講書始の儀におけるご進講の内容(平成23年1月12日)


海洋アジア文明交流圏
大学共同利用機関法人人間文化研究機構総合地球環境学研究所長
京都大学名誉教授
立本 成文

海の道と陸の道

文明の交流通路として「陸の道」と「海の道」とがあります。それぞれの道の交流の特色はすでに十分研究されている様に見えますが,海には人が住めないということ,そこには交流の痕跡が残りにくいということもあり,「海の道」は重要なのに忘れられがちであります。従って,文明は陸域中心に語られますが,むしろ,海洋に焦点を合わせることにより地域の構造がより明らかになります。海洋国といわれる日本の位置づけを海洋文明交流の観点から広くユーラシア大陸を視野に置いて見てみたいと思います。

例えば,東と西の海上交通の結節点でもあるマラカ(マラッカ)海峡を取り上げてみましょう。ミャンマーから,タイ,マレーシア,シンガポルと続くマレー半島とインドネシアのスマトラ島の間にあって,船がインド洋から入り島々を縫うように南シナ海へ通り抜けていくマラカ海峡は,古代から東西交通路として重要な位置を占めてきています。輸送手段としての船舶の重要性が減少した現代においても,石油タンカーの通路として,現代の日本にとって重要な戦略的位置を占めています。ごく直截的な数字を挙げれば,日本が輸入する8割の石油が通過しているという数字からもそれが伺われます。海賊が横行するというニュースがありますが,海賊が跋扈するほど交通路としての機能を果たしているといえます。

海峡名に付けられたマラカという地名は新しく,15世紀はじめスマトラから移住したマレー人の王が川の流域に王朝を建国し,その地を,マラカと呼んだのに始まります。マラカというのは木の名前でもあります。マラカの都は1511年にポルトガルに占領され,以後西洋勢力の植民地都市となりますが,西洋人がマラカを知ったときには「東洋のベニス」といわせたほど,各国の人々が寄り集まるコスモポリタンな港市国家でありました。交易のハブである港が行政の中心となり,国家といわれるようになったのが港市国家であります。

さらに東西交通の証拠は紀元前後まで遡れます。たとえば,メコン川下流域の,1世紀から7世紀までの遺跡が出てくるオケオでは,ヒンドゥ教神像,サンスクリト語銘入りの護符などのインド系の出土品のほかに,ローマ皇帝の銘が入ったコイン,そして中国の想像上の動物を描いたき鳳鏡,東西南北の四方神を刻んだ方格規矩四神鏡などが発見されており,ローマ・インドと中国を結ぶ海上交易のルートであったことが分かります。ちなみにコインに銘のあるアントニヌス・ピウス帝,マルクス・アウレリウス帝はいずれも2世紀半ばごろ在位したローマ皇帝です。紀元後は,とくに季節風であるモンスーンを定期的に航海に利用するようになって,マラカ海峡の長距離海路としての重要性は増しています。


東南アジアと海洋アジア

さて,東西文明交流の中にある東南アジアにおける国家を見てみますと,実際に勢力を及ぼす国の領域は比較的規模が小さく,帝国といえるほどの巨大国家はできませんでした。マレー半島を中心とするマラカ王国,スマトラ・ジャワ島におけるシャイレーンドラ王家,シュリーヴィジャヤ国,マタラム国のように比較的勢力範囲が大きい場合でも,実態はむしろ小国の連合体ないしは属国を従える強大勢力圏といった方がよい場合もあります。

これに比べまして,ユーラシア大陸では巨大国家,帝国ができます。まず,その周辺部でまず大河流域の古代文明が形成され,次に秦や漢の中国,中世ではありますがムガール帝国のインド,アケメネス王朝などのペルシャ,ヨーロッパのローマ帝国のように,いわゆる帝国といわれる大文明圏が成立しております。

一方,ユーラシアの中心部は草原・ステップ・砂漠が主であります。時には,元のような大帝国ができてモンゴル時代を実現させたり,イスラーム王朝が興隆したりしています。しかし基本的には,シルクロードで代表されるように,古くから人類の移動の道,交易の道であります。いわゆる海のシルクロードに位置する東南アジアはネットワークの社会といわれますが,ユーラシア中心部も基本的にはネットワークが社会の基本となっています。対比的に単純化していえば,それぞれ,砂漠と海とが人の住まない通路にあたり,オアシスと島ないしは港市が交通の足がかり,拠点,居住空間となっているということです。それら陸と海のネットワーク社会の間に帝国を作った大文明圏があるわけです。

このように俯瞰すれば,ユーラシア大陸の地勢的な構造は,核心的な深奥部をめぐって二重の周縁帯をなしているといえます。
(1)まず深奥部の中央ユーラシアが核としてあります。乾燥地帯が多く砂漠,草原です。中近東,北アフリカまで延長できるイエローベルト文明圏の一部ともいえます。
(2)その周辺に中国・インドのように大文明圏が成立した陸域巨大周帯があります。北方のほうには遅れてスラブ圏ができていますが,古代文明は成立しなかったようです。
(3)更にその陸域を取り囲む沿岸周縁帯(アジア・グリーンベルト),それを支える海域周帯(ブルーベルト)があります。海域は,北海,地中海,アラブ海,インド洋,南シナ海,黄海,日本海,オホーツク海,さらにその東と西とに太平洋・大西洋が連なります。沿岸周帯と海域周帯は一緒になって沿岸部プラス島々のセットとしてそれぞれの海域で海洋文明圏を形成してきています。すなわち海洋文明圏は,陸域の文明圏とは違い,港市を含む沿岸部と海域とがセットになって交流圏を作っている,言い換えれば海域世界として捉えられます。東南アジアはそのような海域世界の一つの典型であります。

古来東西交通の要衝であったマラカ海峡から,すべての文明交流圏に通じるように,東南アジア文明交流圏(海域世界)はインド洋交流圏,シナ海交流圏と連なって,上位概念である海洋アジアを構成しています。もちろん,海洋アジアも,地球世界に通じるユーラシア海域周帯交流圏の一つであることは論を待ちません。

太平洋と大西洋との間にある新大陸では,その北西,東北,あるいは中部のカリブ海など,島嶼環境としてはユーラシア周辺と似たところも散見されますが,ユーラシアのように歴史を通じた文明交流圏を形成するには至らなかったといえます。アフリカ大陸の中南部も島嶼が少ないせいか文明交流圏にはならなかったと考えます。太平洋諸島もモンゴル系人類の移動はありましたが,離島的環境のために何らかの交流圏を形成しているとは言い難いようであります。

このように,ユーラシア海域,とくに海洋アジア文明交流圏は世界史の中でユニークかつ重要な位置を占めています。東南アジアは東と西とのつなぎの位置を占め,その終点の一つに日本が位置していたわけであります。


東アジア共同体

海洋アジア文明交流圏の観点からみれば,インドは「アラブ海・インド洋・ベンガル湾を囲む海洋インド」,中国は「黄海・南シナ海を中心とする海洋中国」の視点が歴史的にも現代の海洋資源開発の上でも必要なことが認められます。しかし,巨大文明圏の延長上にある「海洋中国」,「海洋インド」とは違い,陸域とは比較的無関係に,交流圏の連鎖の中で成立したのが「東南アジア文明交流圏」であり,その点ユニークな文明であるといえます。

東南アジアという名称は戦後普及することになりますが,その存在感はここに生まれたASEAN(東南アジア諸国連合)によるところが大であるといえます。ASEANは元来,冷戦構造の中で政治的に形成されたもので,その結成は1967年にさかのぼります。当初はインドネシア,マレーシア,フィリピン,シンガポル,タイの5カ国だけで,その他のインドシナ半島諸国と対立するような関係でしたが,現在では域内すべての諸国を含み,名実ともに連合体になってきています。参加国の全会一致による決議,お互いの内政不干渉を原則とする,いわば会議によって運営する連合体ですが,逆にこのようなゆるい結びつきが結束を強め,その存在感を強くアピールするようになってきています。

20世紀の終わりごろから,東アジア共同体ないしは類似の地域共同体の考えが出されています。これは国を単位としながら,その境界・バリアーを低くしようという試みで,経済的・政治的意図がありましょうが,海洋アジアの視点から捉えなすこともできます。ヨーロッパのEU(欧州連合)がモデルとしてあることは否めませんが,東南アジア文明交流圏の歴史的蓄積が現実態となったASEANに刺激されていわゆる「東アジア共同体」が構想されているといってもよいかと思います。

しかしながら,東アジアの範囲は定かでありません。漢字文明圏,儒教文明圏として共通の文化的背景を持つ中国,朝鮮半島,日本を東アジア,あるいは東洋とする見方は古くからあります。一方,1990年代終わりから議論されています東アジアの協力関係の範囲は,ASEANに日本・韓国・中国を加えた範囲でした。例えば,世界銀行など経済学の分野で東アジアといえば,東南アジアを含む領域を東アジアとして議論しています。さらにはそれにオーストラリア,ニュージランドなどオセアニア,あるいはかなり離れたインド,アメリカなどを加えた広域地域協力も議論されています。

観点を変えて,この東アジア共同体を生態学的に見てみましょう。東部ユーラシアはカムチャッカからオーストラリアまでつながるアジア・グリーンベルトと呼ばれる森林の連続が見られます。そしてその周辺には列島孤が連なり,火山帯とも重なり,西太平洋の表面水温27度といわれる熱い海のブルーベルトがあります。このような自然条件がこの海域世界の生態資源を豊かにしているのです。さらには,ヒマラヤ山脈とモンスーンが気候に大きな影響を与えています。この構図では,狭義の東アジア,東南アジア,南アジアがくくられることになります。東アジア共同体にインドを加えるということは,このように国家を超えた海洋アジア文明交流圏ということを考慮に入れれば理解しやすいといえます。


おわりに

海洋アジア文明交流圏と地域を限って名付けても,実際には,西アジアのアラブ海,紅海,そして陸を超えて地中海へとつながることはもちろんです。海は世界をつなげているのですから,それは当然でありましょう。それを区分するのは政治的経済的な都合ですが,生態,風土,文化,文明から区分したものが「圏」「文明交流圏」という概念であります。この後者の観点から海洋アジア文明交流圏を日本としてはもっと重視すべきでありましょう。経済や政治のむすびつきだけでなく,文化交流,環境問題を考える上で海洋アジア文明交流圏という概念は,21世紀における日本にとって,今後ますます重要性を増していくに違いないと考える次第であります。


政治の精神
学習院大学教授
東京大学名誉教授
佐々木 毅

政治という活動は権力の獲得や行使をめぐって展開されるが,併せて,政治参加の主体の複数性とも深く結びついている。政治の歴史は概括的には権力の獲得や行使,及び政治参加の制度化の進展として理解することが可能であり,現在の民主政治に至るまで長い歴史を持っている。この制度化は政治における暴力的契機の抑制の歴史であると共に,言論の比重の増加の歴史とみることができる。こうした制度化の進展にもかかわらず,政治には当該の人間集団の直面する諸課題についてその都度方策を講じ,それを実行に移すという自由と責任,権力行使が必ず伴っている。こうした政治的統合はいかなる政治体制においても不可欠である。歴史において問われるのは,集団の自由な選択を意味する,この統合の内容である。政治の精神はこの選択に関与する諸主体によって担われる。

政治の精神を左右するのは,専門的・職業的に政治に携わる人々,いわゆる政治家である。彼らは先に述べた諸課題と,それについて方策を提示し,「世のため,他人のため」の活動を旗印に掲げている。同時に,その実現に欠かせない影響力を獲得すべく,日夜激しい競争を繰り広げている。どのような政策も権力なしには実現しない,これが政治家の基本的な行動準則である。こうした影響力は基本的に他者との比較で測定され,常に変動を免れないのみならず,あらゆる要素(面立ちからカネに至るまで)が影響力の消長を左右する資源であり得る。その結果,政治家は四六時中多大なエネルギーをこの影響力獲得競争のために使わざるを得ない。政党政治は多くの政治家の集団的協力によって個々の政治家のこうした負担を軽減する仕組みとも考えることができる。

政治家をめぐる一つのパラドックスは,影響力や権力を政策実現のための手段とみなしつつも,容易に手段が目的に転化する可能性があることである。政治家に限らず,あらゆる組織においても,程度の差こそあれ,自ら影響力を行使すること自身に快感を覚える人間は少なくないが,政治家はこうした誘惑に日常的に直面している(権力感情の問題)。目的である政策と手段である影響力とはさながら渾然一体の感があることは当然として,そこでは手段の目的化が容易に進行する可能性は否定できない。権力のある地位や役職に就いていることが自己目的化し,政策や目標がはっきりしなくなり,最悪の場合,自らの権力を誇示するために権力を使うこともないわけではない。権力の自己目的化というべきこうした現象は政治家の「腐敗」の典型と考えられる。古来,政治家の自己修養論が絶えないのはそのためである。

大政治の扱う権力の影響は極めて大きい。政治権力は諸々の制度に依拠し,それによって制限されているが,他方で政治権力は制度を変えることができる。この自由度の幅の大きさは実現されるべき目的をめぐる数多くの主体の参加と数多くの議論を生み出すことになる。これまでの政策を一変させるような大変革から現状維持に至るまで,いずれにせよ,政治家はその立つ位置を定めなければならない。しかしこの目標の選択は究極的な決め手のない領域である。実現可能性がゼロと100パーセントのものしかなければ決定は容易であるが,現実認識に願望や期待感が混入するのは避けられず,「グレーゾーン」での決定は避けられない。また,迫られている選択にしても,「悪さ加減の選択」でしかないこともしばしばである。また,何をどこまで考慮に入れなければならないかについて明確なルールがあるわけではない。しかし最終的には,あらゆる要素を考慮に入れた実現可能性についての目測能力が試される点で,重い責任を負う政治家は極めて過酷な精神的環境に置かれている。そのため秘かに衆知を集め,入念な比較考量を繰り返す必要も出てくる。政治が「頭脳で行なわれるもの」といわれるのはそのためであり,彼らがどのような精神生活を送っているかは重大な意味を持つ。更に,そこで一旦行なわれた決断は不可逆的であり,必ずや将来や後世に一定の影響を残すことになる。その結果,当初予想もしていなかった責任を後に問われることも覚悟しなければならない。

かくして責任ある地位にある(あろうとする)政治家は困難な精神的負担と権力の誘惑とのバランスを辛うじてとりながら進んでいく。当然,こうした期待に応え得るような政治的人格が容易に発見できるという楽観主義には余り根拠がない。それなりの素質と教育が不可欠だというプラトンの古典的な指摘は,依然として一定の妥当性を持っている。そのことに配慮するのは基本的に政治家集団であり,その準備なしに有権者に全ての判断を委ねるのは無責任の誹りを免れない。

政治家のあり方と並んで,時折政治に関与する多くの人々も政治の精神の担い手である。政治家やその集団(政党)は「どう競争するか」について専ら意を用いているが,「どう競争させるか」について鍵を握っているのはこれらの多くの人々である。彼らの判断の適切性が政治家の判断の動向に影響し,一方が他方と相互に依存し合うのは程度の差こそあれ避けられない。仮に自己利益を基盤にして政治に関与するにしても,その自己利益がどれだけ時間的・空間的に広い視座で捉えられているかによって,政治の精神は大きく左右される。単なる自己利益ではなく「開明された自己利益」が問われ,「利を争うは即ち理を争うことなり」(福沢諭吉)といわれるのはそのためである。

政治において過去は重い意味を持ち,その責任が問われるのは避けられない。しかし,政治が専らこの責任を問い続けることに終始すれば,それはこの過去に囚われ続けることに等しい。これは最悪の場合,過去に束縛されたままの政治であり続けること,終ることのない「復讐」の悪循環に巻き込まれることでもある。政治を集団の自由な選択的活動と位置づけるためには,過去を罰することによって許し,未来に向けた新たな選択の空間を切り開いて行く姿勢が広範に共有される必要がある。そうした精神的基盤の広範な共有によって政治は再出発することができ,新たな競争のメカニズムを作動させることができる。政治家以外の人々のこうした歴史的・政治的センスは,政治の精神を方向づける点で極めて大きな意味を持っている。

政治家と政治に時折関与する人々によって形成される政治の精神の基盤となるのは,何よりも集団の未来を自由に切り開いていくという精神的な態度・エネルギーである。政治の精神のあり方はここに究極の基盤を置いている。人間にとって自由は未来の選択と未来へのこだわりと不可分である。若し,絶望が社会を覆うならば自由は輝きを失い,政治もまた出口のない世界に退行していくことになる。残念ながら,歴史はそうした例が皆無でないことを示している。


動物組織の構築
理化学研究所発生・再生科学総合研究センター長
京都大学名誉教授
日本学士院会員
竹市 雅俊

動物の体は,一個の受精卵が分裂し多数の細胞を生みだすことによって形成される。生まれた細胞は「分化」という過程を経て多様化し,様々な種類の細胞に変化する。内臓の細胞,神経細胞,筋肉細胞,骨の細胞などである。それぞれの細胞は器官(たとえば,胃,脳,心臓,骨格など)を作るが,一つの器官といえども多種類の細胞から構成されており,これらが機能に応じて適切に配置されて精巧な組織構造が作り出される。たとえば,胃を例に挙げると,表面を覆い胃液等を分泌する胃粘膜,胃を収縮させる平滑筋,その収縮を制御する末梢神経などから成り,多様な細胞がうまく協調して働けるよう各細胞群が適切に配置,区分けされている。もっとも複雑な構造をもった器官は脳で,莫大な数の神経細胞が秩序正しく配線されることにより,私たちの活動を可能にしている。それでは,細胞は,どのようにして精巧な組織を作るのだろうか。

その謎を解く鍵が古典的実験によって観察されている。動物組織を,カルシウムイオンを含まない生理的塩類溶液に浸したり,タンパク質分解酵素に晒したりすると,細胞が生きたままばらばらになる。これらの細胞を,ガラスやプラスチック製の容器の中で培養すると,分裂したり動き回ったり,あたかも独立した生命体のごとく行動する。しかし,このような細胞を三次元環境におくと,細胞は再び集まり,それどころか,由来する組織に似た構造を作ってしまう。このような観察から,動物の細胞には, 自由に増殖したり動いたりできる潜在能力がありながら,本来の環境下では,秩序ある組織体を作り維持しようとする社会的性質が優先して働くと考えることができる。これを細胞による「自己組織化」という。

では,いったんばらばらにされた細胞はどのようにして組織を再構築するのだろうか。そのために細胞は複数の作業をこなす必要がある。まず,互いに接着すること。その時,正しい接着の相手を識別しなければならない。そして,接着すべき相手に出会ったとき,自身の動きをとめて安定な細胞集団を形成すること。さらに,この集団に正しい構造を与えること(たとえば,上皮組織の場合には閉じた平面空間,神経組織は適切な配線),などである。自然の状況で組織の細胞がばらばらになることはないが,細胞にこのような秘められた性質があるからこそ,間違いなく正しい組織が維持されるものと考えられる。

生物学では,細胞による自己組織化の仕組みを解き明かす努力がなされ,まずは,細胞が接着する機構が明らかになってきた。細胞の接着は二つの様式に分類される。その一つは細胞が細胞間マットリックスと呼ばれる物質(たとえばコラーゲン)に対して接着する様式である。細胞が運動したり分裂したりするためには何らかの足場が必要で,そのためにコラーゲン等が足場の役割を果たす。細胞を人工的な材料で作った容器で培養するとき,その表面に付着して増殖するが,これも同様な現象である。これらの接着のためにはインテグリンという細胞表面膜に存在するタンパク質が使われる。インテグリンが適切に働かないと,材料に対する細胞の伸展に支障をきたすので,細胞培養装置や人工臓器のデザインにおいては,細胞が接する材質とインテグリンとの間の親和性を最適に調製することが,優れた装置を作る上で大切である。

もう一つの接着様式は細胞どうしの接着で,これが,細胞が集まって組織を作るためになくてはならない過程である。組織を電子顕微鏡で観察すると,細胞と細胞の間には,それらを繋ぎ止める複雑な構造が入り組んでいる。その一つは「密着結合」と呼ばれ,接し合う細胞の表面の一部を隙間なく密着させ,細胞と細胞の間を物質が自由に行き来するのを妨げている。動物にとって,密着結合がないと,体の内と外との境界がない状態となり,正常に生きられない。密着結合を司るタンパク質は,故月田承一郎京都大学教授のグループによって発見され,クローディンと名付けられている。

細胞どうしの物理的な接着を実質的に担う構造は「接着結合」と呼ばれ,その主成分はカドヘリンというタンパク質である。カドヘリンは細胞の表面膜に埋め込まれており,細胞が出会ったとき,細胞表面から外に突き出た部分で,向かい合った細胞どうしをジッパーのようにつなぎ止める。カドヘリンを失った細胞は安定に接着することができず,細胞集団を形成・維持することができない。よってカドヘリンは,組織構築のために必須の成分で,この分子を失った器官は,内部構造が崩壊してしまう。

カドヘリンの働きは様々な方式により制御されている。まず,細胞の周りにカルシウムイオンが存在することが必要である。体液等の細胞環境からカルシウムイオンが失われると,カドヘリンが不活性化し,正常な細胞の接着も失われる。また,カドヘリンは細胞の内側で,細胞運動に関与するアクチン繊維と結びつき,これにより,細胞の接着と運動という二つの行動の調節を可能にしている。たとえば,細胞が接着したときに運動を止めるというような行動は,このような仕組みのおかげである可能性が高い。すなわち,細胞は,接着と運動という別々のシステムを一体化することにより,自身の行動を精妙に制御し,組織を作り上げると考えられる。

人体でカドヘリンに異常がおきれば,当然,様々な問題を引き起こす。実際,深刻な異常がしばしば癌細胞で起きることが知られている。良性腫瘍では,通常,カドヘリンも正常で,腫瘍とはいえ,元の組織構造を維持していることが多い。ところが,悪性腫瘍では,カドヘリンの機能が種々の原因により異常となっており,結果として,細胞どうしの接着を不安定なものにする。この異常は,組織構造を破壊するのみならず, 細胞が潜在的にもつ運動能力を高め,癌細胞の浸潤や転移を促進するものと考えられ,癌を克服する上で,カドヘリンの異常を引き起こす原因の究明と,それに対処する方法の開発が急務である。また,カドヘリンは,神経細胞どうしを構造的,機能的に連結させるシナプスの形成・維持のためにも働いており,これに関連して,自閉症のような脳の疾患においてカドヘリン異常が関与することが疑われている。この場合,カドヘリンの機能不全がシナプス活動を弱め,結果として脳疾患を引き起こす可能性が想定され,この分野の研究の発展も望まれる。