会見年月日:平成3年12月19日
会見場所:赤坂御所
今年は世界的にみると,湾岸戦争やソ連情勢の変化など激動の年でしたが,国際社会の様々な問題が話合いで解決される兆しも現れていることは,将来へ明るい気持ちを抱かせます。
国内では,雲仙・普賢岳の噴火による災害や,台風による災害で,多くの人命が失われたことは誠に残念なことでした。殊に雲仙・普賢岳の噴火は依然として続いており,終息する兆候も認められません。長い避難生活の苦労は,はかり知れないものと察しております。
今年の秋は,アセアン3か国に続いて,石川県の国民体育大会,愛知県の豊かな海づくり大会などの行事への出席などで,非常に忙しい日々を過ごしましたが,二人とも無事務めを果たすことができました。体調も今のところ大丈夫のように思います。最近は国賓,公賓のほかに,公式実務訪問という新しい制度ができ,宮殿の行事が忙しくなりました。また日本を訪れる外国の人々も多くなりましたが,世界の人々との交流・友好を深めることは大事なことと思っていますので,政府の要請に沿って努めていきたいと思っています。一方皇太子のときに比べますと,外に出掛けることは,地方訪問も含め少なくなってきていますが,社会や人々に接することは大事なことと思いますので,出来るかぎり務めていくつもりです。
戦争によって,多くの人命が失われ,また,苦しみを受けたことを思い,心が痛みます。
日本は,戦後このような戦争の惨禍を再び繰り返すことのないように,平和国家として生きることを決意し,世界の平和と繁栄に努めてきました。50年を経た今日,過去を冷静に,謙虚に振り返ることは,世界の人々との理解と友好を深める上で意義深いことと思います。
日本が平和な世界を目指して,国際社会に貢献していくことを切に願っております。
運動が心身の健康に意義があるということは感じていますが,自分自身のストレス解消法や健康法を持っているわけではありません。
オランダの女王陛下と初めてお会いしましたのは,二人共二十代のときで,それ以来何度も親しくお会いしています。昔から日本との友好関係を深めたいと強く念願していらっしゃいました。この度の晩餐会のスピーチは,オランダ国民を代表するお立場で,過去を踏まえて,今後の日本との理解と友好を深めたいという気持ちを十分に表されたように感じております。真の友好は喜びと心の痛みを共にわけあうことによって確かなものになると思います。
この前もアセアン3か国を訪問しておりますが,その時は,昭和天皇のご名代という立場でしたので,さほど気持ちとしては違いはありませんでした。国王や大統領の国賓としての日本訪問に対してご名代で訪問するということに対し,各国がそのことを理解し,受け入れてくれたことは今も深く感謝をしております。
皇太子の結婚は皇太子の気持ちというものが最も尊重されるべきものですが,それは皇室会議の議を経て成立します。結婚の問題は皇太子の気持ちに沿って東宮職が努力していることと思いますので,それを静かに見守っていくことが大事ではないかと思います。
これまでにも,学生生活に差し支えない範囲で皇族としての務めを果たしてきましたが,今後は皇族としての務めを一番大切にしていきたいと,そういう気持ちでいるようです。卒業後自分のしていきたいことについては,公務に差し支えのない範囲で自分なりに一生懸命考え,進路を決めているようです。卒業論文を書き終え試験が終わったあとで,さらにはっきりしたことが決まることと思います。
デンマークでは,国王に王女しかおありにならなかったことから,今のマルガレーテ女王陛下に王位継承権が認められました。これは38年前のことで,私はちょうど英国の戴冠式に出席し,そのあとでデンマークを訪問した年ですので,非常によく覚えています。
スウェーデンとノルウェーでは,男女の区分なく長子が王位継承するというふうに改正されたというふうに聞いております。従って,デンマークでそのような改正が行われてから,ちょうど一世代後にこのような改正が行われたことになり,この王位継承の問題は,それぞれの国の事情や時期によっているというように考えます。
現在世界でエイズが非常に増加していることは誠に憂慮すべき状況だと思います。日本では今までのところそれほど多くはありませんが,増加の状況にあることは,非常に心配です。エイズの蔓延を防ぐためには,個人個人が感染しないように努めていくことが最も大事ではないかと思います。過去に血友病の人が輸血によってエイズに感染したことは,本当に気の毒なことで心を痛めております。エイズに対する研究が進み,根治薬の開発や対策の確立ができることを切に望んでおります。
名誉会員に選ばれたことをうれしく思っております。
私が研究を始めたころを思いますと,ハゼの類は当時日本で産することが知られていた種類は140種位でしたけれども,今では,その倍以上の300種は日本に産することが知られるようになりました。その分野での著しい進歩を感じております。即位後は事多い日々を過ごしてきたので,皇太子時代に研究したことを一つ論文に書きましたけれども,その後は研究を進めておりません。しかし未知の分野が多いハゼの類ですので,これからも研究は進めていきたいと思っています。
研究を通して,外国の人々の協力を得,また交流が出来たことはうれしいことでした。即位後に発表した論文も韓国や中国などの研究者の協力が大きな助けになりました。
さっきいろいろお話したことは,印象に深いことなわけです。
もう少し身の廻りのことについては。
身の廻りのことね。それは孫ができたこと,これも非常に印象深いことですね。
沖縄には,是非ともよい時期に出来る限り早く行きたいと思っております。
標本を送ってくれました。ちょうど文化大革命のすぐあとだったんですが,私の論文を中国で見て論文を送って欲しいと言ってきまして,それ以来いろいろ交流があるわけですが,私の研究しているところへも来て,私は,ハゼの感覚器の配置,これで分類を始めたわけで,当時日本ではほとんどやられてなかったものなんですけれど,そういうことでそのやり方を教えて欲しいということで私の研究室にも何日か来て,それからまた当時は中国と韓国が国交がなかったので,中国の人は韓国の標本を見る,それから韓国の人は中国の標本を見るという,そんなこともありました。もう今は,そういうこともなくなりましてお互いは交流できるでしょうけれども,やはり研究をしながらいろんな人と国境を越えた交流というのは,やはり,非常にうれいしい気がします。
この問題は,やはり政府が関与する問題ですけれども,やはり隣国というものはやはり交流を深めるということ,これは大事なことだと思っています。
これは私自身が言うべきことではないというふうに思います。やはり国民の人々が考えることではないでしょうか。