講書始の儀におけるご進講の内容(令和3年3月23日)


「勢」と「機」の歴史哲学-『日本外史』の方法
成蹊大学名誉教授
日本学士院会員
揖斐 髙

頼山陽は47歳の文政9年(1826)に『日本外史』を完成させました。以後,幕末から明治にかけてこの書物は多くの人々に読まれてベストセラーになり,その一部は英語・フランス語・ロシア語などにも翻訳されて,著者の頼山陽は「文豪」と称されるようにもなりました。

『日本外史』は平安時代中期における源・平二氏に代表される武家の登場に始まり,源頼朝によって鎌倉幕府が開かれて以後,室町幕府,戦国時代を経て,江戸幕府の創設から江戸幕府第11代将軍徳川家斉に至るまで,およそ900年に及ぶ武家政権の移り変わりを伝体でんたいの形式で記した漢文体の歴史書ですが,同時に歴史に登場する人物たちの表情と行動を生き生きと描く文学作品でもあったことが,著者頼山陽が「文豪」と称された理由であろうと思います。

『日本外史』が優れた歴史書であるとともに,人々をひきつける歴史文学でもあり得たのは,歴史というものは何を原動力にして展開して行くものなのか,そしてその歴史の展開に人間はどのように関わり得るのかという,著者頼山陽の歴史哲学によるところが大きかったように思われますが,そのことを申し上げる前に,まず『日本外史』という書物がなぜ頼山陽によって書かれたのかということに触れておきたいと思います。

頼山陽は大坂の町儒者頼春水の息子として大坂に生まれましたが,父春水が広島藩儒に招へいされたため,一家は大坂から広島に移り住みました。山陽は頭脳明晰な子どもだったようですが,そうした子どもにありがちな神経過敏なところもあったようで,幼い頃から時々突発的に精神が不安定になる神経症の発作を起こしていたことが,父春水や母ばいの日記によって知られます。

寛政12年(1800)21歳の山陽は,頼家の本家があった竹原の大叔父が亡くなったため,父春水の名代として竹原まで弔問に出かけました。その時,父の春水は江戸藩邸に赴任中で広島を留守にしていたからです。ところが,広島から竹原への道中で持病の神経症の発作を起こした山陽は,突如姿をくらまして広島藩を脱藩し,京都に潜伏しました。2週間ほど後に京都で身柄を確保された山陽は広島に連れ戻され,屋敷内に急きょ造られた座敷牢に閉じ込められ,頼家の跡継ぎとしての身分を解かれる,いわゆる廃嫡処分を受けました。

座敷牢での3年に及ぶ幽閉生活の中で,山陽は自らが招いた失態によって無用者になってしまった自分自身の存在価値を世間に向けて証明するために,本格的な歴史書を著述したいと思うようになりました。山陽が歴史書の著述に取りかかったのは,座敷牢に幽閉されて3年目の享和3年(1803)24歳の頃だと推測されます。その後の執筆過程においては,当初予定した書名だけでなく構想や内容もしばしば大きく変更されましたが,23年後にようやく『日本外史』22巻として完成されました。

このようにして完成された『日本外史』の根底を形作っている山陽の歴史哲学は,「勢」と「機」という概念で説明することができるように思います。山陽は『日本外史』の完成後,晩年に『本政ほんせい』というもう1つの歴史書の編さんに取り組みました。この『日本政記』という歴史書は,神武天皇に始まり江戸時代初期の後陽成天皇に至る,歴代天皇を標目として記述した編年体の日本通史ですが,その巻九の「崇徳天皇」の条に次のような文章があります。


のぼる(襄は山陽の名です)曰く,士に貴ぶ所のものは,その時を知るを以てなり。時に勢有り,機有り。勢の推移する所,機の起伏する所は,必ずしも知り難きに非ざるなり。しかるにこれを知るきは,おおふ所有るのみ。


つまり,「時」すなわち歴史を展開させる要因には「勢」と「機」というものがあり,この2つの要因が相互に絡み合って歴史は推移するが,この2つの要因は覆い隠されていて歴史の表面には現れないものである。しかし,世を治めるという任務を負う武士にとって,歴史を展開させる要因である「勢」と「機」を深く洞察することは重要だと言っているのです。

山陽のいう歴史における「勢」と「機」という概念を,もう少し詳しく御説明したいと思います。山陽は『日本外史』の著述と並行して『つう』という書物を執筆していました。この『通議』という書物は,現実の幕府政治に対する批判的な視点から,どのような政策が採用されるべきかを提言した経世論けいせいろんとして書かれたもので,全部で18の論からなっていますが,その中に「論勢」(勢を論ず),「論機」(機を論ず)という論が含まれており,山陽が「勢」と「機」という歴史哲学上の概念をどう捉えていたかが明らかにされています。まず「論勢」において,「勢」というものを,山陽は次のように説明しています。


天下の分合ぶんごうらんあんする所以ゆえんの者は勢なり。勢なる者はぜんを以て変じ,漸を以て成る。人力の能く為す所に非ず。而るにそのまさに変ぜんとして未だ成らざるに及びて,因りてこれをせいするは,則ち人に在り。人は勢にたがふこと能はず。而して勢も亦た或いは人に由りて成る。いやしくゆだねて是れ勢なりと曰ひて,へてこれがはかりごとを為さざる,これがはかりごとを為してその勢に因らざるは,皆な勢を知らざる者なり。


「天下の分合ぶんごうらんあん」すなわち歴史の推移ということですが,その推移の原動力が「勢」であり,この「勢」は人間の力を越えたものとして存在していると山陽はまず言います。そして,「勢」が人知を越えたものであるならば,人間は歴史の推移に対して無力なのかというと,決してそうではなく,その「勢」を「制為」(コントロール)する役割を人間は担っており,何よりも歴史の「勢」というものは人間によってしか現実化されないものであるから,歴史に働きかけようとする人間は「勢」というものを知らなければならない,と述べているわけです。

こうした人知を超えた歴史の原動力である「勢」に対し,人間が歴史に関わり得るという根拠を示すために提示された概念が「機」という概念です。山陽は『通議』の中の「論機」において,「機」というものを次のように説明しています。


機に非ざるは無きなり。機の物に在る,その最も大なる者は天下り。天下は善く動くの物なり。おさふれば則ちたかまり,ぐれば則ちす。揺撼ようかん(揺れ動くこと)には易く,せい(コントロール)には難し。之を百世の久しきに維制し,而して揺撼無からしむるには,必ずその機有り。機の最大にして善く動く者も亦た之を制するに機を以てす。機なる者は一日に万変ばんぺんし,来去して窮まり無き者なり。


「機」というものはあらゆる局面に存在すると山陽は言います。例えば個人と個人との関係,あるいは小さな集団や組織の中などにもありますが,「機」の存在する最も大きな局面は「天下」であると述べています。しかも,その「機」というものは一瞬たりとも停止することなく,常に変化しているとも言っています。

そもそも「機」という漢字のもともとの意味は,中国の後漢の許慎きょしんという学者が著した『説文解せつもんかい』という書物に,「はつするをつかさどるこれを機とふ」と解説されていますように,古代中国のきゅうという大型のバネ仕掛けの弓の発射装置を意味していました。つまり,「機」とはさまざまな物事や局面において,その物事や局面に次の動きをもたらす装置(仕掛け)のようなものを意味していると捉えることができます。歴史の一瞬一瞬における力学的な構造,しかもそれは刻々のうちに変化している,それを山陽は「機」と呼んだわけです。

つまり,山陽は歴史を動かす原動力の時間的な変化の概念を「勢」と名付ける一方,歴史を動かす原動力の一瞬一瞬の空間的な力学構造を「機」と名付け,この2つの要因が相連動しながら歴史は展開すると説明したのです。「勢」によってもたらされる歴史上の治乱興亡すなわち政治権力の推移というものを,人間は大局的にはあるいは究極的には変更することはできないと山陽は言います。しかし,「勢」によってもたらされる歴史上の治乱興亡の具体的なあり方については,歴史における一瞬一瞬の局面の「機」を洞察し,それに働きかけて新たな「機」を作りだすことによって,人間がコントロールすることは可能であると山陽は考えました。つまり常に変化している歴史的な局面の「機」に働きかけることによって,人間は歴史のあり方に積極的に関与でき,歴史を具体化することができると山陽は捉えたわけです。こうした歴史における「勢」と「機」という概念設定と,両者の相関的な関係の認識にこそ,山陽の歴史哲学の特徴がありました。

山陽の父の頼春水は江戸時代後期を代表する朱子学者の1人でしたので,山陽もまた儒学の系統としては朱子学を学びました。したがって,儒教的な,とりわけ朱子学的な歴史観によって著述された中国宋の時代の司馬しばこうの『資治通しじつがん』やしゅの『資治通しじつ鑑綱目がんこうもく』に見られる勧善懲悪的な鑑戒かんかいかんや,時の政治権力が正しい名分めいぶんを有する正統であるのか,あるいは名分を乱すじゅんとうであるのかを明確にして歴史を批評する名分史観の影響下に山陽の『日本外史』があったことは否定できません。しかし,このような儒教的な名教主義的歴史観だけを遵守して書かれた歴史書というものは,結果的には後の時代の視点に立って歴史を裁断するという静止的スタティックなものにならざるをえません。もし山陽がこうした儒教的・朱子学的な歴史観だけによって『日本外史』を著述したとすれば,『日本外史』は多くの人々に読まれる躍動的ダイナミックで魅力的な歴史書にはならなかったでしょう。

山陽の「勢」と「機」の歴史哲学は,『日本外史』の20数年に及ぶ長い執筆期間中に,古代中国の兵法書『そん』や前漢の賈誼かぎの『新書しんじょ』などからの影響も受けつつ,歴史資料や文学作品から得た様々な個別具体的な歴史的事実を整理し関連づける作業を積み重ねる中で,ようやく到達することができたものでした。山陽は「勢」と「機」の歴史哲学に到達したことによって,『日本外史』に武家900年の治乱興亡のうねりと,その間の歴史の局面局面における人間の姿をダイナミックに描くことに成功しました。歴史に対し積極的に働きかけて,ある者は勝者となり,ある者は敗者となって歴史を展開させていった,そのような『日本外史』に描かれた人間たちの姿が,幕末・明治維新期という歴史の転換点に直面して歴史に働きかけようとした多くの人々を奮い立たせたのではなかったかと思います。


米中の新たな遭遇と日本
兵庫県立大学理事長
神戸大学名誉教授
五百籏頭 眞

はじめに

振り返れば,20世紀の日本は,両側の大国である中国と米国に対して戦争を開始し,1945年の亡国を招きました。

それ以後の日本にとっては「日米同盟プラス日中協商」が生存と安定のため不可欠な要件であることが明瞭です。

ただ,いかなる国も「ゆく河の流れ」のように激しく逆巻き流れ行きます。今,米中両国は地上の2大国として再び相まみえようとしています。両国はどう “engage”するのでしょうか。「エンゲージ・リング」は婚約指輪でありますが,もともと剣と剣の先が交わるのがengageです。対決と協力の双方の契機を含みつつ,米中は新たな遭遇の時を迎えています。その帰すうによっては,「日米同盟プラス日中協商」という日本外交の要件も消散するかもしれません。米中両大河の流れを,ここで振り返っておきたいと思います。

1 まず「米国という大河」の歴史を見ておきたいと思います。

(1)近年,オバマ,トランプと2人の大統領が,いずれも「米国はもはや世界の警察官ではない」と述べたように,撤収と孤立主義への動きが示されています。

これは20世紀の第2次大戦後の米国には新現象ですが,建国からの歴史を見れば驚くに値しません。

G・ワシントン初代大統領の離別演説は「孤立主義」のドクトリンを打ち出し,19世紀前半の,モンロー宣言は米欧の相互不介入を主張しました。

(2)19世紀後半の,米国経済の巨大化と,科学技術革命により,米国にとって世界的な経済的関与が不可避となりました。

20世紀になり,再度の欧州発の世界大戦に米国はためらいつつ参戦しましたが,戦乱に陥ってからの介入は,かえって高くつくので,孤立主義を卒業し,日頃から国際政治に関与した方がよいと考えるようになりました。

(3)第2次大戦中の米国は2つの大仕事,すなわち戦争遂行と戦後計画の双方に立ち向かい,主に2つの戦後秩序を築きました。2つとは,

   A.自由貿易体制(ブレトンウッズ)―GATT,IMF,世銀に代表される国際経済秩序です。

   B.国連体制―力による現状変更の禁止,「5人の警察官」すなわち拒否権を持つ5大国を中心とする国際秩序です。

   米国は大戦後の新秩序をつくり,運営する中軸となり,Pax Americanaの世紀をもたらしました。

(4)しかし秩序を担う大国は,偉大さをまといつつも,大きな負担に苦しみます。またベトナム,イラク戦争の失敗は米国にとり大きな挫折でした。

ついにオバマ,トランプ両大統領が,「米国はもはや世界の警察官ではない」と発言しました。秩序維持に疲れ,引きこもりの季節を迎えたかのようです。

しかし,本当に米国が引きこもるのであれば,後の世界は中国やロシアの欲するままに任せるということでしょうか。トランプ政権時のペンス副大統領が2018年10月に行った,中国を激しく糾弾する「ワシントン・コンセンサス」と称された演説は,米国が世界秩序の担い手を中国に譲る用意はなく,むしろ米国に対する危険な挑戦者を退ける意志を示したものと言えましょう。

思えば,1人引きこもる孤立主義も,全能の幻想にくるまれた一極支配も,ともに両極の単独行動主義という誤りではないでしょうか。双方を避け,他国とともに協力して世界をまわす本道に立ち帰るべきではないかと思います。その点,トランプ前大統領と異なり,国際協力を重視するバイデン新大統領の手腕が注目されます。


2 では次に「中国という大河」を振り返っておきましょう。

(1)中国にも歴史的な二極分解が認められます。

   A.漢の武帝以来2千年にわたり,王朝の盛期には唯一の宗主国,超法規的存在として他国を下に置く中華帝国でした。

   B.19世紀中葉のアヘン戦争以来,屈辱の100年,とりわけ対日敗戦に傷つきました。

   屈辱の100年を克服して,世界強国を志向するのが今日の中国と見られます。

(2)それを可能にしたのは,新中国の動乱を克服した鄧小平の「改革開放」であり,以後の中国は世界の市場経済に加わることによって大発展を続け,2010年に日本を抜き,世界第2の大国に躍進しました。

   A.経済力については,1980-2010年の30年にわたり10%の高度成長を持続しました。

   B.軍事力については,冷戦終結後の1990-2015年の間に国防費が約50倍になる大軍拡を続けました。

(3)強大化した中国は,大国主義的外交に転じています。

その背景として,北京オリンピック(2008)の成功とリーマン危機後の4兆元の財政出動により世界経済を支えたことがはずみを与え,鄧小平の遺訓「韜光養とうこうようかい」を卒業すべきとの主張が,2009年より中国国内で高まりました。

その後,2010年と2012年の尖閣事件に際して中国国内で反日暴動が巻き起こり,さらに2014年を中心に中国は南シナ海・南沙諸島での埋め立てと軍事化を強行しました。

(4)この中国の動きに対して厳しい国際的反発が生じました。

2015年11月より米国の軍艦が南シナ海で「航行の自由」作戦を遂行しました。

2016年,伊勢志摩G7サミットの共同声明や国際仲裁裁判所の判決が,南シナ海は国際公共財であり,一国支配は許されないとの立場を示しました。

米国は “engage” 論, “responsible stakeholder” 論から,反中論(ペンス演説)へと激しく振るに至りました。

(5)習近平の時代における大国としての中国像はどのようなものでしょうか。

   A.21世紀半ばに米国に負けない強大国となることを「中華民族の夢」としています。

   B.他方で自由貿易,地球環境の守り手を自認し,国際的理解を得つつ世界運営に加わり,「一帯一路」での開発を通じて影響力を高めようとしています。

   C.コロナを機に,香港,ウイグル,南シナ海,尖閣などへの支配拡大の試みが一層強化され,国際的な懸念が広がっています。


3 米中対決の行方

(1)3つのレベルの米中対決が注目されます。

   A.貿易・経済の対抗,とりわけ関税応酬がトランプ大統領期に激化しました。

   B.先端技術をめぐる争いは予断を許さず,この分野で優位を手にした側が,経済でも軍事でも上に立つことになりがちです。

   C.もう1つ,次に述べる大国の興亡,文明の衝突の問題があります。

(2)G・アリソンのDestined For War(2017)によりますと,この500年に15回の大国の興亡をめぐる対立がありましたが,そのうち11回が戦争に帰結したとしています。

逆に,4回のみが平和的決着を見ましたが,そのうち2回が重要と思われます。

   ① Pax BritanicaからPax Americanaへの平和的移行が,19世紀から20世紀にかけて展開されたケース。

   ② 米ソ冷戦の平和的な終結が実現した事例。それには,核時代の「相互確証破壊」状況から,戦争が困難であったことが作用したと思われます。

(3)今日の米中間でも,戦争不可能の核状況にある点,実は米ソ冷戦期と変わりません。

(4)では,今後の世界はどう展開するでしょうか。誰にも分かりませんが,私たちの世代の人々や各国の対応次第で,悲惨に陥ることも,立派な歴史を築くことも可能です。

米中両大国とも,一方で一国支配の夢を捨て,他方で引きこもり妄想も捨て,国際秩序を再編する共同作業に入ることができるかどうかが,今後の人類の運命を左右することになりましょう。

コロナウイルスは国家と人種を問わず全ての人の生存を脅かす,人間の安全保障,人類の安全保障の問題です。にも関わらず,トランプ時代にはコロナが米中国家対立の具とされました。その点,バイデン新政権が協調的な国際指導力を回復できるか否か,注目されます。日欧は米中両国に対して良識と責任感を呼びかけて,地球の将来を支えねばなりません。


おわりに

第2次大戦時も米ソ両大国だけでは戦後秩序はつくれませんでした。両大国の間に英国が介在することによって,先に述べた自由貿易体制や国連体制などの新しい仕組みが可能となりました。今後のルール・メーキングにあっては,日欧の役割が不可欠でしょう。バイデン時代には,米中に日欧が加わって新世界のあり方を再検討することが求められます。世界から信頼され,尊敬される大国中国の誕生が困難ながら重大な課題となるでしょう。米中の対立は,その部分緩和だけでは解決しません。米中両大国が協力部分を少しずつ広げ,さらに双方が必要とする国際システムを共同で創造することによって,人類に対する責任を果たさねばなりません。


細胞のリサイクルの仕組み
東京工業大学栄誉教授
日本学士院会員
大隅 良典

生命は,細胞という基本単位から成っています。最近の研究で,ヒトは約37兆個の細胞からできていることが報告されました。1665年にロバート・フックが当時の顕微鏡でコルクが小さな仕切り,小箱「細胞」から成ることを発見しました。これは死んだ植物の細胞壁の観察でしたが,その後動物も植物も細胞から成り立っていることが認められるようになりました。細胞は自己複製して分裂すること,細胞は細胞からのみ生まれるという細胞説が確立することになりました。地球上での最初の細胞の誕生を考えると,まず原始の海で細胞自身と外界とを隔てる境界が必須となります。地球上の生命は自己集合して閉じた空間を作る性質を持つ脂質の薄い膜を利用しています。実際の生体膜は脂質二重層にタンパク質が埋め込まれ,細胞と外界との物や情報のやりとりをしています。細胞は,内外を分ける細胞膜だけではなく,内部にも膜構造を発達させ,区画化されています。生体膜は自由に形を変え,分裂や融合することができるという優れた特性を持っています。

当初細胞の中,細胞質はタンパク質の均一な水溶液だと考えられていましたが,細胞の中に,核,ミトコンドリアなどが次々と発見され,膜で囲まれたオルガネラが存在し,そこにはそれぞれ特異的なタンパク質が存在していることが明らかになりました。それによって核が遺伝情報発現の制御,ミトコンドリアがエネルギーの通貨であるATPを合成するなど,それぞれの機能を発揮しています。近年,細胞質で合成されたタンパク質がそれぞれ細胞の特定の場所に運ばれる仕組みが,次第に明らかにされてきました。こうして徐々に現代の細胞像が確立していきます。

20世紀の後半に確立された分子生物学は,人も含めて全ての生命活動は,基本的にタンパク質という高分子によって担われていることを明らかにしました。私たちの遺伝情報はDNAとよばれる核酸が本体であり,DNA上のA,T,G,Cの四文字の配列情報は,どんなタンパク質をいつ,どれだけ作るかを書き記した暗号文であることが明らかになりました。この事実もまたタンパク質がいかに生命に重要であるかを示しています。タンパク質は,アミノ酸が数十から長いものでは数千個,直鎖状に繋がった高分子です。地球上の全ての生物は自然界にたくさんの種類があるアミノ酸の中から特定の20個のアミノ酸を用いてタンパク質を作っています。これは地球上の生命が共通の1つの細胞から始まったことを示していると考えられています。ヒトでは約数万種類のタンパク質,酵母では約6000種,細菌で約3000種のタンパク質を作ることができます。

あるタンパク質がいつ,どこで,どれだけ作られるかは,生物学の基本的な問題として,多くの研究者が解明を続けてきました。一方,タンパク質が壊される過程,すなわち分解はあまり積極的な意味が無いと考えられて,長らく中心的な課題とはなりませんでした。これは一般社会でも何かを作ること,建設と壊す過程に対する考えと似ています。

ここで私たちの体のタンパク質について考えてみます。私たちはタンパク質を毎日5,60グラムほど食べる必要があります。これらは,タンパク質として利用されるわけではなく,胃や腸でアミノ酸にまで分解されて初めて体の中に吸収されます。つまりタンパク質の原料のアミノ酸を得ていることになります。一方私たちの体では,毎日2,300グラムのタンパク質が作られていると計算されています。この2つの数字が示していることは,人が生きるために必要なタンパク質の合成の大半は,自身を構成しているタンパク質の分解で生じるアミノ酸によって担われているということです。つまり生命はタンパク質を合成しては,分解するという平衡状態として成り立っていて,私達の体を構成するタンパク質は数か月でほぼ完全に入れ替わっていることになります。生命は見事なリサイクルシステムだと言えます。

タンパク質にはそれぞれ決まった寿命があり,作られてある働きをすると数分の後には分解されるものから,何百日も安定で働き続けるものもあります。

では細胞は自分自身のタンパク質を,どのようにして分解しているのでしょうか。エネルギーを使って合成したタンパク質がむやみに分解されてしまうと無駄なことになるので,分解は細胞にとって危険な作業でもあります。1955年にクリスチャン・ド・デューブが細胞内の分解に関わる構造としてリソソームというオルガネラを発見しました。内部が酸性でその中に酸性で働く様々な分解に関わる酵素タンパク質を含んでいます。分解がリソソームの中で起これば,安全です。しかしどうすれば分解すべき細胞質にあるタンパク質をリソソームの中に運ぶことができるかが問題になります。ロックフェラー大学の電子顕微鏡学者が中心となって,細胞質のタンパク質やミトコンドリアなどのオルガネラの一部がリソソームへ運ばれる過程が観察されました。まず小さな膜の袋が現れ,伸び出して細胞質の一部を取り囲んでオートファゴソームという二重膜の構造が作られます。それにリソソームが膜融合して,オートファゴソームの中身が分解されて,分解産物が細胞質に戻されて再利用される過程が明らかになりました。1962年にその過程を自分(self)‐食べる(eating)という意味のギリシャ語の造語としてオートファジーが提唱されました。

しかしオートファジーの研究は電子顕微鏡を使う以外には検出手段が無かったり,生化学的な解析が難しかったために,それに関わる遺伝子や因子などは全く不明な時代が長らく続いていました。その後細胞が持つもう1つの分解系であるユビキチン/プロテアソームが発見され,重要な機能を果たしていることが分かってきました。

ここから私自身の話を致しますが,私はこの40数年,発酵や醸造など,人類が古代から利用してきた酵母,小さな単細胞生物を研究材料にしてまいりました。酵母は,私たちの体を構成する核を持った真核細胞のモデルとして生物学に大きな貢献をしている生物でもあります。私は酵母の液胞に興味を抱き,液胞の内部が酸性に保たれ,アミノ酸などの貯蔵庫として機能していることを明らかにしました。そして1988年に液胞がリソソームと同様な細胞内の分解に関わっていると考えて研究を開始しました。酵母は,アミノ酸の構成元素である窒素源が無い状態になると,増殖を停止し4つの胞子を作るという劇的な細胞の作り替えを起こします。この過程は外に栄養が無いので,自分自身のタンパク質を大量に分解することが必要に違いないと考えられます。そこで液胞内の分解酵素を欠損しているために分解が進行しない変異株を窒素飢餓にさらして,光学顕微鏡で観察をしました。1,2時間で液胞内に球形の構造がたくさん溜まっていくことを見いだしました。これが酵母のオートファジーの発見の瞬間でした。この過程を電子顕微鏡で解析したところ,球形の構造は細胞質の一部を取り囲んだ膜構造で,この一連の過程が動物細胞で知られていたオートファジーと同じ過程であることが分かりました。次いで私たちは酵母の遺伝学的な解析が可能な利点をいかして,オートファジーができない変異株を多数取ることに成功しました。こうして酵母ではオートファジーに18個のATGと名付けた遺伝子が必須であることが明らかになりました。これらは,オートファジーに特異な細胞の中に新規の膜構造を構築する過程に必要なタンパク質群をコードしていました。その後今日に至るまで多くの研究からこれらの遺伝子から作られるAtgタンパク質がオートファゴソームを作る巧妙な仕組みが次第に明らかになってきましたが,まだその全容は明らかにはなっていません。

これらの酵母の遺伝子はその大半が動物や植物にまで保存されていることも分かりました。このことはオートファジーが真核細胞の出現とともに獲得された機能であることを示しています。もちろん,動物にはさらに多くの遺伝子が関わっています。

ATG遺伝子が見いだされたことは,現在の生物学研究では大きな意味を持っています。それまで電子顕微鏡を用いた観察のみであったオートファジー研究は,大きな転換期を迎えました

Atgタンパク質を手掛かりにするとオートファジーが生体のどの細胞で,いつどれほど起こるかを蛍光顕微鏡で実時間観察をすることが可能になりました。遺伝子を操作することで,ある細胞,臓器,個体でオートファジーが起こらないと何が起こるかを調べることができます。こうしてオートファジーがまさに多様な生理的役割を担っていることが次々と明らかになってまいりました。

第1に栄養をめぐる生存の問題です。飢餓は地球上の生物の生存を脅かす最大の危機です。飢えをしのぐことは進化の上で重要なことであったと思われます。これは野生動物がいかに獲物を得ることに苦労しているかをみれば明らかですが,人類にとっても未だ深刻な問題です。生命は常に必要なタンパク質を作ることで維持されています。外界に栄養源が無くなった時にも,生きのびることが必要です。人は,山や海で遭難しても,水だけで10日ほどは生きることができます。この時タンパク質合成が起きない訳ではなくまさしく栄養源のリサイクル機構の賜物です。栄養が絶たれた時に起こる変化,例えば胞子形成,昆虫の変態,マウス胎児の出産時,哺乳類の受精後の胚発生などで,オートファジーが誘導されます。

様々な生物,マウスでもオートファジーができない個体は,寿命が短くなることが知られています。

第2に分解すること自身が重要なことがあります。生産工場では不良品ができることが避けられません。生命体も全く同様に,細胞内に不良品ができたり,老朽化して不用になったり,時には有害なものも生じます。細胞が正常な機能を営むためには,工場と同じように,品質管理が重要です。

オートファジーはこのように,過剰なもの,不用になったもの,危険なものを取り除く働きを持っています。神経細胞は,分裂によって増えることがありませんので,とりわけ品質管理が必要になります。実際オートファジーができないマウスは,神経細胞にタンパク質の異常な凝集体が貯まって異常をきたし,細胞死が起こり,いわゆる神経変性疾患と同様な病態を示します。高齢化社会の大きな課題であるアルツハイマーやパーキンソン病などの加齢性の神経変性疾患を,オートファジーを亢進することで,発症を遅らせることが期待されています。一方でガンとの関係も大きな課題です。癌細胞は旺盛な増殖能を持っていますが,そのためにはオートファジー活性が必要とされます。したがって癌細胞特異的にオートファジーを抑えることで癌治療に繋がると考えられています。オートファジーは,細菌やウィルスなどの感染防御にも関わっています。ある種の細菌が細胞質中に現れるとそれをオートファジーでリソソームに送って分解するからです。オートファジーの解明は現代人が抱えている生活習慣病の解明や,健康な生活を維持するための基盤になる情報を与えることが期待されています。

現在この様にオートファジーをめぐって,その応用面,医療との関係が大変大きな関心を呼んでいます。オートファジーはほぼ全ての体の細胞が備えている基本的な機能なので,今後もますます様々な生理作用に関わっていることが明らかにされてゆくと思われます。

私は純粋に細胞のタンパク質の分解機構を知りたいと思って始めた研究がこの様な広がりを持ったことをありがたく思っています。基礎研究により機構が解明され,応用研究が展開されるまでに,オートファジー研究でも既に30年という時間を要しています。大きな流れができるには上流の小さな基礎的な研究が出発点になります。この領域は日本の研究者が世界を牽引してきた点でも際立っています。今後もさらなる発展を期待するとともに,科学において,基礎研究が大切にされることを切に願っております。

オートファジーが真に医療や,健康の増進に寄与するためには,さらなる地道な研究が必要であると思います。