主な式典におけるおことば(平成26年)

天皇陛下のおことば

第186回国会開会式
平成26年1月24日(金)(国会議事堂)

本日,第186回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

国会が,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,永年にわたり,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託に応えることを切に希望します。

東日本大震災3周年追悼式
平成26年3月11日(火)(国立劇場)

本日,東日本大震災から3周年を迎え,ここに一同と共に,震災によって失われた人々とその遺族に対し,改めて深く哀悼の意を表します。

3年前の今日,東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波は,2万人を超す死者,行方不明者を生じました。今なお多くの被災者が,被災地で,また,避難先で,困難な暮らしを続けています。さらにこの震災により,原子力発電所の事故が発生し,放射能汚染地域の立入りが制限されているため,多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされています。いまだに自らの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと心が痛みます。

この3年間,被災地においては,人々が厳しい状況の中,お互いの(きずな)を大切にしつつ,幾多の困難を乗り越え,復興に向けて懸命に努力を続けてきました。また,国内外の人々がこうした努力を支援するため,引き続き様々な形で尽力していることを心強く思っています。

被災した人々の上には,今も様々な苦労があることと察しています。この人々の健康が守られ,どうか希望を失うことなくこれからを過ごしていかれるよう,長きにわたって国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。そして,この大震災の記憶を決して忘れることなく子孫に伝え,防災に対する心掛けを育み,安全な国土を築くことを目指して進んでいくことを期待しています。

被災地に1日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い,御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。

国賓 ベトナム主席閣下及び同令夫人のための宮中晩餐
平成26年3月17日(月)(宮殿)

この度,ベトナム社会主義共和国主席チュオン・タン・サン閣下が,令夫人と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。今夕を共に過ごしますことを,誠にうれしく思います。

閣下には,東日本大震災から3か月後の2011年6月に,ベトナム共産党書記局常務として我が国を御訪問になった際,津波で被害を被った千葉県旭市を訪れ,仮設住宅に住む被災者をお見舞いくださったと聞いております。こうした閣下のお気持ちに対して,ここに,改めて深く感謝の意を表します。

昨年は,日越外交関係樹立40周年に当たり,日越友好年として,両国で250もの様々な文化交流行事が開催されましたが,これは,もともと閣下が御訪日の際,日越友好年という構想を提唱されたことが発端でありました。近年両国間の交流がこのように活発に進んでいることを喜ばしく思います。

貴国と我が国の交流は,古くは8世紀に遡ります。当時の我が国は,奈良を都とし,外国の文物を求めて使節を近隣の国々に派遣していました。東大寺の大仏が造られたのはこの時期であり,大仏開眼の儀式にはインド僧が当たり,今日のべトナムに当たる林邑(りんゆう)国の僧,仏哲が,舞を奉納したとされています。当時伝えられた林邑(りんゆう)国の音楽は,千年以上の時を経た今日,大きく変わっていると思われますが,我が国では今日も,雅楽の中の楽曲として演奏されています。

16世紀から17世紀には,当時東西交易の拠点として栄えた貴国の港町ホイアンに,我が国の商人が訪れ,日本人町を形成していたことが知られています。これらの日本人町は,17世紀に始められた,日本人の海外渡航を禁止した鎖国政策により,やがて消滅してしまいます。しかしホイアンには,今も地域の人々に守られて日本橋と名のつく橋や,日本人の墓が残されております。なお,ユネスコの世界文化遺産として認定された,ホイアンの街並みの保存や,伝統的な木造建築の修復には,我が国の専門家も協力したと聞いておりますが,このような形で貴国と我が国との交流が現在にまで引き継がれていることを,うれしく思います。

現代に目を向ければ,1973年の外交関係樹立から40年を経て,ベトナムと日本との間の交流と協力は大いに進み,今や1万人以上の日本人がベトナムに住み,貴国の経済発展に様々な形で参画しております。また,我が国には6万人以上のベトナム人が滞在し,幅広い分野で活躍しています。両国民がこのような交流を通して,お互いの文化に親しみ,友好協力関係が発展していることを,誠に心強く思います。

今,東京は,若葉が()え始める時期を迎えております。桜が咲き,人々が春の喜びを共にする季節です。閣下並びに令夫人には,我が国のこの季節をお楽しみいただきたく思います。そして,閣下のこの度の御滞在が,両国間の相互理解と友好協力関係の更なる増進に資する,実り多いものになることを心から願っております。

ここに杯を挙げて,国家主席閣下,並びに令夫人の御健勝と,貴国国民の幸せを祈ります。

ベトナム主席閣下のご答辞

国賓 アメリカ合衆国大統領閣下のための宮中晩餐
平成26年4月24日(木)(宮殿)

この度,アメリカ合衆国大統領バラック・オバマ閣下が,国賓として我が国を御訪問になりましたことを心から歓迎いたします。ここに今夕を共に過ごしますことを,誠に喜ばしく思います。

まず大統領閣下に,3年前に起こった東日本大震災に際し,米国政府及び多くの米国国民からお見舞いと支援を頂いたことに対する,私どもの深い感謝の気持ちをお伝えしたく思います。この地震と津波による災害では,死者,行方不明者が2万人以上となり,建物は壊され,美しい海や山に囲まれた町や田畑は,がれきで覆われました。2万人を超える貴国の軍人が参加した「トモダチ作戦」を始めとし,貴国の多くの人々が被災者のために行った支援活動は,物のない厳しい環境にあった被災者にとり,大きな支えとなりました。

歴史を振り返りますと,貴国と我が国との交流は,我が国に来航したマシュー・ペリー提督と徳川幕府の交渉により,1854年日米和親条約が調印されたことに始まります。我が国はそれまで200年以上にわたり鎖国政策を行ってきましたが,開国を決意し,欧米の国々より,当時日本にとり未知であった領域分野の学問や技術については,これを鋭意学び,国を発展させることに努めました。貴国の人々に負うところ,また大なるものがありました。

私が貴国を初めて訪れましたのは,1953年,エリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列した機会に,貴国を始めとする欧米諸国を訪れた時のことであります。1960年,日米修好100年の年には,現在の皇太子を出産して間もない皇后と共に,初めて公式に貴国を訪問し,アイゼンハワー大統領御夫妻主催の晩餐会にお招きいただき,また多くの米国国民と触れ合う機会に恵まれる中,ホノルル,サンフランシスコ,ロサンゼルス,ワシントン,ニューヨーク,シカゴ,シアトル,ポートランドの各地を約2週間をかけて訪問いたしました。私どもにとり今も忘れられないのは,ニューヨーク訪問の際,貴国政府及びニューヨーク市が大型船によるマンハッタン島巡りを計画し,船上に当時貴国で勉学にいそしむ大勢の日本人留学生を招いてくださったことです。当時学習意欲にあふれつつも,余裕のない戦後の生活の中でそれを十分に満たせなかった我が国の有為な若者に,更に学ぶ機会を与えてくれた貴国の奨学生制度は,実に有り難いものであったと思います。

その後も国賓としての訪問も含め,貴国を何度か訪れておりますが,その都度貴国民から温かく迎えられたことが心に残っています。貴国が多様な人々を包容し,民主主義の理想を求め,より良い社会を築こうと常に努力する姿には深い感銘を覚えます。貴国と我が国の両国民は,先の戦争による痛ましい断絶を乗り越え,緊密な協力関係を築きました。両国民が来し方を振り返り,互いの理解を一層深め,相携えて進んでいくことを願ってやみません。

両国の友好の象徴となっている桜とハナミズキの季節に行われる大統領閣下のこの度の御滞在が,実り多きものとなりますよう願っております。

ここに杯を挙げて,大統領閣下及び御家族の御健勝と,アメリカ合衆国国民の幸せを祈ります。

アメリカ合衆国大統領閣下のご答辞

全国戦没者追悼式
平成26年8月15日(金)(日本武道館)

本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に69年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

第187回国会開会式
平成26年9月29日(月)(国会議事堂)

本日,第187回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託に応えることを切に希望します。

国賓 オランダ国王陛下及び王妃陛下のための宮中晩餐
平成26年10月29日(水)(宮殿)

この度,ウィレム・アレキサンダー国王陛下が,マキシマ王妃陛下と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに今夕を共に過ごしますことを,誠にうれしく思います。

私が貴国を初めて訪れましたのは,今から61年前,1953年にエリザベス二世女王陛下の戴冠式に昭和天皇の名代として参列した後,欧州諸国を回った時のことでありました。貴国では,国王陛下の祖母君に当たられるユリアナ女王陛下並びに戴冠式でもお会いしたベルンハルト王配殿下から午餐にお招きいただきました。その後,貴国を訪れましたのは,私の結婚後の1979年,ルーマニア,ブルガリアを昭和天皇の名代として答訪した時で,皇后と共に貴国に二晩を過ごしました。最初の夜はスーストダイク王宮で催された,ユリアナ女王陛下の晩餐会にお招きいただき,そちらに滞在の後,翌日はベアトリックス王女殿下のお招きで御一家とヘット・アウデ・ロー御用邸で過ごしました。御用邸近くの公園を御一家と馬車で回りましたが,まだ御幼少であった国王陛下とコンスタンテイン王子殿下は,ポニーで馬車の後についていらっしゃいました。その時のことは,今も私どもの懐かしい思い出になっています。

陛下の母君でいらっしゃるベアトリックス王女殿下が我が国を御訪問になったのは1963年のことで,まだ二十代のお若い王女殿下でいらっしゃり,同世代の皇后と私は,非常な親しみを持ってお迎えいたしました。御即位後に国賓としてお迎えした1991年の御訪問には,当時皇太子でいらした国王陛下が御同行になり,かつてポニーで私どもの馬車を追っていらした陛下が健やかな青年に成長なさったお姿を,感慨深く思いました。この時のベアトリックス女王陛下の我が国御訪問はそれまでに何度か計画され,その都度国内の反対で取りやめとなったものが遂に実現を見たもので,私どもにとり,忘れ得ぬ御訪問となりました。その9年後の2000年には貴国の御招待を受け,私どもがオランダを訪問しています。この訪問に当たり,女王陛下は幾度か貴国の戦争犠牲者と話し合われ,行事はその人々の了解のもと行われました。この時の女王陛下の御努力に,今も深く感謝しております。

我が国は17世紀の半ば以降,鎖国政策を行い,日本人の海外渡航,外国人の日本滞在が禁止されましたが,貴国の商館は長崎の出島に移され,貴国の人々はそこに滞在することが認められました。したがって我が国が19世紀半ば鎖国政策をやめて開国するまで,長崎は貴国を通して欧州へ開かれた我が国唯一の窓でありました。人々は長崎に赴いてオランダ語を学んだり,オランダ商館長が江戸に将軍を訪問する機会に,貴国の人々から世界情勢や医学など欧州の知識を学びました。後には江戸の芝蘭(しらん)堂,長崎の鳴滝(なるたき)塾,大阪の適塾など日本各地でオランダ語を通して様々な分野の学問が学ばれ,19世紀から20世紀にかけて活躍し,その後の日本の発展を支えた優秀な人材を輩出しました。鎖国が解かれた後の我が国の発展にも,貴国の人々の寄与したところは多く,皇后と私は,特に日本の水資源の管理に力を尽くしたオランダ人,デ・レイケの功績に関心を抱き,日蘭交流400周年を前に彼の伝記が出版されたことを喜び合いました。

一方,西周や津田真道など,江戸幕府が初めて送り出した留学生が学んだライデン大学には,1855年,欧州で初めての日本学科が設置され,日本に対する関心を高める窓口となりました。

このように長きにわたって培われた両国間の友好関係が,先の戦争によって損なわれたことは,誠に不幸なことであり,私どもはこれを記憶から消し去ることなく,これからの二国間の親善に更なる心を尽くしていきたいと願っています。

現在,日蘭両国間では,幅広い分野で友好と協力の関係が進展しております。本年4月には,オランダについて専門的に研究する日本で初めてのコースが,長崎大学に設置されました。また,改築を経て2005年に開館した貴国にあるシーボルトハウスは,日蘭交流の新たな象徴として大きな役割を果たしています。今後とも,両国の国民が相互に関心を抱き続けることにより,交流の歴史が更に積み重ねられ,両国の間で新しい協力が育っていくことを期待しています。

この度の国王陛下並びに王妃陛下の御訪問が,世界の平和と両国の繁栄に向けた協力を改めて確認する機会になることを切に願っています。

ここに杯を挙げて,国王陛下及び王妃陛下の御健勝とオランダ国民の幸せを祈ります。

オランダ国王陛下のご答辞

第188回国会開会式
平成26年12月26日(金)(国会議事堂)

本日,第188回国会の開会式に臨み,衆議院議員総選挙による新議員を迎え,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託に応えることを切に希望します。