天皇皇后両陛下 オランダ・スウェーデンご訪問(スイス・フィンランドお立ち寄り)時のおことば・ご感想

オランダ

平成12年5月23日(火)
オランダ女王陛下及び王配殿下主催晩餐会(アムステルダム王宮広間)における天皇陛下のご答辞

女王陛下,王配殿下

この度はご招待により貴国を訪問し,再び女王陛下,王配殿下と親しくお目にかかれることをうれしく思います。ただ今は,女王陛下から懇篤なお言葉をいただき,厚く御礼申し上げます。女王陛下には,父君ベルンハルト殿下のご病中にもかかわらず,私どもの訪問にさまざまなお心配りをいただき,感謝に耐えません。ベルンハルト殿下が引き続き快方に向かわれるよう心から願っております。

私は,1953年,先の大戦が終わってから8年後,初めて貴国を訪問いたしました。その折り,ユリアナ女王陛下とベルンハルト王配殿下がテル・ホースト宮殿に午餐にお招きくださり,温かくおもてなしいただいたことを懐かしく思い起こします。

女王陛下は1963年国賓として我が国をご訪問になりましたが,その時以来,私どもは何回となくお目にかかり,思い出深い時を過ごしてまいりました。女王陛下が,常に,思慮深く,貴国の人々の気持ちを踏まえながら,日蘭友好関係の将来をお考えになり,私どもにもさまざまな配慮を示してくださったことに深く感謝しております。

本年は,日蘭交流400周年を記念して,さまざまな催しが両国で行われております。我が国と貴国との交流は,1598年ロッテルダムを出航した5隻のオランダ船の1隻「デ・リーフデ」号が,困難な航海の末に,1600年,我が国に漂着したことに始まりました。日本にとどまった乗組員の一人,ヤン・ヨーステンは,将軍徳川家康に仕え,その名は現在も東京の地名の一つとして残っております。それから程なく,家康は,我が国との貿易を許可する朱印状を貴国に交付しております。

我が国は,その後,200年以上にわたって鎖国政策を採ることとなりましたが,その間も,オランダとの交流は断たれませんでした。長崎の出島に置かれたオランダ商館を通じて,海外情勢に関する最新の情報がオランダ政府から幕府にもたされ,我が国とオランダとの貿易も続けられました。また,オランダ商館の何人かの医師達は,我が国の事情を欧州諸国に紹介するとともに,我が国の医師や学者に,欧州の医学,科学についての知識を伝える役目を果たし,こうして欧州の文物は,オランダを通じ,我が国にもたされました。出島という非常に限られた場所から,貴国を窓口として得た欧州の知識がその後の我が国の基盤を築いたことを考えますと,この時代にあった両国相互の交流に深い関心を抱くものであります。

19世紀の後半,我が国が,他の欧米諸国と国交を開いた後も,港や灌漑施設の建設,治水工事の分野で,ファン・ドールン,エッシャー,デ・レイケ等何人かのオランダ人技術者が我が国に招かれ,政府の顧問として活躍した例に見られるように,我が国はオランダからさまざまな事を学び,両国間の友好関係は変わることなく続いておりました。

このような歴史を経た後,両国が,先の大戦において戦火を交えることとなったことは,誠に悲しむべきことでありました。この戦争によって,さまざまな形で多くの犠牲者が生じ,今なお戦争の傷を負い続けている人々のあることに,深い心の痛みを覚えます。二度とこのようなことが繰り返されないよう,皆で平和への努力を絶えず続けていかなければならないと思います。また,この機会に戦後より今に至る長い歳月の間に,両国の関係のため力を尽くしたさまざまな人々の努力に改めて思いを致します。とりわけ戦争による心の痛みを持ちつつ,両国の将来に心を寄せておられる貴国の人々のあることを私どもはこれからも決して忘れることはありません。

戦後55年を経て,今日,日蘭両国の関係が,さまざまな分野で極めて緊密なものとなっていることは,誠に喜ばしいことであります。両国は開発途上国に対する援助や地球環境の保護などの重要な国際問題に協力して取り組んでおり,また,貴国は我が国にとって,投資,貿易などの経済活動において,欧州で最も重要な相手国の一つであります。さまざまな分野での両国間の人の往来も極めて活発に行われております。エラスムスやグロチウスなどの思想家,レンブラント,フェルメール,ファン・ゴッホなどの画家に代表される貴国の文化は,我が国で高い関心を持たれており,最近では,オランダの風物を模して長崎に造られた「ハウス・テンボス」を,年間400万人もの人々が訪れております。日蘭交流400周年を記念して,現在両国において行われている数多くの行事も,両国国民の間の相互理解を更に進めることに寄与するでありましょう。

私は,両国民が,両国間の長い交流の歴史を全体として正しく心に留めながら,お互いを理解し合う努力を続け,21世紀に向かって,世界の平和と繁栄のために,共に貢献していくことを心から期待しております。

ここに杯を挙げて,女王陛下並びに王配殿下のご健勝とオランダ国民の幸せを祈ります。

平成12年5月24日(水)
オランダ首相夫妻主催午餐会(ビネンホフ)における天皇陛下のご答辞

女王陛下,総理大臣閣下

本日コック総理大臣閣下主催の午餐会において,皆さんにお会いすることを誠に喜ばしく思います。ただ今のコック総理大臣の温かい歓迎の言葉に深く感謝いたします。

貴国と我が国との交流が始まって以来400年というこの記念すべき年に向かって,総理大臣はじめ大勢の人々が,両国民の間の友好の絆を強めるために努力して来られたことに深く感謝の意を表します。

両国民が,この400年の歴史のさまざまな局面を心に留め,その上に立って,お互いの間の友好協力関係を,将来に向かって一層深めていくよう力を尽くしていくことを心から希望しております。

ここに,この度の私どもの訪問にあたってのご配慮に感謝し,女王陛下のご健勝と,両国民の末長い友好を願って,杯を挙げたく存じます。

フィンランド

平成12年5月26日(金)
フィンランド大統領主催晩餐会(大統領官邸)における天皇陛下のご答辞

大統領閣下

この度15年ぶりに貴国を訪れる機会を得ましたことを誠に喜ばしく思います。ただ今の大統領閣下の懇篤なお言葉に深く感謝いたします。

前回の訪問では,ヘルシンキのほかにその近郊のシベリウスの家を訪れ,またサヴォリンナから湖上巡りに一時を過ごしました。ちょうどビヒラヤやすずらんの花咲く季節で,私どもを迎えてくれた人々からたくさんのすずらんの花を贈られたことや,フィンランディア・ホールでヘルシンキ大学合唱団の合唱を聴いたことなどが懐かしく思い起こされます。

貴国と我が国との間に国交が開かれたのは80年余り以前のことになりますが,貴国から我が国に派遣された初代の駐日代理大使はジョン・ラムステッドでありました。公使は言語学者で,短期間に日本語を習得し,当時の外国人外交官の中でぬきんでて日本語のできる人であったと言われております。外交官としての9年間の日本滞在中には,言語学者として我が国の学者との交流も行い,日本の人々のフィンランドへの関心を高めることに寄与したことと思われます。

当時ラムステッド公使の活動を助けた日本人の一人に渡辺忠雄牧師がありました。渡辺牧師とフィンランド人のシーリ夫人との間に生まれた渡辺暁雄は後に東京芸術大学教授となり,また我が国の代表的指揮者の一人として,多くの音楽家を育てるとともに,シベリウスの音楽を我が国へ紹介することに努めました。両国民の間の友好関係が,このようなさまざまな人々の善意と友情に支えられて発展してきたことに思いを致します。

貴国は,大国と国境を接し,絶えずその影響を受けながらも,自国の独立を維持し,コイヴィスト元大統領が「政治制度の違う大国と小国の間に存在する平等と相互の敬意の上に成立している関係」と形容された関係を築き上げられました。貴国が,その基礎の上に立って,永年にわたり欧州における緊張緩和に貢献し,冷戦の終結後は欧州連合に加盟して,欧州ひいては世界の平和のために尽力しておられることに深く敬意を表します。

近年,貴国と我が国との交流が,先端技術,環境,福祉,文化などさまざまな分野で,一層進められていることは誠に喜ばしいことであります。80年を超える友好関係の歴史の上に,両国国民が,更にお互いの理解を深め,友好関係を増進させていくことを願ってやみません。

ここに杯を挙げて,大統領閣下のご健勝とフィンランド国民の幸せを祈ります。

スウェーデン

平成12年5月29日(月)
スウェーデン国王王妃両陛下主催晩餐会(王宮)における天皇陛下のご答辞

国王,王妃両陛下

この度ご招待により貴国を訪問し,再び両陛下と親しくお目にかかれることをうれしく思っております。今夕は,私どものために晩餐会を催してくださり,また,ただ今は,国王陛下から懇篤なお言葉をいただき,厚く御礼を申し上げます。

私が初めて貴国を訪れましたのは1953年,英国女王陛下の戴冠式に参列の後,欧州の国々を訪れた時でありました。ストックホルムからヨーテボリなどを訪れ,ソフィエロ離宮にグスタフ6世アドルフ国王,ルイース王妃両陛下をお訪ねしました。まだ十代だった私にとって祖父君の温顔に接したことは忘れ得ない思い出となっております。

国王王妃両陛下を我が国に国賓としてお迎えしたのは,ちょうど20年前のことでありました。その答訪として,5年後,昭和天皇の名代として皇后と共に貴国を訪問した折り,両陛下から手厚いおもてなしをいただき,ウプサラにも同行していただいたことを,懐かしく思い起こします。また両陛下には昭和天皇大喪の礼や私の即位の礼にご参列いただいたことを深く感謝しております。

貴国と我が国の交流の歴史は17世紀に遡ります。当時,我が国は鎖国政策を採っておりましたが,何人かのスウェーデン人が,長崎に置かれていたオランダの商館を通じて我が国を訪れております。中でも,1775年から76年にかけて,オランダ商館の医師として来日した,後のウプサラ大学教授カール・ペーテル・ツュンベリーは,ヨーロッパ,アフリカ,アジア旅行記の中に,日本のことを詳細に記しています。ツュンベリーの滞在は一年という短期間であり,行動範囲も鎖国の時代で非常に制限されていたにもかかわらず,その日本に対する理解の深さには感銘を覚えます。当時我が国では,欧州の医学や科学に対する関心が高まっていた時であり,ツュンベリーは我が国の何人かの学者から請われてさまざまな教えを授けています。私は前回貴国のウプサラ大学を訪問にした折りに,そのうちの二人の医師が,帰国後のツュンベリーに送った手紙を見ることができましたが,鎖国という特異な時代に一人のスウェーデン人学者と日本人の間で育まれた交流があったことに今も深い感慨を覚えます。

19世紀後半に至り,欧米諸国の日本近隣地域への進出に対応し,我が国が諸外国と国交を開き,国の独立を守り,国を発展させることができた陰には,それに先立つ欧州の人々との交流の積み重ねがあり,ツュンベリーはその嚆矢(こうし)となった人であったように思われます。

貴国は19世紀,20世紀と戦争が数多く行われていた時代に180年以上にわたって国の平和と独立を守ってきました。第二次世界大戦においても戦禍を回避し,戦後8年,ようやく戦争による荒廃から立ち直りかけた我が国から貴国を訪れた私の目には,貴国が特に豊かに美しく見えました。こうした過去の歴史を踏まえて,ハマーショルド国際連合事務総長を始め,貴国の多くの人々が国際社会に平和をもたらすために活躍してきました。また貴国は高度の福祉社会を築き上げるとともに,国際連合人間環境会議のストックホルム開催にみられるように,環境問題にも深くかかわってきています。チェルノブイリの原子炉の事故をいち早く察知したのも貴国の研究機関であったといわれております。

近年,貴国と我が国が,経済,学術,文化,人的往来など,さまざまな分野で着実に交流を深めてきていることを,誠に喜ばしく思います。今後とも,両国民が,世界の平和と繁栄という共通の願いを実現するために力を合わせていくことを,切に願っております。

ここに杯を挙げて,国王王妃両陛下のご健勝と,スウェーデン国民の幸せを祈ります。