トルコご訪問に際し(令和6年)

秋篠宮皇嗣同妃両殿下の記者会見

ご訪問国:トルコ

ご訪問期間:令和6年12月3日~12月8日

会見年月日:令和6年11月25日

会見場所:赤坂東邸

記者会見をなさる秋篠宮皇嗣同妃両殿下
記者会見をなさる秋篠宮皇嗣同妃両殿下

<宮内記者会代表質問>

問1 両殿下にお尋ねします。日本と外交関係樹立100周年を迎えたトルコを初めて訪問されますが、トルコの印象や公式訪問に向けた思いをお聞かせください。2009年に「世界水フォーラム」出席のためトルコを訪問された天皇陛下、古代オリエント史の研究で知られる三笠宮さまをはじめ皇室の方々から、トルコに関してお聞きになっていることがあればご紹介ください。
殿下

この度、日本とトルコの外交関係樹立100周年の機会に、トルコ共和国政府からのお招きでトルコを訪問できることを、私たち大変(うれ)しく思っております。私は今まで残念ながらトルコに行ったことがなくて、今回初めてになるわけですけれども、同国はヨーロッパや中東、アフリカ、アジアの結節点と言いますか、文明の十字路と言うか、そういう場所と聞いております。また、現在の中東の情勢においても大切な役割を果たしていることと認識しております。自分の記憶の中でトルコについての記憶というのは、定かではないのですが、恐らく私たち子供の頃から、例えば、お花の名前に付いていたりとか、音楽の名前、実際にはトルコではないわけですけれども、そういうところから国名が入ってきたと思いますし、小学校高学年ぐらいでしょうか、中学校の初めぐらいかなと思いますけれども、西洋史学者の村川堅固(けんご)さんが、随分昔ですけれども西洋歴史物語というシリーズの本を書いておられます。これも今、手元に本がないのですが、その中で、当時ですからオスマントルコという言い方をしていたかと思いますが、トルコのことについて書かれていたという記憶があります。このトルコと日本の関係というのは、恐らく、1887年になりますか、小松宮彰仁親王同妃がオスマン帝国を訪問して、当時のスルタンのアブデュルハミト2世から非常に厚遇を得たということがあり、それを帰国後に明治天皇に報告をし、明治天皇からそのお礼という形でしょうかね、勲章などを献呈するということがあって、それに対する返礼と小松宮の訪問への答礼という形で派遣されたのが、今の串本の沖で遭難したエルトゥールル号と理解しております。そして、その時に、当時大島と言いました地元の人たち、それから日本側が非常に手厚く対応し、もちろん救助もし、そして生存者をお国まで届けるということで、その時のことを覚えていてくれて、その後の例えばイラン・イラク戦争の時に邦人の救出をトルコ側が行ってくれたりとか、それから東日本大震災の時に緊急援助隊の人たちが日本で長く活動をしてくれたりということがありましたし、日本の方もトルコでの震災、昨年もありましたけれども、その時に現地で活動する交流ができてきていると理解をしております。

また、交流という点においては、三笠宮殿下の(くわ)入れで始まったカマン郡の遺跡ですね、カマン・カレホユックの発掘調査、それからその後に作られたアナトリア考古学研究所、中近東文化センターの附属ですが、40年近くにわたって調査研究をトルコの人、それからその他の国の研究者などと進めているというのは、非常に学術交流として大きいことだと思いますし、外交関係樹立からの100年のうちの40年というのは、非常に長い期間だと思っています。そういう良い両国関係の国に訪問できますことは、大変大きな喜びと感じております。

(記者に質問を確認されて)それから皇族。

記者

天皇陛下や三笠宮様を始め、皇室の方々からトルコに関して何かお伺いしていることがあれば教えてください。

殿下

今、三笠宮様の話をいたしましたけれども、大分前に、その調査のことについてお話を聞いたことがあったと思います。また、2009年に天皇陛下が「世界水フォーラム」で訪問された時には、例えばイスタンブールの水の分配地点とか、地下宮殿などを視察されたと思いますが、そういう水に関係する施設を見学したという話、そしてそれとともにグランドバザールかな、「あれはとても面白かったよ」という話をされていました。また、彬子女王殿下は恐らく初めての海外がトルコだったんでしょうか、まだ、高校生の時に。その時にやはり非常に強い印象を受けたということを話しておられました。以上です。

記者

妃殿下のトルコの印象と公式訪問に向けた思いを是非お聞かせください。

妃殿下

ありがとうございます。

来月12月上旬に、日本と外交関係樹立100周年を迎えるトルコを宮様と一緒に訪問いたします。トルコは古くからアジアとヨーロッパを結ぶ陸路と海路、そして歴史や文化が交わる重要な場所として、歴史的な建造物、伝統的な手工芸、そして古典音楽などが、今日まで様々な形で受け継がれている文化芸術が豊かな国という印象を受けております。

また、日本とトルコの人々の長い間にわたる交流も心に残っています。先ほど宮様がふれていらっしゃいましたが、130年ぐらい前でしょうか、当時のオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山県の沖で遭難した時に現在の串本町の住民たちが救護活動をおこないました。その後、慰霊碑が建てられて、毎年1回、地元の子供たちが慰霊碑を清掃したり、また、遭難者を追悼することをしてきたと聞いています。それぞれの国で災害、地震などが起きたときには、迅速に助け合うなど、防災の分野でも協力が続いてきています。そして、考古学の研究、先ほど宮様もお話しされましたが、40年近くにわたっての協力関係があり、文化財の保護、修復(の分野)でも交流が行われてきております。そのような形で今日まで日本とトルコの人々の交流が長く続き、歴史が紡がれていることを心に(とど)めて過ごしております。

これは非常に個人的なことになりますけれども、トルコと聞いて思い浮かぶことが幾つかあります。その一つは花であるラーレです。ラーレはトルコ語でチューリップのことで、野生のチューリップが中央アジアからトルコの地域まで多く見られることを聞いていました。また、私たち家族は、毎年ちょうど今の時期にチューリップの球根を庭に植えていまして、その中には原始系のチューリップの種類もあります。そのチューリップはどこから来たのだろうと話すことがあり、以前にトルコもチューリップの故郷であるということを聞きまして、何となく親しみを感じて、ラーレの国を思い浮かべております。

それからもう一つは、トルコの伝統的な手芸であるオヤです。オヤはトルコ語なのですが、縁飾りという意味がありまして、何世紀にもわたってトルコの女性の方々が御自分の思いを一つ一つのオヤに託して作ってきた、受け継がれてきた、非常に素晴らしい緻密な手工芸です。私は幸い、先月そのオヤの技を使って作る花の作り方を教えていただきました。本当に細いかぎ針と糸とビーズを使いまして、それを手芸仲間と作りながら、トルコのことに思いをはせていました。もともと伝統工芸、手芸に興味を持っていたこともあり、オヤについてもっと知りたいという思いもありまして、今回訪問する前に、オヤの歴史についてお話を聞いたり、また、少しですが作る機会を頂いたりしたことを(うれ)しく思っています。

天皇陛下が皇太子殿下でいらした時に、ちょっと(宮様のお答えと)重なってしまいますが、2009年に開催された世界水フォームにいらした時のお話を伺いました。イスタンブールにある水に関わる施設の話、史跡ですね、そのお話もお伺いしました。

また、今月上旬、宮様と御一緒に中近東文化センターを訪ねました。彬子女王殿下が御案内してくださいまして、以前に三笠宮殿下から伺った発掘の話なども含めて、三笠宮殿下のオリエント学の御研究や、その御研究を三笠宮妃殿下が長く支えてこられたこと、そして、トルコのカマン・カレホユック遺跡についてもお話しくださいました。遺跡に隣接して三笠宮記念庭園がございまして、その庭園は来園者の憩いの場であったり、また、思い出作りの場所にもなっていると伺いまして、そのこともとても印象深い、心に残っているお話です。

今年は両国にとって、とても大切な節目の年であり、宮様と御一緒にトルコを訪問できますことを心待ちにしています。これまで両国の交流に心を尽くしてきた方々の思いを心に(とど)めながら、両国の友好関係が更に続いていくことを願っております。

殿下

今、思い出したのですけれども、トルコの関連の展示会というのが非常に多く行われているのですね。1960年にも行われていますけれども、その後、あちらの国から外にいろんな展示物を出すことを止めてたわけですけれども、それを再開して最初に選んでくれたのが日本だったというのも、やはり両国の関係を象徴するようなことだったかなと思いました。あと、先ほどチューリップのことが出たので、私の個人的な関心でいくと、トルコを含めた地域ですね、私たちが普段、世話になってる家畜のかなりのものが家畜化された場所ということで、今回は行く機会はありませんけども、また何かの機会にそういうところを見られたらいいかなと思いました。

記者

それでは、2問目に移らせていただきます。

問2 両殿下にお尋ねします。令和になって4回目の外国訪問となりますが、皇嗣、皇嗣妃としての国際親善の意義や役割をどのように実感されていますか。今年成年を迎えた悠仁さまも、国際昆虫学会議で各国の研究者と英語で交流し、親善を深められました。殿下はイギリス留学の経験をお持ちですが、将来国際親善の担い手となられる悠仁さまにも留学を勧められているかを含め、親子で話し合われていることがあればお聞かせください。
殿下

国際親善の意義ですね。今までも国際親善の訪問というのをしてきたわけですけれども、どのような、今、実感とおっしゃいましたか。

記者

どのように、意義や役割を実感されてますか。

殿下

意義や役割を実感しているか。私たちの訪問が、その後で役割があったのかとか、意義があったのかというのは、実はなかなか私自身、検証していないこともあって、実感までたどり着いていないというのが、私の感じていることなのですね。ただ、国際親善というのは、やはりその国と日本との友好関係を促進して、相互理解を深めていくということだと思っています。今、様々な人がそれぞれの立場で国際親善を行っています。そして、私たちが行う親善訪問も、何かその一翼を担えるのであれば、大変(うれ)しいことだと思っております。

(記者に質問を確認されて)それから、もう一つは何でしょうか。

記者

成年を迎えられた悠仁さまも、国際昆虫学会議で各国の研究者と英語で交流し、親善を深められました。将来国際親善の担い手となられる悠仁様にも留学を勧められているかを含め、親子で話し合われていることをお聞かせください。

殿下

私自身、留学したといっても、御存じのとおりその頃は昭和天皇の具合が非常に悪くて、日本とイギリスとを行ったり来たりですので、どこまで(とど)まって学んだかというのは、なかなか難しいのですが、私は、長男には海外で学ぶ機会を得てほしいと思っています。今暮らしている所と違う場所、また違う文化の所に行って、そこから日本を見つめ直すこともできましょうし、また、その機会を使って、いろいろな所を回って、見聞を広めるという意味でも大事だと思います。

そして、本人が大学に入ったら学びたいと言っているのが、自然誌分野なわけですけれども、もし、自然誌の分野で、更に深めようと思うときに、私の経験からでも言えることではありますけれども、欧米は資料を日本と比べものにならないぐらい持っております。私自身も若い頃に、資料をいろいろ調べるときに、とにかく見たいものがすぐに出てくるというような、日本では考えられないような経験をしました。その意味からも、海外で学びを深めてくれたら(うれ)しいなと、親としては思っております。

妃殿下

もう一度、質問を一つずつお願いできますか。

記者

はい。皇嗣、皇嗣妃としての国際親善の意義や役割をどのように実感されていますか。

妃殿下

はい。国際親善について考えましたときに、両国の相互理解を深め、また、友好関係を進めていくこと、その役割を担うことは、大変重要なことであると思います。そして、訪問後も、両国の交流がまた続いていくように願いながら過ごしていくことができたらと思っていますし、海外訪問をする度に、その後もその関係がつながっていくことも、大事、大切であると感じています。

(記者に質問を確認されて)次が長男のことですね。

記者

はい。将来国際親善の担い手となられる悠仁さまにも留学を勧められているかを含め、親子で話し合われていることがあればお聞かせください。

妃殿下

はい。今、宮様もいろいろと話をされまして、伺いながら、考え方とか話していることも重なってしまいますが、やはり長男には、若い時に、もし機会があれば、海外で生活を送り、また、そこの大学で、学校で学ぶ機会があれば良いのではないかと話すことがあります。海外での生活は、新しいことを経験したり、慣れないことに直面したりすることもあれば、何か懐かしいと思うようなこと、景色に出会うこともあるように思います。私は子供の頃に、家族と一緒にアメリカやヨーロッパで生活していました。そのような経験から、日本とは異なる文化や自然環境に直接ふれて暮らすこと、困ったときには助けられたり、また、困っている人がいたら助けたりしながら、何かいろいろな思い出を作りながら、見聞を広げていくことも大切であると思っています。また、宮様と言葉が重なってしまいますけれども、遠く海の向こう側から日本を見て、考える、そして、そこからまた学んでいく、そういう機会もあってもいいのではないかと思っていることを、長男に限らず娘たちにも話してきました。

殿下

一つ、先ほどの親善訪問についてなのですけれども、先ほど実感がないということをお話ししましたけれども、親善と言っても漠然とした親善、以前は結構そういうものもあったのですね。漠然とした親善、つまり、目的が、あまりはっきりしないというようなものも昔はありました。周年であったりとか、そういう何かの機会に、親善訪問するというのが、目的が明瞭になっていいように私は思っております。一言付け加えました。

<在日外国報道協会代表質問>

問3 この度、日本とトルコの国交100周年に際し、トルコをご訪問されます。日本とトルコはエルトゥールル号事件など、長きにわたり親交を深めてきた歴史があります。しかしながら、現在、地域情勢が揺らいでいると思われます。そのような中、皇室外交がどのような役割を持つのかお聞かせいただきたいと存じます。
殿下

トルコの周辺の地域の情勢というのは、とても気になるところです。その状態が続いているわけですけども、そのことはよく承知しておりますし、先ほどもお話ししましたように、地域においてトルコが重要な役割を担っているという認識はあります。一方、皇室の海外の訪問などについては、これはシステム上、皇室は外交をすることができないわけですね。そうすると、外交ではない事柄、つまり、先ほどもありました、親善、あくまで親善というのが前提になると思います。そしてこれは、繰り返しになってしまいますけれども、やはりその親善訪問を通じて国と国との間の友好関係を進め、相互理解を深めていくことの一助になり、若しくは寄与することができればいいなと私は思っております。以上です。

妃殿下

宮様と御一緒に今回、トルコを訪問することで、両国の人々、そして広くいろいろな人々が日本とトルコの長年にわたる交流、友好関係に目を向ける機会となり、また未来に向けて、より一層相互理解と交流を深めていくことにつながっていきますようにと願いつつ、心を尽くして努めていきたいと思っています。そして人々が、平和な日々を送れますように心から願っています。

関連質問1 本日はありがとうございます。今、両殿下から悠仁様に、できれば海外で学ぶ機会を持ってほしいというお話がありましたけれども、普段、悠仁様とはどういうお話をして、悠仁様はどういう意向を持っていらっしゃるのかをお伺いしたいと思います。
殿下

息子にも、折々に私は海外に行ってそこで学ぶことを勧めています。恐らく、以前、例えば中学生ぐらいの頃、話したときに比べると、やはり本人も海外に身を置いて、そこで学ぶことの必要性というものを最近は感じるようになってきたような印象を私は受けております。

妃殿下

年齢が上がってくると、この前の国際会議に限らず、宮邸においても、海外から日本を訪問された方たちが宮邸にいらして、お目に掛かってお話する機会も増えています。そういう中で、言語を含めていろいろなことを考えたり身に付けたりするときに、私は、東京に居ても海外からの留学生やいろいろな専門家の方からお話を伺ったり、学んだり理解をする機会があるとは思いますが、住み慣れた場所を離れて、山を越え、海を越えて、国内も国外も行って過ごす時間、学ぶ時間を持つことができるという話をしておりますと、そういうことに対して(うなず)きながら私の話を聞いておりますので、きっと親それぞれの思いというものを、メッセージみたいなものを理解していると思います。今、高校3年生(という時期)でございますが、長男の思いとか考えもありますので、それも大切にしたいと思っています。