会見年月日:平成18年11月24日
会見場所:秋篠宮邸
9月6日に長男の悠仁が生まれたわけですけれども,まずは無事に生まれてよかったということ,そして,12年ぶりになりますので,私たちにとっては久し ぶりの赤ちゃんというわけですけども,その意味で大変新鮮な印象を受けました。部分前置胎盤ということで,比較的早い時期から入院をしたわけですけれど も,近年は医療が非常に発達しておりますので,必要以上に心配することはなかったと思います。入院中のエピソードなどについては,そちらから(妃殿下を振 り向かれて)。
入院中には,両陛下のお見舞いを賜り,心和む時間を過ごすことができまして,大変幸せでございました。娘二人の時と同じように,折々に身重の私をお優し くお気遣いくださり,また前置胎盤であることをお知りになられ,ご心配いただき,いたわっていただきましたことに深く感謝申し上げます。
また,宮様も私が入院している間,また入院する前,久しぶりに経験する出産,そして,それに加えて前置胎盤であること,そのような中 で不安を持っている私を冷静にまた優しく支えてくださり,必要な医学的な事柄をわかりやすく話してくださり,大変うれしゅうございました。
また,娘たちも,ちょうど私が病院に入院していたときは学校が夏休みだったこともあり,宮様と一緒に,あるいはそれぞれ都合のよいお りに,よく見舞いに来てくれました。眞子は,私が楽しみにしていたオーストリアの滞在の話を生き生きと話してくれ,鑑賞した音楽会のパンフレットを見せた り,オーストリアで求めた音楽のCDを一緒に聴いたりしました。佳子は,ほぼ毎日こちらを訪ね,私の傍らで学校の夏休みの宿題をしたり,留守にしていた家 で私がいなかったときの家の様子や,スケートの練習について楽しそうに話してくれました。
子どもたちの中でも特に下の,もう今は下とは言っていけないのですかね。(一同笑)次女の佳子にとっては,母親と長く一緒にいられる時間がとてもうれし かったみたいですね。ですから,足しげく通って,病院で宿題をしていたんでしょうね。
はい。
上の眞子につきましては,佳子ほど長く頻繁に行くということはなかったと思いますけれども,その分,私との会話の時間が多くなりま して,その意味でいい父娘(おやこ)交流ができたと思っております(妃殿下に振り向かれ)。
(すこしお考えになり,質問に答えはじめられる)子どもが無事に誕生したとき,ほっといたしました。あわせて両陛下をはじめ,今年 の春から出産まで励まし,支えてくださった多くの方々,医療関係者や家族に感謝の気持ちでいっぱいになりました。二人の娘たちのときの誕生を思い出しなが ら,家族に新たに一人を迎える喜びと,誕生した幼子へのいとしさと,命をはぐくむことの重さを再び感じました。
三番目の子どもを授かったことを知らされたとき,娘二人のときと同じようにうれしい気持ちと無事の誕生を祈る気持ちを抱きました。お 見舞いについては先ほどお話をいたしましたので・・・。
最後に入院中,手厚い医療と看護を受けながら,心穏やかな時間を家族と持つことができました。そのことにより,前置胎盤の気がかりを 自分一人で抱えるのではなく,不安な気持ちも新しい命を迎える喜びも,家族とともに一緒にあることと思い,無事に一日一日が出産日に近づいていくことを感 謝しつつ,過ごすことができました。
第四子についてですけれども,今は考えておりません。
私たちにとって男の子というのは今まで経験がないことですので,どのような経緯をたどって成長するのか,分かりません。ただ,基本的には長女,次女と同 じように接するつもりでおります。今の段階で言えますのは,元気に育ってくれることを願っているということです。最近の悠仁の様子ですけれども,よく眠っ てよく泣いてよく笑ってといったところです。よくお乳も飲んでますね(妃殿下を振り向かれて)。
(殿下ご発言にうなずかれながら)悠仁は,来月の上旬に3か月になります。眠ることが多かった悠仁も,日に日にめざましく成長し,宮 様や娘たちが抱いて話しかけるとそれにこたえるようにほほ笑み,かわいい声や元気な声をたてるようになって参りました。また,部屋の様子や遊ぶものをじっ と見たり,動くものに関心を示し,目で追うことができるようになってきました。宮様が弾かれるギターの音色を聴きながら,満ち足りた表情でうとうとしてい ることもあります。また,夕方,学校から帰宅した娘たちが悠仁の様子を見に来て,目を見つめて「かわいい」と喜び,それぞれにできる世話をしてくれるので 大変助かります。
悠仁を囲みながら家族でにぎやかに過ごしているとき,10年以上も前,幼い娘たちを夢中になって育てながら仕事をしていた若いころを 思い出します。中学生と小学生になりましても,宮様と私に多くの楽しみと喜びを与えてくれます。そして今,家族5人の日々が始まっていることに感慨を覚え ます。
これからのことについてでございますが,悠仁は誕生してからまだ2か月しかたっておりませんので,今は心身ともに健やかに成長してい くよう,見守っていきたいと思います。以前にもお話いたしましたが,小さいときから基本的な生活習慣を学ぶことは非常に大切であると思います。例えば,あ いさつや感謝の心でしょうか。また,両陛下をはじめ,周りの方々のご意見を伺いながら,必要なことは時を追って私たちもともに学びたいと考えています。 (殿下をごらんになられ,妃殿下が「先ほどの1番目の質問で答えを忘れてしまったことがあるのですけれども。前置胎盤ということを知らされたときは,とい う質問にお答えするのを忘れてしまいましたので,ここでお話ししてよろしいでしょうか。」とのお言葉があり,殿下がうなずかれ,妃殿下がお話しを始められ る。)
前置胎盤であるとの診断を医師より受けたとき,出産の経験が2回ありながらも,前置胎盤をはじめ,妊娠,出産に伴う他のさまざまな医 学的な心配事について,一般向けの医学書を読んで得た情報しか知らないことに気がつきました。前置胎盤は安静にしながら経過を見ていくことが大事であるこ と,安静にしていても母子ともにリスクがあること,しかし,医学の進歩により以前に比べてはるかにリスクが低くなっていることなど,詳しい説明を宮様と一 緒に伺い,それらのことをしっかりと心に留められるよう努めました。
先ほど私も申しましたけれども,安心した気分でいられたんだと思います。
ありがたいことだと思っています。
長女の眞子につきましては先月15歳になったわけですけれども,いわゆる子どもという時期から,大人へと移行している時期ではないかと思います。私と話 をしていても,私が話したことについて自分で考えて意見を言うようになってきたというふうに思っております。今年は沖縄や伊勢に連れて行きましたし,また 夏にはオーストリアでホームステイ,一人で行くのは初めてなわけですけれども,経験して非常に楽しい時を過ごしたようです。これらのことも眞子にとって非 常によい経験になったのではないかと思います。一方,次女の佳子についてはフィギュアスケートを一所懸命するいっぽうで,もともと,あれは何と言うのか な。手芸と言うの?(妃殿下にお尋ねになって)。
はい,手芸。
手芸が好きなんですね。夜とか部屋をのぞいてみると,何を作っているの?(妃殿下に尋ねられて)。
フェルトでものを作ったり。
何か工作をしているんですけれども,生まれてくる子どものためにも何か一所懸命作っているようでした。
それからその次の質問にありました女性皇族の役割についてですけれども,私は私たちと同じで社会の要請を受けてそれが良いものであれ ばその務めを果たしていく。そういうことだと思うんですね。これにつきましては,私は女性皇族,男性皇族という違いは全くないと思っております。ですか ら,女性皇族だから何かという役割というのは,私は少なくとも公的な活動においては思い当たりません。
出産を控え,医師のすすめによって安静に心がけていた私は,宮邸で長く過ごしていましたが,そのような中で,娘たちと語らいの時間 を例年より多く持てました。
娘たちは,毎日,私の体調を優しく案じてくれながら,学校のことなどをいろいろと話してくれました。私からは娘たちに,日ごろ感じて いることや考えていることなどを伝えました。それに対して,それぞれ自分の思いを話してくれました。だんだん私の良き話し相手となり,ときには私が相談し ているような場合もあり,そのような成長をうれしく思います。
娘たちに話したことは,例えば今年,母子保健や地域医療などの仕事に携わっている方々から多くの話を伺いまして,そのような中で例え ば発展途上国には妊産婦や乳幼児をめぐる医療環境が非常に厳しいこと,日本で産婦人科医や小児科医のなり手が少なくなっていることなどについてです。それ に続いて私は娘たちに,「もし私が医療関係者から遠く離れて暮らしていたら,そして前置胎盤であることを知らないでいたら,リスクが非常に高く,今,この ようにして過ごすことが難しかったかもしれない。」との思いを,そして医師,助産師,看護師,その他の多くの方々のお陰で無事に出産し,元気に子どもを育 てることができることへの感謝の気持ちを伝えました。娘たちはそれぞれ私の話にじっと耳を傾けてくれ,私の気持ちを受け止めたように思います。
先ほど宮様も話されましたように,眞子は,今年の夏,学校の夏休みを利用してオーストリアのウィーン郊外にある知人宅で約2週間過ご しました。家を離れて,言葉,食事,その他のさまざまな生活慣習が異なる中で過ごすことには戸惑う場面もあったかもしれませんが,滞在先のご家族には大変 良くしていただき,ありがたく思っています。この機会に,眞子は出会ったさまざまな出来事を自分なりにとらえ,新鮮な発見と喜びを携えて帰国し,貴重な経 験ができたと思います。
佳子は,小学生として最後の年にあたり,春の入学式には1年生を迎える受付係をしたり,夏には臨海学校で1kmの遠泳をしたり,9月 には奈良へ修学旅行に出かけたりするなど,6年生として充実した日々を送っております。また,今までと変わらず,フィギュアスケートの練習にも励んでおり ます。また,9月に誕生する子どものために,一緒に準備や支度を助けてくれました。佳子が,誕生する子どものことをこまやかに思いながら迎えようとする優 しさを,うれしく思いました。
これから先のことについては,娘たちが様々な経験をする中で次第に社会から何を期待されているかを感じ,求められているものに応える ことができるようになってくれればと願っています。
娘たちは,内親王としての紀宮様が結婚されるまでのお姿を近くで見ておりました。紀宮様が一つ一つのお仕事を大切に丁寧にされていた ことを学びながら,娘たちが少しずつ,担う役割に対して理解を深めてくれればと思っております。
私にとっての1年ということですけれども,2月に懐妊がわかり,9月に出産がありました。それからまた,日本の各地を訪れた時に様 々な人と会って話をする機会を得ました。そして,パラグアイを初めて公式訪問いたしました。パラグアイの日本人移住の70周年の式典は,家内の出産の時期 と重なったということがありまして,それに出ることはできませんでしたけれども,この70周年の記念の年に,是非とも訪問したいと思っており,それが実現 したことは,私にとりまして,大変うれしいことでありました。今回,3泊4日だったわけですけれども,その間に比較的ゆっくりと時間をとって,日系人の人 たちと話をする機会がありました。その中には一世の人たちもかなり多くおられたわけですけれども,実際に話を聞いてみると,パラグアイに入植して土地を開 墾することは,私などが想像していたよりも,はるかに,大変だったということが良く分かりました。今はもう普通に人が住むような場所になっているところ も,入ったころは,原生林で大木があるわけですね。その大木を切り倒して,そこを焼き畑というか,火をつけて焼いて耕作地にするわけですけれども,それを 切り倒した時にその木の下に入ってしまって,体が不自由になった人もありましたし,また,これも初めて聞いた言葉でしたけれども,「焼けすぎ3年,不焼け 3年」ということを言われた人がいました。どういうことなんでしょうと聞いてみましたら,火をつけて焼いて,焼きすぎてしまうと土壌が非常に堅くなって, そこから耕作するというのが非常に大変だ。一方,今度は,余り強く焼かないでいると,根が深く入っているわけでしょうけれども,根が残ってしまって,そこ から木が再生したり,害虫が付いたりして,もう一度起こしていくのも大変な作業で,つまり火加減が非常に難しくて,そのいずれの場合でも,さらに3年ぐら いしないと良い土地にできないという話でした。そのようなことは,やはり実際にそれに携わった人に会って話を聞かなければ分からないことでありますし,私 にとりましては,大変貴重な機会だったと思います。
そのようなことのあった1年でしたけれども,私にとって,私というか,私たち家族にとって,良い1年だったのかなと思っております。
全体をまとめてというのは少し難しいかな,と思いますけれども。
まず,天皇皇后両陛下のことに関しましては,毎年そうなんですけれども,外に出てのお務め以外にも,宮殿の中で行われている行事が極めて多いな,という 印象があります。例えば,近年,国が多くなったことによる賓客の来日も多くなりましたし,在京大使と会われる機会も多くなっていると思います。そしてま た,各省庁などからの願いによって,長い年月,社会の中で地道に活動してきた人たちの労をねぎらうというお仕事もかなり多くあります。そのような,ふだん 報道されないような行事が非常に多いなというということ。そして,その一方,例えば,地方に行かれたときには,その中心になる行事のほかに,地方事情の視 察というのがありますけれども,それについてもできる限り,今まで訪れていないところに行こうという気持ちを強く持たれています。例えば,今年の9月の北 海道にしましても,かなりの長距離の移動になるわけです。それらのお仕事を元気に務められていますし,それらの中には,天皇という立場でないとできないも のも数多く含まれていると私は感じます。しかし,やはり年齢的にいってもそれらの多くのお務めをされるのは非常に大変ではないかなということを感じた一年 でした。
また,皇太子両殿下のことにつきましては,オランダ王室の方々との交流を深めるなど,オランダのご旅行も無事に終わりましたし,ま た,つい先だっては愛子内親王の着袴(ちゃっこ)の儀ですか,これも滞りなく終了し,私たちも喜ばしいことだと思っております。もちろん,両殿下も,とて も喜んでおられることだろうと思います。
そして,妹についてですけれども,昨年の11月に結婚しまして,一年たったわけです。結婚するまでの生活から非常に大きい変化があっ たと思いますけれども,まあどうなんでしょうね,少し慣れてきたのかな(妃殿下を振り向かれて)。まあ,だんだん慣れていってくれればいいなと,そのよう なことを感じた一年と言っていいと思います。
余り上手ではないですけれどね。若いころに好きだったもので,その名残みたいな形で,今でも時々弾き語りをするんですけれども。この前パラグアイ,ラテ ンアメリカの方に行きましたのでね,何となくそれが頭にあるのか,例えば,有名な曲ですけど,エル・コンドル・パサとかをですね,鼻歌まじりに(妃殿下の 方を向かれて)。
ほかに花祭り(殿下をごらんになる)。
花祭りね。あと,どうでしょうね(妃殿下をごらんになる)。
(殿下をごらんになって)娘たちが毎日「これを」ということで決まっているわけではなく,それぞれに日々予定がありますので,空い たときに私が足りないところで助けてくれて例えば,洋服を替えたりとか,もちろん,遊んだりするときも一緒になって,後は抱いてほしいときにはあやしなが らお互いに顔を見つめ合って,いい雰囲気で過ごしていることもあります。
今はどうしても眠る時間が長いものですから,眠っている時はなるべく,みんなで静かにしていましょうと心がけたり,起きているとき は,先ほども話しましたように,にぎやかにお互いの一日の様子を話したりしていると,それに悠仁も耳を傾けていますし,私たちの動きをよく見ることが多く なってきまして,恐らくこれから,またひと月ひと月とたつごとに,私が娘たちに頼む世話も増えるかもしれません。
あの,佳子の方ですね。
ごめんなさい,佳子さまの方でしたね。お生まれになるお子様のために何かを作ってらしたとおっしゃったんですが,具体的には何だったんでしょうか。
何を作ってたんでしょうかね。私も作っているところは見たんだけれども(妃殿下に振り向かれて)。
そうですね,佳子は,これから先,一緒になって遊べるちょっとしたものを(殿下にうなずかれ)。
おもちゃでしょうか。ちょっとフェルトで作ったり,触っても大丈夫なものを,時には眞子も一緒になって作っていました。