この一年を振り返って(平成14年)

文仁親王同妃両殿下の記者会見

会見年月日:平成14年12月4日

会見場所:秋篠宮邸

文仁親王同妃両殿下のお写真
記者会見をなさる文仁親王同妃両殿下
(写真:宮内庁)
問1 殿下にお尋ねいたします。この一年の国内外の情勢を振り返りまして,印象に残った出来事についてお聞かせください。
殿下

この一年でいろいろなことがあり,印象に残ることも多々あったわけですが,まず,思いつくままに挙げさせていただきますと,6月に日本と韓国との共同開催でワールドカップが行われました。私もサッカーというものを今回初めて見る機会に接したわけですけれども,チュニジアと日本でしたね。(妃殿下に)

妃殿下

はい。

殿下

大阪で行われたのを見たわけですが,そのワールドカップそれ自体も大変成功だったと思いますし,日本と韓国の友好の年に伴って様々な文化行事,交流行事が行われたと思います。例えば韓国の人たちの大衆文化の展示会とか,名宝展もありましたし,それから日本と韓国の両方の国の宮中音楽についてそれを比較するというレクチャーとデモンストレーションが行われたものを始め,見学する機会に触れて,私自身まだ訪問したことはありませんけれども随分身近に感じるようになりました。

そして10月,ノーベル賞の受賞者の発表がありましたけれども,日本から二人の受賞者が選ばれました。小柴昌俊さんと田中耕一さんのお二人,これは大変喜ばしく明るいニュースであったことと思います。特にこれは言い方がなかなか難しいんですが,田中さんの受賞について,非常に公平な選考がなされたという印象を受け,大変私はうれしく思っております。

そのような明るい話題があった一方で,気分が暗くなるような事柄も起きております。その一つは各地においてテロが起こり,多くの人たちが亡くなったことであると思います。このようなテロの背景には,様々の複雑な事柄があり,容易にそれが解決しないということはもちろんあると思いますけれども,テロのない世界が到来することを心から願っております。

そして,小泉総理が北朝鮮に行き,今までの拉致問題についての一部が分かってきたわけですけれども,そしてその後5人の方たちが日本に帰国をされました。しかし,一方ではいまだに消息が分からない方たちが少なからずおります。そのような拉致の被害に遭われた方たち,そしてその家族の方たちのことを思うと大変心が痛みます。

あとは自然災害の発生,南アジアとか中東欧で発生した洪水被害など自然災害によって非常に多くの人が亡くなったわけですけれども,自然災害の恐ろしさというものも改めて認識いたしました。

また,そのようなこととは少し違いますが,小学校にいる子供を持つ親として学校が週5日制に移行したということがあります。これが今後どのようなことになっていくのか私にはわかりませんが,長い視野に立ってそれがその時代の教育を受けた人たちにとってどういう影響,これは良い意味悪い意味長短両方あるかもしれませんが,今後ともそのようなことには関心を払っていきたいと思っております。

そして最後になりますけれども,先月の21日に高円宮さまがお亡くなりになりました。非常に突然のことでしたので,大変驚いておりますとともに,妃殿下や3人のお子さまのお気持ちを深く察しているところであります。非常に残念なことだったと思います。

問2 両殿下にお尋ねいたします。眞子さまと佳子さまは共にお健やかなご様子ですけれども,敬宮愛子さまのお相手をする時の『お姉さんぶり』などご成長が垣間見られるエピソード,又はそのお子様との日常の触れ合いを通じて感じたことなどがあればお聞かせください。また皇后さまによると,佳子さまは「妹が欲しい」とおっしゃっていたということを聞いていますが,3人目のお子さまについてのお考えはございますでしょうか。
殿下

お姉さんぶり,どういうのがありますか?(妃殿下に)

妃殿下

ふり返りますと夏に敬宮さまと一緒に遊びましたことが思い起こされます。

今年の夏も両陛下のお優しいお心遣いにより,須崎御用邸で皆さまと大変和やかな時を過ごさせていただきました。その折には,眞子と佳子が自分たちは小さい時どのようなことで喜んだのかと私に尋ねながら,御用邸でどのようにすれば敬宮さまがお喜びになるかを相談しながら旅の支度をしておりました。御用邸ではしっかりと座られるようになりました敬宮さまと娘たちがととのえたおもちゃで遊びましたり,初めて浮き輪をおつけになって海で泳ぎになりました敬宮さまのそばで娘たちも泳ぎましたり,おかわいらしい表情豊かな敬宮さまと娘たちは夏の時を大変楽しく過ごさせていただきました。

殿下

部屋の中でも何か私はよく分かりませんけれども,どう言うんでしょうか。やはり小さい1歳未満の子供でも,例えば私たちを見るのとは少し違う感じでうちの娘たちのことを見ていたような感じもいたします。

妃殿下

やはり年齢が近いからでしょうか?(殿下に)

殿下

年齢,それから背の高さも違いますしね。そういう感じはしましたね。それぐらいでしょうかね。

妃殿下

娘たちはどのおもちゃがよろしいか選んでおります時も,これは柔らかくて遊びやすいとか,これはちょっとまだ硬くて危ないのではないかと考えながらおもちゃを選んでいるところは,どうでしょうか?(殿下に)

殿下

そうね。可愛らしいという気持ちを強く持って,遊んでいたんでしょうね。それで次のは何でしたっけ。(記者に確認)

(記者)

二人のお子さまとのですね,日常の触れ合いの中で,何かこう今年お感じになったことかございましたら。

殿 下

そうですね,今ぐらいの年齢になりますと,学齢期前のようにですね,今年は何々ができるようになったとか,例えば泳げるようになったとか,自転車に乗れるようになったとか,段階ごとに何かある時一つのものがポッとできるようになった,そういうような変化というのはあまり無いように私などは思うんですけれども。今年になってからでしょうかね,時々一緒にゲームをするようになりまして,例えば五連珠,それからオセロをしたり,まだ私の方が少し優勢なんですが,それでも結構よい勝負になるんですけれどもね。でも一緒にそういう形の遊びができるようになったというのは,成長の一端を表すことかなあと感じております。

あとは本を読むのが特に上の子は好きなんですが,読んだ本の内容を話してくれたりとか,それから自分がその本を読んでどう思ったとか,私たちに話す機会が多くなったように思います。ほかに何かありますか?(妃殿下に)

妃殿下

今,宮さまがおっしゃいましたように,日々の生活や学校で学んだ新しいこと,うれしかったこと,面白かったことや心細かったことをよく私たちに話してくれるようになっていると思います。

また,いろいろと自分たちが関心を持っている話題についても私たちに尋ねたり,自分たちで考えていることを話したりしながらよく家族で話すことも多くなってきています。

休日に私たちが飼っています犬を連れて散歩にでかけたり,庭に鶏を飼っているのですけれどもその世話をしたり,宮さまがとても丹精込めて育てている植物や菜園の水まきを通して,宮さまとよく動植物の話をしながら,娘たちは自然に生命の大切さなども学んでいるように思います。

殿下

とくに鶏は好きなようですね。よく私が餌をやりに行ったりすると一緒についてきて,見て楽しんでいるみたいです。

妃殿下

あと名前をつけることもございますでしょうか?(殿下に)

殿 下

そうね。

妃殿下

そのほかに,娘たちは自分と近い年齢の子供たちに対して関心を大きく育てているように思うこともございます。例えば,読書やいろいろな方からのお話を通して,厳しい環境の中で十分な医療を受けることができない子供たち,治すことが難しい病気を抱え,それでも一所懸命生きている子供たちのことについて学びますと,娘たちもいろいろと考えながら,分からないことは私たちに尋ねてまいります。このようなことは娘たちが例えば元気に学校へ通うことができる幸せな生活を送っていることを考えるよい機会になっていると思います。

また,私たちが仕事が立てこんでおりますとき,また外国など比較的長い旅から戻ってきましたときに私たちの体調を気遣ってくれたり,何か手伝いたい,助けることができたらとの気持ちを持って優しい言葉をかけてくれることもあります。そのような娘たちの心配りに成長を感じます。

殿下

うれしいことですね。とてもね。

妃殿下

本当に娘たちの心のこもった言葉を聞くと,知らないうちに疲れが取れるような気がします。

(記者)

答えづらいというところもあると思いますけどれも,最後にですね,2問目の最後の質問で3人目のお子さまの話を,もし可能であれば。

殿 下

非常に答えづらい事柄ですけれども,確かに子供たちが妹なり弟なりがいて,何かその世話をしてあげたいという気持ちがあるような印象があります。どうですか?(笑い)(妃殿下に)

妃殿下

例えば,自分たちよりも年齢の小さい子供が来ますと,一所懸命年齢に合わせて,どのようなおもちゃで遊ぶと楽しく過ごせるか,外で元気に「ごっこ遊び」をするとよいのではないかといろいろと考え,小さい子供の場合には手を引きながら足元に気をつけて芝の上を歩いていることもあります。むしろ私たちより娘たちのほうがよく考えていろいろな子供たちと接しています。

殿 下

今後のことはまた相談をしながらということでしょうか。

問3 殿下にお尋ねいたします。オランダでの葬儀ご出席など,日ごろ数多くのご公務をこなされてお忙しい日々をお過ごしですが,ご公務とご研究,子育てとのバランスについてどのように考えておられますでしょうか。また,天皇陛下のご負担を軽減するためにも,皇太子殿下と共にご公務を分担することなどについてお考えがありましたら,それを含めてお聞かせください。また,殿下は公務を通じて今後どのような役割を果たしていきたいとお考えでしょうか。
殿下

まず最初のことについてですけれども,公務と言うときに,公務の定義はいろいろあると思いますし,人それぞれ違うと思います。例えば宮内庁で定義している公務もあれば,私的で扱っているものでも,実際にはその公務に非常に近いものとか,さまざまなものがあると思うのですが,それをすべてひとつの私の仕事としますと,やはりそれらのことを行うことを私は優先させております。

これは私の場合ですけれども,公務以外の時間に自分の興味を持っていることをいたします。例えば研究みたいなものは,ある時間,ちょっと空いたから何かできるっていうものでもないことも多くあると思います。ある程度のまとまった時間があって,それを頭の中で整理する必要がありますので,そうすると,私の場合には夜を一番そういう時間に使うことが多いと思います。そして,子育ては,子供たちは学校に行っておりますので,帰ってくるのが上の子は夕方ですね。(妃殿下に)

妃殿下

はい。

殿 下

ですから,基本的にはやはり子供と接するというのは夜ですね。夜に先ほど家内がお話ししたような学校の話とか,私も話しましたけれど,読んだ本の話とか,そういうことを一緒に話をしますし,あとは休日でしょうか。ですから,子育てと言えるかどうかは別として,接する機会という意味では,大体そのような形であると思います。

次の質問で,陛下の公務についての分担についてでありますけれども,平成の初めごろから国の数が,非常に多くなったわけですね。例えばソビエトが一つだったところが15でしょうか。それから,ユーゴスラビアは一つだったところが五つに増えました。その二つだけをとっても大きい変化ですけれども,それに伴って,国家元首などの国賓の数が増えますし,信任状捧呈等の大使の数も増えるわけです。そのようなことから,物理的に陛下の公務の量が増えていることは事実であります。

しかし,一方で天皇のお仕事のかなり多くの部分,これは今お話ししたようなこともありますし,それから例えば国賓としての外国訪問などもありますが,これらは他の皇族で分担できないものというのが大半であります。他方,例えば今質問にありましたように,皇太子と分担できるものについては,これは例を挙げるなら青年関係の行事,青年海外協力隊,青年の船,国民体育大会の開会式など,このようなものは既に分担を行っているわけです。そういうことから考えますと,兄の皇太子と私とでできることというのは,それぞれが依頼された公務を一つ一つ丁寧に行っていくこと,それが結果として陛下の負担の軽減になるのではないかと思います。

そして,私が今知り得る限りではありますけれども,昭和の時代に昭和天皇から当時の皇太子殿下にその公務が移行したという例はないと思います。それはもちろん公務の数が先ほども言ったようなことから,量が非常に違うわけではありますけれども,そういうことがあります。

もう一つは・・・。(記者に確認)

(記者)

最後はちょっと一般的な質問になりますけれども,殿下,ご公務を通じてですね,今後どのような,ご自身,役割を果たしていきたいとお考えでしょうか。

殿 下

これは私だけに限らず皇族全般にわたって言えることだと思うのですが,公務を通じての皇族としての役割というのは,それを通じて国民の期待にこたえて,天皇陛下のお助けをする,そのことに尽きるのではないかと思います。

問4 両殿下にお尋ねします。今年,6月のモンゴル公式ご訪問は,遊牧民と触れ合い,テント式の住居に宿泊されるなど充実した内容であったとお聞きしています。ご訪問の意義と,滞在中に印象に残った出来事やエピソードなどがありましたならばお聞かせください。また日本とモンゴルの友好に向けて,今後力を尽くしたいというお考えの点がありましたらお聞かせください。
殿下

モンゴルという国は私が子供のころでしょうか。井上靖さんが『蒼き狼』という本を書かれましたけれども,それを読んだころから非常に私にとって行きたい国の一つであったんですね。それで今回,日本とモンゴルの外交関係樹立30周年という機会に,皇族としては初めてになりますが訪問できたことは,私,家内にとって大変うれしいことでありました。

そしてまた,意義ということをおっしゃいましたけれども,日本とモンゴルとの関係がモンゴルの民主化以降のここ10年ぐらいの間,非常にいい関係に,いろいろな交流が行われております。私たちの訪問が少しでも日本とモンゴルのよい関係に寄与できたのであれば大変うれしく思っています。

それで両国の交流の話を今しましたので,その一つの例えとしまして,モンゴルを訪問した時に向こうの学校を訪問いたしました。第23学校という学校なんですけれども,日本語の授業を受けている生徒さんたちが,いろいろな催しをしてくれたんです。話しをするときちんとした日本語で答えを返してくれるし,また,きれいな日本語でこちらにもいろいろな質問をしてくれるということに,私自身非常に驚いたわけです。そこの生徒さんたちが毎年3か月ぐらい日本に短期留学をされているんですが,今年御存知のように高知県で国民体育大会がありまして,私も夏季大会の開会式に行ったわけです。その生徒さんたちがちょうど高知県の学校に来ていて,ホテルまで訪ねてきてくれました。それでしばらくの時間,30分位だったと思いますけれども,一緒にいろいろな話をすることができました。これは非常に私としてもうれしいことでした。

向こうを訪問して首都ウランバートルのみではなく,2箇所ではありましたけれども,地方に行ってそこで遊牧の生活をしている人たちと接して話をすることによって,私自身それまで直に遊牧の人たちの生活を見たことはありませんし,その人たちの話を聞いたことがないわけですが,そのような生活をしている人たちの暮らしの一端を垣間見ることができたことは,私にとって非常に意義深いことだったと思います。

妃殿下

私も先ほど宮さまがおっしゃいましたように,訪れました23学校で会いました生徒たちが大変美しい日本語で話しているのを聞きまして,改めてしっかりと日本語を学ぶことの大切さを感じました。おそらく日本からその学校へ指導に行った日本人の方も上手にきれいな日本語を教えたのではないかと思います。日本語を学び,また,日本について関心を持ってくださることに大変うれしく思いました。

旅先で日本語を話す方とお目にかかる機会が多うございましたし,日本とモンゴルとの交流に尽力されている方や,また,文化,教育,医療などに携わっている方々とお目にかかりました。大変親しみを持って,私たちに話をしてくださることを大変ありがたく思いました。

殿下

やはり容姿というか,似ていますよね,私たちとね。聞いて分かるわけではないですけれども言語なども近いと言われていますし,そういう意味で親しみを私たちは持てました。

あと印象に残ったこととして,ゴビの方に列車で行きました。往復で25時間ぐらいの移動ですけれども,車窓から見える風景が場所によって少しずつある所は多少の森林地帯になっていたり,木が見える所からゴビの方に近づくにつれて,半乾燥ステップ地帯の草がまばらで,ずーっと地面が見えているそのような風景がとても印象に残っています。

妃殿下

私も首都ウランバートルを離れまして,短い日程ではありましたが,古都ハラホリンまで4輪駆動車で行きましたが,あとで聞いてみますと千キロ以上走行したと分かりました。その旅をしておりました時は,今,宮さまがおっしゃいましたように雄大な自然,草原で暮らす動物,家畜が放し飼いになっている姿などを車窓からながめておりました。遠い道のりではございましたが,各地で温かく迎えてくださったことに感謝しております。

2回ほど遊牧民が住んでいるゲルを訪ねまして,そこで遊牧の方々から厳しい気候の中での生活,その生活を支える大切な役目をしている家畜や大変特徴のある乳製品について話を伺うことができうれしゅうございました。また,折々に,代表的な楽器である馬頭琴の演奏,また,二つの声を同時に出しながら歌うホーミー,長唄や短唄(みじかうた),それはオルティンドーとボギニンドーと呼ばれている歌を聴きましたことも心に残っております。

殿下

そして,今の質問の最後にあったと思いますけれども,私の立場として言えることは,これは今まで訪れた他の国もそうでありますけれども,今後とも末永く,今回でしたらモンゴルですが,訪問した国について関心を寄せていきたいと考えております。

妃殿下

私もモンゴルでの多くの想い出を大切にしながら,今後もモンゴルについて関心を持ち続けたいと思っております。

問5 両殿下にお尋ねします。子育ても少し余裕ができ,ご自身の研究活動にも以前よりじっくり取り組める環境が整ってきたのではないかとお見受けしております。殿下はニワトリ,妃殿下は民族音楽のご研究を進めてこられましたが,進捗状況はいかがでしょうか。また今後の研究活動へのご抱負や,現在,新たに関心を持たれているテーマなどがありましたらお聞かせください。
殿下

子育ては一段落してますか?(妃殿下へ)

妃殿下

まだまだでしょうか?(殿下)

殿下

進捗状況というのは,本来あまり話すものではないのかもしれませんけれども,まとめなくてはいけないものを幾つか抱えています。残念ながら,まだそれが,書き終わっていないところです。また,今もう一つあった質問についてですが,これについては,基本的には,頻繁に興味が変わってしまうと,一貫したことはできないと思いますので,今まで同様,鶏を始めとする例えば家畜の類の家畜化という現象がどういう過程で起こったかということに興味を持っています。

妃殿下

今まで心を込めて宮さまと一緒の公務,自分に求められている仕事や家族の中での役割を大切に務めるようにしてまいりました。宮さまが公務を大事にされつつ,日程がつまっているときでも,限られた時間を上手に使いながら研究をされているお姿に接して,私も限られた範囲ではございますが,長く親しんできた音楽や文化の学問にかかわることを通して,訪問した国々や地域の音楽や文化に大きな関心を寄せることができたのではないかと思います。

昨年の9月に,「沖縄研究国際シンポジウム」でお話をさせていただきました。その準備の際に,折に触れて天皇陛下が沖縄の歴史や文学についてお聞かせくださり,また皇后さまも私の初めての経験にお優しくお心をお寄せくださいました。私の学ぶ気持ちを両陛下が常に温かく見守ってくださり,多くのことをお教えくださいますことに深く感謝申し上げております。

宮さまの調査に加わらさせていただきますと,ご一緒に共同研究をされている先生方が,広い視点から物事をとらえ,論じ合い,それぞれの研究をなさり,さらに新しい識見を積み重ねていく様子がわかり,大変興味深うございます。

宮さまがご研究されている鶏と自分の調べている音楽が意外とさまざまな接点を持っていることに気づき,大変うれしく感じることがあります。

これからも時間を見つけて自分の関心を深められますよう,資料に目を通し調査を続けながら,一つ一つまとめていくことができたらと思っております。

殿下

少し付け足しになりますが,先ほど,自分の興味を持っている範囲というのは,大体続いていくものだという話をいたしましたけれども,幸いなことに,私も,葉山にある総合研究大学院大学の共同研究などにお誘いがあって加わらせていただいたりして研究会があったりするときに,いろいろな方とお話をする機会があります。そういうことによって,自分の興味ではあるけれども,さまざまな視野,視点を知ること,また,人の話を聞くことで膨らませていくことができる,と私は最近実感しております。

妃殿下

新たに関心を持っているということではございませんが,学生時代から学んでいます聴覚障害者の大事な言葉である手話の分野に今でも関心を持っております。

手話の普及も大切なことでございます。また,さまざまな視点から学問的な研究を進めていくことは,手話という言葉の発展に大きな意義があると思っております。

関連質問1 問6 ご公務という観点と高円宮さまという両方が絡み合っているのですけれども,私どもから拝見していて,男子皇族に関して言うと,40代より若い男子皇族は,皇太子殿下,秋篠宮殿下,高円宮殿下・・・。
殿下

いや,私のみではないですか?40代より若いのは。

(記者)

40代を含めてですね,ある意味では働き盛り,これからいろいろ活動を展開していかれる世代の男子の皇族方三方のうち,高円宮殿下が亡くなられてしまって,そういう中で,高円宮殿下のお仕事ぶりの持ち味,それから秋篠宮殿下ご自身の持ち味,そういったものを念頭に置いた時に,高円宮殿下の持ち味をどんなふうにご覧になっていて,これからご自分の持ち味をどういうふうに考え,今後どんなふうなことを何か思われることでもありましたら,かなり長く難しい質問かもしれませんけど,お亡くなりになった時に様々考えられたとすれば,何かお話をしていただければと思います。

殿下

高円宮さまは,非常にアクティブというか活発にご自身の仕事をされていました。それは,スポーツ関係であったり,それから芸術の分野であったりと,非常に多くの仕事をされたと思います。

それはそれとして,これはなかなかお答えするのは表現も難しいでしょうが,先ほど私が公務を通じての皇族の役割ということをお話ししましたように,私の場合にはそれが一番の基本のことになると思います。もちろんそれ以外のことも自分の仕事の中にはあるわけですけれども,それ以外のことでは各々がその範疇といいますか,分野というか,違ってくるかと思います。私は私ができること,それをひとつひとつ大切にしていきたいと考えております。なかなかちょっと答えになっていないかもしれませんけれども,今の気持ちをお話ししました。