皇居東御苑は、皇居造営の一環として、昭和35年1月29日の閣議決定に基づき、皇居東地区の旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を皇居附属庭園として整備することになり、昭和36年に着工し、昭和43年9月に完成しました。面積約21万平方メートルの庭園は、昭和43年10月1日から宮中行事に支障のない限り一般に公開されています。
また、開園以前は、上皇陛下の御姉妹(内親王様方)のお住まいや、倉庫、作業所等の実用的な施設が各所に点在し、また、広い馬場もありました。
以下ページでは、今から50年以上前の、それら各所の様子を撮影した未公開の写真をご紹介しています。
現在の各施設の詳細については、園内案内よりご確認ください。
園内案内
本丸地区
富士見櫓(ふじみやぐら)

明暦3(1657)年の大火で、天守も富士見櫓も焼失し、富士見櫓は万治2(1659)年に再建されました。
江戸時代には、将軍がこの櫓の中から富士山・品川の海・両国の花火などを眺めることもあったそうです。
富士見櫓は宮中晩餐の際や年末年始にライトアップされます。
石室(いしむろ)

富士見多聞(ふじみたもん)

濠を渡ったり、石垣を登ってこようとしたりする攻め手に対して、細い窓から鉄砲や弓矢などで攻撃するための拠点となりました。
また、武器を始め、いろいろな物を収める倉庫の役割も果たしました。
本丸バラ園

大半のバラは、皇居東御苑から濠を隔てた西側にある吹上御苑にあったものを移植したものです。それらは、昭和天皇が献上をお受けになって、お住まいのある吹上御苑でお育てになっていたものです。
初夏には各種のバラの花が咲きます。
松(まつ)の大廊下跡(おおろうかあと)

元禄14(1701)年、この大廊下で、天皇のお使いである勅使を接待する役目を負っていた、現在の兵庫県にあたる赤穂の大名・浅野内匠頭長矩が、朝廷関係の儀礼の責任者であった吉良上野介義央に突然斬り掛かり軽傷を負わせました。
内匠頭は、その日のうちに切腹を命じられました。
「忠臣蔵」として有名な赤穂浪士による吉良邸への討ち入りのきっかけとなる事件が起きた場所です。
果樹古品種園

江戸時代に日本で栽培されていたものの今では廃れてしまった果樹の古い品種を植えて入園者に楽しんでもらうため、上皇陛下のお考えからつくられた果樹園です。
東側のエリアにはカンキツ5品種、ニホンナシ5品種、モモ・スモモ4品種、西側のエリアにはワリンゴ3品種、カキ5品種が植えられています。
桜の島

2月から4月まで、いろいろな形・色のサクラの花が春を彩ります。
野草の島

茶畑

秋には小さな白い花が咲きます。
竹林

皇居の西側地区にあった、昭和天皇のお住まいの近くに植えられていた日本と中国の竹・笹類13種類が移されたものです。
これらは、昭和天皇のお印「若竹」にちなんで、昭和天皇の喜寿等を記念して、宮内庁職員が献上していたものです。
本丸大芝生(松の芝生、ケヤキの芝生)

気象台発祥の地でもあり、正しい時刻を知らせる午砲(ドン)台が明治4年に設置され、廃止されるまでの58年間、近衛兵が正午の正しい時報を撃ちました。
令和元(2019)年に天皇陛下が皇位を継承された後、即位後に一度だけ行われる伝統的な儀式、大嘗祭が同年11月に行われました。
江戸城復元模型

五重(5層の屋根)6階の建物と石垣の天守台を合わせた高さは約60メートルで、日本にあった城の天守の中で最も高いものでした。
天守台

書陵部庁舎

書陵部は皇室に伝えられてきた歴史的に貴重な文書の保管、皇室の歴史の編纂、歴代の天皇や皇族のお墓の管理や調査などを担当しています。
庁舎の両側にある書庫などには、約71万点を超える歴史的資料が所蔵されています。
展覧会、デジタルアーカイブ等による資料の公開、調査研究の成果の公表なども行っています。
展望台

この付近に本丸御殿の台所があったことからそう呼ばれたものです。
現在は二の丸や大手町方面のビル群を眺めるのによい展望台となっています。
楽部庁舎(がくぶちょうしゃ)

雅楽を演奏する楽部職員の庁舎です。
春と秋、楽部庁舎で開かれる雅楽演奏会には、天皇皇后両陛下や皇族方もご臨席になります。秋の雅楽演奏会は一般の方も抽選で観覧ができます。
桃華楽堂(とうかがくどう)

香淳皇后が還暦を迎えられたことを祝して、昭和41(1966)年に建てられました。「桃華」という名称は香淳皇后のお印「桃」にちなんだものです。
屋根はテッセンの花弁を象っています。8面体の壁面は各面とも大きく羽ばたいた鳥を中央に配置し、それぞれ日・月・星、楽の音、松竹梅などをイメージした図柄が陶片で描かれています。
大奥跡

二の丸地区
梅林坂

現在も紅白の梅が多数植えられており、12月末から2月まで花と香りを楽しめます。
汐見坂(しおみざか)

二の丸雑木林

造成にあたっては東京近郊の開発予定地にあった雑木林の表土を移したため、植物の種子や根、昆虫の卵、土の中の生物も一緒に運ばれ、早期に生態系を再生することができました。
大きくなりすぎた樹木を間引き、萌芽更新を行うとともに林床の下草を刈って野草が生育できる環境を維持しています。
新雑木林

常緑広葉樹の植えられていた区画を落葉広葉樹の林に改めたもので、多様な生き物のすみかとなるよう隣の雑木林から種子や昆虫の卵の入った表土を運び入れ、野鳥や昆虫の好む樹木を植えて小さな流れもつくりました。
都道府県の木

なお、沖縄県の木であるリュウキュウマツは沖縄の施政権が米国から日本に戻った昭和47(1972)年に植樹されました。
諏訪(すわ)の茶屋(ちゃや)

その場所に昔は諏訪の神を祀る諏訪社があったと言われており、諏訪の茶屋の名前もそのことに由来します。
明治時代の数寄屋建築として優雅な外観をもっているため、皇居東御苑の整備に当たり現在の場所に移されました。
二の丸庭園

現在の回遊庭園は昭和43(1968)年の皇居東御苑の公開にあたり、18世紀半ば頃の庭園の絵図を参考に造られたものです。
二の丸池

二の丸池には、コウホネ・ヒメコウホネ・アサザなどの水生植物が生育しています。
初夏から秋にかけて水面を覆いそれぞれ黄色や白色の花を咲かせます。
コウホネは上皇上皇后両陛下のお住まいであった御所の池から移植したものです。
また、池の中にはヒレナガニシキゴイというコイがいます。
上皇陛下のご発案により、インドネシアのヒレナガゴイと日本のニシキゴイを交配して生まれました。水中で長い鰭や尾鰭をなびかせて泳ぐ姿が見られます。
菖蒲田

84品種のハナショウブが植えられています。
皇居東御苑造成中の昭和41(1966)年に明治神宮の菖蒲田から株を譲り受けて以来、大切に守り育てているものです。
5月末から6月中旬にかけて、色や形が様々な花が楽しめます。
三の丸地区
同心番所(どうしんばんしょ)

大番所(おおばんしょ)

江戸城から皇居になった後、この建物は改築されて作業所として使われていましたが、昭和43(1968)年、皇居東御苑開園に際して江戸時代の形に復元されました。
百人番所(ひゃくにんばんしょ)

甲賀組・伊賀組・根来組・二十五騎組という4組の鉄砲百人組が昼夜交替で勤務していました。各組は20人の与力と100人の同心で構成されていました。
皇居三の丸尚蔵館

詳細は以下よりご確認ください。
