皇后陛下お誕生日に際し(平成20年)

宮内記者会の質問に対する文書ご回答

皇后陛下のお写真
皇后陛下お誕生日に際してのご近影
問1 今年になって,天皇陛下が,骨粗しょう症の恐れがあると診断され,皇后さまも体調を崩されました。日頃から健康面で心がけられていることやお二人のこれからの生活スタイルについてのお考えなどをお聞かせ下さい。皇太子妃雅子さまの静養が5年目に入り,皇后さまは昨年の宮内記者会の質問に対して“妃の快復を祈り,見守り支えていきたい”とお答えになりました。特に,心配りされていることはございますか。最近の雅子さまの快復のご様子とあわせてお聞かせ下さい。
皇后陛下

陛下の御手術からもう6年近くが経ちました。残念なことに,術後再びPSAの数値が上昇し,ホルモン療法が始められ,今も続いています。最近の医師の発表にもありましたように,この療法は癌をおさえますが,骨や筋肉に負の影響を与えます。歩くことや運動をすることで,これを防ぐことが大切だと教わりましたが,こうしたことをご一緒にすることで,私の健康も維持されることと思います。これまで通り早朝の散策を続けていますが,陛下のご運動の量をもっとふやすよう指示を受けています。

後半の皇太子妃の健康についての質問ですが,東宮職より,こうした質問が出されることが妃の快復にとり望ましくない,という医師団の見解が発表されており,私の回答も控えるべきことと思います。ただ,妃は皇太子にとり,また,私ども家族にとり,大切な人であり,「妃の快復を祈り,見守り,支えていきたい」という,私の以前の言葉に変わりはありません。

問2 今年,皇太子家の愛子さまが小学生になられ,秋篠宮家の悠仁さまが2才になられるなど4人のお孫さまはいずれも健やかに成長されています。間近でお会いになり印象に残っている出来事などを交えながら,それぞれご感想をお聞かせ下さい。今年に入ってから以前に比べて,皇太子ご一家が御所に参内になられる機会が増えているように見受られますが,どのように受け止められていますか。
皇后陛下

私どもの子供たちが,順々に初等科に入学し卒業していってから,まだそれほど年月が経ったとも思われませんのに,その子どもである眞子や佳子が既に初等科を卒業し,今年は愛子の入学という嬉しい年になりました。悠仁も健やかに成長し,9月には2歳の誕生日を迎えました。

この頃愛子と一緒にいて,もしかしたら愛子と私は物事や事柄のおかしさの感じ方が割合と似ているのかもしれないと思うことがあります。周囲の人の一寸した言葉の表現や,話している語の響きなど,「これは面白がっているな」と思ってそっと見ると,あちらも笑いを含んだ目をこちらに向けていて,そのような時,とても幸せな気持ちになります。

思い出して見ると,眞子や佳子が小さかった頃にも,同じようなことが,度々ありました。今記憶しているのは,一緒に読んでいた絵本の中の「同じ兎でも並の兎ではありません」という言葉を眞子が面白がり,ひとしきり「ナミの何か」や「ナミでない何か」が家族の間ではやったことです。佳子も分からないなりに口真似をして嬉しそうに笑っており,楽しいことでした。

悠仁とは9月の葉山で数日を一緒に過ごしました。今回は陛下が久しぶりに海で二挺艪の和船を漕がれ,悠仁も一緒に乗せて頂きましたが,船を海に押し出す時の漁師さんたちのにぎやかなかけ声,初めて乗る船の揺れ等に,驚きながらも快い刺激を受けたのか,御用邸にもどって後,高揚した様子で常にも増して活々と動いたり,声を出したりしており,その様子が可愛いかったことを思いだします。

東宮や秋篠宮家の参内についてですが,それぞれの家庭にその時その時の事情があり,私どもの日程もかなり混んでいて調整の難しいこともありますが,今後も双方の事情が許す時には出来るだけ会えるとうれしいと思います。

問3 この1年は,有害物質を含む食品が流通して食の安全が脅かされたり,子どもが犠牲になる事件が相次いだりして,国民が不安になる出来事が多かった一方,北京オリンピックでの日本選手の活躍など明るい話題もありました。この1年を振り返って,特に,気にかけられたり,印象に残ったりした出来事について,お聞かせ下さい。
皇后陛下

この1年,有害物質を含む食品や事故米の流通を初めとし,食品の安全性に不信を抱かせられる事件が多く,加えて燃料費の高騰や年金に対する不安もあり,心配なことの多い年でした。米国の金融不安は今も進行中であり,その日本経済に及ぼす影響は多くの人の案ずるところであると思います。

自然災害では,岩手・宮城内陸地震の被害と共に,夏,神戸市都賀川の川べりで,突然の増水により,川遊びをしていた子どもらが亡くなった事故が忘れられません。

岩手・宮城内陸地震の災害情報を得る中で,死者・行方不明者が集中した宮城県栗原市の耕英地区が,戦後,旧満州から引き揚げ,この地に入植した人たちにより,原生林を切り開いて作られた開拓地であったことを知りました。長い苦労の末やっと安住した土地を離れ,今避難所に暮らす人々の淋しさを思わずにはいられません。この人々を含め,今回両県や近県で被災した人々の上に,少しも早く平穏な日々の戻ることを願っています。

わが国ばかりでなく,ミャンマーや中国も,サイクロンや地震により大きな被害を受けました。いち早く中国の被災地に入った日本の国際緊急援助隊の活動を有難く思います。

イラク,アフガニスタン,スーダンなどで紛争が続く中,今年8月,ロシア,グルジア間に武力紛争が勃発し,多数の死者が出たことは大きな事件でした。又,この同じ月に,日本のペシャワール会々員の伊藤和也さんがアフガニスタンで拉致され,生命をおとされました。残念で悲しい出来事として記憶に残っています。

4月に石井桃子さんが101歳で亡くなりました。創作,翻訳,評論,編集,児童図書館や文庫の活動等,文学,とりわけ児童文学の幅広い分野で貢献を果たした先達を追悼いたします。

喜ばしい出来事も決して少なくはありませんでした。

4月には日本で,6月にはブラジルで,移民100周年が盛大に行われ,日伯関係が改めて強い絆を確認しつつ,新しい一歩を踏みだしました。

地震の被害でほぼ全村民が,一時離村した新潟県の旧山古志村でも,約7割がこれまでに帰村し,この9月には,一昨年の三宅島,昨年の玄界島の時と同じように,陛下とご一緒に村を訪ね,その復興の様子を見ることが出来ました。

10月に入り,南部陽一郎さん,小林誠さん,益川敏英さん3方の,そしてその翌日には下村脩さんのノーベル賞受賞が発表されました。同じ科学の分野で,京都大学の山中伸弥教授が新型の万能細胞を,癌化の恐れがあるウィルスを使わずにつくることに成功されたことも,素晴らしいニュースでした。

北京五輪では,何よりも前回のアテネで入賞し,4年後の今回再び栄誉に輝いた人たちの,この間の計り知れない努力に敬意を表します。期間中,実況やニュースで時間の許す限り競技を見ました。今回は特に陸上の男子400メートル・リレーや,水泳の男子400メートル・メドレーで,走者や泳者が交代する時の引継ぎの巧みさと,チームの持つ強い一体感に感銘を受けました。

又,五輪の関係ではありませんが,同じスポーツ分野で記憶に残っていることに,野茂投手と王監督の引退がありました。それぞれが日本の球史に残された足跡を思い,今後も元気に過ごされるよう願っています。

尚,昨年,陛下とご一緒に訪れた滋賀の紫香楽宮の宮址から,万葉集などでよく知られた2首の歌を記した木簡が出土したことは,非常に興味深いことでした。発掘作業の素晴らしい成果であったと思います。

皇后陛下のお誕生日に際してのご近影

この1年のご動静及びお誕生日当日のご日程

この1年,皇居内外での様々な行事・式典へのご臨席,福祉・文化施設などへのご訪問,国賓を始めとする国内外の賓客のご接遇など,皇后さまは,公的なお立場で300件を超すお仕事に臨まれました。なお,この他に宮中祭祀が16回,献穀者,賢所勤労奉仕団及び皇居勤労奉仕団のご会釈が55回あり,例年のようにご養蚕のお仕事も務められました。皇后さまは,多くの行事やご視察を陛下のお側でお務めになりましたが,単独では,恒例の全国赤十字大会にご臨席になり,お言葉を述べられた他,社会貢献活動や文化・芸術に携わっている人々からの願い出に応え,チャリティー・コンサートを始め各種公演・展覧会などに足を運ばれました。御所では恒例の肢体不自由児関係の「ねむの木賞」受賞者のご接見があり,また日本赤十字社名誉総裁として同社社長,副社長より,活動状況につきご報告を受けられました。

昨年5月の欧州諸国ご訪問以降,外国ご訪問はありませんでしたが,この1年も,両陛下は多数の外国からの賓客にお会いになって,接遇されました。国賓として迎えられたベトナムおよび中華人民共和国の元首夫妻を含め8か国の元首夫妻を陛下と共にお迎えになった他,外国の三権の長や国連事務総長の夫妻等24回のご引見があり,それに伴い7回の午餐を催されました。在京の外交団とのつながりも大切にされ,この1年間に,着任後間もない33か国の大使夫妻をお茶に,着任後3年経過した19か国の大使夫妻を午餐にお招きになっており,また,離任に際して,17か国の大使夫妻がご引見を賜りました。また,日本から外国に赴任する大使夫妻にも,陛下と共に全員にお会いになっており,この1年には60か国に赴任する大使夫妻に出発前にお会いになり,28か国から帰朝した大使夫妻を茶会に招かれて労をねぎらわれ,任地の話をお聞きになりました。

この1年間,公的な地方行幸啓は福岡県,滋賀県,栃木県,群馬県,神奈川県(3回),秋田県,新潟県,大分県と8県,10回を数えました。国民体育大会,豊かな海づくり大会,植樹祭の開会式にご臨席になった他,各県へ行幸啓の都度,多数の市町村を回られ,各地の文化,福祉を始めとする諸施設をご訪問になり,大勢の人々の歓迎にお応えになりました。また,福岡県では平成17年の西方沖地震被災地を,新潟県では平成16年の中越地震の際,現地をお見舞いにご訪問された折,道路が分断されたためヘリコプターで上空からしかご覧になれなかった旧山古志村を,それぞれの復興状況をご視察になり,住民を励まされました。また,群馬県では日本ブラジル交流年・日本人ブラジル移住100周年にちなみ,日系ブラジル人が多数在住する地域をご訪問になりました。

都内でもさまざまな式典や御視察などのお出ましがありましたが,地方で公式にご訪問になった自治体は,17市9町になります。

宮中祭祀は恒例の祭祀の他,花山天皇千年式年祭の儀,孝昭天皇二千四百年式年祭の儀,後二條天皇七百年式年祭の儀を含めすべてに列せられました。

今年のご養蚕は5月より始められ,桑の葉摘み,ご給桑,上簇,わら簇作り,まゆ掻き等の作業のため,恒例の行事の他にもご公務の合間に20回以上にわたり桑園や御養蚕所においでになり,かいこの飼育に当たられました。今年はまゆ約170キロの収穫があり,このうち67.60キロの小石丸のまゆの中から約30キロを宝物復元のため正倉院へ,15キロを美術品修復のため三の丸尚蔵館へ賜りました。

皇后さまは週日のほぼ連日のご公務に加え,土日や祝日にもしばしば公的な行事や祭祀をお務めになっておられます。年初,めまいを感じられたり発熱されるなど「お体からの警告」との診断があり,ご健康には日ごろから気をつけていらっしゃいます。また,陛下のご健康をお案じになり,早朝のご散策やお時間の許す限りテニス等をつとめて陛下と共になさるように心掛けておられます。また,お忙しいご公務の合間に読書をされたりピアノの練習も少しずつ続けておられ,昨年,一昨年に引き続き草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルにも参加され,アンサンブルを学ばれました。

10月20日,皇后さまの74回目のお誕生日のご日程は,午前10時半から12時まで,皇族方始め内閣総理大臣,衆参両院議長,最高裁判所長官,閣僚,宮内庁職員等による祝賀7回,正午,皇族方始めとの御祝宴,午後,旧奉仕者による祝賀2回,母校の先生方や御進講者等との茶会,非公式日程として夕刻から敬宮様始め未成年の内親王,親王殿下方のご挨拶があり,最後にお子様方ご夫妻とお祝御膳を囲まれます。

皇后陛下お誕生日行事

平成20年10月20日(月)
時刻 出御 行事 事項 場所
午前10:30 両陛下 祝賀 侍従長始め侍従職職員 御所
同 11:00 天皇陛下 祝賀 長官,次長(総代),参与 鳳凰の間
同 11:10 皇后陛下 祝賀 長官始め課長相当以上の者,参与及び御用掛 鳳凰の間
同 11:20 皇后陛下 祝賀 宮内庁職員及び皇宮警察本部職員 北溜
同 11:40 皇后陛下 祝賀 内閣総理大臣,国務大臣,内閣法制局長官,内閣官房副長官,衆・参両院議長,副議長,最高裁長官,判事及び以上の者の配偶者 梅の間
同 11:50 両陛下 祝賀 皇太子同妃お始め皇族各殿下 梅の間
同 11:55 皇后陛下 祝賀 元皇族,御親族 竹の間
午後 0:05 両陛下 御祝宴 皇太子同妃お始め皇族各殿下,元皇族,御親族 連翠
同 1:40 皇后陛下 祝賀 旧奉仕者会会員
(元宮内庁職員及び元皇宮警察本部職員)
北溜
同 2:00 両陛下 茶会(立席) 元長官,元参与,元側近奉仕者,元御用掛,松栄会会員等 連翠南
同 4:10 両陛下 茶会 愛子内親王殿下
眞子内親王殿下
佳子内親王殿下
悠仁親王殿下
御所
同 4:30 両陛下 茶会(立席) 御進講者始め御関係者 御所
同 7:00 両陛下 お祝御膳 皇太子同妃両殿下
秋篠宮同妃両殿下
黒田様御夫妻
御所