信仰は大陸を旅し、海を越え、アジアの人々、そして日本の人々の心に大きな足跡を残しているのです。
 ところで、私は、昨年の9月に皇居に引っ越しましたが、現在の皇居は、江戸時代には徳川将軍家の居城があった場所で、その歴史について調べていくうちに、江戸時代の18世紀には、皇居内にある小さなお堀の島に弁財天が祀られていたことを示す記録があることを知り、驚くとともに、水とのご縁は続いていると感じました。

4.アジア・太平洋を繋ぐ水の信仰 -(2)龍神の旅-

 さて、それでは龍はどうでしょうか。伝説や想像上の生き物とされる龍ですが、中国では、その概念は仏教などの宗教が興る数千年前に既に形成されていたと言われます。これはその例を示したもので(図20)、紀元前6千年以上前の仰韶文化(やんしゃおぶんか/ぎょうしょうぶんか)の「中華第一龍」や、紀元前3千年以上前の紅山文化(ほんしゃんぶんか/こうさんぶんか)の「碧玉龍」に、既に龍の姿が見られます。権威の象徴でもある中国の龍は水を司るとされ、古代から雨乞いの対象ともなっていました。中国にはインドに棲むコブラのような蛇はいませんので、古くからあるこの龍の概念が、伝来した仏教の蛇にまつわる教えと習合し、東アジア・東南アジアに伝わっていったともいわれています(図21)。
 日本にも古代中国で形成された龍の概念が伝わったとされ、日本国内では多く水神として祀られています。奈良県の室生には、龍が棲むという洞穴があり、9世紀にはここで雨乞いが行われていたことが『日本紀略』という歴史書に見えています(図22)。また、鎌倉幕府三代将軍の源実朝が「時により過ぐれば民の嘆きなり 八大龍王雨やめたまへ」と詠んだように、特に干ばつ、大雨といった異常気象の際には、龍は祈りの対象となり、各地に水龍の伝承が残されています(図23)。龍の中には、「九頭龍」と呼ばれる、九つの頭を持つものもあります。先程ご紹介した白山や長野県の戸隠山は「九頭龍」信仰との関わりが深いといわれています。写真(図24)は戸隠山ですが、ごつごつした岩肌が続くその特異な山容を龍に見立て、「九頭龍神」として崇拝したのが戸隠信仰の始まり、との説もうなずけるような気がします。
 ところで、熊本県八代市の「妙見祭(みょうけんさい)」の祭礼には、亀蛇(ガメ)と呼ばれる、亀と蛇が合体した中国伝来の架空の動物が登場します(図25)。ガメは、古来中国では龍の6番目の子どもを指したようですが、「妙見祭」が五穀豊穣を願う祭りであることを考えると、祭りという文化的な行事においても、龍と水、そして、日本とアジアとの結びつきを感じます。
 このように、日本をはじめアジアの各地で、水への感謝や畏れが蛇や龍という具体的な形をとった神話や偶像となり、さらに伝来した新たな教えとそれらが一体となって、少しずつ形を変えながらもアジア・太平洋の国々に広がっていった過程がお分かりいただけるかと思います。
 ここまで、人と水との日々のつながりから素朴な水への信仰が生まれ、そこから水へのより深い信仰となり、宗教の伝播に伴って広がっていった事例を見てきました。人々の水への想い、感謝や畏れは、蛇や龍の形を取り、大陸から海を渡り、各地域を繋ぐ文化の一部となったのです。時間と距離を超えた人と水との深い関わりは、アジア太平洋地域に住む私たちにとって、ゆるぎない共感と連帯の土台を形作っているように思えます。

5.水の国際共通目標の達成に向けて-おわりにかえて-

 15年前、大分県別府市で開催された第1回アジア・太平洋水サミットの記念講演で、私は、かつてネパールの山間部の共同水道で水をくむ女性や子供たちの姿を見たことが、水問題に関心を持つきっかけとなったことをご紹介しました(図26)。蛇口をひねればすぐ飲める水もあれば、何時間もかけて並び、山道を運んでようやく手に入る水もあるのです。そしてその風景からは、人と水との関わりの中のジェンダー、健康、教育など、「誰一人取り残さない」持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向けた課題も映し出されてきます。
 2015年に合意された国連2030年アジェンダは、このような課題に対して、アジア太平洋地域を含む国際社会に共通の目標を提示しました。目標年まで3分の1余の期間が経過した現在、その進捗の遅れに関係各国連機関が警鐘を鳴らしています。世界の全ての人々が安全な水と基本的な衛生サービスにアクセスするためには、今のペースのそれぞれ2倍の速度で施設の整備とサービスの拡充を進めなければなりません。さらに、2030年までに世界の全ての人々が各家での水道水や安全に処理される個別トイレといった水衛生サービスにアクセスするためには、今までの4倍の速度で施設の整備が図られる必要があると言われます。
 一方で、洪水や干ばつなど、水に関わる災害が頻発しており、気候変動の激化に伴って災害状況のさらなる悪化が懸念されているのも事実です。熊本県でも、水害からの復興が進んでいるところですが、さらに取り組みを継続して推し進める必要があるでしょうし、今後の対策も急務と考えられます。水の不足や過剰によって起きる様々な問題は、人々や社会に不安や緊張をもたらします。人と水との関係をめぐる問題は、私たちが連帯して取り組まねばならない喫緊の課題となっています。
 全ての人々が、豊かな水の恩恵を受けて安心して日々の暮らしを営むことが可能となり、それがやがてアジア太平洋地域、さらには全世界の平和と繁栄につながっていくことを心から願います。アジア太平洋地域を含め、世界各国で水を通じた地域の協力と安定に取り組んでいる方々に心からの敬意を表します。
 本日多くの例でご紹介したように、水は人々の生活を支えながら、人々の心に安らぎを与え、地域と地域を超えた共感と連帯をもたらします。この会議を通じて、出席される全ての皆さんが、人と水との関わりを様々な角度から話し合い、水をめぐる課題とその解決に向けた具体的な方向性を見出し、水に関する国際社会共通の目標達成に向けた決意を新たに行動していかれることを期待しています。そして、私も水問題についての理解とその解決に向けての考察を深めていくことができればと思っています。
 有難うございました。