会見年月日:平成元年8月4日
会見場所:宮殿 石橋の間
昭和天皇のご病気中,大勢の人々から,お見舞の気持ちが示され,また,崩御に当たっては,弔意が寄せられたことは,非常に心打たれるものがありました。大喪に当たっては,厳しい寒さと雨の中,多数の参列と心のこもった沿道の見送りを受け,昭和天皇は陵所にお向かいになりました。心寄せられた多くの人々の気持ちに対し,深く感謝の意を表したいと思います。また,崩御に当たって,世界各地の人々,並びに,そこに住む日本人や日系の人々が弔意を示されたことに対し,大使館の記帳簿などを見ながら,深く感謝しております。
お顔を見つめながら,とうとう崩御になったことに深い感慨を覚えました。皇位を継承したことを心に刻んだのは,一時してからのことでした。天皇の在り方については,お接しした時に感じたことが,大きな指針になっていると思います。人への思いやりなどについても学ぶことが多くありました。思い出としては色々ありますが,葉山でご一緒に過ごしたときのことなど,ついこの間のことのように,なつかしく思い起こされます。
お長かったご不例の日々にも,お治りになるという希望を捨て去ることが出来ませんでしたので,崩御は本当にかなしいことでございました。その時ある思いが去来したというよりも,お側で過ごさせていただいたかけがえのない日々がとうとう終りに来てしまったというさびしさだけを感じておりました。
憲法に定められた天皇の在り方を念頭に置き,天皇の務めを果たしていきたいと思っております。国民の幸福を念じられた昭和天皇を始めとする古くからの天皇のことに思いを致すとともに,現代にふさわしい皇室の在り方を求めていきたいと思っております。警備の在り方については,先の植樹祭で,社会の迷惑にかからないように色々工夫がなされており,苦労も多かったと思いますが,そのような方向で心をくだいてくれたことをうれしく思っております。健康管理については,医学の進歩に応じたものが必要と思います。
陛下のご即位後の1年は,先帝陛下のみたまをおしのびする諒闇の1年でもあり,この大切な時期に過去のことをよく学び,これからの自分のあり方について考えたいと思います。また,陛下が,今までにも増して重い責務を果たしていらっしゃるのですから,日々のお疲れをいやす安らぎのある家庭を作っていきたいと願っています。
憲法は,国の最高法規ですので,国民と共に憲法を守ることに努めていきたいと思っています。終戦の翌年に,学習院初等科を卒業した私にとって,その年に憲法が公布されましたことから,私にとって憲法として意識されているものは日本国憲法ということになります。しかし,天皇は憲法に従って務めを果たすという立場にあるので,憲法に関する論議については言を謹みたいと思っております。
現在の世界は,あらゆる国々が国際社会の一員という立場に立たなければ,人類の幸福は得られないという状況になっていると思います。したがって,国と国との親善関係の増進は極めて重要なことです。それには,人と人との交流が果たす役割も大きなものがあると思います。私も,そのような意味で,私の立場から,外国の人々との理解と親善の増進に役立つよう努めていきたいと思っております。中国と韓国の訪問については,私の外国訪問は,政府が決めることですが,そのような機会があれば,これらの国々との理解と親善関係の増進に努めて,意義あるようにしたいと思っております。国産品,外国産品の問題については,国産品,外国産品を問わず,ふさわしいものを使うということが望ましいと思われます。国際化には色々の面があるますが,最も大切なことは,外国の人々に対して,それぞれの心を理解しようと努め,お互いに人間として理解し合うように努めることが大切と思います。皇族の結婚については,本人の問題と皇室会議を経るという手続がありますので,私の立場でいうことは差し控えたいと思っています。
国際親善は,いろいろな立場の人々がそれぞれの立場で友好を深めていって,次第に国同士の親しさが醸し出されて来るというものではないかと考えています。私も,私の必要とされる分野で,努めていきたいと思います。大韓民国と,中華人民共和国の訪問については,いま陛下がおっしゃったことと私も同じ気持ちでおります。要請がございましたら,心をこめて務めを果たしたいと思います,次は何でしたかしら。(質問を繰り返す。)私どもの生活の中には,もちろん外国の品々が沢山入って来ておりますが,私は,自分の育った時代もあって,どちらかというと国産の製品を愛用する方かもしれません。質問の中にあった「日本らしさ」ということも,「国際化」ということも,物と心の両面にかかわることですので,この問題はもう少し全体として捉え,これからも考えていきたいと思います。最後の質問については陛下のお答えと同じになると思います。
昭和天皇は,平和というものを大切に考えていらっしゃり,また,憲法に従って行動するということを守ることをお努めになり,大変ご苦労が多かったと深くお察ししています。先の大戦では,内外多数の人々が亡くなり,また,苦しみを受けたことを思うと,誠に心が痛みます。日本は,新しい憲法の下平和国家としての道を歩み続けていますが,世界全体で一日も早く平和が訪れるよう切に願っています。
今の質問に関連して陛下にお伺いします。先頃中国の李鵬首相が来日しましたが,このときの会見で陛下は日中戦争をめぐり中国に,遺憾の意を表明されたと伝えられました。どのようなお気持ちでそうおっしゃったのか,お聞かせください。
その問題については,公表しないことになっております。
さきほどの昭和天皇の戦争責任の質問で昭和天皇は,平和を大切にし,考えておるとおっしゃいましたが,これは陛下として,昭和天皇には戦争に関する責任はなかったとお考えだというふうに,とらえてよろしいでしょうか。
私の立場では,そういうことはお答えする立場にないと思っております。
言論の自由が保たれるということは,民主主義の基礎であり大変大切なことと思っております。
今,おっしゃった言論の自由という観点から,主旨質問の中にもありましたけれども,戦争責任について論じたり,あるいは天皇制の是非を論じたりするものも含んでいるというふうにお考えでしょうか。
そういうものも含まれております。
この問題につきましては,内閣が慎重にいろいろな角度から,検討を行っていると思います。
大嘗祭とは別にですね,いわゆる宮中祭祀,新嘗祭ですとか一般的な宮中祭祀に対して,陛下はどのような心構えで臨まれていらっしゃるでしょうか。
昭和天皇も宮中祭祀を大切に考えていらっしゃいました。その気持ちを受け継いでいきたいと思っております。
相続税の問題については,法令に従って行うのが望ましいと考えます。また,皇室の経済については,憲法や法律に定められており,資産の公開についても,それに従いたいと思っています。
相続税の納税に関連しまして,お納めになったと同時に天皇にも私的な側面があるということを承りましたが,天皇のおおやけ,公的な部分と私的な部分との区分をどうするのかということについて,お伺いしたいと思います。
この問題については,非常に区別がはっきりしているものもあれば,また,はっきりしていないものもあると思います。その場合,場合によって,やはり考えていかなければならないのではないかと思っております。
結婚の問題については,お答えすることはできません。皇太子とは永年一緒に住んできましたので色々とお互いに良い影響を受け合ってきたと思います。今後ともそういう関係が続くことを願っています。
私も,東宮様や礼宮の結婚については答えを控えさせて頂きます。東宮様は,独立なさって,しばらくは不便もおありかと思いますが,やがてこれも中々いいものだとお思いになるのではないでしょうか。時たまでよろしいからビオラを聴かせにいらして下さるとうれしいと思います。
現在環境の問題は,世界のあらゆる人々が関心を持たなければいけないほど相互依存性の強い問題になっていると思います。皇室としては,ふさわしい在り方で,国民の関心が高まるように努めていきたいと思っております。皇太子時代,毎年豊かな海づくり大会に出席しましたのも,日本をかこむ海が少しでも良くなるように願ってのことでありました。地球規模の環境が日本でもだんだん関心を集めてき,それに取り組む人々が増えてきていることを,大変うれしく思っております。
御所の建設については政府が決めたばっかりで,まだ何も決まっていません。御用邸については,今年の夏は皇太后様もいらっしゃるようですので昭和天皇にゆかりの深い那須に一週間ばかり過ごそうと思っています。宮殿などの開放については,私は英国戴冠式の時に,各国を訪れ,そのことを深く印象づけられました。日本でも,京都御所は早くから一般に公開されており,その後,皇居東御苑が造られ,現在人々の憩いの場になっていることを,大変うれしく思っております。この問題については,色々な面から検討される必要があると思います。
国民の接点という点から関連して質問させていただきます。昭和天皇は,沖縄訪問の強いお気持ちを持ちながら実現されませんでしたが,沖縄県はいまだに天皇陛下をお迎えしたことがありません。沖縄戦で亡くなられた20万余の慰霊を含めまして,沖縄訪問のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
機会があれば,是非,沖縄を訪問し,沖縄の人々の心を,気持ちを,戦争で亡くなった人々,また,多くの苦しんだ人々のことを考え,沖縄を訪問したいと思っております。
30年にわたって,先帝陛下と皇太后陛下のお教えを受けて過ごすことができ幸せでございました。また,今上陛下が,いつも本当に広いお心でありのままの私を受け容れて下さいましたので,そのやすらぎの中で導かれ,育てられて来たように思います。両親のもとで過ごした年月よりも更に長い年月が過ぎたことを思いますと,やはり深い感慨を覚えます。
演奏やテニスを家族でするということは今後も続いていくと思います。しかし,テニスについては技術の差が大分多くなりまして良いゲームはむずかしくなってきました。これからも,広く人々と接することは,進めていきたいと思っています。
昭和天皇のご闘病の関連で伺いたいのでございますが,昭和天皇にはガンの告知がなされませんでしたけれども,陛下は,昭和天皇がガンであることをご存知だったと思うのですが,そのことについて,肉親としてのお気持ちをお聞かせいただきたいと思います。
高木侍医長は,侍医としても務めており,その後侍医長として務めたわけで,高木侍医長の意見に従うのが最も良いと,私は考えました。