会見年月日:平成17年11月22日
会見場所:常陸宮邸
古希を迎える年に,いつの間にか,なったという感じで,私自身も驚いている次第です。昭和天皇も今上陛下も共に国民のためにということを原則としておられるように思います。
昭和天皇も今上陛下も自然を大切にし,自然を保護したいと考えられ,昭和天皇は吹上御苑を武蔵野のようにしたいと,今上陛下はできるだけ吹上御苑に多様の生態系を保ちたいと考えておられます。
私は,小さいころから体も弱く非常に病気がちでしたので,戦争の体験に乏しい気がします。そういう意味からは戦後に生まれた方とほとんど同じではないかと考えています。私自身としては,戦争中は体験に乏しかったので,これから,世界では今も戦争で亡くなっておられる方や国の内外で自然災害で亡くなっておられる方が多いので,そういう人たちの事を心にとどめておきたいと思っています。
今度の紀宮様の結婚式はすばらしい,大変和やかな結婚式だったと思います。
エピソードとしては,お小さいとき,エリザベス女王が日本にいらしたときに,まだご両親陛下が皇太子様のお時代ですが,東宮御所のお庭をご散策の時に,紀宮様が突然花壇からお花をお採りになってエリザベス女王の前でカートゥシーをなさっておあげになった写真を拝見したのが,とっても頭に焼き付いております。それを最近お話申し上げたら,長いお旅でお疲れになっているのではないかなとお思いになって,自然とそういうことをしてしまったのというようなお話をしてくださいました。あのお写真が,とっても,いつまでもいつまでも心に残っております。あのお姫様がお嫁様におなりになったのかと思うと,とっても感慨無量です。
夫婦円満の秘訣は。
これは,常陸宮家だけのことで,ご参考にならないと思いますが,昔,私が何かでちょっと怒ったと申しましょうか,夫婦げんかの始まりというようなことがございました。宮様が,「何で華子が怒っているか分からない」とおっしゃったので,解説付きの生放送のように,今私がこう申し上げたら,宮様がこうおっしゃって,それで私がこう申してと申し上げたら,最後に宮様がまた,「僕にはどうしても華子がそんなに怒っているのかが分からない」とおっしゃいました。解説付きの夫婦げんかですと時間も長引きますし,これは疲れるだけですので,その時もう二度と夫婦げんかはしないと決めました。私も反省し夫婦げんかになるより,いつも宮様がにこにことしていただいた方が,よろしいのではないかと思いました。このお話は,皆さんにお話してよろしゅうございますかとちゃんと宮様にご了解を得ております。
そうですね。本当のことなので。
それ以降はけんかはなされてないということでしょうか。
まぁ。
メッセージということではないのですけれども,皆さんが立派に成長されていらっしゃるので,むしろ私の方が教えていただきたいような気持ちでいます。
宮様がおっしゃるように,皆様,皇族としてのお務めもよくお分かりになっていらっしゃるし,お務めになっていらっしゃいます。あとはご健康にもお気を付けになって過ごしていただきたいと思います。お若い女王様方には,今青春真っただ中にいらっしゃると思いますので,これから卒業なさってお務めなさったりとか,ご家庭をお持ちになった時に,少しは自由が制約されることもおありになると思いますので,伸び伸びと青春を満喫していただきたいし,それから世界中のどこにでも日の当たらない気の毒な方,弱い方もありますから,そういう方にも目を向けていただきたいと思います。
いろいろな災害などで急にいろいろな予定変更をしたのですけれども,二人というよりは一緒に来てくださった外務省の方がむしろ大変だったのでないかと思います。ほとんど寝ないでいろいろ連絡などしてくださったお陰で無事に旅行できたと思っています。
その国に着いてから,今まで決まっていたスケジュールが全部白紙になりましたから,夜になっても明日どうするということになり,現地の大使館,外務省もきっと連絡で大変ではなかったかと思います。それから,宮様のお言葉も,お見舞いのお言葉を入れる必要があるとか,全部変わってしまいましたので,宮様もお大変だったと思います。
今回災害で行けなかった所の町の方がホテルに来ていろいろな話をしてくださったお昼の食事のときなど,私たちが日本では考えられないような話が聞けました。例えば,住宅のれんがは焼いたれんがではないので,いろいろな虫がれんがの間に入っているとか,日本ですと大学だとどこでも食堂がありますけど,現地では食堂が無くて困るとか,その国のいろんな問題を理解する機会がありました。
研究生活も大体一段落ついていますので,今までやってきたことをまとめている最中です。
慰霊ご訪問は,大変だったと思いますけれども,非常にすばらしい事だったと思います。
私どもは今の秋篠宮様や紀宮様と違って,そのころはみんな別々に違った場所で生活していたので,非常にたまにしかお会いすることができないというのが現実だったと思います。それに私はさっきもお話したように,余り体も丈夫でなかったので,東京にいるという機会がほとんどありませんでした。
沼津へ行った時は,中学を出てからですけれども,陛下もそのころから非常にお魚がお好きでしたので,時々オコゼを釣るとか,いそ釣りにご一緒にしたことがあります。夜,集魚灯でイカ釣りをしたこともありました。
特別,古希を迎えるに当たって,お話したことはありません。これからあるかもしれませんが。
古希は,普通だともう定年の時期なんですが,私たちは定年がないものですから,今まで通りの生活になるでしょう。少しは公務を減らしていければと思いますけれども,恐らくできないと思います。