「WiLL」(2008年8月号)の記事について

平成20年7月10日

「WiLL」(2008年8月号)に掲載されている西尾幹二氏の「これが最後の皇太子さまへの御忠言」の中に,「いまの天皇(宮内庁註:昭和天皇)が(京都に)来られると必ず大宮御所に泊まられるわけですね。あの寒くてやりきれない,どうにも不便なところに泊まらなければならないという訓練ができてくるわけですよ。ところが,いまの皇太子(今上天皇)は,あんな不自由な寒くてしょうがないところはいやだといって,都ホテルへ泊まられるのですよ。この点は,訓練の相違もあるんでしょう。これは大きな問題だと思うのです。」という,昭和43年当時の会田雄次氏の発言が引用されていますが,これについて次の通り「WiLL」編集部へ指摘し,事実と異なることを誌上で明らかにして頂きたい旨申し入れました。

  1. 皇太子同妃両殿下時代を含めて,更には御成婚以前に遡り,これまで天皇皇后両陛下が京都府を御訪問になり,京都市内に御宿泊の時は,全て大宮御所を使用されており,都ホテル乃至その他のホテルに御宿泊になったことは一度もありません。(両陛下の今日までの京都府行啓及び行幸啓の御宿泊所一覧表を添付します。)
  2. 一覧表に示されておりますように,両陛下は,京都府内でも日本海側に位置する宮津市に昭和43年に1泊,平成12年に2泊されていますが,その際の日程表は,それぞれ(参考1)および(参考2)の通りです。西尾氏が引用された会田氏の発言は昭和43年とあり,おそらく,この時の行啓で大宮御所が使用されなかったことからの発想と推察されますが,この時は,日程表(参考1)が示すように,福井県で開催された夏季国体御出席に続く近県御視察として京都の北部の丹後地方を訪問されたのであって,京都市内では,京都駅で乗り換えをなさっただけでした。
  3. なお,上記の昭和43年及び平成12年の宮津市御宿泊について,(参考1)及び(参考2)の日程表に沿いつつ,当時の状況について以下の通り補足します。
    • (1)昭和43年9月初旬の皇太子同妃両殿下時代の行啓に際しては,福井県での夏季国体を初めとする諸行事御出席,及び地方事情の御視察を済まされた後,それまで未訪問であった京都府の丹後地方を御訪問になるため,9月7日朝9時前に福井県の小浜駅を発たれました。そして小浜線,宮津線と乗り継いで,約3時間後に峰山駅で下車され,京都府織物試験場を御視察,そこからは車で,午後3時半頃に宮津市での御宿泊所である「玄妙庵」に着かれ,午後4時から5時半まで丹後地方で働く青年代表7名と御懇談の後,ここで一泊されました。翌9月8日には,午前9時半過ぎに宮津駅を発たれ,宮津線,山陰本線と乗り継いで,約5時間後の午後2時半近くに京都駅に着かれ,そこから新幹線に乗り換え,午後5時40分東京駅着という日程であり,京都市内での御宿泊はありませんでした。
    • (2)2回目の平成12年の両陛下の宮津御宿泊ですが,この時は日程表が示すように第1日目の9月29日には京都市で大宮御所に泊まられ,第2日目の30日朝,二条駅を発たれ,京都府を北上して日本海側に向かわれました。この時は,日本海に面する網野町で「全国豊かな海づくり大会」が開催され,その他,地方事情御視察先として舞鶴市や大江町なども入っておりましたので,第1日目以降,大宮御所を御宿泊所として,諸行事に御出席になることは不可能でした。
    • (3)今回,事実でないことに基づいて行われた過去の批判が,40年後に再び取り上げられたことに対し,今後の参考までに,当時及び今日までの両陛下の京都府における宿泊関係の記録を明らかにする次第です。