秋篠宮皇嗣同妃両殿下のご印象(ベトナムご訪問を終えて)

令和5年9月29日
宮内庁皇嗣職

日本とベトナム社会主義共和国の外交関係樹立から50年という年にあたり、ベトナム国からお招きをいただき、同国を訪問できましたことは、私たちにとって誠に嬉しいことで、深く感謝しております。

今回の訪問においては、トゥオン国家主席閣下を表敬するとともに、催して下さった午餐会では、同国家主席閣下ご夫妻と親しくお話しをする機会をいただきました。また、スアン国家副主席閣下を表敬した際には、歓迎行事とそれに続く懇談をした後に、徒歩で200メートルほど離れたホーチミンの家をご案内下さいました。そして、催して下さった午餐会では、国家主席閣下の時と同様、日越関係・交流についてのことや、それぞれの国の文化についてお話しをすることができました。

国家副主席とお目にかかった夜には、主要行事である「日越外交関係50周年記念式典」が開催されました。多くの人たちが出席し、改めて両国の親しい関係が表れた一夜だったと思います。幾人かの挨拶がありましたが、ベトナム側代表者であるマイ越日友好議員連盟会長が、上皇陛下の御製を紹介したのは印象的でした。

この記念の年に関連する主要行事のひとつとして、ハノイにてオペラ「アニオー姫」の初演がありました。このオペラは、日越両国のアーティストや研究者、そして在ベトナム日本大使館が協力して、17世紀にあった史実に基づいて作られたものです。場面場面によって、ベトナム語と日本語の両方の言葉が用いられていましたが、6声あるベトナム語については、声調を変えず、かつ美しい響きになるように曲が作られたと聞き、大変な労を費やしたのではないかと推察しました。また、このオペラを観賞することで、当時の歴史の一幕も知ることができる作品だと感じました。

今日、両国の友好関係は、新たな50年に向けて動き出しています。そうしたこともあり、次の世代を担う人たちとも懇談する機会を持つことができるようにしました。例えば、「アンダー40」と呼ばれる日越両国の人たち、元技能実習生、元留学生、日越大学の学生から、仕事や取り組んでいる活動などについての話を聞きました。さらに年齢が下がりますが、ハノイ日本人学校では、生徒・児童たちと会い、その折りには、現在ベトナムにいるからこそ経験できることがあるとの話を聞きました。こうしてベトナムで暮らす子どもたちが、将来的に両国の架け橋になってくれることを願っております。

また、元残留日本兵のご家族(子と孫)と懇談をする機会がありました。先の大戦後、700人から800人とも言われる日本兵がベトナムに残り、第一次インドシナ戦争を共に戦いました。そして、当地で家庭を築きました。しかし、ベトナムが独立をした後、残留日本兵たちは、勧告によって日本へ帰国をせざるを得ない状況になりました。このようにして、別れ別れになった家族は、その後多くの労苦をすることになりましたが、その中には再び交流が行われるようになった人たちや、双方で新たに築いた家族同士の交流をしている人たちもいると聞きました。その方たちのことは、現在の上皇上皇后両陛下が訪越された折に会っておられますし、書かれたものでは知っておりましたが、実際にお話しをすることで、現在の状況の一端を知ることができました。

ハノイにおいては、私たち二人がそれぞれ訪れてみたい場所やこの機会に会ってお話しをしたい方がいました。以下に簡単にその時のことを記します。

 文仁:

3回目になりますが、自然科学大学生物学博物館を訪ねました。自然史系の大学博物館は、その国のさまざまな生き物の標本を蒐集・保存し将来へと継承するとともに、研究や学生が実習する大変大切な場所になります。私自身、ベトナムの動物相にも関心があることから、今回も訪ねました。円口類から霊長類まで様々な動物が展示されていましたが、それらの標本群展示の中には、皇太子時代の上皇陛下が、1976年に新種記載をされたハゼのパラタイプ標本が今も変わらず展示されておりました。この場所において、大切に保管・展示され、来訪する人が誰でも見ることができることを嬉しく思いました。

 紀子:

ハノイ滞在の最終日には、耳が聞こえない人が働いている企業「キムヴィエット」を訪れました。作業場では、生地の色遣いと模様の組み合わせが美しく、デザイン性の高い動物等の縫いぐるみを製造する過程に見入り、カフェでは、ベトナムの手話を教えてもらいながら飲み物を注文したり、一緒にベトナムの手話と日本の手話を使いながら交流できたりしたことも良き思い出でした。

続いて、宿舎において絵本に関する懇談の機会があり、上皇后様がベトナムを訪問されたときにお会いになった関係者から、活動のお話を伺うことができました。これまで日本の絵本を翻訳し出版した本を、ベトナムの病院などにいる子どもたちに届けるなど、さまざまな活動をしながら、今年から子どもたちの読み聞かせの研修を行って、子どもと本を結びつける活動を更に広げていきたいとの強いお気持ちにふれることができました。

今次訪問中には、ハノイの他に中部のダナンとホイアンを初めて訪れました。ダナンは、ベトナムで3番目に人口が多い都市で日本の企業も進出しています。それら企業の方々やJICA海外協力隊の隊員、教育に従事している方々と懇談をして、この地の様子を伺うことができました。また文仁は、済生会の総裁をしていることから、同会が創立100周年の一環事業として始めた「ダナンがん病院」の医師の研修受け入れに参加した医療従事者と懇談をしました。

ホイアンへの訪問は、17世紀を最盛期として、かつての朱印船貿易の拠点となり、多くの日本人が居住した「日本町」があったとされる旧市街の「日越文化空間」を訪ねることにありました。この場所で見た、長崎県より寄贈された御朱印船に、遠くからはるばる当地に来た日本人の商人たちの活躍に思いを馳せました。

また、有名な色とりどりのランタンが飾られるホイアン旧市街地を歩き、「日本文化の家」に着きました。訪ねてきた人たちにベトナムの人たちが折り紙や茶道、書道を紹介している様子を見ることができ、また長崎県や堺市などにゆかりのある展示もあり、日本とのつながりをとても大切にしていることが感じられました。

そして、ホイアンの名所でもある「日本橋(来遠橋)」は現在修復中で、JICAが技術支援を行っています。17世紀に日本町の日本人が建てたとされており、その当時の建築材が出土しているそうです。現在見ることができるものは、その当時のものではないと言われていますが、この橋が造られた当初は、どのような形の橋だったのかを想像しながら、いつの日かこの橋を渡ってみたく思いました。

日が暮れ、月夜に照らされたホイアンの夜景は大層美しく、アニオー姫の名前であるゴック・ホア王女通りを、灯がついたランタンや精霊流しを見ながら歩きました。

滞在の最終日には、4世紀から13世紀にこの地を治めていたチャム族の国チャンパ(林邑国)のミーソン遺跡を見学しました。いろいろな所で遺跡見学をすることは、私たちの楽しみでもありますので、今回行ってみたい場所の一つでした。

レンガを主材料として、その一部が砂岩で造られている赤い色をした祠堂は美しく、内部はレンガを僅かにずらしつつ積み上げていく技法が用いられていました。とくに、これら隙間がほとんどないレンガをどのように接着をしたのかについては、大いに興味をそそられました。

今回、5泊の滞在でしたが、その間にハノイとダナン、ホイアンを訪れ、いくつもの日本とゆかりのある場所を視察することができました。また、さまざまな立場で両国関係に尽力をしている方たちとも交流することができ、私たちにとって有意義な旅になりました。

今次訪問に当たっては、国家主席閣下ご夫妻、国家副主席閣下、そしてさまざまな関係者から大変ご丁寧にお迎えいただくとともに、行く先々で多くの人たちに温かく迎えていただき有り難いことでした。私たちの訪問に際し、力を尽くしてくださり、心を寄せてくださった多くの方々に感謝の意を表します。この50周年を里程標として、日本とベトナムとの友好親善関係がさらに深まることを心から祈念しております。