本日,第140回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の大きな喜びであります。
国会が,永年にわたり,国民生活の向上,国際社会の平和と安定のため,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。
ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,その使命を十分果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。
この度,メキシコ合衆国大統領セディージョ閣下が令夫人と共に国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに,今夕を共に過ごしますことを誠に喜ばしく思います。
本年は,外務大臣や農商務大臣を歴任した榎本武揚の計画による「榎本殖民団」がメキシコに移住して100年目に当たります。この100年間に貴国の地を踏んだ日本人移住者とその子孫が,メキシコ国民の温かい心に支えられ,貴国社会に溶け込み,その発展に寄与すべく努力してまいりました。こうした人々が両国の懸け橋となり,友好関係の増進に貢献してきたことを誇らしく思っております。貴国と我が国の双方において行われる日本人メキシコ移住100周年を祝う多くの記念行事が両国民の相互理解と友好関係の発展に更に資することを期待しております。
貴国は近年目覚ましい経済的発展を遂げており,閣下が大統領に御就任以来,安定した社会の建設と発展を目指して,国民と共に誠実な努力を重ねていらっしゃることに対し,深く敬意を表します。また,大統領閣下が常々我が国との友好関係の発展に心を配ってくださっていることを大変心強く思います。
今から33年前,当時皇太子であった私は,昭和天皇の御名代として,皇太子妃と共に貴国を訪問いたしました。我が国を国賓として御訪問になったロペス・マテオス大統領御夫妻を始め,貴国政府,国民から温かいもてなしを受けたことがなつかしく思い起こされます。滞在中,テオティワカンの遺跡を訪れ,貴国の永い歴史をしのび,またリベラ,シケイロス,タマヨの絵画やポンセ,チャベスなどの音楽に触れ,貴国文化への理解を深めることができました。美しいチャプルテペック公園に植えた記念樹が今は大きく育っていることを最近人づてに聞き,感慨深く当時を思い起こしております。
近年,貴国と我が国の間では政治,経済,文化,スポーツなどの分野においてますます多くの交流が行われるようになってまいりました。今回の御訪問が,両国民の相互理解と信頼関係の増進に資する意義深いものとなるよう願っております。
我が国は今,日に日に緑が増し,くさぐさの花が咲き始める季節を迎えております。短い御滞在ではありますが,多くの人々とお会いになるとともに,我が国の早春をお楽しみいただければうれしいことと思います。
ここに杯を挙げて,大統領閣下並びに令夫人の御健勝とメキシコ合衆国国民の幸せを祈ります。
この度,ドイツ連邦共和国大統領ヘルツォーク閣下が国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに,今夕を共に過ごしますことを喜ばしく思います。今般,令夫人が御病気のため,御同道になれなかったことは,誠に残念なことでありました。御健康の回復の一日も早いことを願っております。
我が国は,前世紀の半ばに開国し,欧米諸国に伍して国を守り発展させていくために,厳しい努力を重ねてまいりました。新しい近代国家の構築を目指した我が国の指導者たちは,国を統一し,著しい発展を遂げつつあった貴国に深い関心を寄せておりました。様々な分野の人々が貴国を視察し,また貴国に留学しました。大統領閣下の御専門である法制についても,また医学を始めとする諸科学についても,貴国から多くを学びました。大統領閣下には最近ベルリンにある森外の記念館を御訪問になりましたが,軍医であった外も,貴国に学んで4年を過ごした一人でありました。貴国に学んだ人々は,その後の我が国の発展に関わり,今日の我が国を築く上で大きく貢献しました。
さらに,貴国と我が国との関係においては,鎖国下の我が国でオランダ商館に勤め,我が国のことを,詳しく欧州の人々に伝えた二人のドイツ人のあったことを忘れることは出来ません。一人は,鎖国の厳しかった17世紀の終わり近くに来日したエンゲルベルト・ケンペルであり,一人は,開国も近い19世紀前半に来日したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトであります。シーボルトは,我が国の人々とも親しく交わり,医学を始め,欧州の新しい諸科学を教え,開国後の我が国の発展に大きく寄与しました。昨年はシーボルトの生誕200年記念の展覧会が催され,私も皇后と共に訪れ,当時に思いをいたしました。このような歴史を持つ両国が今後ますます交流を深めていくよう念願しております。
1993年に私は,皇后と共に貴国を訪問し,ヴァイツゼッカー前大統領御夫妻を始めとして,貴国政府並びに貴国民の温かい歓迎を受けました。前大統領御夫妻と共にブランデンブルグ門を通り,東西ドイツの統一という大きな目標を達成した貴国の喜びを深く感じました。
永年の悲願であった統一の達成された貴国においては,今,欧州統合という新たな歴史的目標に向けて,種々の困難を克服しつつ,積極的な努力が続けられております。大統領閣下は,欧州統合の目指す理想は「統一の中の多様性」であると述べていらっしゃいます。欧州に限らず,世界の様々な地域の人々が,それぞれ異なる文化を理解し尊重しながら,自由と人権,民主主義といった普遍的価値を共に追求することが,世界の平和の維持と発展に不可欠であると考えます。この理想の実現のために,日独両国が広範な分野でこれからも密接に協力していくことを,切に希望いたします。
今,東京は,春の盛りを迎えております。大統領閣下の御滞在が実り多く快いものであるよう願っております。
ここに杯を挙げて,大統領閣下の御健勝とドイツ連邦共和国国民の幸せを祈ります。
第13回日本国際賞の授賞式に当たり,杉村博士とエームス博士が「医学におけるバイオテクノロジー」分野において,エンゲルバーガー博士と吉川博士が「人工環境のためのシステム技術」分野において,それぞれ受賞されましたことを心からお祝いいたします。
杉村博士とエームス博士の御研究は,がんがDNAの変化により起こる病気であるという基本概念の確立に,また,エンゲルバーガー博士と吉川博士の御研究は,ロボットによる病人や身障者の介護など将来技術の在り方,技術開発の目標及び方法論の提示など,システム技術の実現に,それぞれ大きく貢献してきました。ここに,4人の博士の優れた業績に対し,深く敬意を表します。
今日,科学技術の進歩は誠に著しいものがあります。その進歩が世界の人々の健康を増進し,環境を良好に保ち,人々に幸せをもたらすことに資するものであるよう切に願っております。この意味において,受賞者の御研究は極めて意義深いものに思われます。今後ますます御研究が実っていくことを期待しております。
日本国際賞が科学技術の発展に一層寄与することを願い,授賞式に寄せる言葉といたします。
本日,日本赤十字社創立120周年を記念する全国大会に臨み,皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。
赤十字運動は,前世紀中葉のヨーロッパにおいて,戦場に放置された傷病者を差別なく平等に救護する人道的活動に端を発し,時代とともにその活動を広げ,今日では,およそ平和を乱し,あるいは人々の幸福を害するような武力紛争,自然災害,疾病等に関して,広く人道,博愛の立場から救護活動を展開し,すべての人々の人間としての尊厳を守る国際的な運動に発展してきております。
日本赤十字社の歴史は,明治10年の西南の役に当たって,赤十字に深い関心を寄せていた佐野常民らにより,敵味方の区別なく傷病者を救護するという赤十字の精神にのっとってつくられた博愛社に始まります。以来,日本赤十字社が,国民の理解と支援の下,内にあっては,国民医療,災害救助,高齢者福祉等に大きな役割を果たし,外にあっては,国際赤十字とも協力して,紛争犠牲者や災害被災者の救援,発展途上国の赤十字社に対する協力に力を尽くしていることを心強く思います。過般の在ペルー日本国大使公邸占拠事件に際しても,赤十字国際委員会に協力して人質の保護に貢献したことに,赤十字の意義を深く感じました。
ここに,日本赤十字社創立以来120年の長きにわたって社業の発展に尽
第48回全国植樹祭に臨み,ここ国立南蔵王青少年野営場において,全国からの参加者と共に植樹を行うことを誠に喜ばしく思います。
森林は,木材の供給を始め,水源の
我が国は森林資源に恵まれ,古くから森や木と深いかかわりを持ち,木の文化を築いてきました。しかし戦中戦後に山は荒廃し,至る所で災害が起こり,年々国を挙げての植林が行われました。宮城県では昭和30年に「林種転換拡大造林」をテーマとして第6回大会が開催されましたが,その森林は,今日立派に育ち,「昭和万葉の森」として多くの人々に親しまれていると聞いております。このような不断の努力の結果,広大な面積の森林が育ち,現在は我が国土の3分の2が森林に覆われております。
一方世界に目を向けると森林は各地で著しく減少しており,持続可能な森林資源の保護育成は極めて重要な国際的課題になっております。
この世界の現状を深く認識し,これまで森林を守り育ててきた人々の苦労に思いを致しつつ国内森林資源の育成と活用に努めることが大切と考えられます。
かつては
本日,参議院50周年記念式典に臨み,皆さんと一堂に会することを誠に喜ばしく思います。
参議院が,日本国憲法の下で50年にわたり,議会政治の確立に努め,国運の進展と国民の福祉の増進に大きく貢献してきたことは私の深く喜びとするところであります。
現下の内外の情勢に思いを致すとき,参議院が,世界の平和と我が国の繁栄のため果たすべき責務は,いよいよ重きを加えていると思います。
ここに,先人の努力によって築かれた50年の歴史を顧み,参議院がその使命を達成するために一層力を尽くし,国民の信託にこたえていくよう切に希望いたします。
本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に52年,国民のたゆみない努力によって今日の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は尽きることがありません。
ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り,戦禍にたおれた人々に対し心から哀悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
第23回国際天文学連合総会が,世界の各地から多数の天文学の専門家を迎え,ここ京都の地において開催されることを誠に喜ばしく思います。開会式に当たり,総会の開催に尽力された関係者に対し,深く敬意を表します。
古来人々は,天体に深い関心を寄せてきました。世界の各地において,天体に関する物語が生まれ,占星術が行われ,また,暦が作られました。我が国で暦が使われ始めたのは,百済から暦博士が来日したという記録のある,6世紀半ばのころと考えられます。以来,我が国では中国の暦が用いられてきましたが,9世紀末遣唐使が廃されてからは,中国の新しい暦を使うことなく,800年もの間改暦は行われませんでした。17世紀に至り,この長年使われた暦の欠陥が指摘されるようになり,初めて渋川春海により日本の地に適した暦が作られています。その後更に正確な暦を作るべく,ヨーロッパの科学に対する関心が深まり,鎖国下の我が国で禁止されていた,科学に関する漢訳洋書の輸入が許されることになりました。後には,オランダ語からの科学書の翻訳も行われ,コペルニクスの地動説も,発表より200年余を経て我が国に紹介されております。鎖国の厳しい状況下で,ヨーロッパの科学を学び,我が国の科学を育てた先人の努力を思うとき,深い感慨を覚えます。
我が国が諸外国と国交を開いた19世紀半ば以降,我が国も国際共同観測網の中に組み入れられ,ここに,日本の天文学界は海外の天文学から大きな刺激を受けることになりました。万国緯度観測事業における今世紀始めの木村栄博士のZ項の発見は,こうした時代を背景にして生まれた日本天文学界の誇りとする成果であったといえると思います。
我が国のこうした天文学の歩みを振り返るとき,学問の発達における国境を越えた交流,協力の重要性を深く感じるものであります。
最近の天文学は,地上の望遠鏡ばかりでなく人工衛星を利用するなど,高度な技術を駆使して,宇宙に生起する様々な現象を,あらゆる角度から探求する先端的学問に成長しています。宇宙の始まりから,物質世界の進化の過程を解き明かし,同時に多くの天体現象を究明してきた天文学は,人類の文化に重要な地位を占めており,多くの人々から幅広い関心を持たれています。
今回のこの総会が実り多いものとなり,その成果が参加者の今後の研究や活動にいかされるとともに,世界の天文学の進歩と普及に大きく貢献することを衷心より願い,開会式に寄せる言葉といたします。
日本遺族会が創立されて50年,本日,その記念式典において,全国戦没者遺族代表に接し,深い感慨を覚えます。
戦時において,国のために尽くされ,困難な状況の下,戦いにより,あるいは,病により,亡くなった多くの人々のことを思うとき,50余年を経た今日,なお心の痛みを感じます。かけがえのない家族を失った遺族にとって,戦後の歩みは計り知れない厳しいものであったことと察しています。その中にあって,遺族会の人々は互いに助け合い,様々な苦難を乗り越えて,遺族の福祉向上に努め,また,社会において重要な役割を担ってきました。深い悲しみを経た遺族一人一人が平和に対する強い悲願を持ちつつ,我が国の平らかな行く末を念願している気持ちが,これからも世々に受け継がれていくことを心から願うものです。
皆さんにはくれぐれも体を大切にし,今後とも元気に過ごすよう願うとともに,日本遺族会が,遺族の支えとなり,遺族の福祉の一層の充実に寄与することを切に希望し,式典に寄せる言葉といたします。
本日,第141回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の大きな喜びであります。
ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,国権の最高機関として,その使命を十分果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。
第17回全国豊かな海づくり大会が,風光明
四方を海に囲まれた我が国は,古来より水産や海運,そして文化の面でも様々な恩恵を海から受けてきました。戦後,沿岸開発に伴う人工海岸の造成や汚染などにより大きく変
今年の1月,日本海で発生した重油の流出事故に際しては,厳しい冬の寒さの中,各地から集った多数のボランティアが被災地域の人々に協力して重油の除去に力を尽くしました。地域や年齢を越えて国内の多くの人々が,被災者の救援に役立ちたいと願うとともに,自分たちの海を美しく,良い環境に保ちたいという気持ちを持っていることに深い感銘を受け,心強く思いました。
岩手県の面する三陸沖は寒流と暖流の交じり合う優れた漁場であり,漁業が盛んに営まれてきました。また,県の魚である「南部さけ」は放流稚魚の回帰率が向上し,漁獲量が増加しています。今後,この度放流するマツカワやヒラメを含む各種の栽培漁業が推進され,海の環境保全に留意した持続可能な水産業として発展していくことを期待しております。
この大会が海に対する関心と理解を更に深め,人々が豊かな海をつくることを目指して協力し合う契機となることを願い,大会に寄せる言葉といたします。
第52回国民体育大会秋季大会が大阪府で開催されるに当たり,全国から参加した選手,役員並びに多くの府民と共に,開会式に臨むことを誠に喜ばしく思います。
前回大阪府で秋季大会が行われたのは,戦争が終わった翌年,第1回の大会が開催された時でありました。戦後の混乱がまだ収まらぬ厳しい状況の下で,選手そして関係者も共に様々な不自由を忍んで,戦争による荒廃から立ち直ろうと意欲に満ちて参加したと聞いております。それから50年,国民体育大会は各地におけるスポーツの振興と普及に大きな役割を果たしてきました。ここに関係者の長年にわたる尽力に対し深く敬意を表します。
今大会の開催地の中には,一昨年の阪神・淡路大震災により,大きな被害を受けた所もあり,試練を乗り越えつつ大会を開催する道のりにおいて,関係者の並々ならぬ努力があったことと察せられます。
古くからの歴史をもつこの地,大阪に集う選手の一人一人が,日ごろ鍛えた力と技を十分に発揮するとともに,選手相互の,そして,府民との交流を深めるよう念願いたします。
大阪府民の協力に支えられた「なみはや国体」が,長く心に残る実り多い大会となることを期待して,開会式に寄せる言葉といたします。
全国から参加された皆さんと共に中学校教育50年記念式典に臨むことを誠に喜ばしく思います。
学制改革によって現在の中学校が誕生したのは戦後間もない昭和22年4月のことでありました。物資も乏しく,生活も困難な状況下,民主主義の社会を築く上に様々な変革の行われた時でありました。当時の先生方には心身の様々な御苦労があったことと察せられます。
今日,科学技術の進歩は多大な影響を社会に与え,教育環境にも大きな変化をもたらしてきております。そのような中にあって人類社会の理想を求めつつ,国民一人一人が主体的に生きていくために学校教育の果たすべき役割は誠に大きなものがあります。中学校教育に携わる皆さんが,義務教育がいかにあるべきかを常に念頭に置き,教える者と教えられる者との心の触れ合いを大切にしつつ,人々の期待に
日本医師会設立50周年に当たり,本日,記念式典が開催されることを誠に喜ばしく思います。
日本医師会が設立されたのは戦後の厳しい状況下であり,当時の医療に携わる人々の苦労は誠に大きなものであったと察せられます。しかし,一方で,この時期は,抗生物質などの新薬が開発され,肺炎を始め,長年人類を苦しめてきた結核やハンセン病などの治療に光明がもたらされ,医療の歴史に一時期を画した画期的な時代でもありました。
以来50年,科学技術の進歩に伴い,医学,医療は著しい発達を遂げました。今日,地域医療の担い手である医師及び行政のたゆみない努力により,広く国民が医療の恩恵を受けるようになってきていることは,誠に喜ばしいことであります。ここに医師会会員の努力に対し,深く敬意を表したく思います。
今後,我が国の高齢化の進む中,健康を預かる医師の果たす役割は,ますます重要になることと考えられます。医師会会員が,日進月歩する医学,医療についての研
ここに,50年にわたり国民の医療のために尽くされてきた努力を深く多とし,お祝いの言葉といたします。
この度,ブルガリア共和国大統領ストヤノフ閣下が令夫人と共に国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに,今夕を共に過ごしますことを誠に喜ばしく思います。
今から18年前,当時皇太子であった私は,昭和天皇の御名代として,皇太子妃と共に貴国を訪問いたしました。訪れた首都ソフィアや黒海沿岸のヴァルナにおいて,人々から心のこもった温かい歓迎を受け,貴国国民の我が国民に対する友好の気持ちを深く感じたことを覚えております。
当時まだ10歳であった清子内親王は,昨年,日本文化月間の開幕式に当たって貴国を訪問し,貴国の厳しい歴史や優れた文化に深い感銘を受けて帰国いたしました。内親王の受けた丁重なおもてなしに対し,改めて感謝いたします。
貴国においては,7年前から毎年,日本文化の様々な面を紹介する行事が開催され,また,高校や大学で,熱心な日本語教育が行われていると聞いております。今年から明年にかけては,我が国において,貴国の音楽,文学,美術などを幅広く紹介する大規模な「ブルガリア文化フェスティバル」が開催されつつあります。貴国と我が国の歩んできた歴史は異なりますが,共にそれぞれの文化や芸術を大切にしてきました。両国民の間で文化交流と,それに伴う人々の交流が更に促進されることは,両国間の相互理解と友好関係の増進のためにも誠に意義深いことと思います。
中・東欧における変革の大きな流れの中で,貴国においては,1989年以来,様々な困難を乗り越えながら,民主主義の定着と市場経済の導入のための改革が進められております。同時に貴国は,バルカン地域の平和と安定のためにも,様々な努力を重ねていると承知しております。大統領閣下が,御就任以来,厳しい経済状況に直面しながら,国民と共にこのような努力を続けていらっしゃることに深く敬意を表します。
皇后と私が貴国を訪れたのは,18年前の10月であり,各所で目にした貴国の秋の風景が懐かしく思い起こされます。大統領閣下並びに令夫人が深まりつつある我が国の秋をお楽しみになり,この御訪問が実り多いものとなるよう願っております。
ここに杯を挙げて,大統領閣下並びに令夫人の御健勝とブルガリア共和国国民の幸せを祈ります。
本日,全国の地方公共団体関係者と共に,地方自治法施行50周年を祝うことを誠に喜ばしく思います。
地方自治法が,日本国憲法のいう地方自治の本旨に基づき制定,施行されたのは,戦後間もない,極めて困難な時代でありました。当時,混迷の中で,我が国の将来に思いを致し,新しい地方自治制度の画定に力を傾けられた関係者の労苦が察せられます。
その後50年の間に,地方公共団体の関係者を始めとする国民の努力により,地方自治は国民生活に深く根付き,地域社会の向上のため,各地で活発な活動が行われるに至っております。国内各地を訪れる機会に,将来に備えて住民の生活をより豊かなものとするための様々な施策が,地方公共団体と住民との協力によって講じられている様子に接することは,誠に心強いことであります。ここに,長年にわたる地方自治の歩みを顧み,関係者の払われた努力に深く敬意を表します。
地方自治は,民主主義の基礎であり,また,住民の日常生活にとって極めて重要であります。今後,個性豊かな地域社会を形成し,住民の福祉の増進を図っていくために,地方自治の役割は,ますます大きなものとなると思われます。高齢化など時代の変化を踏まえつつ,地方自治の堅実な充実発展を図っていくためには,なお多くの困難な課題に取り組んでいかなければなりません。
本日の式典を契機として,地方公共団体の関係者はもとより,全国民が協力して,地方自治の理念の実現のため,一層努められるよう切に希望いたします。
エリオット・マーチン・マイエロヴィツ博士が第13回国際生物学賞を受賞されたことを心からお祝いいたします。
今回の授賞分野は植物科学でありますが,博士はアブラナ科のシロイヌナズナが,分子遺伝学的研究に適した幾つもの利点を持っていることに着目し,これを対象として,植物の発生や分化,特に気管や組織の形成,さらに物質代謝などの諸問題を遺伝子レベルで解析する手法を確立されました。また博士が御自身の研究成果を広く公にするなど,同じ分野の課題に取り組む他の研究者に対して貴重な資料提供を行われたことは,被子植物の遺伝学の進展に大きく寄与したことと思われます。このような博士の御研究は,植物科学ひいては生物学全般に対する重要な貢献であり,今日,植物バイオテクノロジーの応用面にも広く活用されております。ここに博士の独創的な御研究に対し,深く敬意を表します。
博士の御研究が今後ますます発展するとともに,国際生物学賞が生物学諸分野の進展に寄与することを願い,授賞式に寄せる言葉といたします。