昭和60年歌会始お題「旅」

御製(天皇陛下のお歌)
遠つおやのしろしめしたる大和路の歴史をしのびけふも旅ゆく
皇后陛下御歌
つくしなる旅路の空に新月のかかるを見たり冴えわたりつつ
皇太子殿下お歌
旅の朝の窓より見れば岩手山真向かひに立つふもと紅葉に
皇太子妃殿下お歌
幼な髪なでやりし日も遠くしてをとめさびつつ子は旅立ちぬ
徳仁親王殿下お歌
フランスの旅路に眺むるアルプスに故郷(ふるさと)の山なつかしく思ふ
正仁親王殿下お歌
旅の朝サバの海原にうす日さし海のかなたにキナバル山みゆ
正仁親王妃華子殿下お歌
()つ国の子らは瞳のいとしくて旅の疲れのなごみくるなり
雍仁親王妃勢津子殿下お歌
()けてとつ国々の果てまでも旅ゆく世なり老もをみなも
宣仁親王殿下お歌
田植終え水張り満てる田の面の輝く中を旅路過ぎゆく
宣仁親王妃喜久子殿下お歌
旅を行く十勝の広野はるかにて緑の畑を川のぬひゆく
崇仁親王殿下お歌
スライドを選びつつ妻となつかしむエジプトの旅メキシコの旅
崇仁親王妃百合子殿下お歌
みちのくの旅は楽しも木々芽ぶくきざしあかるき峡に入りきつ
寬仁(ともひと)親王妃信子殿下お歌
旅先のたのしく遊ぶ子らを見て残しきたりし吾子を思ひぬ
召人 宇野信男
いくそたびつまづきつつもたどる道わが旅路こそつらくたのしく
選者 窪田章一郎
海外へゆく小旅行かさねつつわが(さち)に謝す親たち知らず
選者 山本友一
旅とほく佐呂間を過ぎて湖のべははや秋水の渚の光
選者 香川進
戦ひのなかりし国への旅にして静けき人にわがつつしめり
選者 渡辺弘一郎
明治四十二年ここに旅来し長塚節歌一首なきことを思はむ
選者 岡野弘彦
たたかひに敗れたる身をさすらひて旅ゆきし日の大和山城

選歌(詠進者生年月日順)

北海道 渡邊寅雄
駿河より一家北見へ入植の旅遠かりき大正七年
広島県 竹久清信
スリランカの旅のホテルに仰ぎたる日の丸の旗にわれ涙せり
東京都 夜久正雄
旅遠くルンビニの野に行き暮れて橋のたもとに蛍飛ぶ見き
東京都 森平歌子
秩父より徒歩の旅して横浜に洋灯(ランプ)仕入れし祖父の代思ふ
神奈川県 高橋弘江
隊商(キヤラバン)が遠き旅路に目ざしたるオアシスの空尖塔輝く
鹿児島県 若松君子
夫に添ふわれの初旅御親閲受けし広場に伴はれ来ぬ
千葉県 片山静江
旅終へし白鳥のむれ首のべて憩ふ瓢湖の水しづかなり
茨城県 岡田達子
転勤も旅とおもへばたのしみとさりげなく母はいひて従ふ
東京都 富田和子
スマトラにダム造らむと観光の人等に混じり夫は旅立つ

佳作(詠進者生年月日順)

愛知県 近藤弘吉
青き(わた)雲間に見ゆる空の旅バシー海峡今渡り行く
メキシコ国メキシコ市 春日光子
バリ島の旅の一日(ひとひ)を田の畦に村の童とたにし拾ひぬ
神奈川県 門奈正雄
砂熱きゴビの旅より帰り()し目に沁みにけり庭の白萩
東京都 長澤玉枝
湖の()にきらめくえり(えり)にまよひ入る魚をかなしむ旅のこころに
神奈川県 天笠伝次郎
初めての旅へと出でぬ妻とふたり三十八度線を越えて来しより
山口県 赤沼安子
エジプトの旅路の夜明け夢さめて心にしみるコーランをきく
埼玉県 齋藤忠雄
旅回りサーカス一座の少年は馬の絵を残し転校をせり
神奈川県 中谷文子
大島に旅せし記念の椿なり十年(ととせ)経て咲く赤き初花
鹿児島県 上村マツエ
放たれて海へ旅立つ亀の子等いま満ち潮の浪に乗りたり
佐賀県 福井津耶
()へし子と来し旅よ雲うまれ雲去りてゆく富士山が見ゆ
山形県 伊勢みつ子
わが町の花笠音頭を旅先の上海の児らと共に踊りぬ
鹿児島県 大和てるみ
見はるかす海原遠く霞みたり佐多の岬を鷹は旅立つ
栃木県 鈴木光代
八頭の牛の青草刈り溜めて二日の旅の準備ととのふ
神奈川県 沼田雅子
うつとりとプラネタリウムを出でし児ら宇宙への旅を(たかぶ)りて言ふ
長野県 後藤優子
ひたすらに夫と鶏飼ふ二十年旅行きし日もつひになかりき