宮内庁宮内公文書館・堺市博物館・関西大学共催 企画展「仁徳天皇陵と近代の堺」の開催について(終了しました。)

説明 画像
  • 1 展示会名
     仁徳天皇陵と近代の堺
  • 2 主催
     宮内庁宮内公文書館・堺市博物館・関西大学
  • 3 会期
     令和6年9月14日(土)~11月10日(日)
  • 4 開館時間
     午前9時30分~午後5時15分(入館は午後4時30分まで)
     休館日:月曜日(9月16日、23日、10月14日、11月4日(いずれも月・祝)は開館)
  • 5 観覧料
     一般 200円(160円)/高校・大学生 100円(70円)/小・中学生 50円(30円)
     ※( )内は20人以上の団体料金
     ※堺市在住・在学の小・中学生は無料。堺市在住の65歳以上の方、障害のある方は無料(要証明書)
  • 6 会場
    堺市博物館展示場(別ウインドウで外部サイトが開きます)
     住所:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内
     アクセス:JR阪和線「百舌鳥」駅下車 西へ約500m
         南海バス「堺市博物館前」停留所下車 南へ約280m
  • 7 概要
     明治期以降の仁徳天皇陵では、宮内省諸陵寮が拝所等の整備を進め、陵墓の濠水は周辺田畑への灌漑用水としても使用されていました。周辺住民にとって欠かせない生活資源として、仁徳天皇陵は日常生活に溶け込みながら維持・管理されてきました。一方で、行幸・行啓など非日常的な営みのなかで、皇室と堺との新たな関係性が構築されるのも近代における特徴のひとつです。
     堺の人びとが仁徳天皇陵を中心として密接に関わり合い、共存してきたことは宮内公文書館に残されている資料からうかがい知ることができます。本展示では宮内公文書館が所蔵する公文書と地域に残された資料から、仁徳天皇陵をはじめとする百舌鳥古墳群の陵墓の管理などを中心に、近代の皇室と堺との関係を読み解きます。
  • 8 関連行事
  • (1)講演会
    • 日 時:第1回 令和6年9月22日(日・祝)午後1時30分~午後3時40分
    •     第2回 令和6年10月6日(日)午後1時30分~午後3時40分
    • 会 場:堺市博物館ホール
    • 定 員:各回80名(事前申込制、応募者多数の場合は抽選)
    • 参加費:無料

    • ・第1回講演会
    • 講演「宮内公文書館所蔵資料からみる皇室と堺」
        講師:毛利 拓臣 氏(宮内庁宮内公文書館研究職)
    • 講演「濠水と阪和電鉄」
        講師:官田 光史 氏(関西大学教授)

    • ・第2回講演会
    • 講演「いつから百舌鳥古墳群として把握されたのか」
        講師:白神 典之 氏(堺市博物館学芸員)
    • 講演「三次元点群データを活用した仁徳天皇陵の維持管理」
        講師:小山 倫史 氏(関西大学教授)
      ※講演タイトルは仮題

    (2)シンポジウム
    • 日 時:令和6年10月13日(日)午後1時~午後4時40分
    • 会 場:関西大学堺キャンパス(堺市堺区香ヶ丘町1丁11-1)
    • 定 員:300名(事前申込制、応募者多数の場合は抽選)
    • 参加費:無料

    • 基調講演「近代における仁徳天皇陵の整備と保全」
        講師:徳田 誠志 氏(関西大学客員教授)
    • 講演①「明治期の仁徳天皇陵と地域社会」
        講師:石川 雄大 氏(関西大学大学院生)
    • 講演②「韓国の世界遺産からみた百舌鳥・古市古墳群とその時代」
        講師:井上 主税 氏(関西大学教授)
    • パネル討論
      最新の調査成果を元に、陵墓の保全と継承をテーマに講演者で討論を実施します。
      ※講演タイトルは仮題

    (3)現地見学会
    • 日 時:令和6年11月9日(土)午後1時~午後2時30分、午後2時30分~午後4時
    • 定 員:各回20名(事前申込制、応募者多数の場合は抽選)
    • 参加費:要観覧料
    • 内 容:企画展の展示解説の後、近代に古墳周辺で行われたさまざまな出来事を仁徳天皇陵拝所および外濠周辺の解説を聞きながら散策。(三国ヶ丘駅周辺で解散予定)
    • 講 師:徳田 誠志 氏、石川 雄大 氏、堺市博物館学芸員

    (4)展示解説
    • 日 時:①令和6年9月22日(日・祝)午前11時~午前11時30分
          ②令和6年10月6日(日)午前11時~午前11時30分
    • 会 場:堺市博物館展示場
    • 定 員:各回20名程度(事前申込不要。開始時間までに堺市博物館企画展入口付近(展示場内)へ集合)
    • 参加費:要観覧料
    • 内 容:企画展の担当学芸員が展示品を解説します。

関連イベント(1)~(3)の事前申込方法については、堺市博物館のホームページをご覧ください。(別ウインドウで外部サイトが開きます)

書陵部 書陵部
9 主な展示資料
(1)仁徳天皇陵平面図(「陵墓資料(図帖類)御陵図」のうち)
書陵部

明治12年(1879)に陵墓が所在する府県から、宮内省へ提出された各陵墓の実測図。宮内省が所蔵していた原本が関東大震災で焼失したために、大正14年(1925)に改めて大阪府、奈良県が所蔵していた控えの図を謄写して作成したものである。本資料には「三千分ノ一ヲ以製之」の記載があり、焼失前の原図はもっと大きかった可能性が高い。(宮内公文書館蔵)

(2)甲冑図(「陵墓資料(繪図類)仁徳天皇陵前方部発見石槨及び甲冑図 七枚 附大山陵より顕れし石棺の考へ/仁徳天皇大仙陵石槨ノ中ヨリ出シ甲冑之図」のうち)
書陵部

明治5年(1872)9月、仁徳天皇陵の前方部中段において石室が開口した。この件についての記録は写本という形でいくつかの機関に所蔵されているが、個人が所蔵していた絵図を模写したものである。本資料は出土した副葬品のうち甲冑を描いた図である。冑は「総(惣)体銅鍍金(めっき)」の小札鋲留眉庇付冑(こざねびょうどめまびさしつきかぶと)であり、全体図と各部の詳細図を描いている。(宮内公文書館蔵)

(3)仁徳天皇御陵前修営之図(「工事録3明治21年」のうち)
書陵部

仁徳天皇陵拝所を整備するため、京都在勤諸陵寮において作成された修営の完成予想図。拝所を俯瞰した形で描かれた図からは、神門などが取り払われ、鳥居や灯籠が一段高い場所に位置するように段差が設けられていることが分かる。そのほかに、門柱や柵などが石製に置き換わっている。(宮内公文書館蔵)

(4)舳松村・向井村両村長による第三濠復旧の嘆願書(「陵墓地録明治29年」のうち)
書陵部

明治27年(1894)6月8日、舳松村(へのまつ)・向井村(ともに現・堺市堺区)の両村長(正木治之、八木栄次郎)から、宮内大臣に宛てられた仁徳天皇陵第三濠復旧を望む嘆願書。まず復旧の目的について、仁徳天皇陵の警衛を堅固に保つためと述べられている。しかしその真意は、濠が増えることによる貯水量の増加を期待するものであり、その水を農業用に利用することを願っていると考えられる。(宮内公文書館蔵)

(5)諸陵寮ノ記録回復ニ付キ意見(草稿)(「陵墓資料(考説・考証資料)増田于信震災復旧関係草稿」のうち)
書陵部

大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災は宮内省にも甚大な被害をもたらした。諸陵寮では、焼失した陵墓資料の復旧(復元)が宮内省御用掛の増田于信(ゆきのぶ)を中心に試みられた。この意見書は増田が宮内大臣の牧野伸顕宛てに作成したもの。9月21日に増田から宮内次官の関屋貞三郎に提出され、翌日、実施が決定された。(宮内公文書館蔵)

(6)陵墓守長筒井幸四郎ヲ陵墓監ニ任用ノ件(「進退録2大正11年」のうち)
書陵部

大正11年(1922)5月17日、陵墓守長筒井幸四郎が陵墓監に任用された際の公文書。筒井は中百舌鳥村(現・堺市)の名士で、仁徳天皇陵をはじめ百舌鳥の陵墓全般を含めて担当した。摂政である裕仁親王(後の昭和天皇)に奏聞したことを示す「聞」の朱印が捺印されている。(宮内公文書館蔵)

(7)京都・奈良・大阪の陵墓位置図(「帝室例規類纂25明治10年」のうち)
書陵部

明治10年(1877)の京都・大和国行幸に伴い、式部寮によって京都・奈良・大阪に所在する陵墓の位置を示した図。この行幸は、神武天皇陵(現・奈良県橿原市)の御参拝並びに孝明天皇十年祭を目的としたもので、各地の陵墓には使者である奉幣使(ほうへいし)も差遣(さけん)された。仁徳天皇陵には、2月16日に奉幣使多田好問(式部寮七等出仕)が御代拝のため参向した。(宮内公文書館蔵)

(8)明治天皇行幸 小学校生徒授業天覧図
書陵部

明治10年(1877)2月13日、明治天皇は熊野(ゆや)小学校へ行幸になった。本資料は後年、熊野小学校での授業天覧の様子を描いた額装絵画。作者は堺在住の芝村玉月(しばむらぎょくげつ)。芝村は昭和3年(1928)の「明治天皇御臨幸五十年記念」の事業として、絵画制作が依頼された。(堺市立熊野小学校蔵)

(9)天皇・皇后の水族館行幸・行啓記事(「幸啓録6明治36年」のうち)
書陵部

明治36年(1903)に、天皇・皇后(昭憲皇太后)が行幸・行啓になった際の事務日誌。大阪天王寺で開催されていた第五回内国勧業博覧会の第二会場となっていた堺には、「附属水族館」(現・大浜公園内)が設置されていた。天皇・皇后は5月5日と同6日にそれぞれ水族館へと行幸・行啓になった。(宮内公文書館蔵)

(10)仁徳天皇陵遠望写真
書陵部

昭和6年(1931)8月撮影。仁徳天皇陵を東側から撮影した写真で3カットに分割されたものを合成している。写真右側が後円部で右端には北側に所在する反正天皇陵がわずかに写りこむ。写真には鏡塚古墳、坊主山古墳、収塚古墳、長塚古墳など周辺の中小古墳が見られる。(堺市博物館蔵)