第7回国連水と災害に関する特別会合「協力とパートナーシップのための水と災害」における天皇陛下おことば(ビデオ)(仮訳)
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「協力とパートナーシップのための水と災害」
令和7年7月8日(火)
アメリカ合衆国
国際連合本部(ビデオ)
閣下、並びに御列席の皆様
1.始めに
本日は第7回国連水と災害に関する特別会合にお招きいただき、ビデオでお話しする機会を得たことを
2.水供給のための協力とパートナーシップ
本日はこの会議のテーマである「協力とパートナーシップのための水と災害」についてお話ししたいと思います。私たちは暮らしや
3.「足りない」水と「多すぎる」水の問題を皆で乗り越える-協力とパートナーシップに関する日本の事例-
この写真を御覧ください(図1)。これは日本の山梨県にある三分一湧水と言われる江戸時代から使われてきた分水施設ですが、貴重な水をめぐって公平に分かち合うために地域の人々が集まり、分水柱を動かして皆が納得する水の配分を行っていました。この施設は今でも利水者や地元の人々によって作られた当番制の維持管理の仕組みが守られるなどして有効に使われており、また毎年分水の行事が関係集落の立会いの下で行われています。
こちらは、滋賀県にある西野水道といわれる、多すぎる水、すなわち洪水を排除するためのトンネル施設です(図2)。約180年前、度重なる水害に悩まされてきた地域の人々は、仏僧西野
このように、多くの国や地域がそうであるように、日本でも、「足りない水」も「多すぎる水」も、地方の人々の協力とパートナーシップによって克服されてきました。
4.国境を越えた水と災害の協力とパートナーシップ
さらに国境を越えた水のパートナーシップは国の発展に大きな意味を持ちます。明治初期の1870年代、福島・安積原野は水源に乏しく未耕作地帯が広がっていましたが(図3)、地元の人々が開拓のため「開成社」を結成し、協力して新たな水源地を造りました(図4)。
この成功に着目した明治政府は同地での大規模な農業開発を構想し、国内で4番目に大きな猪苗代湖からの導水を計画しましたが、これには多くの技術的困難を伴いました。政府はオランダから招へいしたファン・ドールン長工師に調査計画を依頼し、その基本計画のもとで、約3年を掛けて十六橋水門と37の
開拓活動の拠点だった「開成館」は現在も保存されています(図6)。私も妻の雅子と共にこの開成館を訪れましたが、当時の人々の開拓の苦労と夢を想い、感慨深いものがありました。
こうした国境を越えた協力とパートナーシップに支えられ、開国したばかりだった日本は、近代国家の建設に向けた歩みを進めることになりました。
多くの国際協力により進歩と繁栄を手に入れた日本は、学び蓄積した経験を世界と共有してきました。これは一昨年私が訪問したインドネシア・ジョグジャカルタ市にある砂防技術センターです(図7)。日本と同じく多くの火山を抱えるインドネシアでは、土砂災害が頻発することから流域の土砂制御が大きな課題でした。この課題解決のため、日本の砂防技術者が約40年にわたりインドネシアの人々と共に現地に適した工法や手法をこのセンターで開発し、多くの技術者を養成してきました。今ではこのセンターが周辺各国のための技術開発と技術移転の中心となり、気候変動と水に関する科学技術の発展と技術者の養成に大きく貢献していると伺っています。
5.水が育む協力とパートナーシップ-過去・現在から未来へ-
今まで見てきたように、一人一人が水の恩恵を享受し、その脅威から逃れるために人々は協力し、団結して、共に汗を流してきました。その協働は長い水協力の歴史を作り、時には国境を越えて広がっていきました。そして水を共同して治め、利用する中で人々のつながりと友好の輪が広がりました。協力と協働の対象だった水が、気が付けば人や地域の友好とパートナーシップの礎になっているわけです。地球温暖化が進行し、洪水や干ばつ、水需給のひっ迫に人類が直面している現在、様々なレベルでの協力とパートナーシップを進めることの可能性に一人一人が気付き、行動を起こすことが今こそ求められているように思います。
6.終わりに
SDGsの目標期限まで5年を切りました。目標達成のため求められる加速度は日々高まっています。各国の行動を促し、協力とパートナーシップを高めるため国連2026年水会議のテーマについて明日集中的に議論されると伺っています。明日の会議、更に今後のプロセスによって、世界の水問題の解決のための、全ての人々の新たな行動が促されることを期待しています。そして私も、水に関する協力とパートナーシップが広がり、人類の平和と繁栄につながることを願いながら、水に関する関心を持ち続けていきたいと思います。
ありがとうございました。
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