秋篠宮皇嗣同妃両殿下の記者会見
<宮内記者会代表質問>
- 問1 ことしは日本人のパラグアイ移住90周年に当たります。訪問に向けたお気持ちをお聞かせください。皇室の方々は長年にわたって中南米を繰り返し訪れ、秋篠宮家のみなさまは日系人との交流を重ねてこられました。パラグアイの印象や日系人への思いをご紹介ください。
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殿下
お答えするのに先立ちまして、先月7月28日に令和8年熊本地震が発生しました。亡くなられた方々に哀悼の意を表しますとともに、被災された方々へお見舞いを申し上げます。被災地の復旧が、速やかに進むことを願っております。また、今、大変な猛暑が続いていて、熊本では酷暑日もありました。そのようなこともあって、熱中症にかかる人も多くなっていると聞いています。その面においても大変心配しております。
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妃殿下
熊本地震などにより亡くなられた方々に哀悼の意を表します。そして、被災された方々にお見舞いを申し上げます。とても暑い中で起きた災害でもあり、被災された方々と支援にあたる方々などの御体調を案じております。お一人お一人の命が、健康が守られますようにと心から願っております。
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記者
訪問に向けた気持ちをお聞かせいただけますか。
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殿下
昨年5月、パラグアイのペニャ大統領閣下、そして、 令夫人が大阪・関西万博のナショナルデーに臨席されるために日本を訪問されました。その際に、東京でお目にかかったわけですけれども、その機会にパラグアイ日本人移住90周年のことも話題になりました。そしてまた、パラグアイにも是非来てほしいというお話がありました。その後、正式に御招待を頂いて、今回の訪問ということになったわけです。前回、私が訪れましたのは20年前の移住70周年の時になります。 もっとも、20年前、ちょうど長男の誕生と記念式典の日が非常に近いということもあって、当初予定していた9月訪問というのを後ろにずらして、11月に訪問ということになりましたので、記念式典には出ていませんけれども、その年に当たって訪問したわけです。その時は単身でありましたけれども、今回は二人で行けることを
嬉 しく思っています。 -
記者
パラグアイの印象や日系人の方への思いをお聞かせください。
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殿下
やはりパラグアイというと日本から非常に離れている、地球の反対側になるので、非常に離れている、1万8千キロメートルぐらいあるんでしょうか、という印象があります。一方で、外交関係が樹立したのが1919年ですので、今年で107年、その間、戦争の時に国交が途切れた時がありましたけれども、107年の関係がある国ということになります。その間には日本からの技術協力とか経済協力などがあり、これも長期にわたっておりますけれども、それからパラグアイからも、日本で東日本大震災が起きた後、パラグアイ産の大豆を使ったお豆腐や支援物資、また義援金など被災者に提供してくれるということがあり、そのような双方の関係、様々な関係の分野の人であったり、それから両国の国民の努力もあって非常に関係の深い国になっているのではないかと思います。私自身は先ほどお話ししたように20年前に訪れておりますし、長女が10年前の移住80周年の機会に行っております。また、遡ること1978年には今の上皇上皇后両陛下が訪問され、移住50周年の機会には常陸宮同妃両殿下も行かれています。そして、そのいずれの機会においても、大変温かい歓迎を受けていると聞いております。また、日本においても、首都のアスンシオンにある日本パラグアイ学院の生徒さんたちが度々日本を訪れ、その機会に懇談することが幾度もありました。そのようなことから、私にとっても大変身近な国であるというふうに思っています。そして、そういう良好な関係の背景には、やはり日本人移住者、それから日系の人たちの貢献が大変大きいのではないかと思います。移住当初、大変な状況の中で、その困難を乗り越えて、パラグアイ社会の中で信頼を確立し、パラグアイの発展に貢献し、そして、パラグアイと日本の友好の架け橋となってきた日本人移住者、日系の人たちに敬意を表したく思います。そして、それとともに、その日本人移住者や日系人を温かく迎え入れてくれて、また、文化や慣習を尊重してくれたパラグアイ、それからパラグアイの人々にも感謝の念を持っています。
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記者
まずは、訪問に向けたお気持ちをお聞かせください。
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妃殿下
今回、パラグアイ移住90周年に当たり、宮様と共にパラグアイを御一緒に訪問できますことを大変ありがたく思っております。宮様が先ほどお話をされていましたが、1978年、当時皇太子同妃両殿下でいらした上皇上皇后両陛下がパラグアイを御訪問になりました。続いて常陸宮同妃両殿下、そして宮様も20年前に訪れました。20年前、いらした時はちょうど長男の誕生した後だったものですから、私は御一緒することがかないませんでしたが、御帰国されてから、あたたかな歓迎を受けたことを始め、さまざまなことをふり返りながらお話しくださいました。そして、いつか訪れることができたらと思いました。その10年後に、娘の眞子が移住80周年にあたって、パラグアイの首都アスンシオンで行われた記念式典に出席して、ラ・コルメナ、チャベス、ラ・パス、ピラポ、そしてイグアスの五つの移住地とエンカルナシオンを訪れました。娘も現地での様子を話してくれ、私も更にパラグアイについて、いろいろと知ることができました。
これまでパラグアイの方々と日本でお会いする機会が幾度もありました。宮様がお話しされたことと少し重なりますが、日本パラグアイ学院の生徒たちが数年に一度、私たち家族を訪ねて来てくださり、1年に1回開催されている日系人大会や外務省が招
聘 するプログラムでパラグアイの方々とお会いしています。昨年にはパラグアイの大統領御夫妻にお目にかかることができ、親しくお話をする時間をいただきました。昨日になりますでしょうか、宮様が20年前にパラグアイを訪れた時においただきになったパラグアイ日本人会連合会のアルバムのページを一緒にめくっていました。白黒やカラーの写真、地図などを見ながら、大変な御苦労をされながら、移住した日本人が今の日系社会を築かれ、また、日本の伝統文化や、それから、教育、日本語なども大切にされてきたことに思いを巡らしました。パラグアイを訪れるにあたり、専門家にお会いして説明を受けたり、関連資料を読んだり、また、パラグアイの芸術にふれたりしながら過ごしています。今回は、初めて宮様と御一緒にパラグアイを訪れることを心待ちにしております。
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殿下
今、初期の移住した人が大変な苦労したという話もありましたけども、私も20年前にですね、日本からの移住者、それから日系の人たちと話をする機会があった時に、あれは多分、最初の移住地であるラ・コルメナだと思うんですけれども、そこで会った人と話をして、最初の開拓の時、私が想像していたよりもはるかに大変だったということがよく分かりました。その中で、多分、ラ・コルメナじゃなくて別の地域に、ラ・パスだったかな、入植した人が話してくれた言葉の中に、「焼けすぎ3年、不焼け3年」っていうふうに言ったんだっていう話をしてくれたんですね。どういうことかというと、今、本当に普通に人が住んでいるような所も原生林で大樹があるわけですね。それを切り倒して焼畑を行うわけですけれども、そのときに焼き過ぎてしまうと土壌が硬くなって耕すことができなくなる。一方で、その焼き加減が甘いと木が再生したりして害虫が付くようになる。そのいずれであっても、更に3年ぐらいの月日を要するんだということを教えてくれたんです。そのことが非常に私、印象に残っていて、今でもよく覚えていることです。もちろん、原生林を開墾する時には、マラリアであったりとか、赤痢であったりもあったでしょうし、また、バイパーですかね、クサリヘビの仲間がいたりとか、非常に危険なことも多かったと思います。そのようなことに話を聞きながら思いを致したことを今思い出しました。
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記者
パラグアイの印象や日系人の方への思いをお聞かせください。
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妃殿下
同じようなことになりますけれども、本当にパラグアイは日本から地理的に最も遠い場所の一つであって、日本人がパラグアイに移住して、その日本人とその子孫をあたたかく迎えてくださった国であり、日本と友好の
絆 で結ばれている国でもあると、そういう印象を受けております。パラグアイの美しい伝統文化にも心
惹 かれています。パラグアイの民族楽器であるハープ、アルパは軽やかであり、きらめくような、時には哀愁を帯びたような音色を奏で、パラグアイと日本の奏者が両国で活躍されています。そして、このアルパの音色に魅せられて、日本ではアルパの愛好家が増えていると聞いています。また、パラグアイの伝統的な刺繍 、ニャンドゥティ、グアラニー語で蜘蛛 の巣という意味です。そちらは繊細な模様が特徴です。日本でもこのニャンドゥティの手仕事を楽しむ人の輪が広がっていて、またそれがパラグアイのニャンドゥティ職人への応援につながってもいると話を聞いています。このようにパラグアイの音楽や手芸、他にも工芸があると思いますが、両国の文化の架け橋になっているという印象を持っています。それからパラグアイでは漫画やアニメなどの日本のポップカルチャーも人気が高くて、柔道や空手などの武道を道場で習っている人もいて、折り紙や生け花、茶道などの伝統文化に関心も高いと聞いています。このようにさまざまな分野で交流がおこなわれていることをとても
嬉 しく思っています。パラグアイへ移住した日本人やその子孫の方々が、苦難の中で原生林を切り開き、広大な土地を開拓してきました。多くの努力を重ね、農業、経済や、社会の発展に大きな貢献をされてきた日本人移住者、日系人に敬意を表します。そして、日系社会をあたたかく受け入れたパラグアイ、そしてパラグアイの方々にも感謝の気持ちを抱いています。これも先ほど宮様がお話しされたことで私も心に残っていることの一つになりますが、15年前の東日本大震災の後に、日系社会の方たちが被災者への支援ができることはないかと思って広くパラグアイの人々にも呼びかけて、パラグアイで作られた大豆を使って長期保存できるお豆腐を被災地に届けました。そのお豆腐のパッケージには、「心はひとつ」というメッセージが書かれていて、パラグアイのあたたかい思いが込められているようで、その思いを被災した方々が大切に思われた、
嬉 しかったという話も心に残っています。パラグアイの日系人社会、そしてそれぞれの移住地においてスポーツの大会がいろいろと開催されていると聞いています。また、お祭りや学校行事、例えば運動会なども地域の方たちが協力しておこなっていて、婦人部、婦人会とだんだん名称が変わっているようなんですけれども、女性のグループがお食事などを作ったりする、そういう積極的な活動をおこなっているという話も聞いたりしていまして、地域や世代を超えて日系人のつながりが強くあることを感じています。また、そのコミュニティ、そして家族の間でのつながりも大切にされていると感じています。
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問2 去年、佳子さまがブラジルを訪問され、今年5月に悠仁さまが初めて宮中晩
餐 会に出席されました。国際親善を担われる若い皇族方への期待を御紹介ください。一方、国会で成立した改正皇室典範は、若い皇族方の人生に大きく影響を与えることが見込まれます。これまでの議論を含めた受け止めや、御両親として佳子さまや悠仁さまにどのように歩んでいってほしいとお考えかお聞かせください。 -
殿下
皇族の場合に、皇室、皇族と言った方がいいかもしれませんけれども、海外とのお付き合いとなると、外交というわけにはいきませんので、今お話があったような親善という形になるのだと思います。その親善の中には、自分たちが海外に行くこともあれば、海外から日本に来た人と会うことと、両方あると思いますけれども、いずれの場合においても、私たちがその国の社会や文化、歴史などを知る機会になります。そして、それとともに、相手の人に日本の文化などを知ってもらう機会にもなると思います。そういう交流が親善によって、相互理解であったり、友好親善関係が深まることにつながっていくのではないかと思います。そういうものは、国と国との良い関係というのは、やっぱり継続性というものが大事になると私は考えます。そのことに鑑みますと、やはり、若い世代の人たちが、海外との交流を行うことには意味があると思いますし、また、時間的なこと、時間といいますかね、やっぱりそれが続いていくということが大事なことだと思いますので、それを実施していくには、やはり今の次の世代の人たちが友好親善に向けて努力してくれるということはいいことだと思います。数十年後を考えると、例えば20年後だとすると、私たちはもう80歳になるわけですね。そうすれば、もうその時代というのは次の世代の人たちになります。その意味でもこれから国際親善を進めていってほしいですし、それぞれが持っている得意な分野というのもあるでしょうから、そういうものによる交流をすることにも意味があると思っています。
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記者
改正皇室典範の議論の受け止めや御両親として、佳子さまや悠仁さまにどのように歩んでいってほしいですか。
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殿下
皇室典範等の一部を改正する法律が成立したことは承知しております。国会において議論がなされた上で成立したものと受け止めております。この間、報道等でもいろいろその皇室典範についてのことが掲載されていて、私自身もいろいろと考えるところはありましたし、先般、天皇陛下が話されたことをもっともだと、そのとおりだと私は思っています。ただ、ここでそのことについて何かお話しするというのは、制度に関わることでありますので控えたいと思います。そして、娘や息子たちについては、今まで行ってきたように、一つ一つの仕事を大切にしながら、自分たちの務めを果たしていってほしいと思いますし、これはとても月並みな言い方になるかもしれませんけれども、親としては幸せに歩んでいってほしいと願っています。
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記者
若い皇族方へ、国際親善を担われる若い皇族方への期待を御紹介ください。
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妃殿下
初めの時に娘たちが海外に行ったという話もされましたか。それは南米の方でしたかしら。
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記者
はい。去年、佳子さまがブラジルを御訪問され、5月には悠仁さまが宮中晩
餐 会に御出席されました。 -
妃殿下
佳子が昨年ブラジルを訪問し、悠仁が今年、宮中晩
餐 に出席しました。このように若い皇族が国際親善の経験を重ねる中で、自分と自分たちと近い年代の人たちと交流し、お互いの国や地域、社会、文化への理解を深め、長い友情を育んでいくことは大切なことだと思っています。 -
記者
皇室典範の議論を含めたお受け止めですとか、御両親として、佳子さま、悠仁さまにどのように歩んでいってほしいか、お考えをお聞かせください。
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妃殿下
皇室典範の一部が改正されたことは承知しております。佳子と悠仁が二人それぞれ幸せな歩みを進んでいってほしいと心から願っています。
<在日外国報道協会代表質問>
- 問3 パラグアイには日系人社会もあり、日本と友好関係が深い国の一つで、10年前には眞子さまが移民80周年の記念式典にご臨席されました。パラグアイについて眞子さまからお聞きになったこと、両殿下が楽しみにされていることはどのようなことでしょうか。また、同じく南米には佳子さまがペルーとブラジルを2023年と2025年に訪問されました。ますます重要になっている女性皇族の役割についてどのようにお考えでしょうか。一方で、また、皇族数確保等の議論では男系男子の重要性が大いに強調されましたが、両殿下は皇室や皇族の最も重要な役割はどのようなことだとお考えでしょうか。
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殿下
もう10年前のことになりますので、はっきりした記憶はないんですけれども、長女は七つの都市に行っています。先ほど妻もお話ししましたけれども、アスンシオンと、それからチャベス、ラ・パス、ピラポ、イグアス、そしてエンカルナシオン。それぞれ行った土地のことについて話を聞いた記憶がありますし、また、行った先々で多くの人から温かく迎えてもらった、そういうことを話していたように記憶しております。それで、このことは何年前になりますか、長女と私がパラグアイから勲章を頂戴したことがあるんですけれども、その贈呈式の後に、長女が当時の駐日パラグアイ大使にも、先ほどお話しした多くの人に温かく迎えていただいたということを話していた、そういう記憶があります。あと、楽しみにしていることですか。20年前にも一度訪れていますので、この20年間の発展というものを感じることができるのかなと思うとともに、パラグアイの文化の一端に触れることができればいいなと思っています。また、今回も日本人移住者や日系の人たちとお話しすることになっていますけれども、最初の移住が開始されたのがラ・コルメナで、既に90年前ですね。それから一番新しい移住地、今度行くイグアスも1961年ですから、65年経っています。日本から移住した人たちも非常に高齢になっています。この機会にですね、日本人移住者の人たちから改めてお話を聞くこと、そしてまた今度は二世、三世以降の人たちともお話ができることを楽しみにしています。もちろん個人的なことを言えば、もし時間があれば、例えば向こうにあるエスタンシアの牧畜の様子だとか、そういうものを実際に見学できればいいわけですけども、今回は時間もありませんので、また何かの機会にそういう機会を持つことができればいいのではないかなと思います。
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記者
佳子さまが大変御活躍、南米にも行かれまして、女性皇族の役割が大変重要になっていると思いますけれども、その役割についてどのようにお考えでしょうか。
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殿下
皇族の役割としては、やはり社会の要請を受けて、それが良いものであれば、その務めを果たしていくということだと私は思います。そういうことを進めていくということについて、私は女性、男性の区別というのはないと考えています。
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記者
皇室典範の改正の議論で男系男子ということが、とても強調されたわけですけれども、両殿下にとって、皇室そして皇族の皆さまにとって最も大事なことは何だと考えていらっしゃいますでしょうか。
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殿下
そうですね。やっぱり大事なこと、いろいろあると思うんですけども、一つ挙げるとすれば人々の暮らしや社会の状況に目を向けて、人々の幸せを願い、また、その気持ちに寄り添っていく、そういうことではないかと私は思います。
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記者
パラグアイを今回御訪問なさるに当たって、眞子さまから前回行かれた時の話をお聞きになったこと、また今回楽しみにされていらっしゃることを教えてください。
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妃殿下
眞子はちょうど10年前に移住80周年にあたり、アスンシオンで開かれた記念式典に出席して、また各地の移住地を訪れました。それぞれの移住地で皆さまがあたたかく迎えてくださったこと、一世の方から、娘と同じ年代の方まで、多くの方々とさまざまなお話をする時間をいただいたこと、大変ありがたく
嬉 しいことだったとの話が心に残っています。今回パラグアイを訪問することになりますが、滞在するアスンシオン、そして移住地のラ・コルメナとイグアスで出会う方々とお話をしたり、機会があれば、多様性に富んだ社会で育まれてきた伝統文化にふれることがあればと思いましたり、アスンシオンでは学校を訪れ、どのように子どもたちとすごせるのかしらと思いましたり、ちょうど私たちが訪れる時期は、パラグアイの春先にあたり、ラパーチョのお花がピンク色、白色と順番に黄色と咲いていくようですけれども、そのお花を見ることができたら、などと思っております。
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記者
女性皇族方が大変御活躍ということで、そのような女性皇族の役割について、どのようにお考えでしょうか。
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妃殿下
眞子が10年前の2016年にパラグアイ、そして2年後にブラジルを訪問して、そして佳子が2023年と2025年にそれぞれ南米のペルーとブラジルを訪れて、現地でさまざまな交流を重ねてきました。このように皇族、一人一人が大切な務めや役割があると思っております。私自身、皇族の務めが果たせるように、これからも心を尽くして努めたいと思っております。
そして、私も宮様がお話をされていましたように、天皇陛下のお考えの下、人々の暮らしや社会の状況に目を向けて人々の幸せを願い、気持ちに寄り添い続けていくことが、皇族として大切なことであると思っております。
- 関連質問1 皇室典範の改正について、殿下に改めてお伺いいたします。先ほど制度改正に関わることで、発言を控えたいとの御発言がございました。その一方で天皇陛下が仰っていたのは、国民の理解が得られるものをということでした。やはり象徴天皇制の下で皇室制度をどうするかということは、国民に広く皇室の方々のお気持ちとか御意向とかですね、置かれている立場というものを共有した上で議論されて、制度設計されていくというのが好ましいと思うんですけれども、今回の議論を見ていますと、そういった皇室の方々が置かれた境遇とか、お気持ちとかそういったものが議題としてですね、明確に示されたというのは、ちょっと国民は感じられなかったと思っています。そういった意味でやはり重要なのは、皇室の方々がそれぞれの人生に関わる制度設計について、どのようなお気持ちであったかとか、どのような境遇に置かれているかっていうのは、日頃から国民に広く伝わっていくことが重要だと思いますけれども、殿下はそういった皇室の方々の御意向の表明とか、皇室の方々が置かれている立場についての説明っていうのは、現状のままでよろしいとお考えなんですかね。それとも何か少し工夫ができないかとか悩んでいらっしゃるようなところがおありなのかですね。その辺ちょっと改めてお伺いできればと思います。
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殿下
2年ぐらい前でしょうか。娘たちの話だったでしょうか。女性皇族の話だったのかな。それぞれ生身の人間っていうお話をしました。私も生身の人間なんですよね。ですから、いろいろと思うところは、もちろんあります。無かったらおかしいと私は思いますけども。ただ、それをどうやって発信することができるか、それから伝えていくことができるか、さらにそれが法律ともし関わってきた場合どうするか、その辺の関係というのは非常に難しいと思います。そういうことから、私としては、なかなかそのことについてですね、お話しすることができないというのが現状です。
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記者
もう少し研究の余地があるというか、そのようにお感じでしょうか。それとも、今の状況がぎりぎりというか。
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殿下
これもお話しするのは難しいことではありますけれども、やっぱり世の中って進歩していくことが大事ですから、常にどうあったらいいのかということを、いろいろな人が考えていくことは大事じゃないかなと思います。