皇后陛下お誕生日に際し(平成30年)

宮内記者会の質問に対する文書ご回答

皇后陛下お誕生日に際してのご近影
皇后陛下お誕生日に際してのご近影
問 この1年も,西日本豪雨や北海道の地震をはじめとする自然災害など様々な出来事がありました。今のお立場で誕生日を迎えられるのは今年限りとなりますが,天皇陛下の退位まで半年余りとなったご心境をお聞かせ下さい。
皇后陛下
 昨年の誕生日から今日まで,この1年も年初の大雪に始まり,地震,噴火,豪雨等,自然災害が各地で相次ぎ,世界でも同様の災害や猛暑による山火事,ハリケーン等が様々な場所で多くの被害をもたらしました。「バックウォーター」「走錨(そうびよう)」など,災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも,悲しいことですが慣れていかなくてはなりません。日本の各地で,災害により犠牲になられた方々を心より悼み,残された方々のお悲しみを少しでも分け持てればと思っています。また被災した地域に,少しでも早く平穏な日常の戻るよう,そして寒さに向かうこれからの季節を,どうか被災された方々が健康を損なうことなく過ごされるよう祈っています。
 そのような中,時々に訪れる被災地では,被災者の静かに物事に耐える姿,そして恐らくは一人一人が大きな心の試練を経験しているだろう中で,健気に生きている子ども達の姿にいつも胸を打たれています。また,被害が激しく,あれ程までに困難の大きい中で,一人でも多くの人命を救おうと,日夜全力を挙げて救援に当たられる全ての人々に対し,深い敬意と感謝の念を抱いています。

 約30年にわたる,陛下の「天皇」としてのお仕事への献身も,あと半年程で一つの区切りの時を迎えます。これまで「全身」と「全霊」双方をもって務めに当たっていらっしゃいましたが,加齢と共に徐々に「全身」をもって,という部分が果たせなくなることをお感じになり,政府と国民にそのお気持ちをお伝えになりました。5月からは皇太子が,陛下のこれまでと変わらず,心を込めてお役を果たしていくことを確信しています。
 陛下は御譲位と共に,これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが,以後もきっと,それまでと変わらず,国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで,これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ,これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。

 24歳の時,想像すら出来なかったこの道に招かれ,大きな不安の中で,ただ陛下の御自身のお立場に対するゆるぎない御覚悟に深く心を打たれ,おそばに上がりました。そして振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで,どのような時にもお立場としての義務は最優先であり,私事はそれに次ぐもの,というその時に伺ったお言葉のままに,陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました。義務を一つ一つ果たしつつ,次第に国と国民への信頼と敬愛を深めていかれる御様子をお近くで感じとると共に,新憲法で定められた「象徴」(皇太子時代は将来の「象徴」)のお立場をいかに生きるかを模索し続ける御姿を見上げつつ過ごした日々を,今深い感慨と共に思い起こしています。

 皇太子妃,皇后という立場を生きることは,私にとり決して易しいことではありませんでした。与えられた義務を果たしつつ,その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく - そうした日々を重ねて,60年という歳月が流れたように思います。学生時代よく学長が「経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように」と云われたことを,幾度となく自分に云い聞かせてまいりました。その間,昭和天皇と香淳皇后の御姿からは計り知れぬお教えを賜り,陛下には時に厳しく,しかし限りなく優しく寛容にお導き頂きました。3人の子ども達は,誰も本当に可愛く,育児は眠さとの戦いでしたが,大きな喜びでした。これまで私の成長を助けて下さった全ての方々に深く感謝しております。

 陛下の御譲位後は,陛下の御健康をお見守りしつつ,御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。そうした中で,これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け,心を寄せ続けていければと思っています。例えば,陛下や私の若い日と重なって始まる拉致被害者の問題などは,平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。これからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います。

 先々(さきざき)には,仙洞(せんとう)御所となる今の東宮御所に移ることになりますが,かつて30年程住まったあちらの御所には,入り()の見える窓を持つ一室があり,若い頃,よくその窓から夕焼けを見ていました。3人の子ども達も皆この御所で育ち,戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います。
 赤坂に移る前に,ひとまず高輪の旧高松宮邸(たかまつのみやてい)であったところに移居いたします。昨年,何年ぶりかに宮邸(みやてい)を見に参りましたが,両殿下の薨去よりかなりの年月が経ちますのに,お住居の隅々まできれいで,管理を任されていた旧奉仕者が,夫妻2人して懸命にお守りして来たことを知り,深く心を打たれました。出来るだけ手を入れず,宮邸であった当時の姿を保ったままで住みたいと,陛下とお話しし合っております。

 公務を離れたら何かすることを考えているかとこの頃よく尋ねられるのですが,これまでにいつか読みたいと思って求めたまま,手つかずになっていた本を,これからは1冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。読み出すとつい夢中になるため,これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も,もう安心して手許に置けます。ジーヴスも2,3冊待機しています。
 また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ,マクワウリを作ってみたいと思っています。こちらの御所に移居してすぐ,陛下の御田(おた)の近くに1畳にも満たない広さの畠があり,そこにマクワウリが幾つかなっているのを見,大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいか陛下に伺うと,大変に真面目なお顔で,これはいけない,神様に差し上げる物だからと仰せで,6月の大祓(おおはらい)の日に用いられることを教えて下さいました。大変な瓜田(かでん)に踏み入るところでした。それ以来,いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました。

 皇太子,天皇としての長いお務めを全うされ,やがて85歳におなりの陛下が,これまでのお疲れをいやされるためにも,これからの日々を赤坂の恵まれた自然の中でお過ごしになれることに,心の安らぎを覚えています。
 しばらく離れていた懐かしい御用地が,今どのようになっているか。日本タンポポはどのくらい残っているか,その増減がいつも気になっている日本蜜蜂は無事に生息し続けているか等を見廻り,陛下が関心をお持ちの狸の好きなイヌビワの木なども御一緒に植えながら,残された日々を,静かに心豊かに過ごしていけるよう願っています。
(参考)

1「ジーヴス」
 イギリスの作家P・G・ウッドハウスによる探偵小説「ジーヴスの事件簿」に登場する執事ジーヴス

2「大変な瓜田に踏み入るところでした」
 広く知られている言い習わしに「瓜田(かでん)(くつ)()れず」(瓜畑(うりばたけ)で靴を()き直すと瓜を盗むのかと疑われるのですべきではないとの意から,疑念を招くような行為は避けるようにとの戒め)がある。

皇后陛下のお誕生日に際してのご近影

この1年のご動静

 皇后さまには,本日,満84歳のお誕生日をお迎えになりました。
 長年にわたる頸椎(けいつい)症性神経根症によるお痛みに加え,今年初め頃から,時におみ脚に痛みを感じるようになられ,また,10月2日より,喉のお痛みや微熱を伴う風邪のご症状が見られ,その後も2週間以上にわたってお咳が続くなど,ご体調は必ずしも万全とは言えないご様子でした。しかし,来年4月末のご譲位まで全てのお務めを全うするお考えの陛下のお側で,常に陛下のご健康を注意深くお見守りになりながら,皇后さまとしてもまた最後となるお務めを心を尽くして果たして来られ,その件数は330件を数えました。また,公務の数には含めていませんが,皇居勤労奉仕団や宮中祭祀に奉仕した賢所奉仕団約11,500人と70回にわたりお会いになり,その労をねぎらわれました。

 台風や豪雨等の風水害を始め,地震,火山噴火等の自然災害が多かったこの1年も,皇后さまは陛下と共に被災地を度々お見舞いになって被災者に寄り添われ,遺族と共に犠牲者を悼まれました。
 昨年10月には,福岡県で開催された第37回全国豊かな海づくり大会へのご臨席に先立ち,同年7月の九州北部豪雨災害で多数の死傷者,避難者が発生した福岡県及び大分県の被災地をお見舞いになり,また,昨年11月には,鹿児島県の離島をご訪問の折,鹿児島空港で知事から平成27年5月の口永良部島噴火の概要及び復興状況をご聴取後,口永良部島の全島民が一時避難した屋久島にご移動,口永良部島から両陛下にお会いしに来ていた大勢の人々とお話になって,それまでの苦労をねぎらわれました。今年6月の福島県南相馬市で開催された第69回全国植樹祭の折には,お車で陸路の長い距離を走られ,初日に福島県復興公営住宅の北好間(きたよしま)団地居住者等とご懇談,2日目(しどけ)集落センターの慰霊碑にご拝礼,3日目に悪天候のなか相馬市東日本大震災慰霊碑にご供花になりました。また,9月には,7月の豪雨により甚大な被害を受けた岡山県,愛媛県,広島県の被災地を2度に分けて日帰りでお見舞いになりました。
 地方行幸啓としては,前述の第37回全国豊かな海づくり大会ご臨席のため福岡県行幸啓の折,福岡県の宗像(むなかた)大社をご訪問,また,安川電機みらい館及び北九州市エコタウンセンターをご視察になりました。大会の式典行事は予定どおりでしたが,荒天のため鐘崎(かねざき)漁港で予定された海上歓迎行事及びご放流は中止となりました。同年11月には2泊3日で鹿児島県の屋久島,沖永良部島,与論島をご訪問。与論島には2日目に沖永良部島から日帰りでご移動になり,沖合に現れる砂浜「百合ヶ浜」を望まれ,また,国の重要無形民俗文化財「与論十五夜踊り」をご覧になりました。最終日の沖永良部島では,知名町の花き生産者()場で特産のてっぽうゆり栽培を,和泊町立国頭(くにがみ)小学校では子供たちの黒砂糖作りをご覧になりました。3日間の総移動距離は3,273kmに及びました。また,同月末には国賓として来日されたルクセンブルク大公国大公殿下及びご同伴のアレクサンドラ王女殿下を茨城県土浦市及びつくば市へご案内になり,土浦市では合唱と亀城太鼓(きじようたいこ)による市民の歓迎を受けられ,つくば市では宇宙航空研究開発機構筑波宇宙センターをご案内になりました。今年3月には2泊3日で沖縄県をご訪問。沖縄平和祈念堂でご拝礼後,国立沖縄戦没者墓苑でご供花,ご拝礼になり,2日目に沖縄本島から日帰りで与那国島をご訪問。与那国馬,世界最大級の蛾ヨナグニサン,伝統芸能「棒踊り」をご覧,与那国町漁業協同組合をご視察,西崎(いりざき)で日本最西端の碑をご覧になりました。最終日は沖縄空手会館で空手演武をご覧になりました。6月の福島県南相馬市で開催された第69回全国植樹祭ご臨場の折には,前述の東日本大震災の復興状況ご視察,慰霊碑ご拝礼に加え,相馬原釜地方卸売市場,古関裕而記念館をご視察になりました。3日間の県内のお車の移動距離は約280kmに及び,長距離移動のお疲れからか2日目夜に発熱され,3日目朝まで熱がおありでしたが,全ての日程を予定どおりお済ませになりました。8月には2泊3日で北海道をご訪問。初日に北広島市の知的障害者などが就労する農福連携農園をご視察,2日目には日帰りでご訪問になった利尻島でウニ種苗生産センター,オタトマリ沼をご視察,二石(ふたついし)海岸をご散策,最終日に北海道150年記念式典にご臨席,その後アイヌ民族の伝統芸能・地域の伝承芸能,ハドロサウルス科恐竜(通称むかわ竜)をご覧になりました。利尻島ご訪問により,両陛下がこれまでにご訪問になった離島は55島を数えました。9月には第73回国民体育大会ご臨場のため福井県をご訪問。福井県教育総合研究所教育博物館ご視察,式典演技ご覧,開会式ご臨席のご日程をお済ませになりましたが,大型で非常に強い台風24号の接近により,還幸啓予定の翌30日は航空機を運航できない可能性が生じ,地元自治体や警察が来たるべき災害への対応に備えることのできるよう,役員懇談会ご臨席,フェンシング競技ご覧等のご日程を取りやめご帰京になりました。
 地方へのお出ましは,御用邸,長野県軽井沢町及び群馬県草津町へのご静養のための行幸啓を除き,1道11県27市8町に及びました。

 都内及び近郊の行幸啓については,陛下とご一緒に,毎年恒例の全国戦没者追悼式,国際生物学賞授賞式,日本国際賞授賞式及び祝宴,みどりの式典及びレセプション,日本芸術院授賞式,日本学士院授賞式にお出ましになったほか,地方自治法施行70周年記念式典,東京駅丸の内駅前広場完成記念式典,自治体消防制度70周年記念式典,海上保安制度創設70周年記念式典,国際会議の一つである国際生産工学アカデミー第68回総会開会式及びレセプション,サラマンカ大学創立800周年記念 日本サラマンカ大学友の会設立20周年記念「お祝いと感謝の集い」等にご臨席になりました。また,来日中のスウェーデン国国王陛下及び王妃陛下とご一緒に日本・スウェーデン外交関係樹立150周年記念特別展示『ルドベック・リンネ・ツュンベルク~ウプサラ博物学三代の遺産より』,在京ブラジル大使館で開催された両陛下のブラジル初ご訪問から50周年を記念した写真展,日展110年 『改組 新 第4回日本美術展覧会』をご覧,ポーランド独立回復100周年記念公演ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団ニューイヤー・コンサート,東日本大震災復興支援チャリティコンサートクラシック・エイド,小児がん征圧キャンペーン・チャリティーコンサート,日越外交関係樹立45周年記念ベトナム国立交響楽団日本公演等をご鑑賞になったほか,開園100周年に当たる井の頭恩賜公園をご訪問になりました。このほか,障害者週間にちなんで株式会社三越伊勢丹ソレイユ落合センターをお訪ねになるなど,公的なお立場での都内行幸啓は44回でした。なお,第20回日本太鼓全国障害者大会につきましては,これまで5年おきに皇后さまお一方でご臨席になって来られた行事であり,今回は平成最後の節目の大会であることから,両陛下でご臨席の予定でしたが,咳を伴う風邪の症状がおありであったため,陛下がお一方でお出ましになりました。

 皇后さまお一方では,日本赤十字社名誉総裁として全国赤十字大会にご臨席になったほか,公益社団法人日本看護協会創立70周年記念式典,一般社団法人アジア婦人友好会創立50周年記念祝賀会,第64回国際ゾンタ世界大会閉会カクテルレセプション,医療・福祉の町「ベーテル」設立150周年記念写真展にご臨席になったほか,重い病気を持つ子どもと家族を支える医療型短期入所施設 国立成育医療研究センター「もみじの家」,知的障害のある生徒たちの作品展「旭出学園工芸展」,東日本大震災復興支援チャリティーコンサート,皇居桃華楽堂で例年開催される音楽大学卒業生や雅楽の保存に努める絲竹会の演奏会などに23回行啓になりました。

 宮殿や御所では,陛下と共に,文化勲章受章者及び文化功労者,各種大臣表彰受賞者,農林水産祭天皇杯受賞者,人事院総裁賞受賞者,新認定重要無形文化財保持者,昭和34年の両陛下のご成婚を記念してハワイ在住日系人等が中心となって創設した皇太子明仁親王奨学金の奨学生,青年海外協力隊帰国隊員及び日系社会青年ボランティア,シニア海外ボランティア及び日系社会シニアボランティア,日本学士院会員,日本芸術院会員,日本赤十字社社長,平成6年の両陛下スペインご訪問後,歴代学長が来日の都度参殿しているサラマンカ大学学長など,文化,福祉,産業,国際協力,学術,芸術等の各分野で社会貢献している数多くの人とお会いになりました。また,今年は,「森は海の恋人」運動の30周年に当たり,海に注ぐ川の上流に広葉樹を植え,漁場を豊かにする運動を続けてきた気仙沼市の養殖漁業家,畠山重篤さんや交通遺児に奨学金で学業機会を作り続けてきた玉井義臣さんも御所に招かれ,両陛下してお労いになりました。
 皇后さまお一方では,日本看護協会会長,アジア婦人友好会会長,国際ゾンタ世界大会実行委員長から,それぞれの式典ご臨席前にご説明をお聴きになったほか,皇后さまが高校時代に作詞された「ねむの木の子守歌」の著作権を基に創設され,肢体不自由・重症心身障害児/者の世話に当たる人に贈られる「ねむの木賞」の受賞者,昨年暮れにドイツ語に翻訳された皇后さまの御歌集「その一粒に重みのありて」を出版したヘルダー出版社社長,平成5年9月ドイツ国ご訪問の折に皇后さまがご訪問になったミュンヘン国際児童図書館館長などにお会いになりましたが,こうしたご接見等は41回に及び,また,陛下とご一緒又はお一方でお受けになったご説明やご進講は52回を数えました。

 外国との関係では,陛下と共に,昨年11月にはルクセンブルク大公国大公殿下を,今年5月にはベトナム国主席閣下及び令夫人を,それぞれ国賓としてお迎えになり,歓迎行事,ご会見,宮中晩餐に臨まれたほか,お別れのご挨拶をなさるためご宿舎の迎賓館赤坂離宮をお訪ねになりました。ご滞在中,前述したとおり,ルクセンブルク大公国大公殿下及びご同伴のアレクサンドラ王女殿下を茨城県土浦市及びつくば市へご案内になり,ベトナム国主席閣下及び令夫人とはご一緒に日越外交関係樹立45周年記念レセプションにご臨席になりました。国賓以外のご接遇では,フィリピン国大統領閣下及びアバンセーニャ女史,アメリカ合衆国大統領閣下及び令夫人,マダガスカル国大統領閣下及び令夫人,ドイツ国大統領閣下及び令夫人,スリランカ国大統領閣下及び令夫人,エクアドル国大統領閣下及び令夫人とご会見になりました。また,モザンビーク国国民議会議長夫妻,ブラジル国上院議長夫妻,サモア国首相夫妻,フランス国国民議会議長夫妻をご引見になりました。
 さらに,タイ国王女チュラポン殿下を御所でのご昼餐に,スウェーデン国国王陛下及び王妃陛下を御所でのご夕餐に,ブータン国王妹ソナム・デチェン・ワンチュク殿下,デンマーク国王女ベネディクテ殿下を御所でのお茶に,それぞれお招きになりました。
 第8回太平洋・島サミット首脳会議に出席する各国首脳夫妻等については,両陛下で宮殿にお招きになり茶会を催されました。

 在京外交団については,陛下とご一緒に,着任後間もない39か国の大使夫妻をお茶に,着任後3年を経過した11か国1組織の大使夫妻を午餐にお招きになり,離任する12か国1組織の大使夫妻をご引見になりました。今年お招きを受けた大使夫妻は62か国,2組織,110人に及びます。
日本から赴任する37か国と2組織の大使夫妻にも出発前にお会いになり,同様に帰国した30か国,1組織の大使夫妻をお茶にお招きになって任地の様子をお聴きになりました。
 
 今年のご養蚕は,5月から始められ,恒例の行事を含め19回にわたり桑畑,野蚕室,御養蚕所等においでになり,野蚕の山つけや収穫,桑つみ,ご給桑,わら(まぶし)作り,上蔟(じようぞく)繭掻(まゆか)き,毛羽(けば)取り等の作業をなさり,161.4キロの繭を収穫されました。皇后さまがお育てになっている小石丸は,日本の純粋種として古代の絹織物の復元に最適の品種とされており,皇后さまは,これまでに正倉院事務所からの願い出をお受けになって古代裂復元のために小石丸の繭を増産されご下賜になってこられましたが,本年は正倉院宝物を代表する「螺鈿紫檀(らでんしたんの)五絃琵琶(ごげんびわ)」の復元模造品の絃用にご下賜になりました。

 宮中祭祀については,頸椎(けいつい)症性神経根症のお痛みなどもあり,お出ましは年々難しくなっておられましたが,せめて春季,秋季の皇霊祭及び神殿祭の儀と昭和天皇祭の儀,香淳皇后例祭の儀だけはと80歳を超えてからも古式どおりに続けてこられました。しかし,両陛下のみに許される賢所内陣の一段高い木の御床に膝行でお上がりになることはおみ脚への大きなご負担であり,特に二殿をお参りになる春季,秋季の皇霊祭・神殿祭への出御はご無理との侍医の判断が示されたため,今年は出御を控えられている他の祭祀の時と同様に,御所でご(よう)拝になり,祭祀がお済みになるまでお慎みになりました。

 今年7月,絢子女王殿下のご婚約がご内定になり,高円宮妃殿下と絢子女王殿下が両陛下にご挨拶に参殿されましたが,陛下には,当日の未明,脳貧血によるめまいと吐き気のご症状がおありで安静になさっていたため,皇后さまお一方でお会いになり,陛下のお祝いのお気持ちをお取り次ぎになりました。

 両陛下は,ご高齢となられましたが,来年4月30日のご譲位までお務めを欠かすことなく全うされるとのお気持ちから,健康管理には特にご留意なさっています。毎朝6時にはご起床になって御所内や周辺をご散策になり,定期的なご運動をお続けになるなど,常に規則正しい生活の中で体調の維持に努められています。週末に陛下とご一緒に短時間テニスをなさる機会は減りましたが,日曜日朝の陛下のご運転での皇居東御苑へのお出ましは続けられており,坂道を登られた本丸の上から,木の間を通してわずかに見える皇居前の道をジョギングや自転車で通る人をご覧になります。お仕事の合間を縫って読書をされたり,時にはピアノに向かわれることもあります。今年8月末には例年どおり草津夏期国際音楽アカデミーに参加され,中一日の短いご滞在でしたが,講師として参加した音楽家たちとアンサンブルを学ばれ,演奏を共になさいました。

皇后陛下お誕生日行事

平成30年10月20日(土)
行事時刻 出御 行事 事項 場所
午前 10:30 両陛下 祝賀及びお祝酒 侍従長始め侍従職職員 御所
同 11:00 天皇陛下 祝賀 長官,次長(職員総代),参与 鳳凰の間
同 11:10 皇后陛下 祝賀 長官始め課長相当以上の者,参与及び御用掛 鳳凰の間
同 11:20 皇后陛下 祝賀 宮内庁職員及び皇宮警察本部職員 北溜
同 11:40 皇后陛下 祝賀 内閣総理大臣,国務大臣,内閣官房副長官及び内閣法制局長官,衆議院・参議院の議長及び副議長,最高裁判所の長官及び判事(長官代行),会計検査院長,人事院総裁,検事総長,公正取引委員会委員長及び原子力規制委員会委員長並びに以上の者の配偶者 梅の間
同 11:50 両陛下 祝賀 皇太子同妃両殿下お始め皇族各殿下 梅の間
正午
午後 0:50
両陛下 ご祝宴 皇太子同妃両殿下お始め皇族各殿下,元皇族,御親族 連翠
同 1:20 皇后陛下 祝賀 旧奉仕者会会員
(元宮内庁職員及び元皇宮警察本部職員)
北溜
同 1:40
同 2:00
両陛下 茶会 元長官等,元参与,元側近奉仕者,元御用掛,松栄会会員 連翠南
同 4:30 両陛下 茶会 御進講者等御関係者 御所
同 6:30 両陛下 祝賀 愛子内親王殿下
悠仁親王殿下
御所
同 7:00 両陛下 お祝御膳 皇太子同妃両殿下
秋篠宮同妃両殿下
黒田様御夫妻
御所