国際児童図書評議会(IBBY)創立50周年記念大会おことば

国際児童図書評議会(IBBY)創立50周年記念大会
平成14年9月29日(日)(スイス:バーゼル市コングレス・センター)

  • ムバラク夫人,ドライフス夫人,コンティ首相,
  • 島会長,マイセン議長,IBBYの皆様

創立50周年という,大きな節目を祝うIBBY(イビ)のバーゼル大会開催にあたり,ムバラク夫人,ドライフス夫人と共に,大会の名誉総裁に任じられましたことは,私にとり思いがけない喜びでございました。今日この式典に臨み,これまで子どもと本との出会いのため,世界の各地で誠意をもって働いてこられた皆様方とお会いいたしますことを,心から嬉しく思います。

IBBYの50周年おめでとうございます。

57年前,第二次大戦の終わったその年,後にIBBYの創設者となるイエラ・レップマンは,戦後ドイツの疲弊した社会で生きる子どもたちに,本を見せたいという抑えがたい願いを抱きました。子どもの知性と想像力に働きかけ,子どもの心をふるい立たせるために,今,自由世界で子どもたちの読んでいる本を送ってほしい,できれば絵本や挿絵のある本を,というレップマンの要望は,やがて世界に発信され,20カ国から約800冊の本となって彼女の手許に返ってきました。

この度再版されたレップマンの著作「子どもの本は世界の架け橋」によると,これらの本は,ドイツの各都市を巡り,百万人を超える子どもや大人の手にとられ,ある時は子どもたちの胸に抱きしめられ,その出発の地に戻って来ています。多くがページの端は折れ,やぶれ,これ以上に素晴らしい本はないのだ,とレップマンが言った,ボロボロになるまで読まれた本となって。

困難の中で生き延びようとしている子どもたちが,どうかその心の支えとなる本に巡り会ってほしい,という願いは,かつて自分自身子どもとして本から恩恵を受けた多くの大人たちの願いであり,この恐らくは世界に共通する願いが,50数年前,レップマンの叫びに呼応し,戦後のドイツの子どもたちに本との出会いを作ったのでしょう。このレップマンの願いを継承し,IBBYは50年にわたり,世界の各地で子どもと本をつなぐ仕事を続けてきました。

私自身がIBBYの活動と最初につながりを持ったのは,1980年代の終わり頃であったと思います。IBBY日本支部(JBBY)は,1990年国際ハンス・クリスチャン・アンデルセン賞の候補者として,詩人まど・みちお氏を選び,詩の翻訳を私に託しました。受賞することよりも,せめて各国の審査員に,日本にはこういう詩人がいることを知ってほしいから,という手紙と共に,まどさんの詩集が数冊送られて来ました。手紙の末尾に,翻訳料はなしで,と書き加えられていました。

私はそれまでに,それ程多くの詩を英訳していたわけではなく,十数年にわたり招かれていた英詩朗読会で読むために,年に3,4篇を訳していたに過ぎません。そのほとんどは,私が結婚し,3人の子どもを育てている頃に読んだ日本の詩の英訳でした。

子どもが生まれ,育っていく日々,私は大きな喜びと共に,いいしれぬ不安を感じることがありました。自分の腕の中の小さな生命(いのち)は,誰かから預けられた大切な宝のように思われ,私はその頃,子どもの生命(いのち)に対する畏敬(おそれ)と,子どもの生命(いのち)を預かる責任に対する恐れとを,同時に抱いていたのだと思います。子どもたちが生きていく世界が,どうか平和なものであってほしいと心の底から祈りながら,世界の不穏な出来事のいずれもが,身近なものに感じられてなりませんでした。このような日々に,心をひかれた詩を英訳し,私は朗読会の方々と分け合っておりました。

私は,まどさんの詩を少しずつ訳し始めてみました。私の力ではなかなかはかどらず,始めてから4年目に,ようやく80篇の翻訳が整いました。この翻訳の仕事を通し,私はJBBYを知り,各国のIBBYの会員の方々ともお会いする機会を持つようになりました。

私はIBBYの会員が,様々な分野にわたることを次第に知るようになりました。作家,画家,研究者,翻訳者,出版関係者,教育関係者,そして図書館関係者。ヘルシンキでお会いしたIBBYの長年の協力者は,小さな可愛い劇場を持つ人形使いでした。会員を結んでいるものは,子どもと本とが良い巡り会いを持ってほしいという共通の願いであり,また,本を通し,世界の子どもたちを少しでも近づけたいという,共通の理念であることを知りました。子どもと本に関わるあらゆる分野の人々が,IBBYという世界的な連絡網で結ばれ,世界に目を向けつつ,子どもと本をつなぐ仕事に携わっている姿が少しずつ見えて来ました。

1998年,IBBYのニューデリー大会における基調講演を求められました。大会のテーマは「子どもの本を通しての平和」で,私は第二次大戦の末期,小学生として疎開していた時期の読書の思い出をお話しいたしました。

身近にほとんど本を持たなかったこの時期,私が手にすることの出来た本はわずか4,5冊にすぎませんでしたが,その中の1冊である日本の神話や伝説の本は,非常にぼんやりとではありましたが,私に自分が民族の歴史の先端で過去と共に生きている感覚を与え,私に自分の帰属するところを自覚させました。この事は後に私が他国を知ろうとする時,まずその国に伝わる神話や伝説,民話等に関心を持つという,楽しい他国理解への道を作りました。

子どものために編集された「世界文学選」2冊には,当時の対戦国の作家も含め,世界の作家の作品や,作品からの抜粋,ー簡略化したものではなくー,詩,手紙等が入っていました。

2冊の本は,私に世の中の様々な悲しみにつき教え,自分以外の人が,どれ程に深くものを感じ,どれ程多く傷ついているかを識らせました。そして生きていくために,人は多くの複雑さに耐えていかなければならないことを,私に感じさせました。それとともに,それらは私に文字や言葉の与える心の高揚を実感させ,私の中に喜びに向かって伸びようとする芽を植えました。戦時下の地方の町に住みながら,私は本という橋の上で,日本の古代の人々とも,また,異国の人々とも出会い,その人々の思いに触れていました。疎開先に私を訪ね,黙ってそれらの本を手渡してくれた人があったことは,私にとり,幸運なことでした。

私がこのたびバーゼルに参りましたのは,私自身がかつて子どもとして,本から多くの恩恵を受けた者であったからです。大会の名誉総裁に推され,また,大会へのお招きを頂いた時,私は自分がそれに相応(ふさわ)しい資格を欠くことを思い,ためらいを感じておりました。私がこの大会で自分に出来ることは何かを自分に問い,それはかつて自分が本から受けた恩恵に対し,今も私が深い感謝を抱いていることをお伝えし,世界のあちこちで,今日も子どもと本を結ぶ仕事に携わっておられる方々に,その仕事への評価と,感謝をお伝えすることではないかと気付かされました。もしかしたら,私は私の中に今もすむ,小さな女の子に誘われてここに来たのかもしれません。

IBBYの活動は,本の持つ価値と,子どもの持つ可能性を共に信じる人々により,これからも息長く続けられていくでしょう。今大会の標語「子どもと本 ワールドワイド チャレンジ」は,IBBYを支える人々の強い使命感の表明であると思います。

貧困をはじめとする経済的,社会的な要因により,本ばかりか文字からすら遠ざけられている子どもたちや,紛争の地で日々を不安の中に過ごす子どもたちが,あまりにも多いことに胸を塞(ふた)がれます。会員の少なからぬ方々が,このことにつきすでに思いをめぐらせ,行動されていることを知り,心強く感じております。私たちはこの子どもたちの上にただ涙をおとし,彼らを可哀想な子どもとしてのみ捉えてはならないでしょう。多くの悲しみや苦しみを知り,これを生き延びて来た子どもたちが,彼らの明日の社会を,新たな叡智をもって導くことに希望をかけたいと思います。どうか困難を乗り切っている彼ら一人一人の内にひそむ大きな可能性を信じ,この子どもたちを,皆様方の視野に置き続けてください。

子どもを育てていた頃に読んだ,忘れられない詩があります。未来に羽ばたこうとしている子どもの上に,ただ不安で心弱い母の影を落としてはならない,その子どもの未来は,あらゆる可能性を含んでいるのだから,と遠くから語りかけてくれた詩人の言葉は,次のように始まっていました。

生まれて何も知らぬ 吾が子の頬に/母よ 絶望の涙を落とすな/その頬は赤く小さく/今はただ一つの巴旦杏(はたんきょう)にすぎなくとも/いつ 人類のための戦いに/
燃えて輝かないということがあろう…

マイセン夫人

長年にわたるあなたのIBBYへの献身に対し,深い敬意を表します。IBBYの50周年を祝うこの大きな会を,あなたはどんなに心をこめて準備なさったことでしょう。

この意義ある会に招いてくださり,有難うございました。

出席の皆様方にとり,このバーゼル大会が,楽しく実りあるものとなりますように。

国際会議は,国境を越えて志を同じくする人々が集い,経験を分かち合い,意見を交わし合う素晴らしい機会であると思います。皆様方一人一人が,ここに来られた時にまさり,豊かにされ,強められ,これからの仕事に希望を持ち,ここを去ることができるよう念じております。

私は,IBBYの仕事に大きく貢献していける立場にはありませんが,この度の会議に出席し,皆様方の活動の一端に触れることにより,私自身少しでも深くIBBYを知ることとなり,これからも遠くよりこの活動に心を寄せていかれるのではないかと感じております。

皆様の御多幸をお祈りいたします。

注記開会式でのお言葉は英語で述べられた。ここに掲載する日本文はその原文であるが,英語のお言葉では,主として外国のIBBY関係者である式場の聴衆に理解され易いよう,一部,割愛したり文章の構成などを変更した箇所があり,逐語訳にはなっていない。