天皇陛下お誕生日に際し(平成16年)

宮内記者会の質問に対する文書ご回答

天皇陛下のお写真
天皇陛下お誕生日に際してのご近影
(写真:宮内庁)
問1 今年はアテネでの五輪とパラリンピックで日本選手団が活躍するなど,明るい話題もあった一方で,日本各地が地震や台風などの多くの災害に見舞われました。国内外でも,皇室でも様々なことがありましたが,この1年間を振り返って,陛下の心に残っていることと,それぞれについての感想をお聞かせください。また,現在のご体調についてもお聞かせください。
天皇陛下

1年間を振り返って,国内のことで,最も心の痛むことは自然災害によって死者・行方不明者が300人に達したことです。阪神・淡路大震災の年を除くと,この10年間,年ごとの死者・行方不明者の数はこの数値の半分以下ですから,今年の災害は極めて大きなものでした。日本に襲来した台風の数も,台風に伴う雨量も,また集中豪雨の雨量も,今年は多く,各地で山崩れや洪水をもたらし,多くの人命が失われました。

10月には新潟県中越地震が起こり,40人の命が失われ,一時は10万人を超える人々が避難生活を送ることを余儀なくされました。山古志村では全村民が村を離れ,避難生活を送っています。余震が続き,雨が降る中での救助活動は非常に危険を伴うものであり,心配していましたが,事故が起こらなかったことは幸いでした。2歳の幼児の4日ぶりの救出はこのような厳しい状況の中で行われましたが,無事救出されたことは本当に良かったと思っています。救助,救援活動に当たった消防,警察,自衛隊の人々,また全国から集まったボランティアに対し,深く感謝しています。私は皇后と共に11月初旬被災地を訪れましたが,被災した人々が悲しみの中で,救援活動をする人々に感謝しつつ,けなげに避難生活を送っている姿に心を打たれました。被災地は深い雪に覆われる地域であり,寒さが厳しくなる中で,被災者の健康が気遣われます。最近は仮設住宅の建設が進み,大勢の人々と共に生活していた避難所から仮設住宅に移る人々の姿が放映され,それを見ていると少し気持ちが明るくなります。長い共同生活は本当に苦労が多いことだったと察しています。今後被災地の人々の生活が安全性の高い基盤の上に築かれていくことを切に願っています。

火山噴火により全島民の避難が4年以上続いている三宅島では,火山ガスの量が減り,安全確保対策や受け入れ準備が進められて,島民の帰島が来年実現する運びとなったことは喜ばしいことです。しかし,火山ガスの放出はまだ収まっていない状態なので,帰島した島民の苦労も多いのではないかと心配しています。島民の避難後,火山ガスが放出される中で,島民の帰島の日を目指して,たゆまず復旧作業に取り組んできた人々の労を深くねぎらいたく思います。

アテネで行われたオリンピック競技大会とパラリンピック競技大会での日本選手の活躍は非常に喜ばしいことであり,多くの人々に明るい気持ちと励ましを与えたことと思います。

またイチロー選手の大リーグで成し遂げた大きな成果も心に残ることでした。そして,その成果の達成を米国の人々が応援してくれたこともうれしいことでした。

一昨年帰国した拉致被害者がその家族とそろって日本で暮らせるようになったことは大変喜ばしいことです。慣れない環境で苦労も多いことかと察していますが,家族共々の生活が幸せなものとなるよう願っています。

国外のことで最も心の痛むことは,イラクを始め各地で紛争などによって多くの命が失われたことです。武器を携えない子供を含む多くの人々がその犠牲になっています。

また最近フィリピンでは台風などにより,千人を超す死者・行方不明者が生じたことは誠に痛ましいことでした。そのような中で倒壊した建物から10日ぶりに生存者が救出されたという報道に接し,先に新潟県で救出された幼児のことを思い起こしました。望みを捨てないで救出に当たるということがいかに大切かということをつくづく感じます。

今年も皇居や各地で行われる行事など,様々な公務を務めてきましたが,1月の沖縄県訪問は心に残っているものの一つです。この訪問は国立劇場おきなわの開場公演に臨席することと,初めて宮古島と石垣島を訪れるためでした。先の大戦では地上戦により,戦争にかかわりのない県民が非常に多数犠牲となりました。それとともに,首里城始め沖縄の歴史を表す多くの文化財も破壊されました。このような戦争の痛手を受けた沖縄県で,琉球王国時代の文化を伝える組踊りなどの芸能が演じられる劇場ができることは非常に重要なことと考えていました。したがって国立劇場の完成は誠にうれしいことでした。今後沖縄県民を始め,沖縄県を訪れる多くの人々がこれらの芸能を鑑賞し,沖縄の文化に理解を深めるようになればと願っています。

今年の豊かな海づくり大会は10月に香川県で行われましたが,皇后にとって唯一の未訪問県であったこの県への私どもの訪問によって,皇后として全都道府県を訪問したことになりました。そしてその直後に古希を迎えています。私が即位後に全都道府県の訪問を終えたのも昨年私が古希を迎える少し前のことでしたが,皇后がそれより1年おくれたのは,今から11年前,皇后が声を失った直後に,私だけで徳島県と香川県で開催された国民体育大会に行ったためです。思い返せば結婚以来,各地の要望に応(こた)え,実に多くの土地を訪ねる機会に恵まれてきました。産業施設の訪問など,ごくわずかなものを除き,そのほとんどの出席要請が私ども2人になされており,国内の各地に共通の思い出を持っていることは,私どもの気持ちを非常に豊かなものにしています。

身内のこととして最近の高松宮妃の薨去は非常に残念なことでした。高松宮妃癌研究基金を創設して研究者の育成を心掛けられるなど様々な面で人々のために尽くされました。紀宮の結婚についても心配してくださっていたので,婚約内定の発表の日を是非一緒に迎えていただきたかったと思います。

皇太子妃が1年にわたって静養を続けていることを深く案じています。そのような状況の中で行われた5月の外国訪問前の皇太子の記者会見の発言を契機として事実に基づかない言論も行われ,心の沈む日も多くありましたが,皇太子,皇太子妃が様々な言論に耳を傾け,2人の希望を明確にした上で自分たちのより良い在り方を求めていくことになれば幸いです。

今年は相次ぐ災害に見舞われ,今も多くの人々が避難生活を送っている状況にあります。特に新潟県のように,雪が深く,寒さも厳しい所の避難生活はさぞ苦労が多いことと心配しています。来年が何よりも災害の少ない年であり,国民皆にとり良い年となるよう願っています。

現在の体調についてはホルモン療法が効いており,PSAの値も下がってきています。ホルモン療法に付随した副作用を感じることはありますが,生活には支障がなく,公務をしっかり務めていきたいと思っています。多くの国民が心配してくれていることを感謝しています。

問2 皇太子妃雅子さまが静養に入ってから1年が過ぎました。5月には,皇太子さまのご発言に端を発した様々な議論が起こり,陛下はこの件に関し,宮内庁を通じて幾度か意見表明をされています。その時の陛下のお気持ちを含め,雅子さまの抱えている苦しみ,解決への道筋について,次代の皇室を担う皇太子ご夫妻に期待することについて,お考えになっていることをお聞かせください。
天皇陛下

一昨年のニュージーランド,オーストラリア訪問のころは,非常に元気で,喜ばしいことに思っていましたが,その後公務と育児の両立に苦しんでいるということで心配していました。疲れやすく,昨年の5月ごろからこちらへの訪問がほとんどなくなり,公務を少なくするようになった時も,何よりも体の回復が大切だと考えていました。

このような状態の中で,今年5月皇太子の発言がありました。私としても初めて聞く内容で大変驚き,「動き」という重い言葉を伴った発言であったため,国民への説明を求めましたが,その説明により,皇太子妃が公務と育児の両立だけではない,様々な問題を抱えていたことが明らかにされました。私も皇后も,相談を受ければいつでも力になりたいと思いつつ,東宮職という独立した一つの職を持っている皇太子夫妻の独立性を重んじてきたことが,これらの様々な問題に,気が付くことのできない要因を作っていたのだとすれば大変残念なことでした。

質問にある私の意思表示のもう1回は,皇太子の発言が,私ども2人に向けられたものとして取り上げられた時でした。事実に基づかない様々な言論に接するのは苦しいことでしたが,家族内のことがほとんどであり,私ども2人への批判に関しては,一切の弁明をすることは,皇室として避けるべきと判断し,その旨宮内庁に伝えました。

皇太子の発言の内容については,その後,何回か皇太子からも話を聞いたのですが,まだ私に十分に理解しきれぬところがあり,こうした段階での細かい言及は控えたいと思います。

2人の公務についても,5月の発言以来,様々に論じられてきました。秋篠宮の「公務は受け身のもの」という発言と皇太子の「時代に即した新しい公務」とは,必ずしも対極的なものとは思いません。新たな公務も,そこに個人の希望や関心がなくては本当の意義を持ち得ないし,また,同時に,与えられた公務を真()に果たしていく中から,新たに生まれてくる公務もあることを,私どもは結婚後の長い年月の間に,経験してきたからです。

皇太子が希望する新しい公務がどのようなものであるか,まだわかりませんが,それを始めるに当たっては,皇太子妃の体調も十分に考慮した上で,その継続性や従来の公務との関係もよく勘案していくよう願っています。従来の公務を縮小する場合には,時期的な問題や要請した側への配慮を検討し,無責任でない形で行わなければなりません。「時代に即した公務」が具体的にどのようなものを指すかを示し,少なくともその方向性を指示して,周囲の協力を得ていくことが大切だと思います。2人が今持つ希望を率直に伝えてくれることによって,それが実現に向かい,2人の生活に安定と明るさがもたらされることを願っています。

天皇陛下のお誕生日に際してのご近影

この1年のご動静

陛下はこの1年も国事行為として毎週2回のご執務を行われ,内閣よりの上奏書類等約1000件にご署名やご押印をされました。宮殿では,その他,認証官任命式(81名),信任状捧呈式(36名),勲章親授式を始め多くの儀式,各界優績者の拝謁,各省事務次官,日銀総裁などのご進講(7回),午餐やお茶など多くの行事に臨まれました。なお,今年はアテネにてオリンピック競技大会及びパラリンピック競技大会が行われたため,それぞれの入賞者をお茶に招かれ,健闘をたたえられました。御所では恒例の日本学士院会員,芸術院会員,青年海外協力隊員,シニア海外ボランティア,国際交流基金賞受賞者等とのご懇談やご接見の他,定例の外務省総合外交政策局長によるご進講,各種行事に関するご説明や災害発生時のご報告等が合わせて73回ありました。また,3月には陛下の古希をお祝いして皇后陛下ご主催の「日本の民俗芸能」が桃華楽堂で演じられました。公演のフィナーレでは,この日,南北各地から集まった出演者が全員して沖縄の手踊りカチャーシーでお祝いし,陛下はお喜びのご様子でした。この他,勤労奉仕団,賢所奉仕団や新嘗祭のための献穀者に対し62回のご会釈がありました。

外国からは,11月にデンマーク女王陛下及び王配殿下を国賓として迎えられ,宮中晩餐を催された他群馬県へのご案内等がありました。その他,公式実務訪問で来日した,ニカラグア,フィンランド,アルジェリア各国大統領のため午餐を催された他,訪日した外国元首7名,副大統領1名,首相6名,国会議長7名,国際連合事務総長,欧州委員会委員長等をご接遇になりました。また,ヨルダン国王陛下他王族方を御所でご夕餐にお招きになりました。

都内での式典としては,国会開会式をはじめ,毎年ご出席になっている日本国際賞,国際生物学賞,日本芸術院賞,日本学士院賞などの授賞式の他,各種周年記念式典などにご出席になり,そのうち11回にてお言葉をお述べになりました。その他,都内及び近郊へのお出ましは38回ありました。毎年ご覧になっている天皇杯賜杯競技としては第58回全日本体操競技選手権大会にご臨席になった他,陛下の古希に因んだ「ベルリンフィル12人のチェリストたち」公演ご鑑賞など文化関係の行事や恒例の産業施設のご視察として住田光学ガラスご訪問がありました。また,こどもの日,敬老の日,障害者の日の前後には例年通り,それぞれの関係施設をご訪問になり入所者及び関係者をお励ましになりました。自然災害との関係では,平成12年来離島を余儀なくされてきた三宅島島民のことをお心に掛けられ,5月には三宅村・桐ヶ丘支援センターをご訪問になり避難生活者をお見舞いになると共に,7月には火山噴火予知連絡会会長や東京都副知事から三宅島の近況をお聞きになっています。また,9月には豪雨の被害が大きかった新潟県についても知事を招き状況の説明を受けておられます。

例年ご出席になっている日本学術会議主催の国際会議として,8月に京都で開催された第16回国際解剖学会議開会式にご臨席になり,お言葉を述べられました。

今年の地方行幸啓は10府県(沖縄,神奈川,宮崎,岐阜,富山,京都,香川,埼玉,新潟,群馬)にわたりました。植樹祭(宮崎),豊かな海づくり大会(香川),国体(埼玉)などの式典にご臨席になり,お言葉をお述べになった他,地方の文化,福祉,産業の事情をご視察になりました。沖縄県では国立劇場おきなわ開場記念公演にご臨席,神奈川県ではJICA横浜国際センターをご訪問,岐阜県(富山県を経由)では,東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設をご視察になりました。京都府では第16回国際解剖学会議開会式にご臨席になった折,700年式年に当たる後深草天皇の御陵を参拝された他,御由緒門跡寺院である大聖寺をご訪問になりました。なお,これまでも京都へ行幸啓に際しては,しばしば御由緒寺社をご訪問になっています。10月下旬に新潟県中越地震災害が発生したため,急遽11月初めに新潟県をご訪問になり,皇后陛下とご一緒に3ヵ所の避難所をヘリコプターで廻られ,約8時間を県内に留まられ,被災者等をお見舞いになりました。この1年間に地方行幸啓先でご訪問になった市町村数は24市,10町,1村で,車,鉄道,船舶,ヘリコプターによるご移動距離は1100キロ余,奉送迎者数は約39万人を数えました。

宮中祭祀は,恒例の祭典の他,後深草天皇700年式年祭などこの1年にとりおこなわれた32回のすべての祭祀に列せられました。

12月18日宣仁親王妃喜久子殿下が薨去され,陛下は5日間の喪を服されました。宮邸に18日朝ご弔問になり,翌日,御舟入前に再びご弔問になりました。

定例の魚類分類研究会には6回にわたりご出席になりましたが,ご自身のご研究に関しては,なかなか時間がおとりになれませんでした。

陛下は今年も例年の通り,生物学研究所の田で種籾のお手まき,お田植えをなさり,お手刈りをなさりました。新嘗祭の折,お手刈りになった水稲の一部をお供えになり,また,神嘗祭に際しては,お手植えになった根付きの稲を神宮にお供えになりました。

陛下は昨年1月に前立腺摘出手術をお受けになりましたが,その後10月以降,前立腺のマーカー値が低レベルながら微増傾向を示し,今年5月以降はそれまでに比し明確な上昇が見られたため,7月からホルモン療法を開始されました。ご治療開始後も通常通り,ご公務など忙しい日程をお過ごしです。ご治療の副作用として筋力が弱まることが懸念されることから,早朝にはご散策になり,御所と宮殿との往復はなるべくご徒歩でなさり,ご公務のない週末や休日にはテニスなどのご運動に努めていらっしゃいます。

陛下には12月23日,71歳のお誕生日をお迎えになります。