皇后陛下お誕生日に際し(平成12年)

宮内記者会の質問に対する文書ご回答

問1 20世紀最後の今年,両陛下は外国や地方への訪問など,さまざまなご公務を果たされてきました。この一年を振りかえりながら,新しい世紀に向けて,天皇陛下とともにどのような皇室の姿を描かれていますか。
皇后陛下

この一年も,内外で多くの出来事がありました。世界の出来事,各地における政治的変化,変革等については,これからの進展に関心を持ちますが,特にここで触れるつもりはありません。

国内では悲しいことに有珠山の噴火,神津島・新島等の地震,三宅島雄山の噴火,東海地方の豪雨,鳥取県西部地震等災害が頻発し,多くの地域で人々が危険にさらされました。犠牲者を悼み,被災で苦しんだ人々,今も苦しい状況に耐えている人々の上に深く思いを致します。三宅島からの全島民の避難は暑い盛りの頃でした。これからの寒さが案じられ,どうか皆健康であってほしいと念じています。

このような災害のおこった時,例えばたゆまず続けられて来た火山観測のような地味な仕事が,どれだけ大事の際に意味をもつかに気付かされます。地域に深く関わり,土地の自然をよく知る専門家と,その研究を助け,研究成果を生かす行政との協力で,それぞれの地域で住民が危険から護られるよう,切に祈ります。

5月から6月にかけ,オランダとスウェーデンに国賓として陛下のお伴をし,途中スイス,フィンランドに立ち寄りました。

先の大戦のしこりの残るオランダへの旅は,私にとり難しい旅でした。無事に訪問を終えることの出来た今,この旅が陛下とオランダ女王陛下との間の40年近くにわたるご友情と,今回の訪問のため女王陛下が払って下さったさまざまなご努力,そして双方の国の人々が,国家間で,個人間で,永年真剣に払って来た努力の成果に,どれ程力強く支えられていたかをしみじみと思います。

6月,皇太后陛下が崩御になりました。斂葬の日,激しい風音の中で伺った陛下の御誄(おんるい)が今も耳に残っています。

9月にはシドニーでオリンピックがあり,大勢の日本選手が活躍しました。パラリンピックのニュースも楽しみにしています。

10月には白川英樹名誉教授が今年度のノーベル化学賞を受賞されることが報道されました。日本が材料科学という,化学の基礎の分野に高いレベルを有することを誇らしく思います。

今年4月から実施に入った介護保険が,各市町村でどのように行われ,過疎地ではどのようになっているかを,ずっと案じてきました。この制度が,常に必要とされる改良を加えつつ,高齢化に向かうこれからの日本の社会を,しっかりと支える制度に育つことを願っています。

新しい世紀ということをあまり強く意識することはありません。これからも御神事を始めとし,過去から受けついだしきたりを大切に守りつつ,陛下のお考えに沿い,時代の要請に応えていきたいと思います。

問2 今年6月には香淳皇后が亡くなられました。香淳皇后は両陛下のご結婚以来,優しく,時には厳しく,手本としてのお姿を示されてきたことと思いますが,お別れの時のお気持ちや,印象深かった出来事,お言葉などがあればお聞かせください。
皇后陛下

まだ崩御から日が浅く,十分に思いを言葉に出来ません。40年を越えてお側で過ごす中で賜ったご恩愛に改めて深く思いを致しています。

ご晩年もうお言葉を伺うことは出来なくても,陛下と吹上御所をお訪ねし,皇太后様とご一緒に過ごす一時は私にとり週末毎の大切な時間であり,気がついた時には御所の一週間がその時を軸として巡っていたように思います。平成の11年余,皇太后様はそのご存在により,いつも力強く私を支えていらして下さいました。崩御になり,ただ寂しく,心細く思います。

印象深かった出来事という質問ですが,私にとり忘れられない思い出は,まだ宮中に上がって間もない東宮妃の頃,多摩御陵のお参りにお伴をさせて頂いた時のことです。梅の実の季節で,お参り後,昭和天皇と皇太后様と当時東宮でいらした陛下が,私もお加えになり,皆様してご休所の前のお庭で小梅をお拾いになりました。その日明るい日ざしの中で皇太后様のお笑い声を伺いながら,これからどこまでもこの御方の(あと)におつきしていこうと思いました。今も自分一人の記念日のように,この日の記憶を大切にしています。

問3 昨年末,皇太子妃雅子さまに残念な出来事がございました,その後,体調不良のため斂葬の儀を欠席されたり,公務を一部取りやめられたこともありました。皇后さまは今回の一連の出来事をどのように受け止め,アドバイスされたことなどがあればお聞かせください。
皇后陛下

流産は,たとえ他に何人の子どもがあったとしても悲しいものであり,初めての懐妊でそれを味わった東宮妃の気持ちには,外からは測り知れぬものがあったと思います。体を大切にし,明るく日々を過ごしてほしい。

東宮東宮妃は,今は東宮職という独自の組織の助けを得つつ,独立した生活を営んでいます。私がどのように役に立っていけるか,まだよく分からないのですが,必要とされる時には,話し相手になれるようでありたいと願っています。助言をするということは出来なくても,若い人の話の聞き役になることは,年輩の者のつとめでもあり,そのような形で傍にいることを心がけなくては,と思います。

東宮東宮妃が,30代,40代というかけがえのない若い日々を,さまざまな経験を積み,勇気をもって生きていくことを信じています。