主な式典におけるおことば(平成22年)

天皇陛下のおことば

第174回国会開会式
平成22年1月18日(月)(国会議事堂)

本日,第174回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

国会が,永年にわたり,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

第50回交通安全国民運動中央大会
平成22年1月19日(火)(日比谷公会堂)

本日,第50回交通安全国民運動中央大会が行われるに当たり,日ごろ,交通安全運動に尽力されている皆さんと一堂に会することを誠に喜ばしく思います。

本年1月3日の新聞には,昨年中の交通事故による死者の数が5千人を割ったという記事が載っていました。1年間の交通事故による死者の数がかつては1万6千人以上に上りましたが,近年は毎年減少し続け,遂に5千人を下回るようになりました。これまで,交通事故による一年間の死者の数が5千人を割っていたのは,57年前,昭和27年のことです。 昭和27年という年は平和条約が発効し,我が国の主権が取り戻された年です。当時は高速道路はなく,舗装された道路も少なく,自動車台数も限られたものでした。したがって,自動車交通が著しく発達した今日の交通事情の下で,交通事故による死者の数が当時とほぼ同じ数値になったことは,永年にわたって交通安全の活動に携わってきた関係者の非常な努力によって達成された賜物たまものであります。ここに,本日の表彰受賞者を始め,関係者の労苦に対し,深く敬意を表します。

交通事故による死者の数はこのように減少はしてきましたが,それでもなお5千人近くの命が失われていることは誠に痛ましいことです。元気に過ごしていた人が一瞬にして帰らぬ人となることは,その家族にとっていかばかりの悲しみか察するに余りあります。国民一人一人が更に命の大切さに思いを致し,交通安全に気を付けるよう期待しております。

様々な困難を乗り越え,工夫を重ね,交通の安全性を高めるために努力してこられた皆さんの活動が,今後ますます大きな成果を収めることを願い,この中央大会に寄せる言葉といたします。

国賓 カンボジア国王陛下のための宮中晩餐
平成22年5月17日(月)(宮殿)

この度,カンボジア王国ノロドム・シハモニ国王陛下が,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに,今夕を共に過ごしますことを,誠に喜ばしく思います。

貴国と我が国との交流は,1569年,貴国の商船が九州沿岸に来航して通交を求めたことに始まりました。そのころ我が国は,群雄割拠の時代から,統一政権が生まれる時代への移行期にあり,外国との貿易も盛んになってきていました。1604年より,鎖国により日本人の海外渡航が禁止された1635年までの間,政府の渡航証明書を与えられて貴国に渡航した我が国の商船は,44(そう)に及んでいます。貴国からの輸入品の中には刀の(つか)(さや)に用いた上質の(さめ)皮があり,また,プロミンの開発以前,長い間ハンセン病の薬として使われていた大風子も貴国から輸入されていました。この時代には貴国に2か所の日本人町があり,当時アンコール・ワットを訪れた日本人の墨書も今日に残っています。

しかし,我が国はその後200年以上に及ぶ鎖国政策を続けたことから,貴国との交流はなくなりました。さらに,19世紀半ば過ぎ,我が国が鎖国政策から開国政策に転換したころ,貴国はフランスの支配下に入り,両国の間に国交が開かれたのは先の大戦後,両国がほぼ時を同じくしてそれぞれ自国の独立を回復した時のことになります。

父君に初めてお目にかかりましたのは,父君の様々な御努力により,貴国が独立を達成して程無い時のことでした。国賓として我が国を御訪問になった父君と重光外務大臣との間で友好条約の署名が行われ,昭和天皇香淳皇后による宮中午餐の席には私も,陪席いたしました。それから55年の月日が流れました。父君が今もお元気にお過ごしとのことをうれしく思っております。

その後,貴国が経てきた道は極めて厳しいものでした。内戦により驚くべき多数の人々の命が失われ,誠に痛ましいことでした。この内戦の残した禍は今も続いており,当時埋められた地雷により被害を受ける人の数は,決して少なくないと聞いております。国民生活とりわけ農業を営む人々の生活に不安の影を落とす地雷の除去に携わる人々の労を思うとともに,作業の安全を心より願っております。

国王陛下と初めてお会いいたしましたのは1988年,父君,母君と共に陛下が我が国にいらっしゃった時であり,貴国が内戦から和平に向かう時期でありました。和平の成立に至るまでの日々を,陛下は御両親と共に厳しい環境下にお過ごしになり,その御苦労は計り知れないものがあったこととお察ししています。

貴国はこの痛ましい内戦を乗り越えて和平を達成し,国政選挙を経て,政治的安定を確保し,今日更なる発展に向け力を注いでいます。貴国国民のたゆみない努力に,心から敬意を表したく思います。

我が国の人々はこれまで,貴国の人々と共に,様々な面で貴国の復興発展に協力してきました。この度の御訪問がこのような両国間の協力に尽くした人々の励ましとなり,両国国民の友好の(きずな)を一層強めるとともに,我が国の人々の,アンコール・ワットを始めとし,貴国が世界に誇る優れた文化への関心を今までにも増し高める機会となるよう願っております。

日本は今,日々緑が鮮やかになる季節を迎えております。この良き時に我が国をお訪ねくださった陛下の御滞在が,実り豊かなものとなりますよう念じております。

ここに杯を挙げて,国王陛下の御健勝とカンボジア国民の幸せを祈ります。

カンボジア国王陛下のご答辞

日本学士院第100回授賞式
平成22年6月21日(月)(日本学士院会館)

本日,日本学士院が第100回授賞式を迎えたことは誠にめでたく,参列者一同と喜びを共にしたいと思います。また,この度受賞された皆さんの業績に対し深く敬意を表し,心からお祝いいたします。

日本学士院は明治12年東京学士会院として誕生し,明治39年帝国学士院となり,先の大戦後,昭和22年に日本学士院に改称され,今日に至っています。授賞制度が始められたのは帝国学士院の時代で,恩賜賞の授与が明治44年,帝国学士院賞がその翌年から始められました。

第1回の恩賜賞は国際共同緯度観測事業に携わり,計算式にz項を加えることによって,日本の観測値の正確さを世界に示した木村(ひさし)博士に贈られました。その翌年の第2回恩賜賞は,有賀長雄博士の「仏文日清戦役国際法論」及び「仏文日露陸戦国際法論」,富士川(ゆう)博士の「日本医学史」,平瀬作五郎氏のイチョウの精子発見の研究,池野成一郎博士のソテツの精子発見の研究に,それぞれ贈られました。また,第1回帝国学士院賞はアドレナリンを発見した高峰譲吉博士が受賞しました。これらの受賞対象となった研究の幾つかは,日本国内における世界に先駆けた学問の成果であり,このことは,過去欧米から学んできた科学を,日本人自身が発展させ,世界に貢献できるまでになってきたことを示すものであり,その努力を思い,誇らしく感じています。また,有賀博士の研究については,日清戦争と日露戦争において,日本が国際法を守ったことを立証し,これを世界に紹介したことが受賞の理由として挙げられています。この時代,国際法を守ることがこのように称揚されたことに深い感慨を覚えます。

両賞の授賞は毎年行われ,先の大戦中も中断されることはありませんでした。昭和20年の授賞式は,空襲が頻繁に行われる中で挙行され,日本人がいかに学問を大切に考えてきたか,深い感動を覚えます。戦後の厳しい環境の中で,学問の復興を成し遂げ,更に発展させることができたのは,このような学問に対する熱意と努力に負うところが大きかったことと思います。

今日,科学技術は日進月歩の勢いで発達してきています。しかし,科学技術の歴史を振り返るとき,その進歩は諸刃の剣として人類の幸せに作用してきたように感じられます。科学技術の進歩が人類に不幸をもたらすことなく,真に人類社会の幸せに役立つようにするために,世界の人々が互いに協力し合っていくことが切に期待されるところです。

終わりに当たり,第100回の授賞式を迎えた日本学士院が,今後とも(せき)学の府としてあり続け,世界の学界と相携え,我が国と世界の人々のために寄与するよう願い,授賞式に寄せる言葉といたします。

第175回国会開会式
平成22年7月30日(金)(国会議事堂)

本日,第175回国会の開会式に臨み,参議院議員通常選挙による新議員を迎え,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

全国戦没者追悼式
平成22年8月15日(日)(日本武道館)

本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に65年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

第176回国会開会式
平成22年10月1日(金)(国会議事堂)

本日,第176回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

平城遷都1300年記念祝典
平成22年10月8日(金)(第一次大極殿前庭)

平城遷都1300年記念祝典が,国内外から多くの人々の参加を得て,ここ奈良の平城宮跡において開催されることを,誠に喜ばしく思います。

平城京は,元明天皇の和銅3年(710年)藤原京から遷都し,桓武天皇の延暦3年(784年)長岡京に遷都するまでの74年間,都であった所です。この奈良時代,我が国は様々な分野で大きな発展を遂げました。我が国の神話や古代の歴史を知る上に重要な歴史書,古事記と日本書紀が完成したのは,奈良時代の初期のことでした。また地誌風土記も奈良時代に作られ,一部のものは現在も残っています。古い時代から奈良時代までの多くの歌を集めた万葉集もこの時代に作られ,今日も多くの人々がこの歌集を愛読しています。建物については,平城宮の中にあった東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築した唐招提寺講堂など幾つかの建物が残っており,今回の第一次大極殿の復元の参考にされたと聞いております。正倉院には東大寺の大仏に奉献した聖武天皇の遺愛の品々などが収められ,中には唐やその西方地域から舶来した品物も含まれています。万葉集の中に,平城京のことを小野老(おののおゆ)が「青丹よし奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり」と詠んでいますが,復元された第一次大極殿を見るとき,かつての平城京のたたずまいに思いを深くするのであります。

平城京について私は父祖の地としての深いゆかりを感じています。そして,平城京に在位した光仁天皇と結ばれ,次の桓武天皇の生母となった高野新笠(たかののにいがさ)は続日本紀によれば百済の武寧王(ぶねいおう)を始祖とする渡来人の子孫とされています。我が国には奈良時代以前から百済を始め,多くの国から渡来人が移住し,我が国の文化や技術の発展に大きく寄与してきました。仏教が最初に伝えられたのは百済からでしたし,今日も我が国の人々に読まれている論語も百済の渡来人が持ち来ったものでした。さらに遣唐使の派遣は,我が国の人々が唐の文化にじかに触れる機会を与え,多くの書籍を含む唐の文物が我が国にもたらされました。しかし遣唐使の乗った船の遭難は多く,このような危険を冒して我が国のために力を尽くした人々によって,我が国の様々な分野の発展がもたらされたことに思いを致すとき,深い感慨を覚えます。

平城京は,都が長岡京,続いて平安京に遷都された後,市街地とならなかったことから,発掘が可能であり,長年にわたって調査が行われてきました。近年の発掘調査の大きな成果は大量の木簡の発見であると聞いています。今日,遺跡や出土遺物に対する保存や調査の技術は著しく進歩しています。研究が進み,平城京の歴史がますます解明されていくことを期待しています。ここに,この地域の保存,調査研究に尽力された関係者,また復元のために尽力された関係者に深く敬意を表します。

終わりに,遷都1300年をことほぐとともに,我が国の古くから伝わる文化を守り育ててきた奈良の人々の幸せを祈って,お祝いの言葉といたします。

産業財産権制度125周年記念式典
平成22年10月18日(月)(帝国ホテル)

産業財産権制度125周年に当たり,皆さんと共に,この式典に臨むことを誠に喜ばしく思います。

我が国においては,明治18年,初代の特許庁長官である高橋是清により専売特許条例が制定され,産業財産権制度の歴史が始まりました。特許第1号はこの年に堀田瑞松(ほったずいしょう)により出願された「さび(さび)止塗料とその塗法」で,当時の鉄製船舶の船底が海水によって浸食されるのを防ぐために,漆,酒,酢,生姜(しょうが)などを材料として海軍船で試行錯誤した結果生み出されたものでした。以来,125年にわたり,この制度は,我が国の近代工業化と,その後の飛躍的な発展に大きく貢献してきました。ここに,先人たちの努力を思い,深い敬意を表します。それとともに,近年,世界の特許出願件数が著しく増大していることに伴う特許に携わる人々の更なる労苦に思いを致すのであります。

今日,世界は経済発展と環境保全をいかに調和させるかという困難な問題に直面しています。この解決のためには様々な先端技術の開発が必要であります。産業財産権制度が有効に活用され,人類の幸せに資する成果が生み出されていくことを期待しています。

本日,この記念すべき日に改めて産業財産権制度の使命を思い,本制度の一層の充実と発展を祈念して式典に寄せる言葉といたします。

商工会法施行50周年記念式典
平成22年11月26日(金)(日本武道館)

本日,商工会法の施行50周年に当たり,商工会の皆さんと一堂に会することを誠に喜ばしく思います。

商工会法施行当時,全国の商工会の会員は48万人にすぎませんでしたが,50周年を迎えた今日においては,青年部,女性部を含め,約110万人の会員及び部員を擁する大きな組織に成長しています。

その間,商工会は,小規模事業者の支援のための経営改善普及事業を始め,社会一般の福祉増進に資する活動を展開し,地域社会と地域商工業の発展に多大な貢献をしてきました。

今回,栄えある表彰を受けられる方々を始め,これまで商工会の発展を支えてこられた多くの関係者の長年にわたる尽力に対し,ここに深く敬意を表します。

近年の困難な経済状況に加え,過疎化や高齢化など,地域を取り巻く環境には非常に厳しいものがあります。これからの我が国の社会にとり,地域に根ざした商工会の幅広い活動は,ますます重要なものになってくると思います。

皆さんが,今後とも,中小企業の活性化と地域の振興に,引き続き尽力されるよう希望するとともに,我が国商工会の一層の発展を願い,お祝いの言葉といたします。

議会開設百二十年記念式典
平成22年11月29日(月)(国会議事堂)

議会開設百二十年記念式典に臨み,皆さんと一堂に会することを誠に喜ばしく思います。

我が国の議会は,明治23年,大日本帝国憲法の下で開会された第1回帝国議会に始まり,中断されることなく,戦後は,日本国憲法により設立された国会に引き継がれ,今日に至っています。この間,昭和21年に実施された帝国議会最後の総選挙において,初めて女性議員が選出され,また,新しい国会の開設に当たり,貴族院は廃され,参議院が設立されました。今や,第1回国会の召集以来63年がたち,国会の時代は,57年にわたった帝国議会の時代を超えるものとなりました。様々な時代を経たこの長い歳月を顧みるとき,議会が,我が国における議会政治の確立に努め,国の発展と国民生活の安定向上に力を尽くしてきたことに深い感慨を覚えます。

現下の内外の諸情勢に思いを致すとき,国会が,国権の最高機関として,国の繁栄と世界の平和のため果たすべき責務は,いよいよ重きを加えていると思います。

ここに,関係者一同が,先人の努力をしのぶとともに,決意を新たにして,国民の信頼と期待にこたえることを切に希望します。