講書始の儀におけるご進講の内容(平成29年1月11日)


人は今を生きることができるか―パスカルの時間論
東京大学名誉教授
日本学士院会員
塩川 徹也

「人は今を生きることができるか」という問いは,人間にとって永遠の謎です。われわれは今をおいて生きることはできません。しかし過去も未来も忘れて,真に充実した現在を生きているという実感をもつことは,幼い子供ならともかく,物心がついた大人にとっては至難の業です。じっさい古今の思想家や宗教家はこの問題に強い関心を寄せ,さまざまな答えを理論と実践の両面にわたって模索してきました。

「人間は考える葦である」の名句で知られるフランスの思想家パスカルもその一人です。パスカルは,ガリレオやニュートンと並んで17世紀ヨーロッパに輩出した天才科学者の一人ですが,同時に深く純粋なキリスト教信仰を生きた宗教家であり,また繊細な心理分析を通じて人間の実相を探究するモラリストでもありました。パスカルは『パンセ』と呼ばれる遺稿集を残しましたが,それは世界の古典の一冊に数えられ,広く愛読されてきました。その中に次のような文章があります。


われわれは決して現在の時にとどまっていない。われわれは未来を,やってくるのが遅すぎるかのように,その歩みを急かすかのように,先回りして待ちもうける。あるいは過去を,あまりにも早く過ぎ去るかのように,押しとどめるために呼び戻す。無分別にも,われわれは,自分のものではない時の中をさまよい,唯一自分のものである時に思いを向けない。〔…〕

各々,自らの思いを吟味してみるがよい。それがすべて過去か未来に占められているのに気づくだろう。われわれはほとんど現在のことを考えない。考えるとすれば,未来を思い通りにするための光明を現在から引き出すためだ。現在は決してわれわれの目標ではない。過去と現在はわれわれの手段である。ただ未来だけが目標なのだ。こうしてわれわれは決して生きていない。生きようと願っているだけだ。そしていつでも幸福になる準備ばかりしているものだから,いつになっても幸福になれるわけがない。(『パンセ』断章47。岩波文庫『パンセ(上)』〔2015年〕所収の拙訳による。以下,『パンセ』の断章は拙訳の番号で指示する。)


時間意識に対する鋭い洞察と悲観的な見方が結びついた,不思議な雰囲気を漂わせる文章ですが,18世紀の啓蒙思想家ヴォルテールはこれを槍玉にあげ,批判を加えます。ヴォルテールに言わせれば,われわれのまなざしが絶えず未来に向けられていることを嘆くのは間違っている。それは反対に,造物主によって「人間に与えられたもっとも貴重な宝」,「希望」という名の宝である。第一,もしもわれわれがひたすら現在にかまけていたら,「われわれは種もまかず,家も建てず,苗も植えず,要するに一切の慮りを捨てて」,ついには悲惨のうちに滅び去るほかないだろう,というのです。(『哲学書簡』第25信「パスカル氏の『パンセ』について」)

今日の文明社会に生きるわれわれにとってヴォルテールの批判はもっともです。よりよい未来のために目前にあるものの享受を先送りにし,さらにはある目標のためにそれを犠牲にすること,あるいは担保に入れること,それは調理や農耕に始まり,利潤獲得を目指して財貨を現時点で消費する代わりに蓄積し投資する資本主義に至るまで,あらゆる形態の文化活動に内在する態度です。先見の明と将来への慮りなしに,人間が社会を形成し文化的な生活を営むことはできません。

このような観点からすれば,パスカルの主張は,一時の享楽を探求する刹那主義であり,理不尽なないものねだりとしか思われません。しかしパスカルは,ここで読者に,過去と未来には目もくれず,唯一の実在である現在の時にとどまるべきだ,という教訓を垂れているのでしょうか。「〔われわれは〕いつでも幸福になる準備ばかりしているものだから,いつになっても幸福になれるわけがない」という,皮肉でしかも哀愁を帯びた結びの文句は,これがむしろ人間のあり方についての事実確認的な主張であることを予感させます。

パスカルは生前,キリスト教を批判する自由思想家や無神論者を相手取ってキリスト教を擁護し,読者を信仰に誘う書物を構想していたのですが,未完に終わります。『パンセ』の中核をなすのはこの未完の書物の準備ノートであり,引用した断章もその一部です。ところで現世にどっぷり浸って生きている読者の目を宗教に向けさせるためには,あらかじめ現世の生が人間を十分に満足させられないことを実感してもらわなければなりません。人間は上辺は立派でも,中身はからっぽの空虚であり,あくまでむなしい存在だから宗教が必要だというのです。旧約聖書の『伝道の書』(現在では,『コヘレトの言葉』と呼ばれます)には,「空の空なるかな,すべて空なり」という有名な言葉がありますが,パスカルはそれを踏まえて,読者にその自覚を促すべく,あらゆる領域の人間活動―政治,学問,芸術,恋愛,社交儀礼等―のうちにむなしさの印象的な実例を積み重ねます。その中で,すでにない過去にとらわれ,いまだない未来を目標として目指すばかりで,現在は取り逃がしてしまう時間意識が,むなしさの格好の例として取り上げられているのです。

実のところ,このような時間意識は,パスカルの信仰からすれば,「神なき人間」の根源的なあり方です。人類の始祖アダムは妻のエバとともに,エデンの園で永遠の現在を生きていました。しかし二人は神の意に反して禁断の木の実を食べて楽園から追放され,「土を耕す」ことによって露命をつなぐように定められます。生命を維持するための労働,すなわち未来に設定された目標との関連で実践される活動が,楽園における現在の享受に取ってかわったのです。この意味で文化は原罪の産物です。言いかえれば,楽園喪失以来のすべての人間,つまりこの世にあるすべての人間にとって,時間意識と文化は不可分です。過去も未来も思わずひたすら現在にとどまれという教えは,ヴォルテールばかりでなく,パスカルにとっても,少なくとも現世においては,ないものねだりの暴論なのです。

しかしそれなら未来に置かれた目標を達成するために過去と現在を手段として用いながら活動することで,人間は充実した人生を送ることはできないのでしょうか。パスカルは,人間のあらゆる不幸は,「一つの部屋に落ち着いてじっとしていられないこと」,つまり現在に安住していられないことに由来すると述べて,それをにべもなく否定します(断章136)。パスカルに言わせれば,「か弱く死すべき境涯」に定められた人間は,人生の実相を凝視することに堪えられません。だからこそ人間は今の自分から目をそむけて,未来に投影されたあらまほしき自分を実現するために,あくせく働くのです。パスカルはこのような活動を,それが政治や戦争や学問のような真剣な仕事であれ,狩りやスポーツや賭けごとのような娯楽であれ,一括して「気晴らし」と名づけます。まじめな仕事まで気晴らし呼ばわりするのは穏当ではありませんが,それは仕事の目指す目標が,それ自体としては実質的な価値をもっておらず,人間に十全の満足と幸福をもたらしてくれないからです。もし,もたらしてくれるのなら,われわれはそこにとどまり,幸せな自分を見つめて,末長く安息を享受することができるはずです。しかしいったん達成された目標は必ずや魅力を失います。そこで新たな目標を立てて,その実現に奔走しなければなりません。パスカルに言わせれば,人間の一生はこのことの繰り返しであり,「人々はいくつかの障害に打ち勝つことをつうじて休息を求める。ところがそれを克服すると,休息は堪えがたいものとなる。休息〔は〕倦怠を生み出す」のです(断章136)。

それにもかかわらず,休息あるいは安息は万人が目指す最終目的です。その証拠に,誰しも目前に抱えている仕事を首尾よく片づけたら安んじて休息し,今は欠けている満足を味わおうと思い込んでいます。しかしそのような休息は近づくにつれて,まるで蜃気楼のように消え去ってしまいます。そしてたまたま何もすることがないと,それに満足するどころか,無聊や不安つまり「倦怠」に苦しめられます。休息という窮極の目的は,現世においては,幻影でなければ倦怠なのです。

以上の考察はモラリスト的な人間観察に立脚していますが,実はその背後には宗教者としてのパスカルが控えています。その信仰に即していえば,謎の鍵は,人間の二重性,つまり人間のうちに潜む二つの対立する本能の結合のうちにあります。その一つは,「絶え間ない不幸の感覚」であり,もう一つは,「かつての偉大な本性」の記憶,すなわち楽園で最初の人間が味わった幸福のおぼろげな記憶です。前者は,「外部に気晴らしと活動を求め」させ,後者は,「本当の幸福は喧騒のうちではなく,休息のうちにしかないことを悟らせ」ます(断章136)。しかしここでパスカルの言う休息,つまり倦怠ではなく,真の幸福を生み出すという休息とは,一体いかなる休息なのでしょうか。

ここでいやおうなしに思い起こされるのは,古代キリスト教の代表的神学者アウグスティヌスが『告白』の冒頭に記した神への呼びかけの言葉です。パスカルが愛読したフランス語訳に基づいて引用します。「あなたはわれわれを,ご自身のためにお造りになりました。ですからわれわれの心は,あなたのうちに休息を見出すまで,つねに混乱と不安に揺すぶられるのです。」パスカルが念頭においていたのは,この神のうちなる「休息」だったのではないでしょうか。彼自身,このような休息を体験する特別の機会に恵まれたことがあります。西暦1654年11月のある夜更け,パスカルは「アブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神」が自らに現れたという確信に捉えられます。その神は,かつて燃える柴の中からモーセに呼びかけ,自らを「ありてあるもの」と称した神です。パスカルはこの体験を記念するために一葉のメモ(『メモリアル』と呼ばれています)を遺しますが,そこには「確実,確実,直感,歓喜,平和」という五つの言葉が記されています。この最後の「歓喜」と「平和」こそ,永遠の現在において神から与えられる「休息」であるとパスカルは悟ったのです。

しかしこのような例外的体験から日常の生活に立ち戻ると,パスカルは永遠を語ることについてむしろ慎重です。それは信者もまた,この世にあるかぎり,過去の自分を悔い改めることと来るべき神の国を待望することによって,現在を支える外ないからです。信者もまた時の流れの中に生き,そのかぎりで明日への配慮が必要となります。しかしそれは取越し苦労とは厳しく区別されなければなりません。パスカルは,ある大貴族の女性に宛てた信仰指導の手紙の中で,そのことを強調します。その女性は周囲の反対に逆らって修道女になることを切望していましたが,そのために数々の心労に悩まされていました。それに対してパスカルは,「一日の苦労は一日にて足れり」というイエスの言葉を引いて,相手のために,将来への慮りを捨てて,「自分自身の限界に閉じこもる」ことを神に希います。この世の人々は,「現在の生活と自分が現に生きている瞬間のことはほとんど考えず,ただこれから生きる瞬間のことばかり考えて」いるけれど,神の御心に従って用いなければならない「時」は現在だけだ,というのです。最初にご紹介した『パンセ』の断章では,今を生きることの不可能性が事実として確認されていました。しかしここでは,今に留まり,今に集中することが,教訓として提示されています。矛盾があるように思われるかもしれませんが,そうではありません。前者では,「神なき人間」の空虚と悲惨を抉り出すモラリストが,文化の時間のはらむ困難を暴き出しています。それに対して,後者では,神の恵みによってはじめて可能になる信仰の時間をいかに生きるかが問われているのです。

人が今を生きることができるとしたら,そして今を生きることが人の務めだとしたら,それは今がそのまま永遠に通じる可能性が人間に開かれているからです。パスカルの時間論を背後から支えていたのは,このような直観です。そしてそれは,宗教や宗派の違いを越えて,すべての人の心に反響を呼び覚ます直観です。パスカルの時間論はキリスト教に根ざしながら,普遍的な意味と広がりをもっているのです。


当代中国研究―系譜と挑戦
早稲田大学名誉教授
早稲田大学栄誉フェロー
毛里 和子

 ★当代中国研究―二つの源流

日本における,当代中国研究*(社会科学・人文科学)には,二つの源流があります。まず,明治時代以来の東洋学の流れです。二つの学派が東洋学を作ってきました。一つは東京大学東洋史です。東京帝国大学では1904年から東洋学の講座が独立しますが,開いたのは那珂通世教授,白鳥庫吉教授などです。那珂教授の『支那通論』は日本初の啓蒙的通史として評判高く,漢文で書かれ,国際学界でも反響を呼びました。白鳥教授は,研究対象の時間的,空間的広がり,地理学・言語学など科学的手法の採用,南北の対抗で中国史を描く学風など,日本の東洋学の開拓者です。熱烈な皇国思想の持ち主でした。なお漢語では「東洋」はもともと日本を指し,中国学を「東洋学」と呼ぶのは日本が名付け親のようで,その「東洋学」も中国に大きな影響を与えました。

もう一つのいわゆる京都学派は,内藤湖南教授 (『清朝史通論』),桑原隲蔵教授 (『中等東洋史』)などが先達です。内藤教授は,中国史を4時期に分けて定説を覆し (宋代近世説に世界は驚きました),日本文化を中国文化の発展上に位置づけるなど大きな足跡を残しました。桑原教授は東西交通史,中国法制史などスケールが大きく,伝統的漢学を越えた東洋学の基礎を作りました。なお,戦前は東大,京大などの他,東亜同文書院 (1901年創設)や南満州鉄道株式会社調査部 (1907年),東洋文庫 (1924年)などが調査研究,資料蒐集,人材養成を担いました。

戦後の中国研究につながる貢献をしたのが,東では津田左右吉教授 (『新撰東洋史』),西では宮崎市定教授 (『九品官人法の研究』)です。前者は,東京専門学校 (現早稲田大学)を出てから白鳥教授の指導を受け,日本古代史から中国思想史まで広い関心をもち日本文化の優位性を強調しました。他方,京都で桑原教授の学風,内藤教授の宋代近世説を継いだ宮崎教授は,戦後にも大活躍しました。全般に,明治から戦後初期まで日本の東洋学は世界をリードしましたが,宮崎教授の代表作『科挙史』は抜きん出ていました。

ところが戦後,唯物史観派が学界を制し,満鉄調査部や東亜同文書院などの研究が日本軍の中国支配に協力したものと排撃され,東洋学は姿を消しました。代わってアジアに本格的に参入した米国から地域研究Area Studiesが入り,当代中国研究の第二の源流となります。1950年代末に政治発展論,開発経済学,民俗学などを使い,中国を対象とした地域研究として再スタートします。アジア経済研究所 (1958年創設)などが研究と人材養成を担います。坂野正高教授 (『近代中国政治外交史』),石川忠雄教授 (『中国共産党史研究』),衛藤瀋吉教授 (「中国・二十五年史稿」)が東洋学と米国流地域研究の橋渡しをします。東洋文庫近代中国研究室 (市古宙三教授)は史料・文献面で貢献しました。また竹内好教授 (『日本人の中国観』)は,中国研究を近代日本への批判的問いかけと位置づけました。

70年代から研究生活に入った私は,中兼和津次教授 (経済),加々美光行教授 (思想),天児慧教授 (政治)などとともに戦後第2世代です。かつての東洋学とは無縁に,新生の中国を社会科学的手法で分析することになります。コロンビア大学・スタンフォード大学,ミシガン大学などの米国人政治学者から影響を受けました。


 ★日本の当代中国研究の特徴

いま日本には1500名近い当代中国研究者がいます。うち近世史以後の歴史分野と経済学がパワフルで世界の最前線にあると言えます。次の特徴があります。

第1は,戦略研究としてスタートしたために冷戦後地域研究が理論研究に屈伏してしまった米国と違って,日本では,実学,臨地研究として根強く残っています。

第2に,「戦前・戦中の失敗」は,日本の中国研究者に贖罪意識を抱かせ,分析に必要な客観的目を曇らせました。また冷戦期中国がソ連陣営に与みしたため,「社会主義」に共鳴する研究者も多く,中国が理想化される傾向もありました。実像の中国を,社会科学・人文科学の方法や枠組みで解剖する研究が主流になるのは,1980年代,中国が改革開放政策をとってからのことです。

第3に,米国と違って理論指向が弱く,中国の実態の調査,叙述が主流を占め,比較政治学や数量分析での研究は少数です。90年代以降,文部科学省の科学研究費などを活用した大型研究,組織的研究が多くなり,ミクロな社会現象の共同調査で変化を検証する実証的研究が増えています。それが日本の中国研究の強みです。


 ★グローバル・パワー中国,手に余る中国

中国は,1980年代から30年余り年平均10%の経済成長で国内政治も国際的地位も激変しました。とくに90年代半ばからの変容は世界史上空前と言えます。経済では,2010年には日本を抜いてGDP(国内総生産)で世界第2位に浮上し,1人当たりGDPは8000ドルを超えました。2012年からは習近平総書記を中核とする第5世代 (毛沢東が第1世代,鄧小平が第2世代,江沢民が第3世代,胡錦濤が第4世代)がリーダーとなり,世界の一等国へ,「中国の夢」を語っています。

新興の大きな中国に対して,日本世論の関心は二つに分かれます。書店の中国コーナーには,片方で「中国は脅威だ」という赤字が,もう片方で「中国はまもなく崩壊する」という青字が踊っています。落ち着いた,客観的な現代中国論は大変に少ないか,売れないのです。インターネット世論は感情的で,中国への反感を煽るものが歓迎されます。米国でも中国に親和的か対抗的かで研究者が分かれています。

現代中国は研究対象として厄介です。社会主義,発展途上国,伝統という「三つの内実」が錯綜していること,この40年あまり,明治維新以来150年の日本の歴史に匹敵する激動を経験していること(圧縮型発展です),などのため,研究者は変化に追いついていけないのです。「中国は手に余るものになった」と痛感致します。

超先進地帯から最貧困の村まで,中国には「四つの世界」があるようです。トータルな中国を論ずることはもはや無理です。しかも中国の現実は歴史的径路や経験則,経験科学で積み上げられてきた「暗黙の前提」をたえず裏切ります。


 ★パラダイム転換と三つの挑戦

今,多くの研究者が中国研究の新しい突破を模索しています。明清史の黄宗智教授(カリフォルニア大学)は「中国研究のパラダイム危機」を論じました。彼は,中国史および中国は,◆ 階層化された自然経済と統合された市場,◆ 市民勢力の発展を伴わない公共領域の拡大と国家によるその独占,◆ リベラリズムを伴わない実定法主義,◆ 市民社会を伴わない市場化などの「パラドクス」に満ちあふれており,われわれの「暗黙の前提」を疑う必要がある,と言いますが,これは現代中国にも当てはまります。

私は90年代後半から現代中国とアジアをめぐる大型共同研究を進めてきました(科学研究費「現代中国の構造変動」など)。これらを通じて当代中国には四つのモデルがありうると提起してきました。

①たとえ「中国的」な面は多くても,方向は民主化と市場化である普通の近代化モデル,②経済発展を通じて民主化を実現した東アジア・モデル,③伝統,儒学的価値への復帰を将来モデルとして描く伝統回帰モデル,④現代中国の諸現象は決定的に固有性をもつとする中国は中国モデル

私自身は②の東アジア・モデルでアプローチしてきました。加藤弘之教授の最新の遺作『中国経済学入門』は④の成果だと言えます。

さらに,中国分析のための新手法の開発に挑戦してきました。「三つの挑戦」です。

第1の挑戦は「三元構造論」です。現代中国は二項対立で捉えるよりも,三元的にとらえた方が理解しやすいのです。西欧理論では国家・社会,都市・農村など二元論,二項対立で考えますが,中国では,国家と社会の間に半国家・半社会があり,そのグレイな中間領域が決定的な鍵を握っているのです。労働者と農民の2者の間には,そのどちらでもない「農民工」なる2億5千万の人々がいるのです。いま中国社会の多領域で二元構造から三元構造への変化が観察できます。

第2に,「中国はどこまで中国的か」を考える上でアジア諸国の経験との比較はとても役に立ちます。「中国のアジア化」です。90年代まで続いた東南アジアの権威主義体制と今日の中国共産党体制には多くの共通点が見て取れます。

実験ができない社会科学では「比較」が自然科学での「実験」に相当します。比較には,主要対象をより鮮明に浮かび上がらせる,比較を通じて普遍性や概念化に近づくことができる,先行事例を下敷きに対象事例のこれからを考えることができるなど,たくさんの効用があるのです。

第3の挑戦は,「制度化」にこだわることです。現代中国では政策が変わるわりには制度は変わりません。表面の変化に惑わされず,政策や「緩いルール」の変更が法で確定されたかどうか,制度化がなったかどうかをしっかり見極めるべきなのです。2004年の憲法改正で人権保護が入ったのは画期的ですが,50年代半ばにできた,党-国家-軍の三位一体体制は超安定型メカニズムとして些かも揺らいでいません。

以上三つの挑戦が成功すれば当代中国の核心に迫れるかも知れないと淡い期待をしています。


 ★日本と中国

尖閣諸島をめぐる衝突 (2012年)が引き金になって日中関係が緊張しています。15年10月に開かれた現代中国学会年会は「日本の中国研究を問う」を共通テーマにしました。力関係が変わって両国関係が不安定になっていること,日本の中国研究のプレゼンスが弱くなっていることなどに学会は危機感をもっています。

1930年代~40年代前半の侵略の誤りと悲劇を繰り返さないために,よい隣人関係を作るために,中国研究者がやるべきことは数多いと考えます。多くの日本の研究者が客観的な,分析的な中国研究によって,中国との間に穏やかな安定的な関係を作ろうと努力しています。世界遺産ともいえる「東洋学」は戦後いったん消えてしまいますが,その東洋学の見直しもとても必要な作業です。また,いくつもの顔をもつ中国の分析には中国との共同作業が不可欠です。日本の当代中国研究の活性化,世界への発信を強く願っています。


*「当代」で含意するのは20世紀初頭以降の百年余です。


ゲノムから見た人間,人間社会
東京大学名誉教授
理化学研究所名誉研究員
豊橋技術科学大学名誉教授
 佳之

ヒトの遺伝情報,ヒトゲノムの解読とそこから見えてきた人間,社会の姿についてお話をさせていただきたいと思いますが,先ずはゲノムを読み解く歴史的な流れからお話しさせていただきます。

親子が似るなど「遺伝」という現象は古くから知られていましたが,この遺伝現象に法則性があるのを見出したのはかの有名なメンデルです。1865年のことです。彼はいくつか重要なことを見出していますが,その一つとして「遺伝する単位」,即ち今でいう「遺伝子」の存在を予測しました。以来,「遺伝子」の本体を探る研究がいろいろと行われましたが,20世紀半ばにそれがDNAであることが判明,そして1953年にDNAの構造がワトソンとクリックによって明らかにされました。DNAはアデニン(Aと略す),グアニン(G),シトシン(C),チミン(T)という4種の単位物質が長い鎖状に繋がった化学物質で,遺伝の情報はこのA,G,C,Tの4文字を使って暗号文としてDNAの中に書き込まれていることがわかりました。因みに,ヒトゲノムと呼ばれるヒトの遺伝情報全体は約30億文字という膨大な量で,新聞朝刊にして20年分の文字数に相当します。以来,20世紀後半から今日までその膨大な暗号文を読み解くことが生命科学の中心課題となり,様々な挑戦が行われてきました。そして1977年に英・米の科学者が開発したDNAの文字配列を化学的に決定する技術が解読に向けた大きな突破口を開きました。しかし,この技術は高度な熟練を要するもので,この技術でヒトゲノム全体を読み解くことは余りに非現実的でありました。

そのような中,ヒトゲノム解読を念頭に,この技術を機械化し自動的にDNA配列を読み取る装置の開発が当時東大教授であった和田昭允博士と米国のリー・フード博士によってそれぞれ独立に提案・実施され,1980年代後半には自動化装置開発に目途が立つようになりました。このような技術の進歩を背景に,ヒトゲノム全体の解読を国際協力によって進める「国際ヒトゲノム計画」の構想が持ち上がり,日米英仏独各国の協議を経て,1990年に実施に移されることとなりました。私自身も日本チームを率いて計画に参画しましたが,計画開始以来5か国(後に中国が参加)4千人余りの研究者,技術者が密な連携・協力を取りながら13年の歳月を費やして,2003年4月に解読を完了しました。その結果,ヒトゲノムには私たちの体を構成するタンパク質を生み出す約2万5千種の遺伝子とその働きを巧みに制御する様々な仕組みが存在すること,また人間一人一人のゲノム配列には平均0.1%,数にして数百万箇所に配列の個人差があり,これが民族の違いや個々人の体質,素質の違いを生み出しているらしいことなどヒトの遺伝情報の全体像が明らかになってきました。

米国ボストン美術館にはポール・ゴーギャンがタヒチで描いた「人はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこに行こうとしているのか」というタイトルの大作があります。このゴーギャンの問いかけは人類にとって永遠のテーマと言えますが,ヒトゲノムの全体像が明らかなったことにより,このテーマへの我々の理解は一歩深まったように思います。いくつかの事例を挙げながら,ヒトゲノムを通して見えてきた人間の姿をご紹介させていただきたいと思います。

先ず「我々はどこから来たのか」という問いかけについてお話しいたします。

私たちのゲノムは先祖代々受け継がれてきたものであり,そこには祖先から受け継いだ情報が残されているはずです。即ち,ゲノムは私たちのルーツを探る手掛かりにもなるのです。このような観点からゲノム配列の近縁性,類似性を基に私たち人類のルーツを探る研究が広く展開されてきました。現存する生物とヒトのゲノムの比較から,我々にもっとも近い生物種はチンパンジーであることがはっきりしました。その遺伝情報の違いがおよそ1.23%で,およそ500万年から700万年前に共通祖先から分岐したと推定されました。これは化石による推定とも一致します。以来,原人や旧人など様々な人種が現れ,また消滅していったことが化石研究から推定されています。現代人のルーツについてはこれまでも現代人がアフリカに起源をもつといわれてきましたが,最近,ヨーロッパの研究者を中心に様々な人種,民族のゲノム配列の詳細な比較解析が行われ,私たちの祖先はおよそ5万年前にアフリカ大陸を出てユーラシア大陸,そしてアメリカ大陸に広がっていったことが推定されました。また2万年ほど前までヨーロッパにいたネアンデルタール人について,その化石から抽出されたごく微量のDNAの分析から,現代人とは別系統の人種であることもわかってきました。一方,現代日本人のルーツについてもゲノム情報を使った様々な研究が行われておりますが,縄文時代には主に大陸北部からと南の島づたいに渡来した人たちが広く住んでいたものの,のちに朝鮮半島を経由して渡来した弥生人が先住民とも混じり合いながら広く日本列島に住み着き,現在に至っていると考えられています。

さて,ゴーギャンの次の問いかけは「我々は何者か」でありますが,ゲノム研究を通して私たちの体の仕組みや特質など生物学的なヒトについての理解が一段と深まって参りました。私たちはそれぞれに固有の体質,素質,気質を持ち,それらには私たちの持つ遺伝要因が絡んでいると考えられていますが,医学・医療を通して私たちの健康,体質と遺伝子・ゲノムの関わりについて目を見張る進展が見られます。具体的には,特定の病気の患者さんと健康な人のゲノムを多数比較解析することから糖尿病や心疾患,がんなど多くの疾患について罹りやすい体質に関わる遺伝子タイプを特定できるようになり,それを基に個々人の遺伝子タイプに合わせた医療が大きな進歩を見せています。特に遺伝子の影響の大きい「がん」については大きな進展が見られ,既に80種以上のがん関連遺伝子が見いだされました。それらの遺伝子の多くは通常は細胞の外からの信号を細胞内に伝えて細胞の増殖を適切に制御するたんぱく質を作り出していますが,その遺伝子に変異が生じ,そのたんぱく質が正常な役割を果たせなくなると細胞増殖を的確に制御できなくなり,細胞ががん化へ向かうと理解されます。どのがん遺伝子に変異が生じたかを調べることでがんのタイプや悪性度がわかり,治療戦略・方針を立てることができるようになりました。最近は特定のタイプのがん遺伝子の変異に対してその変異遺伝子が作り出すたんぱく質を狙い撃ちにする分子標的薬という薬も開発され著しい治療効果を上げています。また,家族性がみられる大腸がんや乳がんなどでは遺伝子検査によってリスクのある遺伝子の有無を調べ,早期発見,早期治療に備えることも行われています。米国の有名な女優アンジェリーナ・ジョリーさんが乳癌遺伝子の検査結果を基に乳房の切除と卵巣の摘出を行ったことは新聞,TVなどでも広く報じられました。

この遺伝子検査はがんに限らず多く病気のリスク予測にも使え,社会的に広がろうとしておりますが,そこには新たな社会的課題も生じてきております。遺伝子検査の結果の解釈には医学専門家の知識やアドバイスが必要であり,また遺伝子情報は究極の個人情報としてその管理にも細心の注意が必要です。ゲノムの研究ではそれが医学・医療に広く貢献し人類の幸福と繁栄につながる一方で,差別や選別を助長する危険性もはらんでいることを早くから認識し,ガイドラインや法的な整備も進められてきました。しかし,技術の進歩に社会的な制度の整備が追い付いていないのが実情です。これに関連して,社会的により深刻な課題となっているのは母親の血液を使った出生前の胎児診断です。2010年に香港大学の研究者が母体の血液中にごくわずかですが胎児のDNAが含まれていることを発見し,米国の企業がそれを基に高精度のDNA解析技術を使って母親の血液から胎児の染色体異常,具体的にはダウン症の出生前診断ができることを示し,ビジネスとしての出生前診断を開始しております。わが国では限られた医療機関で十分なカウンセリングのもとに試験的に行われておりますが,この技術が進めば,広く命の選別にもかかわる問題となり,それぞれの生命観,倫理観のもとでどう対応するのか,社会としてしっかりした検討と制度の整備が必須となっています。

話は少し変わりますが,ゲノム・遺伝子は先天的に与えられたもので変えることができないと思われてきました。しかし,最近の研究では遺伝子の配列そのものは変えられないものの,環境の影響を受けてDNAに修飾,特にDNAのメチル基による修飾が起こり,遺伝子の働きに変化が起こる事例がいくつも判ってきました。この現象は「エピゲノム」と呼ばれています。まだ研究は初期段階ですが,例えば胃の中のピロリ菌が胃がんを誘発しやすいことはよく知られていますが,最近の研究ではピロリ菌が胃壁細胞のゲノムDNAのメチル化と言う修飾を誘発し,胃がんにつながるリスクを高めていることがわかってきました。また,検証は十分ではありませんが,妊娠時に母体の栄養が十分でないと胎児のゲノムDNAに様々なメチル化の修飾が起こり,それが成人になってからの体質に影響を与えるといわれています。

また,健康と環境との関連では私たちの腸内にいる細菌にも注目が集まっています。ゲノムDNA解析技術の進歩によって,私たちの腸内,口腔内にいる細菌群を網羅的に調べられるようになった結果,それらの細菌が私たちの健康維持に重要な役割を果たしていることが明らかになってきました。以前に,大阪堺市でカイワレ大根に付着した病原性大腸菌O157によって多くの方が亡くなった事件がありました。その時,同じカイワレ大根を食べたのに全く症状を起こさなかった人も多くおり,その違いは何によるのか長らく謎でしたが,理化学研究所のグループの研究で,それがある特定の細菌群の存在の有無によっていることがわかりました。最近の研究では炎症性の腸炎,アレルギー,大腸がん,自閉症などと腸内細菌の間に関連があることも示されています。

さて,人類は今,人口・食糧問題,環境問題など地球規模の諸問題を抱えており,ゴーギャンの絵画にある「我々はどこに行こうとしているのか」という最後の問いかけが重みを増してきております。これは人類の英知を結集して取り組むべき課題ですが,そこでは生命の知恵に学び,活用することが重要と考えます。生命は36億年の歴史を持ち,5度の大絶滅の危機など過酷な地球環境の変化の中を生き抜いて今日に至っており,そこには高々5万年の歴史しかない人類が想像しえない知恵があるはずです。生命の知恵はそのゲノムDNAを通して受け継がれてきましたから,ゲノムDNAを解読する技術が大きく発展した今日,私たちは地球上の多様な生物のゲノムを解読し,そこから生命の知恵を読み取ることができるようになってきました。そして最近,「ゲノム編集」や「合成生物学」というゲノム配列を人為的に書き換え,生命の知恵を活用しようという技術や学問領域が急速に発展し,農林水産業や医学・医療の分野を中心に実績を挙げつつあります。長い歴史の中で獲得されたゲノムの書き換えには慎重でなければなりませんが,人類は生命36億年の知恵を活用できる新たな手段を手にしたと言えましょう。そしてゲノム研究は今まで以上に広がりを持ち,人類にとって大きな貢献をしていけるものと確信しております。