講書始の儀におけるご進講の内容(令和5年1月13日)


地中海交易と「離散の民」の商人たち
東京大学名誉教授
日本学士院会員
深沢 克己

地中海は複数の文明が出会う十字路です。それはインド洋を大西洋と北海に連絡し、アジアとアフリカとヨーロッパとの三大陸をたがいに結びつけます。したがって古代フェニキア人とギリシア人の時代から、地中海はつねに海上交易の舞台であり、様々な商品の行き交う海であると同時に、多様な文物の伝播の道、異文化接触のるつぼでもありました。

すでにローマ帝国の時代には、その後も中世をつうじて持続する交易の仕組みがほぼ成立します。すなわちアラビアとペルシアからインドと中国に至る東方諸国から、絹織物・香辛料・宝石などの貴重品を輸入する東西交易の道と、アフリカ産の金・象牙・黒人奴隷などを、サハラ砂漠を越える隊商(キャラバン)から調達する南北交易の道とが、地中海を交差点として連結されました。

中世前半期に地中海経済を掌握するアラブ=イスラーム教徒も、この同じ仕組みの上に黄金時代を築きましたが、やがてヨーロッパ諸国が「十字軍」の名のもとに攻撃的な植民活動を展開するにつれて、地中海交易の主導権はジェノヴァやヴェネツィアを筆頭とするイタリア諸都市の側に移行します。

しかし普通の歴史教科書の中で、地中海が語られるのはこの時代までです。なぜならばいわゆる「大航海時代」の到来とともに、大西洋貿易とインド洋貿易が発展し、オランダとイギリスを先頭とする北西ヨーロッパ諸国が経済成長をとげるのと反比例して、地中海とイタリア諸都市は没落への道を歩んだと説明されるからです。世界史的に見れば、これは完全にヨーロッパ中心の歴史記述であり、西洋史の次元で考えても、あまりに北西ヨーロッパを優先する歴史解釈だと思われますが、ひとたび確立された定説をくつがえし、新しい歴史の描き方を提示するのは、なかなか困難な作業です。

たしかにフランスの歴史家フェルナン・ブロデルは、有名な学位論文『フェリペ二世時代の地中海と地中海世界』(初版1949年)の中で、スペイン王国がアメリカとアジアの植民地を独占する「日の沈まぬ帝国」となった時代にも、依然としてヨーロッパ文明の重心が地中海の側にあり、国際経済と国際政治とがこの内海(うちうみ)を中心軸として展開した事実を、説得力をもって記述しました。青年時代の約10年間を、中等学校教員としてフランス領アルジェリアで過ごしたブロデルは、地中海を南側から眺めることにより、ヨーロッパを相対化して観察することに成功したのです。しかし残念ながら、ブロデルの論述は16世紀後半にほぼ限定され、それに続く時代についてはおおまかな展望を与えただけで、部分的には通説を踏襲しています。

わたくしは1980年から南フランスのプロヴァンス第一大学に留学し、4年余りの歳月を費やして完成した博士論文の中で、この問題に取り組みました。そこではパリ国立公文書館、マルセイユにあるブッシュ=デュ=ローヌ県文書館、そしてとりわけマルセイユ商工会議所文書館に保存されている膨大な量の史料を読み解くことにより、近世後半期、すなわち17世紀から18世紀に至る地中海交易の変動と構造を解明しようと試みました。この博士論文は、1987年にフランス国立科学研究所出版会から刊行されましたが、本日はこの論文に、わたくし自身のその後の研究成果を加えて、近世地中海交易の輪郭を簡潔に示したいと思います。

近世の地中海では、南北交易よりも東西交易の比重が圧倒的に大きくなりました。その理由の一つは、新大陸のペルーやメキシコで産出する銀が、スペイン経由で地中海に流入し、優越的な国際通貨になった結果、サハラ砂漠を北上して運ばれる金の重要性が低下したからです。ブロデルの表現を借りれば、地中海の貨幣流通は「スーダンの金」から「アメリカの銀」の時代へと移行し、交易の大部分は、オスマン帝国の商業港を中継点とする東西貿易、いわゆる「レヴァント貿易」に集中されます。

「レヴァント」とはラテン系の諸言語で「日の昇る土地」、すなわち東方を意味し、エジプトからシリア・パレスティナを経て、アナトリアとバルカン半島に至る東地中海沿岸一帯を指す名称です。教科書的な記述に反して、この地域を支配するオスマン帝国は、ヨーロッパ商人を排除したわけではなく、たびたび戦火を交えたヴェネツィアも含めて、早くからヨーロッパ諸国と特恵条約を結び、その貿易活動を保障して、租税収入を増やす政策を採用しました。こうして16世紀後半には、インド洋を往来するムスリム商人の活動を背景として、エジプトとシリアを中継地とする香辛料貿易が復興し、この貿易に支配的役割を演じるヴェネツィアは繁栄を回復し、イタリア・ルネサンス文化も第二の開花期を迎えました。

それでは17世紀以降のレヴァント貿易はどうなったのでしょうか。ブロデルが示唆したように、オランダ東インド会社がインド洋貿易をほぼ完全に掌握した結果、地中海経済はついに衰退の道を歩んだのでしょうか。先入観なしに当時の史料を読み、そこから得られる知識を近年の諸研究と照らし合わせると、これとは異なる歴史像を描くことができます。冷静に考えれば、インドネシア産の胡椒の輸送路が、喜望峰航路に集中されたからといって、広大なアジアの豊富な産物がすべて失われたわけではありません。衰退する香辛料貿易に代わって、17世紀の地中海交易は、ペルシア産生糸の中継貿易により、新たな繁栄を謳歌することになります。

カスピ海の南岸からカフカス山脈の南山麓に至るペルシア北西部は、すでに中世から養蚕地帯として知られていましたが、16世紀以降のヨーロッパ絹織物工業の勃興にともない、その生糸輸出量は飛躍的に増加します。とくに17世紀の初め、サファヴィー朝国王シャー・アッバース大帝がアルメニア地方の住民を強制移住させ、彼らに生糸の輸出特権を与えた結果、アルメニア人商人がペルシアとオスマン帝国を結ぶ隊商路を手中に収め、シリアとアナトリアを中継地とするレヴァント貿易に新たな活気をもたらします。

アルメニア人は、征服や戦乱により祖国を失い、しばしば抑圧や迫害や強制移住の対象になり、その結果「離散の民」となった民族の代表例です。早くからキリスト教に改宗したアルメニア人は、ビザンツ帝国やイスラーム諸王朝の勢力争いに翻弄され続け、その原住地はやがてオスマン帝国とサファヴィー朝ペルシアの争奪対象になります。こうして離散した彼らは、17世紀には東南アジアとインドから地中海沿岸と北西ヨーロッパまで、ユーラシア大陸のほぼ全域に拠点を築き、そのネットワークに依拠して遠隔地商業を営みます。西方ではとくにトスカーナ大公国の自由港リヴォルノと、オランダ最大の貿易港アムステルダムに大規模なアルメニア人共同体が形成され、ペルシア産生糸輸出の前線基地の役割を演じました。

もちろん「離散の民」として最も有名なのは、古代のバビロン捕囚に始まるユダヤ人の場合です。ギリシア語で離散を意味する「ディアスポラ」は、本来はユダヤ人に特定して用いられる概念でした。ユダヤ人の商業的役割は、地中海でも中世初期から重要でしたが、近世にはスペイン・ポルトガル両王国での迫害を逃れて、イベリア半島出身のユダヤ人、いわゆる「セファルディム」がオスマン帝国と地中海沿岸各地に離散します。彼らも自由港リヴォルノを中心拠点として中継貿易を営み、17世紀のリヴォルノは、ヴェネツィアに代わる地中海商業の十字路として繁栄しました。

アルメニア人に話を戻せば、彼らは生糸貿易の方面に限らず、日本語で「更紗」と呼ばれる模様染め綿布の製造技術を、東方から西方へと伝播するために決定的な役割を演じます。更紗の製造技術は、長らくインドの染物職人により独占され、ヨーロッパ製造業者はその模倣に苦労していましたが、ペルシアとオスマン帝国にこの技術を導入したアルメニア人の助けを借りて、マルセイユ、ジェノヴァ、アムステルダムなどで「レヴァント風」更紗の製造が開始されます。わたくしはマルセイユの県文書館に保存されていた更紗の見本帳を発見し、それを分析することにより、インドの染色技法が、東インド会社の喜望峰航路ではなく、西アジア隊商路と地中海航路に沿って、ヨーロッパに導入された説得的な証拠を提示することができました。

この染色技術の導入と改良に刺激されて、18世紀には綿工業が勃興し、ヨーロッパ経済は産業革命に向かう新たな成長期を迎えます。これと並行してレヴァント貿易にもふたたび転換期が訪れ、長引くトルコ=ペルシア戦争により衰退するペルシア生糸貿易に代わって、オスマン帝国領内で豊富に産出する綿花とその加工品が、ヨーロッパ向け輸出の花形商品に浮上します。

18世紀には地中海商業の主導権はイタリアのリヴォルノから、フランス王国の自由港マルセイユに移行しますが、マルセイユ商人はシリア・パレスティナ産の綿布と綿糸、及びアナトリア産の綿花を大量に輸入し、それらをフランス国内と周辺諸国に供給します。他方でマケドニア産綿花の大部分は内陸路で輸送され、バルカン半島を北上してドナウ川をさかのぼり、オーストリアの首都ウィーンまで輸出されます。さらにオランダ商人も、レヴァント産綿花をアムステルダムからライン川経由で再輸出し、スイスとドイツの綿工業地帯に原料を供給しています。要するに18世紀の地中海交易は、世界経済の変動に適応しながら、ヨーロッパ全域に綿花を輸出することにより、第三の繁栄期を経験したと考えるべきでしょう。

ところでこの綿花貿易の成長は、新たな「離散の民」の台頭、すなわちギリシア商人のディアスポラの拡張過程と軌を一にしています。わたくしはマルセイユ商工会議所文書館に保存されている為替手形の数量分析と人物誌研究をつうじて、レヴァントの商業港から発送される為替手形の多くが、綿花の輸出代金を回収する目的で作成され、現地のギリシア商人を振出人とし、アムステルダムやリヴォルノやウィーンなど、ヨーロッパの商業都市に居留するギリシア商人を支払人に指定した事実を解明することができました。そこで注目すべき点は、この綿花輸出の経路が、逆方向の思想伝播の道になったことです。なぜならオスマン帝国の支配に不満を募らせるギリシア人は、この綿花輸出路に沿ってヨーロッパ各地に離散し、そこで啓蒙思想とフランス革命の影響を受けて、やがてギリシア独立運動を推進する国際秘密結社「フィリキ・エテリア」を結成することになるからです。

以上を要約し、結論を述べましょう。近世の地中海は、歴史の発展から取り残された「よどんだ内海」ではありません。それは世界経済の変動に適応して、香辛料貿易の時代から、ペルシア生糸貿易、さらにレヴァント綿花貿易の時代へと、その都度構造を転換させながら生命力を維持しました。そこではアルメニア人、ユダヤ人、ギリシア人など、祖国をもたない「離散の民」が往来して商業活動を支えると同時に、技術や文化や思想などを伝播する媒体となることにより、太古以来の地中海の文明史的役割、すなわち異文化交流の十字路の役割を保持したのです。


自己組織化の時代―持続可能な社会のために
東京工業大学名誉教授
情報・システム研究機構統計数理研究所客員教授
今田 髙俊

今、地球環境に優しくかつ将来世代にも迷惑をかけない持続可能な社会づくりが求められています。持続可能な社会というのは、その言葉からして一見、停滞的で活力に欠けるかのような響きを持ちますが、こういう社会にこそ活力が必要です。それを自力で自己を変える自己組織化という観点から考えてみたいと思います。


生命の躍動と力への意志

私が自己組織化の研究をしているときに、大きな影響を受けた哲学者が2人います。ベルクソンとニーチェです。

ベルクソンは『創造的進化』について興味深い考察をしました。この進化論は普通の生物進化論とは違います。ダーウィン流の生物進化論では突然変異が発生して、それが適者生存という形で選択淘汰されますが、ベルクソンの進化論は生命の躍動(エランヴィタール)がキーワードです。生命の躍動とは、自らに対する差異を生み出しつつ生成変化を遂げることです。絶えず変化することのなかに持続がある、「持続とは変化することなり」というのが彼の重要な主張です。

ところで自己組織化とは、システムが環境との相互作用を営みつつも、自らの手で自らの構造をつくり変えていくことを表します。つまり、環境変化の有る無しにかかわらず自力で自己を変えることです。環境変化に適応することの重要性がしばしば指摘されますが、自己組織化の特徴は環境変化によらず内発的な力によって自己を変えることにあります。ベルクソンは、内破つまり内から爆発する力によって自己組織化がなされることを教えてくれた哲学者です。持続可能な社会であるためには変化を通じた持続が求められます。持続には変化が不可欠であり、変化を通じた持続が活性化しているときに創造的進化が起きると言えるのです。

もう1人のニーチェは『力への意志』のなかで生きる力について論じています。彼の言い分によれば人間が本来持っている無限の可能性を引き出し、環境変化に右往左往することなく、内破の力で絶えず生成変化を遂げることが力への意志の現れであるとしています。人がこういう力を発揮して活性化するような組織や社会へ転換するのが持続可能な社会の条件だと考えられます。また、社会学者のウェーバーは不確実で流動する現実に向き合うなかから新しい価値理念が生まれるとしていますが、これはニーチェ的なイメージがよく伝わってくる見解です。近代社会では、不確実なことがあると確実性を高めよう、効率化して確実さを求めようという反応に陥りがちですが、新しい価値が創造されるのは不確実性に耐え抜いたときです。こうした発想は自己組織化ということに関連して、とても重要なことです。


内破による自己変革

ここで自己組織化における内破による自己変革について話したいと思います。内破は環境適応ではなく自己適応ということを含意します。環境の変化に適応できるよう自分を変えるというのは、変化の原因を外に求めることであり真の意味での自己組織化とは言えません。

自己組織化を分りやすくイメージするためには、昆虫におけるサナギの変態つまり《メタモルフォーゼ》のたとえが有効です。卵からかえった青虫は木の葉を貪欲に食べて成長し、その後サナギになります。このサナギの状態は、そのなかで劇的な体質変化が起きているときです。みのによって可能な限り環境から遮断され、環境との相互作用は営みません(酸素の出入りはありますが)。それは外界に対して事実上、閉じたシステムであります。外から見ると目立った変化はありませんが、そのなかでは古い体細胞をスクラップし新しい体細胞を構築する自己組織化の営みがなされています。新たな体細胞は青虫の体細胞を養分として増殖していきます。この状態を経て、青虫は例えば蝶という、姿かたちや機能も全く異なるものに生まれ変わります。つまり、メタモルフォーゼとは環境からの刺激を受けて受動的になされるのではなく、自力で自身の体質転換をはかることです。


自己組織化には、ゆらぎと自己言及が必要

メタモルフォーゼは生物での話ですが、社会の方に目を向けてみますと、自己組織化という考えの萌芽は、古くは古代ギリシャ時代の哲学者デモクリトスや古代ローマ時代の哲学者ルクレティウスにまで遡ることができます。また、近代哲学の基礎を築いたデカルトやカントの哲学にも仮説や言葉として登場します。

自己組織化について初めて本格的に論じられたのは第二次世界大戦後間もないころですが、それは船の舵取りに語源を持つサイバネティクスに基づいた環境適応型の自己組織化でした。その後、1970年代後半以降に、要素の協同現象に語源を持つシナジェティクスに代表される、自己内発型の自己組織化が複数登場して、議論が盛り上がりました。

こうした先行研究を踏まえて、私は自己組織化の本質的要因が《ゆらぎ》と《自己言及》の2つにあると認識するに至りました。

第一のゆらぎは自己組織化の小さなたねのようなもので、物理学では平均値からの揺れと言われます。社会現象で言えば、ゆらぎとは一般に、ものごとの基盤をぐらつかせ危うくする要因のことであり、既存の枠組みや発想では処理できない現象を指します。特に社会学では、世の中の決まりやしきたりから外れる逸脱行動ということになります。ただ、逸脱行動は否定的に捉えられがちですが、創造的なものもあることに注意が必要です。

ゆらぎについてはこれまで様々な研究がなされています。1/fゆらぎは心地よさの源泉と言われます。海辺で吹くそよ風や名ヴァイオリニストが奏でる音には1/fゆらぎが含まれます。生命科学では、ゆらぎは生きていることの証であると言われます。社会的な例としては、1980年代に「ゆらぎ」という言葉が流行ったことを指摘できます。当時、曲がりなりにも豊かな社会が訪れたことで、人々の価値観が多様化し、生活様式が個性化するようになりました。多様化や個性化は、人々の行動や価値観が、既存の「標準モデル」で解読できない状態を表します。かつて高度経済成長の時代には、人間こうすれば豊かになれる、幸せになれるというモデルがありましたが、それが崩れて、多様化や個性化と言われるようになりました。型にはまらない現象に出会うと、条件反射的に「多様化ですね」「個性化ですね」という言葉が口をついて出る状況でした。しかし、多様化とは何か、個性化とは何かの中身は曖昧なままで、きちんと定式化されませんでした。何かにつけて多様化や個性化が乱発される状況は、ゆらぎ社会の温床だと言えます。

自己組織化の第二の要因は自己言及です。自己組織化では自己が自己に働きかけて自己が変わるという自己言及作用が重要になります。自己言及は言わば自己組織化のエンジンなのです。自己言及とは本来発話する人物が自己を含めて何らかの言及をすることを言います。要は、発言内容が自分自身にも適用されることです。これはしばしば論理的なパラドクスをもたらします。有名な例として、クレタ人の「嘘つき」の話があります。あるクレタ人が、「クレタ人は嘘つきである」と言った場合、当人は本当のことを言っているのか嘘をついているのかが定まらないというパラドクスに陥ってしまうことです。しかし、日常生活では私たちは自分自身に問いかけて自ら変わることを矛盾なく行っています。自己反省ということもしばしばあります。パラドクスが起きるのは形式論理を適用するからです。したがって、形式論理とは別角度から自己組織化に接近する必要があります。

自己内発型の自己組織化では、自己言及をゆらぎと結びつけて考えます。ゆらぎと合体することで、自己言及はゆらぎがゆらぎを呼ぶ自己触媒の役割を果たすことになります。自己触媒とは反応に関わっている要因が、自分と同じ要因をつくるために自分自身を必要とすることを言います。つまり、ゆらぎの文脈でいうと、ゆらぎが同じゆらぎを生むためにゆらぎ自身を必要としていることです。この自己言及作用により、ゆらぎの自己強化が起きてシステムが不安定な状態に移行し、新秩序の形成が促されます。例えば、流行現象はそれまでには存在していなかった新たな差異づくりとして発生します。どこかの誰かが、ポツンと変わったことを試み、これに同調する人が出てきて自己触媒作用が出来上がり、他者を次々と巻き込んで流行現象が現実化します。

要は、自己組織化における自己言及とはゆらぎと結びついた自己触媒作用であるということです。

1980年代に流行したゆらぎとしての多様化と個性化は、これらが自己触媒となって増幅し、社会を導くモデルの喪失という混沌とした状態に陥りました。産業社会は豊かさを追求するまさにその行為によって、「物の豊かさ」を追求する従来のエネルギーを萎えさせていったのです。このため来たるべき社会の秩序が明確にならないまま、人々は不安定な状況に身を置くことになりました。


持続可能な社会の時代精神

しかし、1990年代に入って以降、こうしたゆらぎ状況に対して新たな秩序形成を目指す模索が様々な形でなされるようになりました。例えば、営利企業や行政では手が届かないサービスや援助を提供するボランティア活動や非営利組織(NPO)・非政府組織(NGO)の活動が高まったことです。これらの活動は多様化と個性化を軸とした秩序形成のはしりと言えます。またこうした経緯と並行して、持続可能な社会という新秩序の形成へ向けた取り組みが始まりました。

持続可能な社会とは成長や発展に囚われた活動をひたすら追求する社会ではなく、また停滞や安定状態に甘んじる社会でもありません。かつての高度経済成長の時代には人々の浮かれた気分を抑えるために「秩序ある繁栄」という時代精神が存在しました。しかし、成長神話が崩壊し経済の停滞が長引くなかで、「活力ある安定」がこれに代わる新たな時代精神として定着してきました。この時代精神を担うのが持続可能な社会です。

2015年に開催された国連サミットで「持続可能な開発目標」が採択されました。地球上の「誰一人取り残さない」多様性と包摂性のある社会の実現を唱えています。その内容は、貧困、人権、エネルギー、不平等、気候変動など社会、経済、環境に総合的に取り組む17の大きな目標と169のターゲットからなる壮大な行動計画です。まさに多様性に富む行動計画であり、各国の個性的な取り組みが求められます。

こうした社会を実現するためには、諸個人が様々な試みに果敢に挑戦し、アイディアを生み出したりシステムづくりをしたりして、持続可能な行為様式の確立と社会の秩序づくりが必要です。この試みは、冒頭で述べたベルクソンのいう「持続とは変化することなり」に呼応するものであり、まさにゆらぎと自己言及を核とする自己組織化へ向けた動向として期待できると思うのです。


生命の要、分子モーター、細胞内のミクロの運び屋
東京大学名誉教授
日本学士院会員
廣川 信隆

私たちの体は、細胞から成り立っています。この細胞の構造及び働きの基となる蛋白質は、合成された後、膜で囲まれた多種類の小胞や、分泌顆粒、ミトコンドリア等の多彩な膜小器官や蛋白質の複合体として、働く場に到達します。それらがどのように到達するかについては、最近まで細胞液の中を拡散により運ばれていると考えられてきました。しかしそうではないことが明らかになってきたのです。細胞は、私たちの社会に似ています。私たちの社会では、農村で米、野菜、果物などを作りそれを航空機、列車、トラック等、速度の違う様々な交通手段を用い都市部に輸送し、また都市部近郊で製作された、コンピューター、冷蔵庫、テレビ等の家電製品をやはり多様な交通手段で地方に輸送します。細胞の中でも合成された蛋白質は、多種類の積荷として細胞内を規則的に張り巡らされたレールの上を使われる場に向かって多種類の分子モーターにより実に巧妙に運び分けられているのです。私たちは、電子顕微鏡観察により分子モーターの存在を予想し、この細胞内のレールである25㎚径の微小管の上を走るキネシンスーパーファミリ―モーター分子群、KIFsのヒト及びマウスの遺伝子45個をすべて同定し、この精緻な細胞内の輸送機構の全貌を明らかにしてきました。

主な研究対象としては、細胞内輸送が大変盛んな神経細胞を選びました。私たちの脳を構成する神経回路網の単位である神経細胞は情報伝達の方向に沿って樹状突起、細胞体及びときに1mもある長い軸索により構成されています。軸索末端にあるシナップス前部でシナップス小胞に含まれるグルタミン酸等の化学伝達物質が活動に応じて細胞外に放出され、それが情報を受ける側の神経細胞の樹状突起のシナップス後部にある化学伝達物質受容体に受け取られて情報が伝達されます。多くの神経細胞では、不思議なことに軸索内、及びシナップス領域で必要なほとんどの蛋白は細胞体で合成され、長い軸索内を輸送されます。輸送される積荷としては、シナップス小胞の材料や軸索膜の材料を含む種々の小胞、ミトコンドリア、細胞骨格線維の材料であるチュブリンやアクチン等の蛋白複合体等が運ばれます。一方、情報を受け取る側の樹状突起では、シナップス後部の化学伝達物質受容体、ミトコンドリアやmRNA等を始め多種類の積荷が輸送されます。このような理由で物質輸送機構は神経細胞そして脳の回路網の形作りと働きの根幹を成すものであると同時に、体中の多種類の10μmほどのすべての細胞にも同様の機構が存在するのです。


細胞レベルでの輸送機構としては、(1)各々の分子モーターKIFが自分の積荷を運ぶこと、例えば、KIF1AとKIF1B betaはシナップス小胞の材料、KIF1B alphaとKIF5はミトコンドリア、KIF17はNMDA型グルタミン酸受容体NR2B、KIF3はNMDA型グルタミン酸受容体NR2Aを、KIF5はAMPA型グルタミン酸受容体をというように各々が独自の積荷を運びモーター分子により速度が異なること、(2)積荷の認識・結合機構は、主にモーター分子が、アダプター蛋白を介して積荷を認識し結合すること、(3)荷降ろしの機構は、主に、モーター分子が、特定のリン酸化酵素によるリン酸化により積荷の脱離を行う、あるいは、積荷側のGTP結合タンパク質のGTP加水分解により脱離を制御すること、(4)軸索あるいは、樹状突起への輸送方向の決定は、軸索内のレール微小管が樹状突起に比べGTP型βチュブリンが多く、モーター分子は、レールの違いを認識し、方向性を決定すること等を明らかにしてきました。

モーター分子(50~100㎚)が私たちだとすると、私たちは直径5mの土管の上を秒速100mで10tトラックほどの大きさの積荷を担いで10万㎞、つまり地球2周半もの距離を走り回っていることになります。このモーター分子たちは、今この瞬間も私たちの神経細胞を始めあらゆる細胞の中で走り回っており、そのおかげで私たちは、考え、記憶し、生きることができるのです。

細胞レベルの研究だけでなく、マウスを用い遺伝子操作により特定の分子モーター蛋白を欠失し、あるいは過剰に発現する個体を作成し解析することにより、分子モーターは、細胞の形作りや働きのために必須であるばかりでなく記憶、学習等の脳の高次機能、脳の神経回路網の形成、脳の発生過程での活動依存性の神経細胞の生存・死の制御、体の左右非対称性の決定や腫瘍形成の抑制など様々な重要な生命現象をつかさどっており、生命の要であることが分かってきました。

そのうちの2つのモーター分子について詳しく御紹介いたします。

初めは、脳の記憶・学習をつかさどるKIF17です。

私たちは、KIF17を同定し、それが神経細胞の樹状突起でグルタミン酸受容体NR2Bを輸送することを明らかにしました。グルタミン酸受容体は学習や記憶等の脳の高次機能に関与することが示唆されています。そこで私たちは個体レベルでのKIF17の働きを知るため、KIF17を過剰発現するマウスを作製し、その作業記憶や空間記憶を各種テストによって野生型と比較しました。その結果、KIF17過剰発現マウスでは、記憶・学習能力が優れていることが明らかとなりました。詳細な解析により、KIF17過剰発現マウスの海馬や大脳皮質では、KIF17のみならずグルタミン酸受容体NR2Bも増加しており、更に興味深いことにKIF17やグルタミン酸受容体NR2BのmRNAも増えていることが分かりました。NR2BmRNAの生成はリン酸化し活性化された転写因子CREBによって制御されます。KIF17 過剰発現マウスではリン酸化され活性化されたCREBが増加していることが観察され、更にKIF17mRNAもリン酸化CREBにより生成が促進されることも分かりました。この結果の意味することは、一生懸命勉強して“脳を使う”と私たちの脳内で確実にシナップスでの情報伝達、そして神経回路が活性化され、それにより神経細胞内でリン酸化CREBが増え、グルタミン酸受容体NR2B及びそれを輸送する分子モーターKIF17のmRNAが増え、NR2B受容体及びKIF17の蛋白合成も増加しKIF17によるNR2Bの輸送が活発になり、これらがpositive feedbackされ記憶学習能力がますます向上するということが想定されるのです。この研究成果は、いわゆる“頭の良さ”というものは、生まれついての遺伝的要素だけで決定されるのではなく、頭を使うことにより記憶学習等の能力が高進する、自らの努力によって向上するという―私たちの人生にとっても非常に重要なメッセージを含んでおります。


反対にKIF17を欠損させたマウスでは、グルタミン酸受容体NR2Bの輸送が激減しその量も減少し、記憶学習能力が障害されます。この研究は、分子モーターがいかに脳の記憶、学習等の高次機能にとり大事な役割を果たしているかが示され、加齢に伴い誰にでも起こる記憶力の低下等あるいは老年認知症等が将来的にKIF17 を活性化する薬剤開発により改善される可能性も示しております。


もう一つの分子モーターであるKIF3は、発生過程で私たちの体の左右決定という大変重要な機構を制御することが明らかになりました。

KIF3は、神経細胞を始め多種類の細胞に発現し、進化的にもショウジョウバエや線虫などの下等な生物から保存されています。このKIF3の個体レベルの働きを解析するためにKIF3が欠損するマウスを作製しました。そのマウスの解析の過程で、私たちが何よりも注目したのは体の左右の決定がランダムになっていることでした。私たちの体は非対称で、心臓が左に傾き、肝臓は右、脾臓や膵臓は左にあります。人の遺伝性疾患、カルタゲナー症候群では、50%の患者さんが、内臓逆位つまり内臓の位置が左右逆になります。左右の決定は、発生生物学の非常にホットな領域でしたが、どうして体の左右が決まるかは分かっていませんでした。それまで初期の胎仔の腹側にノード(node)という三角形の窪みがあり、それが左右を決める遺伝子群を左側で発現させることだけが分かっていましたが、その上流の現象は不明でした。

そこで、ノードを調べると、野生型のノード細胞の表面には線毛という毛のような突起が1本ずつあるのに対して、KIF3欠失マウスではこの線毛がありません。結果として野生型では、KIF3が線毛の中の微小管に沿って線毛の素材のタンパク質を基底部から先端まで運びますが、欠失マウスでは、この材料が運べないので線毛ができないことが分かりました。しかし、線毛がないことと左右の決定がどう関係するのでしょうか。殴打運動をする気管支上皮等の線毛と比べてノードの線毛は中心にある2本の微小管が欠如しており、動けないと思われていました。私たちはこれを見直すために、高分解能ビデオ顕微鏡で胎児のノードを観察すると、驚いたことに線毛が時計方向に1分に600回の活発な回転運動をしていました。更にこの回転が左右の決定とどのような関係があるのかを調べるため、ノード領域にたまっている胎児外液に蛍光ビーズを入れると、野生型では蛍光ビーズが右から左へ一方方向に流されましたが、KIF3欠失マウスでは線毛がないために、蛍光ビーズを入れても単なるブラウン運動をするだけでした。私たちは野生型にあるこの左向きの流れをノード流と名付けました。多くの発生生物学者は「線毛の回転と左右の決定が関係していた」という発見に大きな衝撃を受けました。この結果に基づき私たちは、左を決定する未知の形態形成因子がノードの細胞から分泌され、それがノード流により左に流されて左の細胞で左右を決める遺伝子群のスイッチを入れると考えました。回転運動がなぜ左向きの流れを生ずるのかについては、線毛の回転軸が40度後方へ傾いているために、右から左に垂直面を動くときには効果的な流れを作るが、左から右へ細胞表面近くを通るときにはズレによる抵抗のために、効果的な流れができない。このため、回転運動によって左向きの流れができるということが分かりました。左右を決定する未知の形態形成因子についても、実態が明らかになりつつあります。


このようなマウスを用いた個体レベルでの研究により分子モーターは、KIF17による記憶、学習等の脳の高次機能の制御、KIF2による脳の回路網形成とKIF4による活動依存性の神経細胞生・死の制御、KIF3による体の左右の決定や腫瘍形成の抑制等の重要な生命現象の基盤となる驚くべき働きばかりでなく、これらのKIFsの異常により神経変性疾患、 記憶・学習障害、 癲癇、 統合失調症、不安神経症等の神経精神疾患等が生ずることが分かり、その研究を通してこれらの疾患がどのようにして起こるかが明らかとなってきました。また最も単純なKIF1Aモノマー型モーター分子の発見を通して、クライオ電子顕微鏡、X線結晶解析、生物物理学を駆使してATP加水分解にかかわる原子レベルでの構造変化の全貌が初めて明らかになり、モーター分子がATP加水分解に伴う分子構造の変化とブラウン運動を基盤として動く機構も明らかになってきました。

このようにしてこれからもモーター分子は、次々と生命現象の新しい扉を開けて、私たちを未知の世界へ誘ってくれることでしょう。同時にモーター分子の研究により様々な疾患の仕組みが明らかになり、その克服への新たな道が開けることを期待しております。