主な式典におけるおことば(平成14年)

皇后陛下のおことば

日本リウマチ対策開始50周年記念リウマチ制圧10か年対策国際会議開会式
平成14年4月17日(水)(ホテルオークラ)

わが国において,関節リウマチの研究が初めて公的機関により着手されて50年,この大きな節目を記念する年に,日本リウマチ財団の主催により,「リウマチ制圧10か年対策国際会議」が開催されることを,誠に意義深く思います。また,この会議のため,遠く諸外国から参加されたリウマチの専門家や,わが国の専門家,患者,内外の支援団体の方々にお会いいたしますことを,嬉しく思います。

今から2年程前,世界保健機関WHOは,世界規模においてリウマチ制圧運動を展開すべく,西暦2000年から2010年までを,「骨,関節疾患10年」と宣言いたしました。世界の各地でこの(やまい)に苦しむ数知れぬ患者が,この宣言に勇気づけられ,その成果に多くを期待しておられることと想像いたします。いまだ発病の原因すら分からず,医学の中で取り残された難病とされていたリウマチに,この度このようにして光が当てられた背景には,この病気の患者が世界的に増え続け,各国で医療費の増大や,労働力の不足を来していることへの認識があったと聞き及びますが,こうした問題の解決に先立ち,今,最も強く認識されねばならないのは,リウマチという病気の性格と,これを病む患者の苦しみそのものであろうと思われます。この度の宣言により,患者がより確かに医療との接点を持ち得るようになるとともに,社会の人々のより深い理解のもと,少しでも安心して病の日々を過ごすことができますよう,願っております。

リウマチに関し,私自身充分な医学的知識を持つ者ではありませんが,今から37年前,思いがけないことから,この病につき深く考えさせられる機会を与えられました。それより5年前に,日本ではリウマチの患者自身が集まって「リウマチ友の会」を発足させており,リウマチの特性をそのままに名付けた,「(ながれ)」という機関誌が発行されておりました。創立5周年に当たり,「流」を贈られ,患者の代表の方々にお会いするなかで,私はリウマチという,それまでごく漠然としか捉えていなかった病気につき,幾許かの知識を与えられ,それとともに,この難病と共に生きる多くの人々が,病を持ちつつも,様々な工夫により生活の質を向上させようと,健気に努力している姿を垣間見ることになりました。会は創設当時より,患者の実態調査を実施し,創立30周年には,自らの手で「リウマチ白書」を作り,その後も節目節目の年に白書を編み,患者の現状を明らかにしています。患者が正しい療養の在り方を真剣に求め,自分の知識や経験を他と分かち合いつつたどった会の歩みの跡から,今,高齢化の時代を迎えた私たちの社会は,多くを学ぶことができるのではないかと感じております。

余りにも古くから人類と共にあり,長い間研究の対象となりにくかったこの病に注目し,患者の訴えに耳を傾け,その苦痛を取り去ろうと,これまで様々な研究を行い,治療に当たってこられた研究者や医師に対し,患者と共に,深く感謝申し上げます。今後,より広い地域で,より多くの人々が,発病の早期に的確な診断を受け,正しい療養に導かれるよう,皆様の元から,更に多くの専門医が巣立っていかれますように。そして遠からぬ将来に,リウマチの発病原因が解明され,根本的治療法の確立される日が訪れますことを,心から祈っております。

今回の会議には,医師,研究者と共に,内外のリウマチ支援団体の参加があることを伺いました。皆様方の支援を得ることにより,患者がそれぞれ可能な範囲で自立し,社会参加を果たしていることを,嬉しく思っております。

様々な形でリウマチに関与する方々が,患者自身も含めて,この度一堂に集い,知識や経験の交換がなされることを喜び,会議の成功を念願いたします。この会議の成果が,各国のリウマチ対策に生かされ,苦しむ人々の上に還元されることを切に望み,開会式に寄せる言葉といたします。

日本女医会創立百周年記念式典
平成14年5月18日(土)(京王プラザホテル)

日本女医会が創立百周年を迎え,この佳き日に,シェリー・ロス国際女医会会長を始め,日本各地から集まられた女医,及びその関係者とお会いいたしますことを嬉しく思います。

日本において,医療を営む女性は,遠く古代より存在しておりました。大宝律令(701年)の注釈書である令義解(りょうのぎげ)には,すでに「女医(にょい)」の二文字が記されており,8世紀前半には,女医を養成する「女医博士(にょいはかせ)」という職種も設けられていたことが伝えられています。江戸時代(1603~1867年)の初期には,野中(えん)を始め二,三の町医が名を留めており,江戸末期には,シーボルトの息女であり,オランダ医学を学んだ楠本いね子が,女医史に大きな足跡を残しました。しかし,近代医学が確立され,行政の諸制度が整った明治以降,正規に医師の資格を持ちつつも,女性が医師としての地位を社会に確立するまでには,長い苦難の歴史があったことが知られております。日本女医会が創立された明治35年(1902年),日本では既に荻野吟子(ぎんこ)を始めとし,百名前後の女性が公認の開業免許を得,女医となっておりますが,当時の社会において,女医が医師として受け入れられることは決して容易なことではありませんでした。女医会の名の許に,各地の女医が集い,医学情報を交換し,討論を行い,良き医師となるべく互いに磨き合い,励まし合っている姿が想像され,胸を打たれます。

百年の歴史を通じ,日本女医会は,会員である女医の資質の向上を願い,また,女医の存在が少しでも社会の福祉に役立つことを願って活動を続けてまいりました。過去40年余にわたり,女医の学術研究を助成するとともに,優れた医療貢献や,医療を通じての社会奉仕に対しては,賞をもってこれを評価し,ねぎらってきています。吉岡彌生(やよい)賞,荻野吟子賞という,優れた先達の名を持つこれらの賞を与えられた女医たちは,どれ程に大きな励ましを得,更なる研究や活動に赴いていったことでしょう。また,私は,女医会がその初期より公衆衛生を重視し,公衆衛生活動に対し,常に助成を続けていることを嬉しく思っております。近代史上初の女医となり,自ら創設した女子医科大学に,かつて医学史上例のない予防医学の講座をつくり,自身衛生の講義を担当したエリザベス・ブラックウェルは,「どんな新しい薬剤も決して完全な予防の役目をしない」とし,改めて衛生学,公衆衛生学,予防医学に対する世人の関心を喚起したと言われています。百数十年を経た今日も,恐らくこの医学の基本に変わりはなく,日本女医会が,今後も日本及び世界の各地において地域の人々を病から守り,健康な暮らしを営む上の大きな力となって下さることを望んでおります。

百周年に当たり,女医会の多くの方々が,過去を振り返るとともに,女医会のこれからに思いを馳せておられることと思います。男女共同参画の時代に入った今,女医会の意味を考えることは,女性の権利と特性を,今後どのように考えていくかという大切な問題にかかわることであり,その答えも決して一様のものであるとは思いません。長い歴史を持つこの会を,これからの時代に更に意義深くあらしめるよう,会員が心一つに模索を続けられる中から,会がおのずから未来の姿を形づくっていくことを期待し,日本女医会の今後を見守っていきたいと思います。

終わりに当たり,医師という厳しい立場で,日々献身しておられる皆様の御労苦に感謝し,会員の皆様の健康と幸せをお祈りいたします。