主な式典におけるおことば(平成14年)

天皇陛下のおことば

第154回国会開会式
平成14年1月21日(月)(国会議事堂)

本日,第154回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

国会が,永年にわたり,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。

ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

2002年(第18回)日本国際賞授賞式
平成14年4月25日(木)(国立劇場)

この度の日本国際賞の授賞式に当たり,「計算科学・技術」の分野において,ティモシイ・J・バーナーズリー博士が,また,「発生生物学」の分野において,アン・マクラーレン博士とアンジェイ・タルコフスキー博士が,それぞれ受賞されたことを心からお祝いいたします。

バーナーズリー博士は,インターネットの利用にとって最も重要な技術であるワールドワイドウェブを発明され,それによって,当初,米国の研究者の間の情報交換を目的としていたインターネットが,経済,産業,文化を始め様々な分野で,世界に住む人々が国境を越えて通信し,交流を深める手段として定着するようになりました。

また,マクラーレン,タルコフスキー両博士は,マウスを用いて初期(はい)の培養操作技術を開発し,それまで外からうかがい知ることのできなかった()乳類の初期発生の解明に,大きな功績をあげられました。その成果は,生物学はもちろん医学・畜産学などの様々な分野の発展に寄与しています。

科学技術の進歩にそれぞれ新たな局面を(ひら)かれた3博士の優れた業績に対し,ここに,深く敬意を表します。

今後とも,科学技術が発展を続けるとともに,それに伴って生ずる新たな問題が,人々の英知によって解決され,科学技術が人類の幸せのために用いられていくことを切に願い,授賞式に寄せる言葉といたします。

日本赤十字社法制定50周年記念・日本赤十字社創立125周年記念全国赤十字大会
平成14年5月16日(木)(明治神宮会館)

本日,日本赤十字社法制定50周年並びに日本赤十字社創立125周年を記念する全国赤十字大会に臨み,皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

日本赤十字社は,明治10年の西南の役に際し,既にヨーロッパで行われていた赤十字運動の実情に触れ,その精神を学んでいた元老院議官佐野常民らによって,戦場における傷病者を敵味方の別なく救護することを主たる目的として,博愛社の名のもとに創立されました。博愛社は,10年後,日本赤十字社と名称を改め,国民の理解と支援のもとに社業の進展に努め,それぞれの時代の要請にこたえて,国の内外における戦時,平時の赤十字事業を遂行してきました。

昭和20年代には,戦後の荒廃の中にあって,日本赤十字社も,長きにわたった戦時救護や山積する戦後処理業務による財政の逼迫(ひっぱく),社員制度の混乱など,苦難の時を迎えました。当時の関係者が社業再建のために払った努力は,並々ならぬものであったと察せられますが,その重要な成果として,その後の活動の法的基盤となる日本赤十字社法が公布,施行されたのが,50年前,昭和27年のことでありました。

赤十字運動は,19世紀半ばに,スイス人アンリ・デュナンの人道的活動に端を発し,今日では,武力紛争や自然災害,疾病などによって苦しむ人々に対して,民族,宗教,国籍等の如何を問わず,広く人道,博愛の立場から救護,救援の手を差し伸べ,全ての人の人間としての尊厳を守る,国際的な運動に発展しております。日本赤十字社が,その一翼を担って,常に人道と博愛の精神に則り,社員を始めとする国民の理解と支持のもとに,国内においては,災害救助,国民医療,血液事業などに大きな役割を果たし,国際的には,国際赤十字との連携のもとに,紛争犠牲者の救援や災害被災者の救護,開発途上国の赤十字社に対する協力等に力を尽くしていることを心強く思います。

ここに,日本赤十字社創立以来社業の発展に努力を続けてきた多くの人々の労苦をしのび,関係者が,今後とも,日本赤十字社法の趣旨を体しつつ,赤十字の使命とする人道的任務を果たし,世界の平和と人類の福祉のために貢献していくことを願って,大会に寄せる言葉といたします。

第26回国際内科学会議開会式
平成14年5月26日(日)(国立京都国際会館)

日本内科学会創立100周年に当たる本年,国の内外から多くの参加者を迎え,ここ京都において第26回国際内科学会議が開催されることを誠に喜ばしく思います。国際内科学会議が初めて日本で開催されたのは,18年前,第17回国際内科学会議の時でありました。私どもは同じく京都で行われたこの会議にも出席しましたので,この度,再びお会いする方々もおられることと楽しみにしております。

日本内科学会が創立されてからの100年間の,世界の,そして日本の,医学の歩みを顧みますと,その進歩に深い感慨を覚えます。そしてその進歩をもたらした多くの医学者の努力に深く敬意を表するものであります。100年前の医学は,感染による病気の実体がようやく認知されるようになった段階でありました。北里柴三郎も関係したペスト菌の発見も,志賀潔による赤痢菌の発見も,19世紀末のことであり,20世紀の初頭は治療よりは様々な病気の解明の時期であったと思います。抗生物質を始めとする,病気を治癒させる様々な薬が開発されてくるのは,20世紀の後半近くになってからのことであり,ペニシリン,ストレプトマイシン,プロミンなど多くの人々の命を救った薬が次々と世に出されてきたことが思い起こされます。さらに近年の医学とそれに関連する科学技術の発達は,病気の早期診断や治療の技術を著しく向上させ,健康管理の面に大きく寄与しております。

今日,医学,医療は多くの専門分野に分化し,それぞれの分野で深い知識が求められています。しかし一方で医師が細部に関わりつつも人間全体を総合的に見る視点を失わないように努めることも,また,極めて大切なことに思われます。さらに医師は病気そのものの治療のみならず,患者一人一人の持つ心配や苦しみを心の交流を通して分かち合い理解することも,切実に求められており,このような要求を満たしつつ,日々医療に当たる医師の苦労が察せられます。

本国際内科学会議のメインテーマは「世界内科医ネットワーク 新世紀への挑戦」と聞いています。世界の内科医が,貴重な医学情報を共有しながら,医学の専門化と統合を共に進め,人々の健康で幸せな生活のために更なる貢献をしていくことを願い,開会式に寄せる言葉といたします。

第53回全国植樹祭
平成14年6月2日(日)(山形県:遊学の森)

第53回全国植樹祭に臨み,ここ金山町(かねやままち)「遊学の森」において,全国から集まった参加者と共に植樹を行うことを誠に喜ばしく思います。

山形県では,昭和35年に,第11回植樹行事並びに国土緑化大会が催されました。この時のテーマは「積雪寒冷地帯,林種転換拡大造林」であり,植樹されたシラハタマツは,関係者の保育の努力により厳しい気候条件に耐えて立派な森となりました。昭和63年に山形県で行われた第12回全国育樹祭の折,私どもはこのお手植樹六本に施肥(せひ)をしましたが,これが皇太子,皇太子妃として,私どもが出席した最後の育樹祭でした。

今日,多くの先人の努力によって守り育てられてきた豊かで美しい森林は,木材資源を確保し,水資源を涵養(かんよう)し,生活環境を良好に保つなど,人々の生活にとってかけがえのない役割を果たしております。特に,我が国の厳しい自然環境の中で,森林は,台風や集中豪雨のもたらす災害から人々を守るために大きく貢献してきました。

世界的にも,地球環境の保全のため,森林の持つ重要性はますます増大しております。年々減少していく世界の森林を,人類共通の資産として,共に守り育てていく事が極めて大切であり,現在,我が国の人々が,世界の各地域において森林の造成や保護に協力していることを,心強く思います。

国内における今後の問題は,森林をいかに活力に満ちた状態に保っていくかということにあると思います。間伐など,手入れの行き届かない森林は,有用な木材の生産に支障を来すばかりでなく,災害防止に寄与する森林の効果をも減退させます。今日過疎化の進む山間地においては,特に活力ある森林の育成に,多くの人々の協力が求められています。

今回の全国植樹祭を契機に,人々の森林に対する認識が更に深められ,森林の育成に人々が協力し合う機運が一層高まることを願い,式典に寄せる言葉といたします。

全国戦没者追悼式
平成14年8月15日(木)(日本武道館)

本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に57年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

日本遺族会創立55周年記念式典
平成14年9月12日(木)(九段会館)

日本遺族会創立55周年に当たり,本日,全国の戦没者遺族代表が集う記念式典に臨み,参列者と共に,往時をしのぶ一時を持つことに深い感慨を覚えます。

先の戦争において,国のために尽くし,戦火により,あるいは病を得て亡くなった多くの戦没者のことは,私どもの心を離れることはありません。かけがえのない家族を失った遺族の長い年月にわたる苦労には計り知れないものがあったことと思います。

終戦から57年を経,我が国は戦後に生まれた人々が中心となる社会になりました。先の戦争のことが人々の心から遠くなっていく今日,戦争による深い悲しみを経験した遺族たちの持つ,世界の平和と我が国の平らかな行く末に対する強い思いを世に伝えていくことは誠に大切なことと思います。皆さんには,どうか,くれぐれも体を大切にされ,今後とも元気に過ごされることを願っております。

日本遺族会が,将来にわたり,遺族皆の支えとなり,遺族の福祉の一層の充実に寄与していくことを希望し,式典に寄せる言葉といたします。

全国老人クラブ連合会創立40周年記念全国老人クラブ大会
平成14年9月26日(木)(日比谷公会堂)

本日,全国老人クラブ連合会の大会に臨み,ここに集う会員一同と共に連合会創立40周年を祝うことを,誠に喜ばしく思います。

老人クラブは,戦後の厳しい状況の中,各地で,高齢者自身が作り上げたものであり,それぞれの地域に明るい長寿社会を築くことに寄与してきました。これまでの関係者の尽力に対し,深く敬意を表します。

皆さんの世代は,戦中,戦後の苦難を乗り越え,たゆみない努力により,我が国の発展に大きく貢献した人々の世代であり,近年高齢化が著しく進んでいる状況の下にあって,引き続き様々な分野で元気に活躍している姿を見ることは,誠に頼もしいことであります。各地の老人クラブが健康,友愛,奉仕を柱とした様々な活動に取り組み,また,自ら体験した歴史を若い人々に語り伝えていくなど,世代を越えた交流にも努めていることは,我が国に,他者の立場をおもんばかる心豊かな社会を発展させていく上で,大きな役割を果たしていることと考えます。

全国の老人クラブの会員が,健康を大切にし,今後とも,社会のために活躍していかれることを願い,お祝いの言葉といたします。

調停制度施行80周年日本調停協会連合会創立50周年記念式典
平成14年10月10日(木)(国立劇場)

調停制度施行80周年ならびに日本調停協会連合会創立50周年に当たり,皆さんと共にこの記念式典に臨むことを誠に喜ばしく思います。

我が国において調停制度が発足したのは,大正11年借地借家調停法が施行されたときであり,翌年に起こった関東大震災に当たっては,この制度が有効に活用されたと聞いております。以来,調停制度は,社会の変化に対応しつつ,多種多様な争いを,条理にかない,実情に即した解決に導く上で,大きな役割を果たしてきました。これは,調停に携わる人々が,この制度を適切に運営し,国民の期待と信頼にこたえるため,力を尽くしてきたことによるものであり,ここに,多年にわたる関係者の努力に深く敬意を表します。

近年,社会の変化と共に,解決の困難な争いが増加してきております。その中にあって,和の精神を基本としながら,広い分野の知識と経験を活用する調停制度が果たす役割は,ますます重要になると思われます。

今後とも,全国各地の調停委員を始め関係者の努力により,調停制度が着実な成果を収め,秩序ある社会を築く上で大きな力となっていくことを切に希望し,式典に寄せる言葉といたします。

第155回国会開会式
平成14年10月18日(金)(国会議事堂)

本日,第155回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の大きな喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国民の信託にこたえ,その使命を十分に果たされることを切に希望します。

第57回国民体育大会秋季大会開会式
平成14年10月26日(土)(高知県立春野総合運動公園陸上競技場)

第57回国民体育大会秋季大会が高知県で開催されるに当たり,全国から参加した選手,役員並びに多くの県民と共に,開会式に臨むことをうれしく思います。

国民体育大会は,終戦の翌年,戦後の荒廃の中にあって,スポーツの復興を願う人々の熱意により第1回大会が開催され,以来,各地を巡って,スポーツの普及と振興に大きな役割を果たしてきました。関係者のたゆみない努力に対し,深く敬意を表します。

前回,高知県で国民体育大会が行われたのは,49年前,第8回大会にさかのぼります。当時は,我が国の状況がなお厳しく,大会も四国4県による共同開催でありました。高知県内においては,夏季大会と秋季大会を併せて2競技が共に高知市で行われましたが,今回は,県下各地が様々な競技会場となり,多くの県民の協力に支えられた大会となったことをうれしく思います。

選手の皆さんには,日ごろ鍛えた力と技を十分に発揮されるとともに,お互いの友情をはぐくみ,また,高知県民との交流を深められるよう願っています。

黒潮の寄せる海岸,四万十川の清流,そして豊かな森林に恵まれた高知県において開催される今回の国民体育大会が,心に残る,実り多い大会となることを期待し,開会式に寄せる言葉といたします。

第50回精神保健福祉全国大会記念式典
平成14年10月30日(水)(東京厚生年金会館)

第50回精神保健福祉全国大会が,国内各地から多数の参加者を得て開催されることを,誠に喜ばしく思います。

この大会の前身である全国精神衛生大会の第1回大会が開催されたのは,我が国が戦争の荒廃からようやく立ち直ろうとしていた昭和28年でありました。それに先立ち,昭和25年には精神衛生法が公布され,2年後の昭和27年には国立精神衛生研究所が設立されております。

以来,我が国の精神保健福祉に関する施策は,精神医学の進歩とあいまって,病院における治療から,社会復帰や家庭における生活支援など,自宅や地域における対応を中心とする方向で充実が図られ,精神障害者とその周囲の人々の生活をより豊かなものとするために寄与してきました。この50年間に我が国の精神保健福祉の向上と普及に尽くしてきた関係者の努力に対し,深く敬意を表します。

全ての人々にとって幸せな社会を築いていくために心の健康の問題は極めて重要な課題であります。この問題に多くの人々が関心を持ち,心の病についての認識を深め,心を病む人々の人格が十分に尊重される社会を皆で築いていくことが大切と思います。

精神に障害を負った人々やその家族のために,これからも関係者の努力が重ねられ,我が国の精神保健福祉に関する施策がより充実したものとなることを願い,大会に寄せる言葉といたします。

第22回全国豊かな海づくり大会
平成14年11月17日(日)(アルカスSASEBO(長崎県))

第22回全国豊かな海づくり大会が,海との関わり深いここ長崎県佐世保市において開催されることを誠に喜ばしく思います。

南北に長く横たわる我が国では,その沿岸を暖流や寒流が流れ,豊かな海の幸を育ててきました。しかしその海は近年大きく変(ぼう)し,生物の生息環境に様々な影響を与えています。このような状況の下で,水産資源は過剰な漁獲とあいまって各地で減少を来しています。今日,海の環境を保全し,水産資源を保存管理していくことは,我が国にとって非常に重要な課題であり,そのための努力が,各地で進められていることをうれしく思います。

長崎県には,壱岐,対馬,五島列島など多くの島々,また,島原半島や大村湾など数々の半島や湾があり,海の生物にとって多様な環境を作り出しています。その中で,有明海においては,広大な干潟が広がり,我が国では珍しいこの環境に適応した生物が見られます。幼い日に見た,有明海の干潟の生物を写した「ある日の干潟」という映画は今も私の心に深く残っています。このような海の多様な環境を守りつつ,持続的に水産資源を利用していくことは極めて大切なことであり,長崎県の人々が,この面から,磯焼けの対策,浜の清掃や種苗の放流,漁獲体長の制限や一斉休漁日の設定など,真()に取り組んでいることを心強く思います。こうした地域の人々の地道な努力が実を結び,海の環境が良好に保たれ,今後の水産業に資することを期待しております。

この大会が,様々な分野の人々が豊かな海づくりを目指して,協力していく契機となることを願い,大会に寄せる言葉といたします。

第18回国際生物学賞授賞式
平成14年12月2日(月)(日本学士院会館)

根井正利博士が第18回国際生物学賞を受賞されたことを心からお祝いいたします。

今回の授賞分野は進化生物学でありますが,博士は,生物集団の遺伝的多様性や生物種間の進化的関係を分子レベルで研究するため,生物種が分岐した時点を正確に推定する方法や,自然淘汰が働いている遺伝子領域を検出する方法など,斬新な統計的手法を独自に開発し,現代の分子進化生物学の理論的な基礎を築かれました。

博士が考案され,世界的に最もよく知られている統計的手法は,生物種間の遺伝的な差を「遺伝的距離」として明確に定義し,DNAやたんぱく質などの分子レベルのデータから推定する方法であります。この方法は「ネイの遺伝的距離」として多くの研究者から高い評価を受けております。また,博士は,遺伝子の系統樹と生物の系統樹の理論的関係を世界で初めて明らかにされました。さらに,「近隣結合法」と呼ばれる分子系統樹の作成法を共同研究者と共に考案され,これが,現在,世界で最もよく使われる系統樹作成法となっております。

私はハゼ類を形態の面から研究してきましたが,そこで得られた結果などを踏まえ,2年前,分子系統学の面からハゼ類を考察した論文を多数の研究者と共著で発表しました。この時に,根井博士が開発された「近隣結合法」が用いられ,形態との関係で興味深い結果が得られました。博士の方法論は生物の類縁や系統を知る上で貴重な手法であることを深く感じております。

博士の御研究の成果は,多くの研究者に活用され,生物学の進展に大きく寄与しております。博士の御研究が,今後とも生物学に多くの実りをもたらしていくことを願い,お祝いの言葉といたします。

国賓 フィリピン大統領閣下及び同夫君のための宮中晩餐
平成14年12月3日(火)(宮殿)

この度,フィリピン共和国大統領アロヨ閣下が御夫君と共に国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに,今夕を共に過ごしますことを誠に喜ばしく思います。

ちょうど40年前,当時皇太子であった私は,昭和天皇の名代として,皇太子妃と共に,貴国を訪問いたしました。ガルシア前大統領の国賓としての御訪日に対する答礼のためでありました。対日感情の厳しい当時のことでしたが,空港で閣下の父君マカパガル大統領が,母君と共に,機側間近に立って笑顔で迎えてくださったことは,今も私の心に深く残っております。また到着の日に行われた大統領御夫妻による晩餐会のほかに,帰国の日には御夫妻が朝食に招いてくださり,閣下の同席なさっていたことも懐かしく思い起こされます。この時の訪問に関しては,フィリピンの独立宣言が行われたアギナルド将軍邸に将軍御夫妻を訪問したことや,松の茂る高地のバギオ市を訪問したことなど,数々の思い出がありますが,それと共に貴国国民の温かい心に触れたことも忘れられません。当時,閣下は十代,私どもは二十代でありました。40年を経て,ここに閣下を我が国に国賓としてお迎えすることに深い感慨を覚えます。

閣下には大統領御就任以来2年近く,忙しい日々をお過ごしになってこられたこととお察ししておりますが,つとに貧困対策を始め,国民生活に関わる諸問題に真()に取り組んでいらっしゃることに深く敬意を表します。

貴国の人々は過去に様々な文化を受け入れ,民主主義と言論の自由を守ることに努めてきました。1985年東京で開催された国際新聞発行社協会第38回総会において新聞の自由のために顕著な貢献をした人に贈られる「自由のための金ペン賞」をホアキン・P・ロセス氏が受賞したことは,そこに出席した私どもの印象に残ることでありました。そのような貴国とこれに共感を持つ我が国との間に,経済,文化,人々の往来など,幅広い分野にわたって活発な交流が続けられ,両国の関係がますます緊密なものとなってきていることは,喜ばしいことであります。

閣下は,貴国と我が国との友好関係の強化に意をお用いになり,これまでも,度々,我が国を訪ねていらっしゃいますが,この度の御訪問が,さらに両国間の相互理解と友好関係の増進に資する実り多いものとなることを,心から願っております。

ここに杯を挙げて,大統領閣下並びに御夫君の御健勝とフィリピン国民の幸せを祈ります。

アジア太平洋障害者の十年最終年記念「障害者の日」記念の集い
平成14年12月9日(月)(有楽町朝日ホール)

本年は,「国連障害者の十年」に引き続く「アジア太平洋障害者の十年」の最終年に当たります。この「十年」について,先ごろ,関係国の間で,これを更に延長し,障害のある人々の「完全参加と平等」という目標に向かって努力を続けるとの合意がなされたことは,意義深いことと思います。

この20年の間に,我が国においては,障害や障害者に関する国民の理解が深まり,障害のある人々を取り巻く社会的な環境も大きく改善されてきました。これは誠に喜ばしいことであり,ここに至るまでの,障害者自身のたゆみない自立への努力と,関係者の尽力に深く敬意を表します。

今日,社会の高齢化や厳しい経済情勢の下で,自立を目指す障害者にとっても,関係者にとっても,苦労の多いことと察しています。どうか,国民皆が,それぞれの心の問題として障害のある人々に対する理解を更に深め,その人々の努力に協力していくことを,切に望みます。

今後,これまでの成果の上に,障害の有無にかかわらず,すべての人が相互に人格と個性を尊重し,支え合う共生社会が実現されていくことを願い,式典に寄せる言葉といたします。

学習院創立百二十五周年記念式典
平成14年12月13日(金)(学習院創立百周年記念会館)

学習院創立百二十五周年に当たり,この記念式典に臨むことを喜ばしく思います。

本院の前身である学習院が,公家の学習所として京都で開講されたのは弘化4年,今から155年前のことになります。これは後に廃され,華族の教育を目指した学校として,明治10年東京に,新たに学習院が創立されました。以来今日まで125年になりますが,後の55年間は私立学校として,広く国民の教育に携わってきました。ここに,学習院の長い歴史を通じ,それぞれの時代の教育に力を尽くされた院長始め諸先生に対し深く敬意を表します。

学習院初等科に私が入学したのは,昭和15年のことでありますが,当時,竣工なった真新しい校舎で「サイタ サイタ サクラガ サイタ」と先生が教科書を読まれた光景は,今も目に浮かびます。私が在学していた戦中戦後の時期学習院にとって極めて厳しい時期でありましたが,それを乗り越えて,昭和24年には大学も設立されました。私立学校としての今日の学習院を築かれた院長,諸先生を始めとする関係者の御苦労には計り知れないものがあったと察しております。

国の発展を進め,社会の安定や人々の幸福をもたらすために,教育が果たす役割は極めて重要であります。明治時代の我が国の発展は,明治5年の学制の発布にも表れているように,その初期から,政府が地方を含め,全国民の教育に対し非常な努力を払ったことに負うところが大きかったと思います。今後,我が国が自国の安寧を保ちつつ,世界の平和と人類の福祉に更に貢献していくために,学習院から国の内外において様々な分野で活躍する多くの人々が送り出されていくことを期待しております。

この機会に,関係者一同が本院の歴史を振り返り,将来に向かって,教育に,また研究に,一層力を尽くされるよう望んでやみません。