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秋篠宮皇嗣同妃両殿下 パラグアイご訪問時のおことばなど(一覧)

パラグアイ

  • サンティアゴ・ペニャ・パラグアイ共和国大統領閣下、レティシア・オカンポス大統領令夫人
    ご列席の皆様、

    ただいまは、ペニャ大統領閣下から丁重なる歓迎のお言葉をいただき、感謝を申し上げます。このたび、パラグアイ日本人移住90周年の機会に、大統領閣下からのご招待をいただき、この緑豊かな美しい国、パラグアイ共和国を20年ぶりに、そして、今回は二人で訪問できましたことは、私どもにとりまして大きな喜びであります。

    昨日の到着以来、ここアスンシオンの市民の皆様から温かい歓迎をいただいていることに感謝の気持ちを持つとともに、この20年のアスンシオンの発展ぶりに深い感銘を受けております。

    そして、本日は、昨年5月の大阪・関西万博のパラグアイ・ナショナルデーにご臨席のため訪日された際にお会いして以来、再びペニャ大統領閣下、オカンポス大統領令夫人にこの美しいロペス宮殿でお目にかかることができましたことを心からうれしく思います。

    日本とパラグアイはちょうど地球の反対側にあり、地理的に非常に離れております。しかし、こうした距離や気候風土、文化、歴史の大きな違いにもかかわらず、両国は非常に緊密な関係を培ってきました。

    これは、日本からの技術協力をはじめとする経済協力の長年にわたる関係が築かれてきたことや、我が国における東日本大震災時にパラグアイの人々がパラグアイ産大豆を用いた豆腐などの支援物資、義援金を被災者に提供くださるなど、両国の各分野の関係者、そして両国民のたゆまぬ努力の賜物であります。それとともに、日本とパラグアイとの格別に良好な関係においては、両国の架け橋として活躍する日本人移住者・日系人の方々の貢献を忘れることはできません。

    明日は、ペニャ大統領閣下、オカンポス大統領令夫人と共に、パラグアイ日本人移住90周年記念式典と記念祝賀会に出席いたします。また、今回の滞在中には、日本人が1936年に移住を開始した最初の居住地であるラ・コルメナ、そして1961年に移住を開始した最も新しい居住地であるイグアスを訪問いたします。これらの機会に、この90年間の日系社会の歩みについて改めてお話を伺うことを楽しみにしています。

    日本人移住者・日系人は、言葉も文化も異なる地で、厳しい自然環境の中様々な困難を乗り越え、麗しきグアラニーの大地にしっかりと根を下ろし、パラグアイ社会の様々な分野で活躍しています。日系社会の人々がパラグアイの社会に貢献し、厚い信頼を得ていることに敬意を表します。

    そして、その日系社会を温かく受け入れてくださったパラグアイの社会があったからこそ、今日の日本とパラグアイの歴史的な友好関係が築かれているのであり、このことにも改めて感謝申し上げます。

    日本とパラグアイの友好関係は、長年にわたり多くの人々の努力によって築かれてきたものです。この移住90周年を里程標として、両国の交流と協力がより一層深化することを期待しております。

    ここに、ペニャ大統領閣下、オカンポス大統領令夫人、ご列席の皆様の御健勝、ならびにパラグアイと貴国国民のますますの御繁栄、そして両国間の友好関係が一層発展することを祈念し、杯を挙げたいと思います。

    サルー(乾杯)。ムーチャス・グラシアス(ありがとう)、アグイジェ(ありがとう)。

  • サンティアゴ・ペニャ・パラグアイ共和国大統領閣下、レティシア・オカンポス大統領令夫人
    ミゲル・イシダパラグアイ日本人移住90周年記念祭典委員会委員長
    ご列席の皆様、

    パラグアイ日本人移住90周年という記念すべき本年、ペニャ大統領閣下のご招待をいただき、パラグアイ共和国を訪問することができましたことは、私どもにとりまして大きな喜びであります。そして本日、ペニャ大統領閣下ならびにオカンポス大統領令夫人ご臨席のもと、「パラグアイ日本人移住90周年記念式典」において、皆様と共に、移住90周年をお祝いできますことを大変うれしく思います。

    私がパラグアイを訪問するのは、日本人移住70周年の年以来20年ぶりになります。その20年前、「パラグアイ日本・人造りセンター」において、各地から集まった500名を超える方々に温かく迎えていただき、共に70周年を祝ったことをよく覚えております。また、10年前の移住80周年の機会には、私どもの長女が記念式典に参列し、同じように温かく歓迎していただきました。そのようなことから、パラグアイは、私どもにとってゆかりのある場所となりました。

    本日、再び皆様とお目にかかることができましたことに、深い感慨を覚えております。

    今から90年前の1936年、ラ・コルメナに日本人が初めて入植しました。以来、戦争による中断はありましたが、日本からの移住は、連綿と続きました。日本人移住者・日系人の皆様は、厳しい自然環境や文化、言語の違いを乗り越えて、難しい開拓を成し遂げ、パラグアイの地域社会に根付くとともに、今日の日系社会の基盤を築いてこられました。そして、パラグアイ社会の中で信頼を確立し、世代を継いでパラグアイの発展に大きく貢献しておられます。

    移住90周年を迎えた今日、それぞれの移住地で様々な困難を克服し、この大地にしっかりと根を張ってきた皆様、また、アスンシオン、シウダー・デル・エステ、エンカルナシオンなどの都市部においてパラグアイ社会に貢献してこられた皆様の歩みに、心から敬意を表します。また、今回、訪問することがかなわなかった、チャベス、ラパス、アマンバイ、ピラポの移住地などにおいて、厳しい環境を克服して今を築き上げてこられた皆様に対しても、私どもの深い敬意と感謝を捧げます。

    同時に、社会の多様性を尊び、日本人移住者・日系人をパラグアイ人として温かく受け入れて下さったパラグアイの皆様に対し、改めて深く感謝の意を表します。

    日本とパラグアイは、お互いに地球の反対側にあり、その歴史や文化にも大きな違いがあります。しかしながら、両国は伝統的に大変緊密な関係を培ってきました。お互いに親しい気持ちを抱くことができるのは、今や1万人を超える日本人移住者と日系人の皆様に負うところが大きいと申せましょう。皆様には、ここパラグアイにおいて、その未来のためにますます活躍されることを祈念いたします。そして今後とも、両国の友好の架け橋として貢献していただければ幸いに思います。

    おわりに、パラグアイ共和国の益々のご繁栄、日本とパラグアイとの友好親善関係の増進、パラグアイの日系社会の一層のご発展、そして、本日お集まりの皆様の末永いご健勝とお幸せを心からお祈りし、本式典に寄せる言葉といたします。

    ありがとうございました。
    ムーチャス・グラシアス(ありがとう)
    アグイジェ(ありがとう)

  • ノルマ・サラテ・デ・モンヘス パラグアリ県知事
    セルヒオ・ガレアーノ ラ・コルメナ市長
    アドリアナ・オルティス・セメデイ 文化庁長官
    ラ・コルメナ日本文化協会 カナザワ・トモエ会長
    ご列席の皆様

    ブエナス・タルデス(こんにちは)、
    バエイ・シャパ(お元気ですか)

    本日は、私どものため、このような会を催していただき心より感謝申し上げます。カナザワ会長をはじめとするラ・コルメナ日系社会の皆様の温かいおもてなしに対し、厚く御礼申し上げます。

    日本人がパラグアイへ移住を開始してから90年という記念すべき年に、ペニャ大統領閣下からご招待をいただき、パラグアイ共和国を訪問しております。昨日は、アスンシオンにおいて、ペニャ大統領閣下、オカンポス大統領令夫人ご臨席のもと、「パラグアイ日本人移住90周年記念式典」が盛大に挙行されたことに感銘を受けました。そして今日は、90年前の1936年、日本人が初めて入植した歴史的な地であり、「果物の都」として知られる美しい町ラ・コルメナを訪れることができ、大変うれしく思います。

    20年前にラ・コルメナを訪問した際、移住開始当時を知る1世の方から「焼けすぎ3年、不焼け3年」という言葉を伺いました。樹木伐採後の野焼きの加減が難しく、一度失敗すると土地が使えるようになるまで3年の歳月を要することを表した言葉でした。往時の大変さの一端を表す言葉だと思い、私の記憶に深く残っています。移住90周年を迎えるに当たり、改めて、この言葉と共に、多くの困難を乗り越えてきた先人の方々のご功績に思いを致したいと思います。

    先ほど、宮坂国人公園において慰霊碑に献花をしてまいりました。長く多くの困難を伴う歳月の中、志半ばにして亡くなられた方々も少なからずおられると承知しています。ここに、改めて哀悼の意を表します。

    今日、こうした世代を継いだ苦労を経て、日本人移住者・日系人の皆様が美味しい果物の生産など、様々な分野で活躍し、パラグアイ社会の大事な一員として重責を担われておられることは大変喜ばしく、心からの敬意を表します。また、JICAの協力事業を通じ、「IKOI(いこい)」など新たな日本の協力が、目に見える形でラ・コルメナの現地コミュニティに貢献していることを大変うれしく思います。

    同時に、日本人の移住を快く受け入れ、温かく見守って下さったパラグアイの人々、とりわけ、日本人移住者を良き理解者として支え、戦時中もその保護に尽力して下さった故アグスティーナ・ミランダ・ゴンサレス氏の功績に深く感謝の意を表したいと思います。

    移住がラ・コルメナで始まってから90年が経ち、日系社会では現在、新しい世代の人々への日本語や日本の文化、そして移住の歴史の継承に向けての努力が行われていると伺っております。本日、お集まりの若い世代の方々を含め、日系社会の一人ひとりが、パラグアイにおいて、それぞれの場で一層の活躍をされるとともに、幾久しく日本とのつながりを大切にされますことを願っております。

    おわりに、この地で生活される皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈りし、私の挨拶といたします。

    ムーチャス・グラシアス(ありがとう)
    アグイジェ(ありがとう)

  • セサル・ランディ・トレス アルト・パラナ県知事
    カワノ・マウロ イグアス市長
    ハビエル・ラミレス 観光庁長官
    イグアス日本人会 福井一朗会長
    エステ日本人会 下秀樹会長
    イグアス農業協同組合 大西ホルヘ組合長理事
    ご列席の皆様

    ブエナス・タルデス(こんにちは)
    バエイ・シャパ(お元気ですか)

    本日は、私どものため、このような会を催していただき心より感謝申し上げます。カワノ市長、福井会長、下会長、大西組合長理事、そしてイグアスとシウダー・デル・エステの日系社会の皆様の温かいおもてなしに、厚く御礼申し上げます。

    日本人がパラグアイへ移住を開始してから90年という記念すべき年に、ペニャ大統領閣下からご招待をいただき、この度、二人でパラグアイ共和国を訪問することができました。21日のアスンシオンにおける「パラグアイ日本人移住90周年記念式典」、昨日のラ・コルメナへの訪問に引き続き、本日、豊かな亜熱帯の自然を有するティエラ・コロラダのイグアスを初めて訪問することができ、大変うれしく思います。

    パラグアイにおける最も新しい日本人の移住地であるこのイグアスも、今から60年以上前の入植当初は、原生林に覆われていたと聞いております。

    先ほど、移住史料館を訪れ、移住の歴史を学び、また、移住当初の農機具や家財道具の展示を拝見しました。厳しい自然環境と向き合いながらも、開拓事業を見事に成し遂げ、パラグアイではイグアスから始まった不耕起栽培をはじめ、創意工夫と強い絆(きずな)でパラグアイ農業の一大拠点となる地域社会を築き上げてこられた皆様の並々ならぬご努力に深く敬意を表します。

    また、先ほど慰霊碑に献花をしてまいりました。この移住地を切り拓いた先人に、改めて哀悼の意を表します。

    ここイグアスでは、1961年の入植後、初代市長を務められた石橋学(いしばし まなぶ)市長のほか、カワノ現市長も市政を担うなど、日本ならびに日系の皆様が日系社会のみならず、地域全体の発展に多大な貢献をされていると承知しております。

    また、様々な国からの移住者が共存し、著しい発展、変化を遂げているシウダー・デル・エステにおいても、日系社会による日本の文化の発信や日本語教育の普及を通じ、日本への親しみが広がっていると伺っております。

    この地域に広がる日系社会が、経済的な発展のみならず、教育、文化、そして地域社会との調和を重視し、パラグアイ社会の一員として信頼を築いてこられたことに深い感慨を覚えます。

    これからも、イグアスとシウダー・デル・エステの日系社会が、パラグアイの発展に大きく寄与されるとともに、日本とパラグアイの友好関係を支える拠点として、ますます発展されることを願っております。

    おわりに、本日お集まりの皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈りし、私の挨拶といたします。

    ありがとうございました。
    ムーチャス・グラシアス(ありがとう)
    アグイジェ(ありがとう)

秋篠宮皇嗣同妃両殿下のご印象

  • 「パラグアイ日本人移住90周年」の機会に、サンティアゴ・ペニャ・パラグアイ大統領閣下からのご招待をいただき、パラグアイ共和国を20年ぶりに、そして今回は二人で訪問できましたことを大変嬉しく思っております。

    到着後、英雄廟において献花をいたしました。三国同盟戦争(1864〜1870)とチャコ戦争(1932〜1935)で命を落とした人たちが祀られている廟です。献花後に廟内を案内していただきましたが、南米史上最も苛烈な戦とされる三国同盟戦争時にはパラグアイの男性の9割が命を落とし、子どもも戦争にかり出された歴史があることの説明を受けました。廟内に安置されている小さな柩にも心が痛みました。
     夕刻には、パラグアイ在住の邦人やJICAの関係者(専門家や協力隊員)と懇談する機会をもちました。それぞれの立場でパラグアイに貢献している様子を聞き、日本とパラグアイの関係に尽力していることを改めて感じました。

    2日目には、ペニャ大統領ご夫妻を表敬いたしました。今回の訪問は、昨年5月に来日された大統領閣下から直々にオファーをいただいたことに端を発します。この度、お目にかかるのが2度目になり、親しくお話しをするよい機会となりました。ペニャ大統領閣下は、冒頭の懇談の場所で大統領執務室に飾られている肖像画について詳しくお話しくださいました。その後、「クニャ・グアパ」の展示、伝統工芸であるニャンドゥティとアオポイの製作の実演をご案内いただきました。引き続いて行われた午餐会においても、大統領ご夫妻とさまざまなお話しをすることができ、日本との関係をとても大切に思われていることが、お話しの端々から伝わってきました。
     その後に訪れた港文化センターでは、パラグアイの伝統的な手工芸品の実演を見学し、パラグアイの伝統的な音楽のひとつであるグアラニアの演奏を鑑賞する機会に恵まれました。そして、日本が供与した河川の浚渫船のお披露目式も同じ場所で行われ、大統領ご夫妻もご出席になりました。この浚渫船がパラグアイの重要な輸送を末永く担うことを願っております。

    その翌日には、パラグアイ日本人移住90周年記念式典に参列しました。最初に慰霊碑に献花し、農産品などの物産展・移住の歴史を紹介する写真展を見学した後、ペニャ大統領ご夫妻並びに国内各地から参加した日本人移住者や日系人の方々とともに式典に出席しました。式典に続いて行われた祝賀会では、移住の歴史を振り返る動画、デュオのプラヘイ・ソウルの歌や日本と関係のある4つの学校による合同の合唱などが披露され、和やかな雰囲気の中、移住90年という節目の年を多くの出席者とともにお祝いすることができたことは嬉しいことでした。また、祝賀会にも大統領ご夫妻が出席してくださり、この90周年をとても大切に思ってくださっていることに感銘を受けました。
     その後、日本と関わってきたパラグアイの方々や、全国から集われた多くの日本人移住者・日系人の方々とお話しする機会がありました。各々の分野で日本との関係を大切にされてきたパラグアイの方々からは、自身の日本との関わりや日本への思いを伺いました。また、困難を克服して、事業を成し遂げ、もって、パラグアイ人の信頼を確立してこられた日本人移住者・日系人の皆さまからは、出身地や移住した当時のこと、これまでの経験や、現在の暮らしぶりなどについて貴重なお話しを伺いました。
     日本とパラグアイとは地理的に離れていますが、とても親しい関係を築いています。これは両国の関係者や両国民の努力の賜物であり、また、両国の架け橋として活躍する日本人移住者・日系人の人々の貢献によるところが大きいと感じました。

    今回、かつて日本人が移住した居住地を訪れることも目的の一つでした。前回、文仁が訪ねた際には、最初の移住地であるラ・コルメナのみの訪問でしたが、今回は最も新しい移住地であるイグアスも訪ねることができました。本当は6つある全ての移住地に行ければよかったのですが、時間の都合上、上記2つの訪問となりました。

    日本人が最初に移住したラ・コルメナでは、日本語学校の子どもたちの元気な歌声で迎えられ、日本人会の方々が並んで迎えてくださった道を進み、拓殖記念碑を見学しました。続いて、慰霊碑に花を手向けました。その後、近年JICAの草の根プロジェクトで、農村女性のエンパワーメントのために作られた観光情報センター「IKOI」において、商品等の説明を受けました。
     日本人移住者と日系人の1世から4世の方たちとお話しをする機会もありました。昔は原生林という厳しい自然環境のもとで開拓を成し遂げ、パラグアイの発展に大きく貢献してこられた日系人の皆さまの足跡の一端に触れることができました。また、若い世代の方からは、日本が有するよい文化を次の世代に繋げていきたいとの話しがあり、両国の友好関係の深化に寄与する人たちの存在を感じました。
     お昼には、ラ・コルメナ日本文化協会が昼食会を催してくださり、パラグアイの日系社会に伝わる日本食や、日本語学校に通う子どもたちによる歌で、心のこもったおもてなしをいただきました。
     午後には田中秀穂写真記念館に行き、かつてのパラグアイの様子や当時の道具や生活用品、その時代の医療機器などを見学しました。

    次に訪れたイグアスでは、はじめに日本人会や日本語学校の子どもたちに迎えられて中央公園に行き、上皇上皇后両陛下が1978年に植樹されたラパーチョとサクラを見学しました。48年を経て大きく成長している樹に、時の流れを感じました。その後、霊園にある慰霊碑に献花をし、東京農業大学の記念碑を見学した後、移住資料館を見学しました。初期の頃からの写真や農機具・家財道具、祭りで使う御神輿などが展示されており、移住の歴史を改めて学ぶ機会となりました。また、日本語学校の校庭で子どもたちと一緒にラパーチョとサクラの植樹をおこない、お話ができたことも嬉しいことでした。
     昼食会場であるイグアス日本人会館の玄関付近には、10年前にイグアスを訪れた長女が植えたサクラの樹の花が咲いていました。そのサクラを見た後、アルト・パラナ県日本人移住者と日系の方たちが昼食会を催してくださり、鬼剣舞、ボトルダンスや和太鼓を披露してくださいました。そして、日本人会の婦人部お手製のお弁当を美味しくいただきました。
     午後には、アルト・パラナ県、具体的にはイグアスとシウダー・デル・エステ在住の日本人移住者と日系の方たちと懇談の機会をもちました。1世の中には、1936年に始まった最初の移住者としてパラグアイへ渡った方もおられました。移住当時の話やその後のパラグアイでの暮らしなど、さまざまな話を伺い、私たちも往時に思いを馳せました。また、若い世代の方たちともお話しができました。日本での研修に参加したことや今後の農業について考えていることなどを話してくださり、農業の将来を考える機会にもなりました。

    今回、日本語や日本の文化の教育に力をいれているニホンガッコウと日パラグアイ学院という二つの学校を訪れたのも感慨深いことでした。この二つの学校からは、これまで在校生が何度も日本に研修で訪れており、その際に私たち家族とも交流の機会がありました。今回は、パラグアイでそれぞれの学校を訪問し、授業などの様子を拝見するとともに、在校生と交流することができたのは嬉しいことでした。また、現地の日本人学校も訪問し、その折りには、児童・生徒たちが、軽やかなパラグアイのダンス(ダンサ・パラグアージョ)を披露してくださいました。学校行事やパラグアイでの生活の様子も伺い、現地で、さまざまな経験をつんでいることも心に残りました。

    パラグアイ日本人移住70周年の年には文仁がパラグアイを訪問し、80周年の年には長女が記念式典に参列したほか多くの移住地を訪れ、そして今回の90周年は二人で訪問いたしました。
     5泊の滞在の間、首都アスンシオンのほか、ラ・コルメナとイグアスという2つの移住地を訪れ、日本人移住者や日系人の方々のこれまでの歩みや現在の活躍の様子を伺うとともに、さまざまな立場で両国関係に尽力している方たちとも交流をすることができ、印象深く、かつ、有意義な旅となりました。20年の時を重ねてきたことを思うと、私たちにとって、パラグアイは大変思い出深い地となったと申せましょう。

    今次訪問にあたっては、ペニャ大統領閣下ご夫妻ならびに政府関係者から大変丁寧にお迎えいただくとともに、行く先々で日系人を始め多くの人たちに温かく迎えて頂き、ありがたく思っております。私たちの訪問に際し、力を尽くしてくださり、心を寄せてくださった多くの方々に感謝の意を表します。

    この90周年を里程標として、パラグアイの日本人移住者・日系人の方々がこれからも国の発展に尽くされるとともに、日本とパラグアイとの友好の架け橋として一層ご活躍をされること、そして両国の友好親善関係がさらに深まることを心から祈念しております。