還暦を迎え,私を生かしてくれた遠い日の両親を思うと共に,今日まで私を導き,助け,支えて下さった多くの方々の上に思いをめぐらせています。60年の間には,様々なことがありましたが,特に疎開先で過ごした戦争末期の日々のことは,とりわけ深い印象として心に残っています。当時私はまだ子供でしたが,その後,年令を増すごとに,その時々の自分の年令で戦時下を過ごした人々のことを思わずにはいられません。戦後の社会を担った私共の先人が,戦争で失われた人々の志も共に抱いて働いた中で,奇蹟といわれる日本の戦後の復興があり得たのではないかと考えています。
結婚は私の生活を大きく変えましたが,陛下は寛いお心で,ありのままの私を受け入れ,今日に至るまでゆっくりと導き続けて下さいました。また,昭和天皇,皇太后様がお見守り下さる中で,三人の子供たちが育った日々のことは,私の大切な思い出となっています。御所の生活を整ったものとし,公務のなかで子供を育てることも,人々の協力なしには出来ないことでした。私の務めを,陰で静かに支えてくれた人々を,今,懐かしく思い出しています。いたらぬことが多ございましたが,これまで多くの方々が寄せて下さったお気持ちに支えられ,この日に至れたことを感謝し,陛下のお側で,また明日からの務めを果たしていきたいと思います。
この一年で特に印象に残っていること
皇室も時代と共に存在し,各時代,伝統を継承しつつも変化しつつ,今日に至っていると思います。この変化の尺度を量れるのは,皇位の継承に連なる方であり,配偶者や家族であってはならないと考えています。
伝統がそれぞれの時代に息づいて存在し続けるよう,各時代の天皇が願われ,御心をくだいていらしたのではないでしょうか。きっと,どの時代にも新しい風があり,また,どの時代の新しい風も,それに先立つ時代なしには生まれ得なかったのではないかと感じています。
(皇室観について)
私の目指す皇室観というものはありません。ただ,陛下のお側にあって,全てを善かれと祈り続ける者でありたいと願っています。
陛下と皇太后様が,末長くご健康でいらして頂きたいと思います。
(これからの生き方について)
だんだんと年を加えていくことに,少し心細さを感じますが,身に起こること,身のほとりに起こることを,出来るだけ静かに受け入れていけるようでありたいと願っています。
本人の気持ちを大切にし,静かに見守っていきたいと思います。紀宮がいてくれたことは,私共一家にとり,幸せでした。今,家族皆が,紀宮の将来が幸せであってほしいと願っています。
家族観という程のものは持ちませんが,私の家庭に対する考え方は,恐らく以前,結婚25周年の記者会見でお答えしたことと変わっていないと思います。
《侍従職註》
昭和59年,ご結婚25周年記者会見
(家庭づくりの基本的な考え方を‥‥との質問に対してのお答え)
基本的な考え方というようなしっかりしたものはあまりございませんでした。ただ,私自身おそばにあがらせていただいた時から,ずっと東宮様にすべて受け入れていただき,やすらいだ気持ちの中で導かれ,育てていただいたという気持ちが強いものでございますから,そうした幸せな経験を今度は子供達の上に生かしていきたいとずっと願い続けてまいりました。その人が,仮に一時それにふさわしくなくても,受け入れるところが家庭なのではないかと思います。