10 主な展示資料
(1)粕壁宿本陣竹内彦右衛門家図面
明治天皇は明治9年(1876)の東北・北海道巡幸、明治14年の山形・秋田・北海道巡幸に際し、陸羽街道(日光街道)を北上された。両巡幸とも粕壁宿に立ち寄られ、昼休憩をとられている。史料は、明治14年に御昼餐所が置かれた粕壁宿本陣の竹内彦右衛門家の図面。図面左側に玉座が設けられている。(宮内公文書館蔵)
(2)北條氏恭私記摘要 明治9年6月3日条
侍従として明治9年(1876)の東北・北海道巡幸に供奉した北条氏恭(ほうじょううじゆき)の日記。6月3日、明治天皇は草加宿を出発されると、途中蒲生村で挿秧(そうおう、田植え)を御覧になっている。粕壁宿の竹内彦右衛門宅で昼休憩ののち、幸手宿まで進まれ、知久順之助(文造)宅を行在所として宿泊されていることがわかる。(宮内公文書館蔵)
(3)明治16年の江戸川筋御猟場図面
史料は明治16年(1883)6月に東京府(無色)・千葉県(朱色)・埼玉県(黄色)にわたる広範な範囲に設定された江戸川筋御猟場の範囲を示す図面。明治16年9月には東京府全域が削除されるなど、江戸川筋御猟場は縮小と拡大を繰り返しながらも存続し、昭和26年(1951)に廃止された。(宮内公文書館蔵)
(4)山口正定日記 明治17年4月21日~25日条
山口正定(やまぐちまささだ)は水戸藩の出身で、明治期に長く侍従を務め、御猟場を管理する御猟場掛長、主猟局長などを歴任した。史料は山口正定の日記のうち明治17年4月21日から25日に至る記事である。この時、山口は御猟場掛長として、埼玉県下の江戸川筋御猟場の区域内を巡回していることがわかる。(宮内公文書館蔵)
(5)山口万蔵日記 明治39年1月18日、19日条
粕壁町の商家・山口万蔵の日記のうち明治39年(1906)1月の記事である。3月に15年間の契約期間が切れる江戸川筋御猟場の手当金について、「御猟場問題」として連日地域のなかで議論をしている様子がうかがえる。(春日部市郷土資料館蔵)
(6)明治39年当時の埼玉県下江戸川筋御猟場図面(部分)
江戸川筋御猟場の監守を務めた関口金兵衛の家に遺された、明治39年(1906)当時の同御猟場図面の拡大図。監守の管轄ごとに色分けされているのがわかる。同年の御猟場の契約更新後、図面左側の武里村と豊春村(現在の春日部市)が色塗されておらず、御猟場から抜けたことがわかる。(春日部市郷土資料館蔵)
(7)梅田ごぼう御買上に関わる礼状(部分)
大正4年(1915)2月、大正天皇の産業奨励の思召(おぼしめし)によって、内牧村(現在の春日部市梅田)の特産品である梅田ごぼうが宮内省に買い上げられた。史料は、「上納」を取りまとめた当時の南埼玉郡長であった鎌倉恒松から生産者の須田島吉へ宛てた礼状である。「首尾克ク上納ノ運ヒ」となったことが記されている。(春日部市郷土資料館蔵)
(8)大正大礼に際する梅田ごぼうの献上
大正4年(1915)11月、大正天皇の即位礼(大正大礼)に際して、奉祝の意を表するために、日本全国から特産品が献上された。献上品は府県ごとに取りまとめられ、宮内省に提出された。史料は、「大礼録」に綴られている埼玉県知事から宮内大臣に発出された伝献願である。糯白米(もちごめ)、長芋と共に春日部市域の特産であった梅田ごぼうが献上されている。(宮内公文書館蔵)
(9)梅田ごぼう御買上の記念写真
梅田ごぼうの「御買上」を記念して撮影されたと伝わる写真。中心には梅田ごぼう、右奥には生産者の須田島吉が写っている。写真の裏書に「大嘗祭御用品御買上品梅田牛蒡」と記されており、大嘗祭に用いられたことがうかがえる。春日部市梅田の女体神社には、この「梅田牛蒡御買上」を記念して石碑が建てられている。(個人蔵)
(10)鷹匠服(たかじょうふく)
埼玉鴨場は明治41年(1908)6月、埼玉県南埼玉郡大袋村(現在の越谷市)に設けられた、現在も宮内庁が管理する鴨猟の施設である。鴨場では鷹匠と呼ばれる職員が、正装として「鷹匠服」を着用している。この鷹匠装束は昭和5年(1930)3月に鷹匠の「常務服」として正式に定められて以降、現在も用いられている。(宮内庁蔵)
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