「WiLL」(2008年7月号)の記事について

平成20年6月9日

1 「WiLL」7月号に掲載されている渡部昇一氏と日下公人氏の対談において,渡部氏は,「ですが美智子様が皇室に入られたために,宮中に仕えていた女性がみんな辞めてしまったそうです。」と発言しておりますが,これに該当する事実はありません。当時の人事関係資料によれば,御成婚前後の女性職員の人事異動の事実関係は以下の通りです。

  • (1) 御成婚以前には,東宮職には女官はおらず,昭和34年の御成婚を期に,東宮女官長1名及び東宮女官3名が,発令されました。この計4名は,いずれもその後10年以上,長い者は20年以上におよび東宮職で勤務を続けました。
  • (2) 御成婚当時に,昭和天皇の御所では,女官長1名,女官5名の計6名が勤務していました。この内,女官1名が昭和35年に退職しましたが,これは当時女官の中では最高齢者で(当時68歳),勤務を続けることが出来なくなったために退職したものです。この1名以外には,御成婚後の早い時期に退職した女官はなく,8年後の昭和42年になって,当時76歳の女官長が退職しました。
    また,香淳皇后の御用掛2名も,辞めることはなく,内1名は,皇太子同妃両殿下の米国御訪問にも随行しています。
  • (3) 女官以外の内廷女子職員については,御成婚前から東宮職において勤務していた女性職員2名は,いずれも,御成婚以後も東宮職で勤務を続け,1名は,65歳になった昭和47年に退職し,もう1名は,72歳になった昭和61年に退職しました。

宮内庁としては,渡部氏が,何故,上記のような全く事実と異なる発言を行われたのかについて,その根拠,理由などを承知したく「WiLL」を通じて渡部氏に対して照会するよう依頼しております。

2 また,上記対談において,渡部氏は,「ですから,皇太子殿下が一番大切な時期にイギリスに4年も留学なさったというのは,長すぎます。」と発言しておりますが,当時の徳仁親王殿下が英国に留学なさったのは,昭和58年6月から昭和60年10月までの約2年間です。