記者会見をなさる天皇陛下
|
令和2年に英国より御招待を頂いたものの、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により延期されていた私たちの英国訪問が、この度、改めて頂いた御招待により、実現の運びとなったことを大変うれしく思っております。御招待いただいた英国政府に対して、雅子と共に心から感謝しております。
この間、御招待を頂いていたエリザベス2世女王陛下が亡くなられたことは本当に残念なことでした。御存命中に伺えなかったことが心残りです。私自身は、昭和61年、平成3年、平成13年に訪問を行ったほか、一昨年には、エリザベス女王陛下の御葬儀に参列するために二人で訪問いたしました。
上皇上皇后両陛下には、数度にわたって同国を御訪問になっており、それぞれの訪問先のことや、心のこもったおもてなし、お会いになった方々の心遣いなどについて、折に触れて伺っております。
このような背景の下、今回の英国訪問において、私が特に関心を払っていきたいと思っている点についてお話ししたいと思います。
第一に、今回の訪問を通じて、我が国と英国との間に培われてきた交流の歴史に思いをはせたいと思います。両国間では、長きにわたり、王室と皇室の間、両国の政府・国民の間で幅広い交流が行われてきました。
1600年、英国人のウィリアム・アダムスは、オランダ船リーフデ号で航海していたところ、現在の大分県に漂着し、江戸に招かれて徳川家康の外交・貿易の顧問となりました。その後、幕末から明治にかけて、1858年に日英の外交関係が開設され、1902年には日英同盟が締結されるなど、両国間の交流が活発になり、関係が深まりました。20世紀の両国の関係には困難な時期もありましたが、現在の日英両国は、経済、文化、科学技術、教育など、幅広い分野において緊密な協力関係を有しています。
王室と皇室の間でも、明治以降多くの交流が積み重ねられてきています。
昭和50年にエリザベス女王陛下御夫妻が国賓として来日されたことや、昭和61年に当時のチャールズ皇太子殿下御夫妻が公賓として来日されたことは、その時代を知る人々の心に今でも残っていると思います。最近では、平成27年に、ウィリアム王子、現在の皇太子殿下が、我が国を訪問されて東日本大震災の被災地である福島県と宮城県で被災者をお見舞いくださいました。また、令和元年には、チャールズ3世国王陛下が、皇太子として私の即位の礼に出席してくださったことは有り難いことでした。
このように長きにわたる日英の交流の積み重ねを踏まえながら、今回の訪問では、チャールズ国王陛下御夫妻始め英国王室の方々と旧交を温めるとともに、在留邦人や日本とゆかりのある英国の方々などから、両国の交流の歩みなどについてお話を伺い、我が国と英国の人々との友好関係が更に深まる機会になればと思っております。
また、今回視察するフランシス・クリック研究所では、日英の研究者が協力して医療・生命科学分野の研究を行っていると聞いており、がんやインフルエンザワクチンなどの最先端の研究についてお話を伺う予定です。
さらに、今回訪問するジャパン・ハウス ロンドンは、多くの文化行事を開催するなど、文化を中心に日本の魅力を発信していると聞いており、現地の展示を見ながら、英国でどのように日本文化を発信しているかなどについて実際に見たり、お聞きしたりしたいと思っています。
第二に、我が国と英国の若い世代の交流についてです。 昭和62年以降、JETプログラムには、英国から約1万2千人が参加しているとのことで、このプログラムにより日本に派遣され、各地の学校での語学指導や、地方自治体での国際交流支援などを行った青年たちが、英国への帰国後、閣僚、下院議員、大学教授、政府職員、日本企業の社員などとして活躍していると聞いております。私自身、以前に雅子と共にJETプログラムの記念式典に出席した折に、JETプログラムに参加した方々にお会いしたことがありますが、今回、お会いする方々からも、日本での滞在の印象や両国の交流についてお聞きしたいと思っています。
また、今回の訪問中に、Ⅴ&A子ども博物館で、日英両国の小学生と直接交流することも雅子と共に楽しみにしています。
こうした日英の若い世代が、今後も交流を深めながら有意義な経験を積み、活躍していくことを期待しています。
また、私が関心を寄せている「水」問題について言いますと、水の恩恵を享受しつつ、災害に対応することは、歴史を通じた人類共通の歩みでもあり、各国の水を巡る問題を知ることは、それぞれの国の社会や文化を理解することにもつながります。今回訪問する予定のテムズバリアは、1953年に発生した北海の高潮被害を教訓として建設され、1982年に完成した可動式の洪水バリアです。現地を訪問し、テムズバリアの構造や運用状況、そして、高潮被害の防止のためにどのような取組が行われてきたかなどについて理解を深めたいと考えています。
私たちにとって、英国は、それぞれ留学生活を送った思い出の地であることもあり、今回の訪問を楽しみにしています。雅子も、英国より御招待いただいたことを有り難く思っており、オックスフォード大学で過ごした2年間を懐かしく思い出しながら、今回の訪問を楽しみにするとともに、日英の交流の歴史に思いをはせつつ、これまで築かれてきた日英間の友好関係が更に深まっていくことを願っています。
また、愛子も、高校生の時にイートン校に短期留学した時のことを懐かしく思っており、その時の滞在中の思い出などについて家族で話をすることもあります。
私がオックスフォードに滞在したのは、昭和58年6月から60年10月に至る2年4か月間でした。その間のことについては、私の著書である「テムズとともに」にも書きましたように、一口では表現できない数々の経験を積むことができました。
オックスフォードでは、様々な人と出会え、また、研究という一つの柱を通じて数々の貴重な経験をし、研究者であればこそ味わえる感動を覚える日々でした。
私の研究テーマは、18世紀におけるテムズ川の水運の歴史についてでした。今でも、留学から帰国した後にまとめた研究論文を読み直すと、テムズと共に過ごした日々の記憶がありありと
マートン・コレッジの寮生活では、専攻分野や出身国を異にする学生が共に生活する中で、多くの貴重な経験をすることができました。例えば、コレッジでは食堂での食事が大切な交流の場となっていました。食堂での席は自由であり、近くに座った者同士が自己紹介し、握手し合っている光景をよく目にしたものです。コレッジの食事の場は、他の学生との会話を通して、自分の専門外の話や広範な知識を身に付けられる貴重な機会となっており、当時、私が弦楽四重奏のグループを作ることができたのも、朝の食堂での一学生との出会いがきっかけでした。このように、寮生活を通しても、多くの友人や知り合いを得ることができたことは有り難いことでした。
留学の経験から、英国では、伝統を重んじながら、古いものと新しいものを対立させることなく見事に融合させており、柔軟性のある社会が形成されているという印象を受けました。例えば、オックスフォード大学の入学式での服装や、ラテン語で行われる式の進行を見ても、数百年にわたって継承されている伝統を感じたものです。このように伝統が重視されるオックスフォードの街で、ガウンを身にまとい、学帽をかぶって歩く学生と、パンク・ファッションの若者がすれ違っても特に違和感がなく、両者がうまく街に吸収されているかのように思われたものでした。
留学中にも、英国王室の方々から、様々な形でお心遣いを頂きました。英国に到着した翌々日、エリザベス女王陛下からバッキンガム宮殿でのお茶に御招待いただき、女王陛下御自身で紅茶をいれてくださるなど、くつろいだ雰囲気の中で、楽しいひとときを過ごさせていただきました。女王陛下からは、日本訪問時のお話や今後の私の英国での生活についてのお尋ねがあったことを覚えています。その翌年、女王陛下の御招待でスコットランドのバルモラル城を訪れた際には、女王陛下、フィリップ王配殿下を始め、王室の方々と数日間御一緒する機会に恵まれました。滞在中、女王陛下が車を運転してくださり、敷地内の建物でのバーベキューに御招待いただいたり、フィリップ殿下が自ら馬車を操って敷地内を御案内くださったりしたことはとても有り難く、懐かしい思い出になっています。また、当時のチャールズ皇太子殿下とは、バルモラル城近くの川で毛
雅子も、昭和63年から平成2年にかけて、当時勤めていた外務省の研修生としてオックスフォード大学のベイリオル・コレッジに留学し、大学院で国際関係論を学びました。オックスフォード大学の歴史や伝統、荘厳な建物や庭の美しさなどに感銘を受けるとともに、先生方や友人たちからも多くのことを教わり、かけがえのない貴重な経験ができたということです。また、英国各地の美しい風景や人々の親切も深く心に残り、私同様、思い出深い2年間になったようです。
今回の訪問で、初めて雅子と一緒にオックスフォードのマートン・コレッジやベイリオル・コレッジなどを訪れ、市内を散策することを心待ちにしております。
私が留学した経験から言いますと、実際に外国に行き、自分自身で様々なものを見て、そこに暮らす人々に会い、経験を積むことによって、テレビやインターネットでは知り得ない多くのことに触れることができるように思います。さらに、一つの国に一定の期間滞在することは、日本の外に出て日本を見つめ直すまたとない機会となると思います。今後とも、我が国の若い世代の人々が外国への関心を持ち続け、留学などを通して、世界中の国や人々との友好を深める機会が増えていくことを期待しています。
チャールズ国王陛下が、御病気の御治療中にもかかわらず、私たちをお迎えくださることを大変有り難く思います。また、キャサリン皇太子妃殿下も御治療中にありながら、少しずつ御公務にも復帰されると伺いました。お二方ともいろいろと大変でいらっしゃると思いますが、御治療が順調に進み、お早い御快復がお出来になるようお祈りしております。
先の大戦においては、世界の各国で多くの尊い命が失われたことを大変痛ましく思います。我が国と英国も、不幸にも戦火を交えることになったことは、誠に残念なことでした。私と雅子は、戦後生まれであり、戦争を体験していませんが、亡くなられた方々や苦しく、悲しい思いをされた方々のことを忘れずに、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。
上皇陛下からは、お若い頃にジョージ5世伝を読まれたことやエリザベス女王陛下の戴冠式に出席されたことなど、また、両陛下で英国を訪問されたときのことなど、英国王室との交流について折に触れて伺ってきました。また、両陛下の戦時中の御体験のお話など、平和を大切に思われるお気持ちについて伺う機会が幾度もあり、私もそのようなお気持ちをしっかりと受け継いでまいりたいと思っています。
戦後、我が国は、英国を含む各国と共に、国際社会の平和と繁栄のために力を尽くしてきました。現在、英国とは、経済、文化、科学技術、教育など、幅広い分野において緊密な協力関係を構築するに至っていますが、その陰には、戦争の傷を癒やすために両国の人々が地道に積み重ねた努力があったことを忘れることはできません。今回の訪問を契機として、日英両国がこれまでに重ねてきた交流の歴史を踏まえながら、友好親善が更に深まることを願っております。
外国訪問は、国際親善の増進のために皇室が果たすべき役割の中で、大事な柱の一つであると考えています。昭和天皇並びに香淳皇后も、上皇上皇后両陛下も、外国訪問に当たっては、相手国と我が国との歴史を心に留められると同時に、両国間の相互理解と友好親善をどのように更に深めていくのが良いかということを深くお考えになりながら、御訪問先での諸行事に臨まれたと思います。こうしたなさりようとお気持ちを、私たちとしても大切にして国際親善に努めていきたいと考えており、今回、雅子と共に英国を訪問できることをうれしく思っております。
愛子については、社会人としての生活を通じて知識や経験を広げていく中で、将来の公務の方向性などについても考えていくことになると思います。2月には、ケニアの大統領御夫妻をお迎えしての宮中午
皇室の在り方や活動の基本は、以前からお話ししているとおり、国民の幸せを願って、国民と苦楽を共にすることだと思います。また、時代の移り変わりや社会の変化に応じて、状況に対応した務めを果たしていくことが大切であると考えています。
英国の王室も同様に、英国の、その時々の状況に応じた活動をされているものと理解しております。更に言えば、それは、英国という国がこれまで歩んできた歴史や、培ってきた文化や社会に根差したものではないかと思います。英国に限らず、それぞれの国の王室の在り方を知る上では、その国の歴史や文化についての理解も大切なのではないかと思います。
今後も、皇室と英国の王室が世代を超えて交流を積み重ね、友好親善を深めていくことを願っております。
現在、男性皇族の数が減り、高齢化が進んでいること、女性皇族は結婚により皇籍を離脱すること、といった事情により、公的活動を担うことができる皇族は、以前に比べ、減少してきています。これは皇室の将来とも関係する問題ですが、制度に関わる事項について、私から言及することは控えたいと思います。
オックスフォードの2年間は、私たち二人にとって、本当にいろいろなことがあって、一言ではとても表現できないような日々でした。オックスフォードでのそれぞれの学生生活について、楽しかったこととか、研究の話、あるいはどういった方々とお会いしてどのようなことをしたかとか、そういった話をすることがあります。雅子からは早朝に起きてボートの練習に参加した話などを聞くことがありますし、私自身も回数は限られていますけれども、テムズ川でマートン・コレッジのボート部の人たちと一緒に練習をしたことがあり、そういった共通の話題もあります。雅子は、先ほどもお話ししたように、オックスフォードでは国際関係論を研究しており、私はテムズ川の水上交通について研究していたので、研究分野は違いますけれども、研究に対するアプローチとか、先生と学生とが1対1で対面するチュートリアルの授業とか、あるいはセミナーとか、そういった話題もあります。ただ一つだけ避ける話題としましては、オックスフォードで私はマートンに行って、雅子はベイリオルに行ったわけですが、どちらのコレッジが古いかという話があります。これはお互いが自分たちの方が古いと主張していて、なかなか結論が出ないところのように聞いております。
共通の思い出の場所というのは、いろいろありますので、そういった話はよくします。それから、私は、オックスフォードの街の中を散策するときとか、あるいは研究に出掛けるときなど、いろいろな写真を撮っていましたので、今回どのくらい写真を持っていくかは分かりませんけれども、私がいた当時と今で、どのようにオックスフォードが変わってきているか、そういったところは、是非確認してみたいと思っています。
やはり、二人ともオックスフォードで学び、2年間という非常に貴重な時間を、それぞれ時期は違いますけれども、過ごすことができて、いろいろな経験をすることができたことは、二人で会話をしていく上でもとても役に立つと思いますし、また、お互いを高め合っていく上でも、オックスフォードでの経験というのは、大きなものがあったのではないかと思っています。
先ほどの質問に関して付け加えたいのですけれども、例えば、思い出の場所としては、今回は行く機会がありませんが、オックスフォードの郊外のコッツウォルズという場所があります。最近日本でも有名になっているところのようですけれども、蜂蜜色の石の建物などが非常に印象的で、雅子も、コッツウォルズに度々行っていたようですので、共通の話題となっています。また、オックスフォードのクライストチャーチ・メドーという場所が、マートンから近いところにありますけれども、ここを散策した話なども、二人の間でよく出るところです。