皇太子殿下ガーナ及びケニアご訪問時のおことば(仮訳)

ガーナ

ミルズ大統領主催午餐会
平成22年3月8日 (月)(大統領府)

ミルズ大統領並びにご列席の皆様

この度はガーナ共和国政府のご招待により,私にとり「サブサハラ」アフリカの最初の訪問国として貴国を訪問することができ,大変光栄に存じます。また,本日は,私どものために,このように盛大な歓迎の宴を催していただき,加えてただ今,大統領閣下から心温まるお言葉を頂いたことに,深く感謝申し上げます。

先ほど私は,エンクルマ記念公園を訪れ,1957年に,当時のエンクルマ首相が,このガーナを独立に導いた足跡をしのびました。私が生まれた1960年はよく「アフリカの年」といわれますが,ガーナはそれをさかのぼる3年前に,アフリカ解放の言わば先陣を切って独立を実現したと伺っております。しかしながら,その後50年余りの歴史は,ガーナを含むアフリカ各国にとり,決して平たんな道のりではなかったと承知しております。アフリカ各国の中には,豊富な地下資源等により経済成長を遂げてきた国もありますが,依然として貧困問題や感染症,さらには紛争などの困難な問題を抱えている国も少なくないと伺っております。

日本とアフリカ大陸との関係は,1993年のアフリカ開発会議(TICAD)第1回会合開催以来,相当進展してきていると思います。私は今回のガーナ訪問,ケニア訪問を,アフリカ大陸の抱える様々な課題をよりよく知る機会とするとともに,私の訪問が,日本とアフリカ全体との関係強化の新たな契機となることを希望しています。

大統領閣下,日本はガーナ建国後2年後に当たる1959年に大使館を開設するなど,半世紀以上にわたり二国間関係の強化に努めてまいりました。今日,日・ガーナ両国は強いきずなで結ばれており,日本国民の多くはガーナに対し親近感を抱いています。

幾つか例を挙げれば,日本のカカオ豆の輸入量の8割近くがガーナ産であり,日本人は,ガーナ産のカカオ豆を使用したおいしいチョコレートに長年親しんでいます。また,ガーナが世界の生産量の10%を占めるシアバターは,日本で石けんや化粧品の材料として最近注目を集めております。

私個人のガーナとの出会いに一言触れれば,万国博覧会が日本で初めて開催された1970年,小学生の私はその幾つかのパビリオンを訪ねました。その際ガーナ館を訪ねたことを鮮明に覚えており,これは私にとっての最初のアフリカとの出会いであったかもしれません。

日本とガーナの関係を振り返る際,忘れることができないのは,野口英世博士の名前です。ここアクラで,研究に没頭する中で自らも黄熱病の犠牲となった野口博士は,日本とガーナの友好関係のシンボルといっても過言ではありません。一昨年,アフリカに関する医学研究及び医療活動で功績を挙げた方を顕彰することを通じ,アフリカでの感染症等の疾病対策,ひいては人類全体の保健と福祉向上増進を図ることを目的とした「野口英世アフリカ賞」が設立されました。この賞の創設に当たっては,ガーナ政府のご賛同も大きな力となったと聞いており,私は,明日行われる第1回記念シンポジウムに参加できることを楽しみにしております。

野口英世博士の志は,この地で活躍する日本の青年海外協力隊員等の方々に引き継がれています。1977年に青年海外協力隊の派遣が始まって以来,これまでに1,000人を超える我が国の青年が,感染症対策を始め,ガーナの子どもたちの教育や職業訓練といった分野で,現地の人々と一緒になって汗を流してガーナの国づくりに青春の情熱をささげました。隊員たちは,帰国後も様々な形でガーナとの交流に携わり,両国間の親善の懸け橋として活躍されている方も多いと伺っています。また,本日午後,私は日本語教育を行っているガーナの学校を訪問いたしますが,ガーナの子どもたちが日本語を通じ,日本に関心を有してくださっていることを大変うれしく思います。

大統領閣下,日本とガーナは,両国国民の努力の下,強固なきずなで結ばれてきました。最近では,両国国民が共に関心の高い気候変動問題の分野や,大学間の交流連携といった新たな分野での関係も発展していると伺いました。80年以上前に野口英世博士がこの地に残した両国友好のわだちは,20世紀後半の多くの若者たちにより踏み締められ,太く強固な道となり,21世紀には,より幅広いものとなっていると思います。今回の私の訪問が契機となり,日本とガーナの交流が新しい時代に入り,両国間の相互理解と友好関係が更に増進することを願います。

ここに杯を挙げて,ミルズ大統領とガーナ国民のご健勝とご多幸を祈ります。ありがとうございました。

野口英世アフリカ賞第1回記念シンポジウム開会式
平成22年3月9日(火)(ラ・パーム・ロイヤル・ビーチ・ホテル)

黄熱病研究に心血を注がれた野口英世博士の最後の研究の地となったここアクラ市で,世界中から多くの著名な医療・保健関係者の方々の参加を得て,野口英世アフリカ賞の第1回記念シンポジウムが開催されることを大変うれしく思います。

野口英世アフリカ賞は,アフリカに住む人々,ひいては人類全体の保健と福祉向上を図ることを目的として,アフリカにおける感染症などの疾病対策のため,医学研究及び医学活動分野において顕著な功績を挙げた方を表彰すべく創設されたと伺っております。第1回授賞式は,天皇皇后両陛下ご臨席の下,クフォー・ガーナ前大統領を始め多数のアフリカ元首のご参加を得て,2008年5月,アフリカ開発会議(TICAD IV)の機会に横浜で行われました。私は,国連「水と衛生に関する諮問委員会」名誉総裁として,世界各国が抱える衛生に関する問題につき深い関心を持っており,第1回受賞者であるグリーンウッド博士とウェレ博士による記念講演を興味深く拝聴いたしたいと思います。

昨日,私は,野口博士が83年前に志半ばで51歳で亡くなられるまで研究を続けた研究室を訪れ,博士の感染症研究への思いをしのびました。博士の志を引き継いだ多くの関係者の努力もあり,博士が研究された時代と比べれば,ワクチンも発見され,黄熱病への対策は格段に進みました。しかしながら,21世紀に入った今日でも,アフリカは引き続きマラリアを始め多くの感染症に苦しんでおり,世界で最も深刻な問題を抱えている地域であることに変わりはありません。

例えば,HIV・エイズに関しては,アフリカには全世界のHIV感染者の約67%に当たる2,240万人がいて,2008年には140万人もの人がエイズにより命を落としており,国際社会が一つになって,こうした深刻な問題に行動を起こしていくことが求められています。

本日のシンポジウムを通じて,この賞の使命であるアフリカの感染症分野における研究や保健システム強化の重要性について認識が深まり,アフリカの感染症と闘っている医学研究者や医学従事者の皆さんの方々が,改めてそれぞれの活動に励まれることを心より期待しております。

終わりに,副大統領閣下,本日ご臨席の皆様を始め,国際社会が力を合わせることにより,アフリカの感染症の状況が改善されることを強く願い,本シンポジウムに寄せる言葉といたします。

ケニア

オディンガ首相歓迎晩餐会
平成22年3月12日(金)(ライコ・リージェンシー・ホテル)

Hamjambo!(皆さんお元気ですか)

Habari gani?(お変わりございませんか)

オディンガ首相並びにご列席の皆様

この度はケニア共和国政府のご招待により,私にとり初めての「サブサハラ」アフリカ訪問の一環として,ケニアを訪問することができ,大変光栄に存じます。ケニアは,1983年に当時皇太子であった天皇陛下が,昭和天皇のご名代として,当時のモイ大統領の答礼訪問で訪れた国です。くしくも陛下が50歳を迎える時に訪問されたこの地を,四半世紀以上を経て私が訪れたことに,格別の感慨を覚えています。本日は,私どものために,このように盛大な歓迎の宴を催していただき,加えてただ今,首相閣下から心温まるお言葉を頂きましたことに,深く感謝申し上げます。先般,首相閣下がご訪日の際にお会いしてから,時を置かずして再びお会いできたことをうれしく思います。

ケニアに降り立って以来本日まで,私はケニアの誇る大自然を直接目にするとともに,ケニアと日本とを結び付ける様々な人々や場所を訪れ,過去,現在,将来の両国間の友好関係につき思いをはせました。

日本国民がアフリカに対して抱くイメージは,何よりも大自然や野生動植物の宝庫であろうかと思います。分けてもケニアは,アフリカの大自然を象徴する存在であり,自然を愛する多くの日本人にとり,あこがれの地です。私の少し前の世代にとって,ケニアの名前は「少年ケニヤ」という日本人の少年の冒険物語を真っ先に思い起こさせるものです。この物語が人気を博した今から半世紀以上前の日本の少年少女にとっては,ケニアはまだ見ぬ大自然と野生の動物の代名詞でありました。その憧憬しようけいの思いは,今も多くの日本人に共有されています。

また,ケニアは長距離走者の国としても有名であり,日本のTVでは,ケニアのマラソンランナーがよく報じられます。

こういったことから,年間1万人以上の日本人がケニアを訪れています。私自身,ケニア山,そして今朝は,スイートウォーター保護区を視察し,観光資源開発と自然環境保護という,難しくも重要な二つの課題にケニアが取り組んでいることに強く感銘を受けたところです。

しかしながら,ケニアが誇る美しい自然も,地球温暖化等の影響により,著しい変化にさらされつつあると伺っています。今回の訪問を通じ,世界の財産であるケニアの大自然を協力して保護していく努力が重要であるとの思いを強くいたしました。日本の青年海外協力隊は,様々な分野で活躍していますが,環境保護等の分野で活躍する方々もいると伺いました。ケニア,ひいてはアフリカの環境保護に日本がケニアと協力して取り組んでいくことはとても大切であると思います。

日本とケニアの結び付きは,自然や環境を通じたものだけではありません。

本日私は,ムエア灌漑かんがい施設を視察しました。コメは,言うまでもなく日本人にとっての主食ですが,ケニアにおいても多くの国民の食卓に上っていると伺いました。日本は20年以上にわたり,この国の重要な食糧源の一つであるコメの増産のため協力し,ケニアの方々のご努力もあり,ムエア地区は,ケニアの生産の約8割を占める稲作地帯となったと承知しています。この分野に限らず,日本の協力が,ケニア国民の生活向上や国家の発展に役立ってきたことをうれしく思います。

首相閣下,先ほど私は日本の青年海外協力隊につき触れましたが,私自身,これまで幾度となく,ケニアを始めとする協力隊員に日本で直接話をし,彼らのそれぞれの任地での活動への思いに耳を傾けてきました。今回,ケニアで彼らが日本とケニアの懸け橋として活躍する姿を目の当たりにし,大変心強く思います。私は昨日,彼らのみならず,ケニアに住む日本人の方々が,経済活動や,スポーツ交流を始め,様々な分野で,ケニアとの懸け橋として友情をはぐくみ,関係を築いてこられた話を伺う機会を得ました。

私は,世界の様々な国を訪れるたびに,こうした人と人との結び付きが,日本とそれぞれの国との結び付きのかなめであり,ここケニアにおいても,日本,ケニアそれぞれの方々の友情と,それを更に強くしようとする努力こそが,国と国との友好関係の礎であるとの思いを強くしました。

昨日私は,日本人学校を訪れ,日本人とケニア人の小学生が,私を歓迎し,日本とケニアの歌を一緒になって歌う姿に触れ,次代を担う彼らの友情を表す合唱に心打たれました。

日本とケニアの交流が昨日の歌声のごとく美しいハーモニーとなり,私の今回の訪問を契機として,両国間の相互理解と友好関係が更に増進することを願います。

(山と山は(動けないので)会うことができません。しかし,私たち人間は(動けるので)会うことができます。

私たちの国々はそれぞれ向き合って立つ峰を持っています。つまりケニア山と富士山です。私たちはこのそれぞれの山を誇りに思っています。

私はケニアと日本の友好関係が一層深まることをお祈り申し上げます。オディンガ首相及びケニア国民のご健勝とご多幸を心より祈念し,ここに杯を共に挙げたいと思います。乾杯。ありがとうございました。)