講書始の儀におけるご進講の内容(平成27年1月9日)


さくさくと――近代短歌を比較文学的に読む
東京大学名誉教授
大手前大学学術顧問
日本学士院会員
川本 皓嗣

比較文学とは何か,それを一言で言えば,国や文化,言語やジャンルの壁を越えた文学研究だと言えるでしょう。誰であれ文学作品を創作したり,あるいは読み味わったりするとき,そのやり方は,ごく自然に比較文学的になります。

なぜなら,そもそも文学作品というものが,すべて文化横断的にできているからです。ただ一国・一言語の中だけで純粋培養され,よその文学とはいっさい関わりを持たないような作品が,世界のどこかにあるでしょうか。近世以前の日本文学は,中国の文学・文化を抜きにしては考えられません。また近代以後には,西洋の文化や文学が日本人の心の大きな部分を占めてきました。

一方,文学作品を書くのではなく,読む場合を考えてみても,同じことです。たとえば,これまで日本文学以外の作品などは読んだことがない,翻訳であれ再話(語り直し)であれ,外国文学には触れたこともないという人が,どこかにいるでしょうか。子供のときに慣れ親しんだ作品を思い出してみても,あるいはふだんの読書体験を振り返ってみても,そのように閉鎖的・排他的な姿勢を通すことは不自然どころか,そもそも不可能です。それならば,文学を研究する場合にも,そうした実態に即するのが自然ではないでしょうか。

私自身はフランスや英・米の文学,ことに詩と詩学の勉強から始めましたが,それと並行して,そうした西洋の文物に馴染んだ目で,あらためて日本の近代詩や古典詩歌(和歌や俳諧)を読み直すことにも興味を抱いてきました。日本人が西洋の文学を研究すれば,そうすること自体が比較文学の実践であり,また西洋文学の研究者が自国の文学を見直せば,それもまた比較文学の仕事であることは,言うまでもありません。

文化の壁を越えた文学作品の読み味わい――そのささやかな一例として,近代短歌の名品の一つを取り上げたいと思います。それは,北原白秋の最初の歌集『桐の花』(大正2年,1913)に掲載された歌です。明治42年(1909)に詩集『邪宗門』を出版し,「一躍して芸苑の寵児となつた」(「雪と花火余言」)25歳の白秋は,その翌年,ある女性と「苦しい恋」(同)に落ちました。そのころ詠まれたと考えられるのが,次の歌です。

君かへす朝の舗石しきいしさくさくと雪よ林檎りんごのごとくふれ

歌のおおよその意味については,どうやら諸家いずれもほぼ同意見のように見受けられます。ここではその一例として,すぐ手許にある解説書の一節を借りることにします。

君をかえすこの朝は雪である。君の帰ってゆく街の舗石しきいしさくさくと降りしきる雪よ。せめてあの林檎の香のように,匂いやかに降ってくれ。君との仮初かりそめの別れを美しくするように・・・。

歌われた内容の大筋は,ほぼこの通りでしょう。とはいえ,このような言い方,説明のしかたで,この歌の効果や魅力に接近することができるでしょうか。このパラフレーズ(言い換え)からは,常識的に見て,二つの疑問が湧いてきます。第1に,雪はふつう「さくさくと降りしきる」ものでしょうか。降る雪はほとんど音を立てません。だから一般に擬態語で「さらさらと」降る,「はらはらと」,「こんこんと」,「しんしんと」,「ちらちらと」降る,などと言います。それに対して,「さくさくと」は明らかに擬音語で,雪が現実に「さくさくと」降ることはありません。

また第2に,雪はいったい「林檎の香のように,匂いやかに」降ることができるでしょうか。降る雪がこのように濃厚な果実の匂いを放つでしょうか。これらの2点は明らかな矛盾であり,理屈に合いません。それなのにこの評釈は,その異常には少しも触れず,いわば歌の「言いなり」になって,歌の風変わりな言葉づかいを,そのまま散文で口移しにしているだけではないでしょうか。

実はこの歌の魅力は,まさにこうした言葉の上の「引っ掛かり」,意表を突くような型破りの表現にあり,そこにこそ,近代詩としてのこの歌の本領があり,白秋が19世紀後半のフランス詩からたっぷり吸収した養分の働きがあります。とりわけ効果的なのは,腰の句(第3句)というまさにかなめの位置に置かれた「さくさくと」の5音です。この歯触りのよい擬音語は,ふしぎなことに,文中での文法的なかかり具合がはっきりしません。まず,歌の前半部「君かへす朝の舗石さくさくと」までを読めば,たとえ後半部の「雪」の語がなくても,朝の舗道を帰っていく女性が,薄く積もった雪を踏んでいく,その足音を連想するのが自然でしょう。ところが,この語に続けて後半部「雪よ林檎の香のごとくふれ」まで読み進むと,そこには「さくさくと」から予想された「踏む」や「足音」など,読者を安心させる裏付け(追認)の言葉が見当たりません。文法的にはどう見ても,「さくさくと雪よふれ」と続くようにしか思えません。

しかしその反面,文法にはこだわらず,ごく素直に言葉の響きに耳を澄ましてみると,字句の上では直接つながらなくても,歌の後半部で「さくさくと」をしっかり受け止めている語があります。それは言うまでもなく「林檎」です。「さくさくと」という擬音語は,主として2種類の音を言い表わすのに使われます。その一つは,「雪・砂・粉などが踏まれたり混ぜ合わされたりして崩れる時の軽快な連続音」(『広辞苑』)であり,もう一つは「菓子・果物・野菜などの噛み味や切れ方が小気味よいさま」(同)です。

だから「さくさくと」はごく自然に,すぐ後に置かれた「林檎」と結びついて,その「小気味よい噛み味」を思わせます。ただしこの場合もまた,「噛む」,「かじる」など,読者を安心させる裏付けの語がどこにも見当たりません。それどころか,歌は話を「林檎の」のほうに逸らした上に,理不尽にも,降る雪が林檎のように匂ってほしいと言うのです。つまり,読者は「さくさくと」から,前半部では舗道の雪を踏む音を連想し,後半部では林檎をかじる音を連想するのですが,そのどちらについても文法上,字句上の確証が得られず,期待をはぐらかされ続けるわけです。

それでは,「さくさくと」という擬音語からただ連想され,予期されるだけで,歌のどこにも確かな裏付けがない,「雪を踏む」音とそのイメージ,「林檎を噛む」音とそのイメージは,そうした中途半端な状態のまま,いったいどこに消え去るのでしょうか。しかし実際には,詩のなかでいったん読者に聞こえた音,見えたイメージは,たとえ表面上は存在を否定ないし無視されても,決して消え去ることはなく,他の音やイメージと並び合い,重なり合って,存在を主張し続けます。たとえば西行の歌,「津の国の難波なにわの春は夢なれや葦の枯葉に風わたるなり」で,冬枯れの海辺の風景を前にして回想される,いまここにはない「難波の春」の華やかなイメージがそうです。なぜなら,詩の言葉に促されて読者が思い浮かべる音や映像は,どれももともと現実ではなく,想像の産物だからです。詩が喚び起こすさまざまなイメージの間に,実像と虚像の区別などはありません。すべてが虚像なのです。

このように,文字通りの意味の上では存在しないはずの事物を,イメージの上で意図的に浮かび上がらせる技法は,フランス象徴派の詩人たちが得意としたところです。マラルメの詩『聖女』Sainteの冒頭には,ある聖女が「窓辺にいて,その窓が,金のげかかった古い白檀びゃくだんのヴィオールを隠している」À la fenêtre recélant / Le santal vieux qui se dédore とあります。つまり聖女のヴィオール(ヴァイオリンに似た古楽器)が,窓の陰に隠されているというのです。隠れているものは眼に見えないはずですが,こうしていったん言葉で言い表わされたからには,読者はその古びた弦楽器と,昔はきらきら輝いていたはずのその金色の塗装を,まざまざと思い浮かべずにはいません。白秋は,訳詩集『海潮音』の著者上田敏の翻訳や解説など,そして蒲原有明ら先輩詩人たちの創作を通じて,そうしたイメージ操作の呼吸をあざやかに,ほとんど本能的に体得していました。そして詩だけではなく,短歌にもそれを生かしたのです。

そう考えてみると,この歌で「さくさくと」の文法的な続き具合があいまいで,厳密にはどの語句にかかるのか分からないという事実は,詩的効果の上では,かえって強みとして働いているとも言えそうです。なぜなら,修飾語の行き先を一つに限定できないとすれば,読者としては,それがどちらにも,あるいはどこにでも当てはまると想定してみるほかはないからです。このように,文中の語句の修飾先をわざとぼかし,むしろ同時に複数の語句にかかるように見せて,その意味をふくらませ,前後の文脈に広く染み渡らせる技法(いわば文法の詩的利用)もまた,フランス近代の詩人たち(そして,彼らの先達であるアメリカの詩人ポー)が大いに活用した技法です。実は,鎌倉時代初期の藤原定家らの歌にも似たような技法が見られますが,ここではそれに触れる余裕がありません。

それではつまるところ,「雪よ林檎の香のごとくふれ」とは,いったいどういう意味でしょうか。そもそも後半部で筋違いな「林檎」が持ち出されたのは,積もった雪を踏む「さくさくと」という音が,林檎を噛む音を思い起こさせるからです。林檎をかじると,その「小気味よい」歯触りとともに,独特の青臭い,さわやかで甘酸っぱい香気が匂い立ちます。そのような雪を踏む音から林檎をかじる音へ,林檎をかじる音からその匂いへという連想のつながりから,歌のなかでは雪と林檎のイメージが快く重なり合い,踏まれる雪だけでなく,降る雪までが,林檎の濃厚な香りに染められるのです。

その結果,歌の表面的・文法的な意味の流れ(それは片言かたことのように切れ切れで,不合理です)に沿って,みずみずしい共感覚(synaesthesia)の世界が展開されます。共感覚とは,「黄色い声」や「まろやかな味」のように,さまざまな感覚どうしをわざと混同・混合することです。この歌では,まず朝の舗道に積もった雪の色と輝き(視覚),恋人がその雪を踏む音(聴覚),その足裏の感触(触覚),そして(そこから連想される,現実には存在しない)林檎をかじる音(聴覚),その歯ごたえ(触覚),匂い(嗅覚),たぶん青っぽい林檎の色(視覚),さらには降る雪の動きと色(視覚),冷たさと軽さ(触覚)など――それらが渾然一体となって,現実とも想像ともつかない濃密な空間を生み出しています。そしてそのなかに,朝の舗道を帰っていく女性の姿ばかりか,それを見送る語り手のいとしげなまなざしまでが,ふわりと浮かび上がってくるようです。歌はただ一本の言葉の線ですが,そこから生まれる意味やイメージは,幾重にも重層的です。

「共感覚」と言えば,すぐ引き合いに出されるのは,フランス象徴派のボードレールの詩『照応』Correspondances の2行,「子供の肌のようにみずみずしい匂い,オーボエのように柔らかな,大草原のように緑色をした匂いがある」Il est des parfums frais comme des chairs d'enfants, / Doux comme les hautbois, verts comme les prairies です。「オーボエのような匂い」や「緑色の匂い」――これも白秋の熟達していた種類の詩的技法です。だから,たんに白秋が西洋文学から受けた影響を論じるためばかりではなく,読者が十分に,そして自然に近代の短歌を楽しむためにも,そうした比較文学的な視野のひろがりがあれば,それだけ味わいが深くなることでしょう。

比較文学は,国や言語といったある特定の領域の文学だけを対象とするのではなく,そうした障壁を取り除いて,それら領域間を自由に行き来することを旨としています。しかも今日では,言葉で書かれた文学だけではなく,文学と絵画・音楽・映画・マンガ・アニメ・ゲームなどとの関係を考察したり,あるいは,文学研究で長年に培われた精密な分析方法を,他の芸術ジャンルに応用するといった方面にも,比較文学は視野をひろげつつあり,今後の発展が大いに期待されるところです。


東南アジアの政治経済と国際関係
政策研究大学院大学学長・教授
日本貿易振興機構アジア経済研究所所長
白石 隆

近年,我が国では東南アジアへの関心が高まっております。2013年12月には東京で日本・ASEAN首脳会談が開催されました。日本企業の東南アジア向け対外直接投資も中国向け投資の2倍以上で推移しております。2013年のASEAN向け直接投資は総額236億ドル(中国向けは91億ドル),2014年1-9月は135億ドル(中国向けは45億ドル)となっております。本日は,これに鑑み,東南アジアとはどんな地域か,政治経済と国際関係を中心にご説明したいと存じます。

東南アジア研究はきわめて新しい学問領域です。東南アジア研究は1950年代,アメリカのコーネル大学,イェール大学などではじまり,我が国では,1960年代に京都大学に東南アジア研究センター,アジア経済研究所に東南アジア研究部門が作られました。研究者としては,京都大学でタイ研究に従事された石井米雄先生,東京大学で東南アジア史を講じられた永積昭先生が第1世代で,わたしは第2世代に属します。世界的に見ると,1950年代から1990年代までは,コーネル大学が東南アジア研究の中心で,特に1980-90年代,東南アジア出身の学生が多くコーネル大学で学び,現在では,これら東南アジアの研究者と,京都大学,カリフォルニア大学バークレー校,オーストラリア国立大学などの研究者が東南アジア研究の中心となっております。

さて,それでは,東南アジアとはどんな地域か。東南アジアの政治経済と国際関係はどのように理解すればよいでしょうか。

東南アジアは中国とインドの間に位置し,大陸部にベトナム,ラオス,カンボジア,タイ,ミャンマー,島嶼部にフィリピン,マレーシア,シンガポール,ブルネイ,インドネシア,合計10カ国があります。これらの国はすべてASEAN,東南アジア諸国連合のメンバーで,そのため東南アジアとASEANはほぼ同義で使われます。

東南アジアの第1の特徴は新興地域ということにあります。2012年で総人口6億人,GDP(国内総生産)2.3兆ドル,人口では中国の44%,インドの49%,経済規模では中国の28%,インドの1.5倍になります。しかし,東南アジアの多くの国々は中小国で,中国などとは違い,大国ではありません。そのため1960年代以来,地域機構としてASEANを発展させ,これを「てこ」に,東アジア,アジア太平洋における地域協力で重要的な役割をはたしております。

第2に,東南アジアは民族的,宗教的にきわめて多様な地域です。たとえば,ミャンマー,タイは上座派仏教の国ですが,ミャンマーのバングラデシュ国境に近い地域にはイスラム教徒のロヒンヤ人がおり,仏教徒のビルマ人との間に暴力的紛争が頻発しております。また,タイ南部からマレーシア,インドネシア,フィリピンのミンダナオにかけて,マレー系の人たちの多くはイスラム教徒ですが,タイ南部では反乱が続いており,ミンダナオでも最近まで分離独立運動がありました。こうした民族的,宗教的多様性のため,東南アジアでは国民国家の建設は容易でありませんが,かつて欧米の支配下にあった国々も独立してすでに半世紀以上たち,多くの国で,われわれは「フィリピン人」である,「インドネシア人」である,「タイ人」であるという国民意識が育っております。

その一方,そしてこれが第3の特徴ですが,地域の経済的多様性はますます重要となっております。2012年の一人当たり国内所得を見ると,5万ドルを超えるシンガポールから1千ドル以下のカンボジア,ミャンマーまで,50倍以上の格差があります。これが域内の合法,非合法の労働者の移動を促し,国によっては大きな政治問題となっております。

同時に,域内格差はASEANの経済統合には必ずしもマイナスではありません。1990年代以来,日本企業もふくめ,多くの企業が,情報技術革命と貿易自由化を踏まえ,生産ネットワークを地域的に展開するようになりました。その際,企業としては,生産工程を細分化し,労賃の安いところではそれに適した「しごと」,たとえば組み立てをする,製品開発は優秀な技術者を集めやすいところで行う,こういうかたちで,生産工程を分割し,各国・地域の比較優位に応じて「しごと」に特化した拠点を作りました。その結果,生産ネットワークが国境を超えて展開し,ASEAN経済共同体の基礎となる事実上の経済統合を進展させております。

これが東南アジアの大きな特徴です。では,なにがいま大きな課題となっているのでしょうか。

国際通貨基金,アジア開発銀行等によれば,東南アジア経済はこれからも順調に成長すると予想されます。都市化も進行します。2030年に日本を除く東アジアの都市化率は62%になり,人口2百-1千万人の地方中核都市が,年平均6-8パーセントで成長すると予測されます。経済成長とともに,富裕層,中間層も拡大します。世帯年収3.5万ドル以上の富裕層の人口は2017年には,東南アジア全体で5千万人に達すると予想されます。

しかし,それでも,「みんな中流」という社会は2030年にも実現されません。所得格差,地域格差,都市と農村の格差などは残ります。その一方,貧しい人たちも,豊かな生活とはどういうものか,良く知っており,自分の子どもたちには豊かな生活をしてほしいと期待します。このため「増大する期待の革命」はこれからますます重要となります。

これが大きな政治的意味をもちます。増大する期待の革命に応えるには,経済を成長させ,雇用を創出し,所得水準を上げなければなりません。近年,「中所得国の罠」ということがよく言われます。一人当たり国民所得が4千-1万2千ドルの国を中所得国とすると,この水準で所得が停滞してしまう,それが「中所得国の罠」です。たとえば,ブラジルの一人当たり国民所得は1979年に4千6百ドル,2006年になっても5千ドルでした。こうした「罠」にいかに陥らないようにするか,それが課題です。

その処方箋には合意があります。人材育成,インフラ整備,包括的成長です。しかし,国の資源にはどこでも限りがあり,国としてどの課題にどれほど優先的に資源を配分するかは政治の問題です。増大する期待の革命の下,政治体制が民主的であればあるほど,明日の成長に投資するか,ばらまくか,この対立は厳しくなります。

では,東南アジアの国々は経済をどう発展させようとしているでしょうか。大陸部と島嶼部では条件に大きな違いがあります。大陸部では大メコン圏の開発という広域開発が前提となります。近年,中国は,雲南省をふくむ広い意味での大メコン圏の開発のために,雲南省の省都の昆明(クンミン)を起点とし,広西省チワン族自治区の南寧を経由してベトナムのハノイまで,またラオスを通ってバンコクへ,さらにミャンマーではマンダレー経由,ヤンゴンへ,北から南に,扇状に,高速道路をつくり,高速鉄道を計画しております。我が国は,ホーチミンからプノンペン経由,バンコクへ,また,中部ベトナムのダナンからラオスを抜けてバンコクへ,東西回廊,南部回廊などの整備を支援しております。さらに,2011年以来,ミャンマーで自由化がはじまり,これに応じて広域インフラをミャンマーまで延伸させようという動きがあります。この結果,バンコクがベトナムからミャンマーまでの大メコン圏のハブとなり,ミャンマーも大メコン圏の経済発展の中で伸びて行くことが予想されます。一方,島嶼部,特にインドネシア,フィリピンでは,2015年のASEAN経済共同体の成立をみすえ,その経済を東アジアに広く展開する生産ネットワークにいかに統合していくかが課題となっております。

もう一つの課題は東アジア地域秩序の安定です。これは中国が経済的に台頭し,大国主義的に行動するようになったことに関係しております。いまそこで問われていることは,東アジア,あるいはアジア太平洋において,どのようなルールをどう作るかということです。一般的に,国際的なルール作りには二つの方法があります。その一つは大国が自分でルールを決めて他国に押し付ける方式です。もう一つは大国のリーダーシップの下,多国間でルールを作る方法です。この方式をめぐる対立が,特に南シナ海の領有権問題について,大きなテーマとなっております。

では,東南アジアの国々はどう行動しているのか。ごく簡単に言えば,域外大国の「力の政治」に巻き込まれないよう注意しつつ,ASEANを「てこ」として,多国間でルール作りを進めようとしております。その結果,地域協力の枠組みは,近年,大きく変化しました。かつて1997-98年の東アジア経済危機の際には,アメリカがインドネシア,マレーシアなどに介入し,アメリカ介入のリスクをどうヘッジするかが大きな課題となりました。そのとき「東アジア共同体」の形成が謳われ,「東アジア」協力ということでアメリカを入れない協力の仕組みが作られました。1997年にASEANと日中韓でASEAN・プラス・3の首脳会議が始まったのはそのためです。

しかし,2008年の世界金融危機の頃から中国が大国主義的となり,南シナ海の領有権問題で自国の領海法を力で他国に押しつけようとするようになり,中国がアメリカ以上にリスクと意識されるようになりました。中国リスクのヘッジにASEAN+3は役に立ちません。そこで2005年にASEAN+3にインド,オーストラリア,ニュージーランドを加えたASEAN+6を枠組みとして東アジア首脳会議が設立され,2011年にはアメリカとロシアが参加して,東アジア首脳会議はASEAN+8となりました。つまり,趨勢的に見ると,1997-98年から2008-09年までは地域協力の枠組みとして「東アジア」が重要でしたが,2010年以降は「アジア太平洋」が重要となっております。

では,東南アジアの国々は我が国になにを期待しているのでしょうか。これを最後に述べたいと思います。

東南アジアの国々にとって「てこ」としてのASEANはきわめて重要です。したがって,我が国に対しても,ASEANが「てこ」として役立つよう,ASEANの統一性を支援してほしいという期待があります。これは具体的には次のことを意味します。ASEANは2015年までにASEAN安全保障共同体,経済共同体,社会文化共同体を作る予定です。しかし,ASEAN安全保障共同体の構築は,南シナ海の領有権問題で中国と対立している国もあれば対立していない国もあり,容易ではありません。この問題ですべての国が合意できるのは国際法に則った紛争処理であり,我が国に対しても,国際法の尊重と遵守,力の一方的な行使の自制を原則とすることを支持してほしいと期待しております。

また,ASEAN経済共同体の構築については,我が国はすでにインフラ整備,制度作り支援を活発に実施しておりますが,東南アジアの大陸部と島嶼部で経済開発の条件に違いがあることを考えると,我が国の支援においても,この二つを別々に考える必要があります。大陸部東南アジアではベトナムからラオス,カンボジアを経由して,タイ,そしてミャンマーへ,広域インフラの整備,さらには人材育成を支援することが重要です。一方,島嶼部のインドネシア,フィリピンでは,中所得国の罠をいかに回避するかが大きな課題です。そのため,我が国に対しても,日本企業の直接投資に加え,インフラ整備,人材育成支援,科学技術協力などに多くの期待がよせられております。

東南アジア経済は,規模としては,2018年に我が国の3分の2となり,2020年代半ばに我が国を超えると予想されております。また,東南アジアの国々では,半世紀以上にわたる我が国の協力の成果として,日本と日本人に対し大きな信頼があります。我が国としても,東南アジアの国々と協力し,地域機構としてのASEANを支援し,パートナーシップを強化していくことが,東アジア,さらにはアジア太平洋の平和と安定と繁栄にとってきわめて重要であると考えます。


学習と記憶の脳のしくみ
京都大学名誉教授
大阪バイオサイエンス研究所所長
日本学士院会員
中西 重忠

私達の感覚,運動,感情,思考などの種々の脳の働きは数多くの神経細胞が神経ネットワークを形成し,それぞれの神経ネットワークが互いに連絡しあうことによって発揮されます。このような脳の機能においては,学習と記憶が基本の機構として働いております。学習は新しい情報や知識を獲得することであり,記憶は学習した情報を保持することと定義できます。

記憶は私達の日常生活の経験からもわかるように少なくとも数種類に分類することができます。第1に作業記憶,working memory,第2に短期記憶,short-term memory,第3に長期記憶,long-term memoryと呼ばれるものです。作業記憶は,一時的でかつ容量に限度がある記憶で,心にとめておく記憶と言えます。例えば誰かが電話番号を教えてくれたときにわずかな時間その番号を覚えているという記憶です。この記憶は復唱することによって保つことができランダムな数字を聞いた時に記憶できる数字の数は7±2であると言われています。第2の短期記憶は,起こった出来事をもう少し長い時間にかけて覚えている記憶で,昨日の夕食に何を食べたかは思い出すことができますが,一週間前のものは簡単には思い出すことができないというのが短期記憶です。第3の長期記憶は数日,場合によっては一生の出来事を思い出すことができる記憶で,例えば子供の頃の楽しかった経験や場所を覚えている記憶,また英語の単語を努力して覚えている記憶などが長期記憶です。

一方,心理学の研究によって学習と記憶は別の形でも分類されております。顕在記憶 explicit memoryと潜在記憶implicit memoryと呼ばれているもので,この記憶の違いは脳の働きを理解する上で重要な分類となっております。例えばアメリカの首都はワシントンD.C.であるとか,昨日退屈な脳科学の講義を受けたなどと具体的に事実や出来事を述べることができる記憶が顕在記憶です。従って顕在記憶は私達が一般に使っている記憶に相当するものです。一方,潜在記憶は手続き記憶 procedural memoryとも呼ばれるもので,例えばピアノやテニスの練習を繰り返すとそれによって次第に技術が上達する脳の働きで,潜在記憶はその記憶を具体的な言葉として述べることはできないのですが,その記憶は脳機能として保持されているという記憶を意味します。別のいい方をしますと,顕在記憶は意識的に引き出すことができるものであり,潜在記憶は私達が意識せずに滑らかな行動ができるための記憶と定義できます。

さて学習と記憶の特徴の理解が進むと脳全体が記憶にかかわっているのか,或いは特定の脳部位が重要であるのかという疑問に関して,ヒトや霊長類などを研究対象に数多くの研究がなされました。現在ではそれぞれの記憶は特定の脳部位が重要な役割を果たしていることが明らかにされております。ヒトの研究の中で特に有名な例を紹介致しますと,現在では全く行われていませんが1950年代にアメリカを中心にてんかん発作を抑えるために脳の特定の部位を切除する治療法が行われました。H・Mさんと呼ばれる患者さんはてんかんを治療するために脳の外側部にあたる側頭葉と海馬体と呼ばれる脳部位が切除されました。その結果,この患者さんのてんかんは抑えられ,また感覚,運動,知能,人格などには大きな変化や障害がなく,また幼少期の出来事もはっきりと記憶しておりました。しかし新しい記憶を得ることが殆ど不可能であることが明らかになりました。また,この患者さんは示された絵をまねること,即ち先程説明致しました潜在記憶の障害は受けていないのですが,その絵を思い出して描くことは全く出来ず絵を描いたことすら忘れていました。すなわち海馬体を中心とした脳部位が顕在記憶に必須の脳部位であることが明らかにされたわけであります。

一方潜在記憶に関わる脳部位も明らかにされております。例えば,テニスをしたり車を運転したりする運動記憶には脳の後ろの部位にある小脳がかかわっています。またスムースに運動を行うためには大脳皮質の下にある大脳基底核と呼ばれる脳部位が必須であり,パーキンソン病に見られる運動障害はこの基底核の機能が低下した結果おこる病気です。一方先程電話の例で説明しました瞬時の記憶,即ち作業記憶は色々な脳部位がかかわっていますが,人の脳で最も発達している前頭葉が重要な役割を果たしていることが明らかにされています。即ち顕在記憶,潜在記憶,作業記憶はそれぞれ特定の脳部位において情報が処理されることが重要であるわけです。さらにヒトで最も発達している大脳皮質がこれらの記憶を結びつけ,記憶を保持する役割を担っています。例えば楽しい経験をした場所を思い出すと私達は幸せな気持ちになることがあります。これは場所の情報と楽しいという情動の情報が大脳皮質で収斂し大脳皮質に保持され,その結果,場所を思い出すと情動の記憶が刺激され幸せな気持ちになるわけです。記憶は特定の脳部位で情報が処理されその情報が結合することによってより高次な記憶が引き起こされるわけです。

多くの人はもっと記憶力が良ければと思われるかもしれません。しかし外界の情報をすべて記憶することはむしろ情報の混乱をもたらすもので情報が適切に消去される事も重要な脳機能の一つです。さらに私達の日常生活では記憶をいちいち引き出して行動しているわけではなく記憶されたものを習慣化してしまうことも重要な脳の機能として働いています。例えばいつもの道を通って車を運転している時に別の道に入って用事をすますことをつい忘れてしまい,いつもの道を行ってしまうというのはよく経験することです。私達の記憶においては新しい道を運転する時には場所や景色を記憶する顕在記憶が働きますが,いつも同じ道を運転していると滑らかな行動をもたらす潜在記憶に記憶が移行する,即ち記憶の習慣化が起こります。この記憶の習慣化は不必要に脳が働くことを避ける自然な脳の機能であり,いつもの道を行ってしまったからといって認知症が始まったなどと心配する必要はなく,むしろ脳が正常にはたらいていると思っていいわけです。

さてこの40年の分子生物学の飛躍的な発展によって記憶と学習の分子メカニズムの理解も大きく進みました。 脳は約1千億個の神経細胞からなり情報が伝播されることによって機能が発揮されます。この情報は神経細胞が興奮または抑制されることによって伝達されます。神経細胞の興奮と抑制は神経伝達物質と呼ばれる物質が前の神経細胞から分泌され,それが次の神経細胞の膜にある受容体を活性化し引きおこされます。一旦神経伝達物質の受容体が活性化されるとプラスあるいはマイナスのイオンが神経細胞に流入し電気的な反応がおこり,電線の中を電気が流れるように電気的に情報が伝達されます。

神経細胞の興奮,抑制をコントロールする神経伝達物質は百種類以上あることが知られています。この神経伝達物質の中でアミノ酸の一つであるグルタミン酸は神経細胞を興奮させる最も中心的な伝達物質として働いています。従って学習と記憶のメカニズムを理解するために神経細胞の活動を高めるグルタミン酸受容体に関する膨大な研究がなされてまいりました。しかし受容体の実体は全く不明でありました。私達の研究室では1980年代に遺伝子工学と電気生理学を組み合わせて受容体の遺伝子を分離する新しい方法を開発し,これによって1990年代初めにグルタミン酸受容体の遺伝子を明らかにすることに成功しました。グルタミン酸受容体は薬理学などの研究から4種類あることが知られておりました。しかし私達の研究や他のグループの研究から4種類のグルタミン酸受容体はそれぞれ5個以上の遺伝子からなり,グルタミン酸受容体は全体として20種類を超える遺伝子群からなることが明らかになりました。またグルタミン酸受容体はあらゆる神経細胞に存在し,神経細胞の興奮を支配するものであることが実証されました。さらに20種類以上からなる個々のグルタミン酸受容体は異なった脳部位の特定の神経細胞に局在しており,受容体の組み合わせの違いによって性質の異なった作用を示すことも明らかになりました。

一方,遺伝子工学の技術を用いて特定のグルタミン酸受容体を欠損させたモデルマウスをつくることが可能となり,グルタミン酸受容体の中で私達が明らかにしたNMDA型と呼ばれるグルタミン酸受容体が学習・記憶に必須の役割を果たしていることが明らかになりました。また,学習と記憶の基本的な分子メカニズムの理解も大きく進んでおります。即ち,記憶を引き起こす強い外部刺激が入るとグルタミン酸神経伝達物質の分泌が高まり,この結果グルタミン酸受容体の作用とその量が高まります。これによって神経伝達の効率が増強することが学習と記憶の基本のメカニズムとして働きます。また刺激が高まるとグルタミン酸受容体自体及びその下流の細胞内のシグナル蛋白質に燐酸基が着くあるいは外れるという蛋白質の修飾が起こります。この数分から数十分の時間のオーダーで起こる蛋白質の修飾が神経細胞を一定時間活性化し短期記憶を誘導します。一方,より長期にグルタミン酸の作用が増強すると記憶にかかわる遺伝子がON,OFFされこの遺伝子のコントロールが長期記憶を誘導します。

グルタミン酸受容体の作用を高めればもっと記憶力が高まるのではないかというと,生体はそんなに単純ではなく生体の機能は常に適正なバランスを持ってコントロールされることが必要です。実際にグルタミン酸受容体が過剰に働き過ぎると神経細胞の死がもたらされ,脳の機能が破綻します。例えば脳出血や脳梗塞が起こると分泌されたグルタミン酸の吸収が阻害され,グルタミン酸が細胞間で異常に高まります。この結果出血や梗塞の部位だけでなくその下流の脳部位で多くの神経細胞の死が起こり大きな脳機能の障害が生じます。従ってグルタミン酸神経伝達系を介した脳機能や神経細胞死の研究に基づいてグルタミン酸神経系を対象に新しい薬の開発が現在精力的に進められております。

最後に,ただいまお話しました学習と記憶は単に個人が健康的な生活を営む上で重要であるだけではなく,学習し記憶した事は親から子へまたまわりの人にも伝えることができるもので,この脳活動は豊かな社会を築く上でも不可欠のものであります。さらに先人達の学習と記憶によって生み出された叡智は会話や文字の情報媒体を介して次の世代に伝えられ,この事が文化を生み出すもととなります。一方大変印象的で強い記憶として残ったことが他の人の記憶には全く残っていないという経験をすることがあります。学習・記憶の内容は個人,個人によって異なるものであり,この脳活動の違いが異なった考えや個性を生み出す上で重要な要素となり,さらに集団社会においては異なった価値観や独自の文化を生み出すもとともなります。従って考え方の違いや文化の独自性は私達が進化の過程で獲得してきた学習・記憶というすばらしい脳活動の一つの帰結であり,私達は違いを排除するのでなく多様性をいかに意味あるものとして生かすかを考える事が重要と思われます。

高齢化を迎えた我が国においては学習・記憶の低下や障害は単に認知症などに見られる疾患の問題だけでなく個人が豊かな生活を営む上でも極めて重要な課題となっております。疾病の予防を進める上でもまた豊かな社会を築く上でも脳の機能の基本となる学習・記憶のメカニズムの脳研究がさらに進展し,より深い理解がなされることを期待している次第であります。