(イ) 北海道のトンネル事故,血液製剤の問題,O157等,生活の安全性につき案じられることの多い一年でした。うれしいニュースは,雲仙の火山活動の停止が宣言されたことと,阪神の高速道路が復旧したこと。大災害の復興期に力尽きそうになる人々が,どうか,地域やボランティアの連帯の中で支えられていくよう願っています。
オリンピックの女子マラソンは素晴らしい試合でした。競技を終えた有森選手,ロバ選手に,それぞれのお母様が語りかけられた「よく帰ってきたね」「強くて美しい子」という言葉が,深く印象に残りました。
(ロ) これからの一年も,今までと変わりなく,人々のしあわせを願いつつ過ごしていきたいと思います。
(イ) 昨年は戦後50年ということで陛下が,又,今年は大震災の翌年ということで陛下と東宮様が,共に外国の訪問をお控えになり,紀宮も,他の宮様方とご一緒に海外での大切なお役目を頂きました。この一両年,この海外での役目と国内での仕事を,紀宮が精一杯に果たしたことを嬉しく思っております。
(ロ) 昭和52年の記者会見で,紀宮の将来についての質問を受け,内親王として充実した生活を送り,社会に巣立つようにとの願いをお話いたしました。今もこの気持ちに変わりはありません。紀宮は私共の家庭にたくさんの喜びをもたらしてくれました。紀宮の将来がしあわせであるよう心から祈っています。
先に触れましたように,昨年と今年は特別の状況下で外国訪問をいたしませんでした。来年はすでにブラジル訪問の予定が立てられており,その折には必ず会見をいたします。
常に国民の関心の対象となっているというよりも,国の大切な折々にこの国に皇室があって良かった,と,国民が心から安堵し喜ぶことの出来る皇室でありたいと思っています。
国民の関心の有無ということも,決して無視してはならないことと思いますが,皇室としての努力は,自分たちの日々の在り方や仕事により,国民に信頼される皇室の維持のために払われねばならないと考えます。
子供たちには,それぞれの立場と年令に応じ,又,一人一人がもっている特性を生かし,なすべき務めを果たしていってほしいと願います。子供たち,又,その配偶の人たちが,皆一生懸命に陛下や私を助けようとしてくれていることを,いつも嬉しく思っています。幼い人たちも,両親や周りの人々に温かく見守られ,健やかに育っており,有難いことと思います。
(イ) 卓球は今年2回,蓮池の参集所に台を置いて陛下に教えて頂きました,テニスは,体力的にだんだんきつくなってきましたが,もう少し続けていきたいと思います。特に健康管理という程のことは何もしておりませんが,早朝に30分程御所の近くを歩きます。恵まれた環境でほぼ毎日土の道を歩いています。
(ロ) 陛下のお病気の時は本当に心配でございました。
先帝陛下の崩御以来,御大喪,御即位,大嘗祭と重いお行事が続き,その後お休みをおとりになる間もなく,多事な御日常が始まり,8年の年月が過ぎました。どこかにお疲れがたまっていらしたのかもしれません。ふり返りますと,私が御所に上がった昭和34年頃からしばらくは,日本在住の大使が56,7名,国賓も年一度か,年によっては全くないこともございました。今,大使館の数もその頃の2倍を超す124となり,国賓を始めとする外国からの賓客の訪日もふえ,陛下のお仕事も,それにつれ増え続けてまいりました。侍医もおりますし,まわりの人々もいろいろと心を遣い,この頃では長途のご旅行の後や,休日に祭祀や御公務でお休みになれなかったあと等,1日でも半日でもおくつろぎの時がとれるよう努力をしてくれています。