ポーランド・ハンガリーご訪問に際し(平成14年)

天皇皇后両陛下の記者会見

ご訪問国:ポーランド・ハンガリー(チェコ・オーストリアお立ち寄り)

ご訪問期間:平成14年7月6日~7月20日

会見年月日:平成14年6月20日

会見場所:宮殿 石橋の間

記者会見をなさる天皇皇后両陛下
記者会見をなさる天皇皇后両陛下
(写真:宮内庁)

宮内記者会代表質問

問1 両陛下にお尋ねいたします。初の東欧ご訪問の意義をどのように考えておられますか。それに対する抱負も併せてお聞かせください。また,今回の訪問で特に楽しみにしている点や関心のある事柄についてお聞かせください。
天皇陛下

質問に関しては,十分にお答えできないといけないと思いまして書いたものを見ながらお答えしたいと思います。

この度,ポーランド並びにハンガリー両国大統領閣下からご招待をいただき,両国を公式に訪問することになりました。また,ポーランドを訪問する前の週末にプラハを,ハンガリーを訪問する前の週末にウィーンを訪れることになっております。それぞれの国の大統領閣下のご厚情に深く感謝しております。

この度訪問する4か国は私どもにとって初めての国々です。私は1953年英国のエリザベス女王の戴冠式に参列する機会に欧米諸国を回りましたが,当時この4か国とは日本が国交を開いておりませんでした。そのためにこれらの4か国を訪問することはできませんでした。戦後国交が再開されてからもこれらの4か国からの訪問は昭和の時代にはポーランドを除いてありませんでした。したがって私どもが昭和天皇の名代としてこれらの国々を訪問することもありませんでした。ポーランドからは1987年にヤルゼルスキ国家評議会議長が国賓として訪問されました。これは昭和天皇が国賓の行事のすべてに出席された最後の国賓でした。その後,同議長から1990年のショパン・コンクールの機会にポーランドを訪問するようにというご招待がありましたが,その時にはもう平成になっており,訪問することにはなりませんでした。

平成になってからソビエト連邦の崩壊に伴ってポーランド,ハンガリー,チェコスロバキアにも大きな変革が行われました。日本との交流も盛んになり,チェコスロバキア国のハヴェル大統領,ポーランド国のワレサ大統領,オーストリアのクレスティル大統領,ハンガリー国のゲンツ大統領が次々と日本を国賓としてご訪問になりました。また,ポーランドの現在のクワシニェフスキ大統領も長野で開催されたオリンピック冬季競技大会の折に日本にいらっしゃり,私どももお会いいたしました。この度,これらの方々と再びお会いできることを楽しみにしております。

今後これらの国々との交流はますます盛んになっていくと思われます。この度の訪問がこれらの国の人々と日本人との相互理解を深め,友好関係の増進に資することになれば,うれしいことと思います。

この度訪問する国々は古くから様々な民族がかかわりあった土地です。そこに定住した民族によって文化が築かれてきました。この度の訪問ではこれらの文化に触れるとともにこれらの国々の人々が経てきた厳しい道のりへの理解を深めていきたいと思っております。そしてこの訪問が私自身にとっても後から振り返ってみて意義ある訪問であったと思えるような訪問でありたいと願っております。

皇后陛下

中・東欧と呼ばれる国々ではこれまでブルガリア,ルーマニア及び旧ユーゴ時代のセルビア,クロアチア,モンテネグロ,マケドニア,スロベニアを訪問しておりますが,チェコ,ポーランド,ハンガリーは,この度初めて訪れます。これら3か国は地図の上で見ますとヨーロッパのほぼ中央にありますが,冷戦の時代を通じ政治的には東に,文化的には西に近く位置する地域として長い間複雑な歴史を生き抜いてまいりました。3か国とも「東欧革命」により新しい政治体制を得ましたが,ここに至るまでの長い年月,人々が独立と自由に対する強い志向を決して失わなかったことに深く心を打たれています。

チェコの「ビロード革命」の時,チェコ交響楽団が,スメタナの交響詩「我が祖国」を弾き続けていたと聞いたことがありました。この度訪れる国々で,芸術や文化が,人々の祖国への愛情と深く結び付いていることを,折に触れ感じます。

長らく心を()かれながらこれまで行くことのできなかったこれらの国々に,この度陛下とご一緒に行かせていただくことを心からうれしく思っております。訪問の意義ということですが,陛下が国賓として海外をご訪問になるということはそれらの国に対し,陛下が日本を代表して善意と友情をお示しになるということで,そのことが訪問の第一義であると考えています。

これら3か国において,傷つくことの多かった歴史の中で,その国に住む人々が作り,大切に守ってきたもの,また,破壊されても再び作ったものなど,その国の誇りとするものに触れ,人々の精神を身近に感じたいと思います。また,これらの地域の現在の空気に触れ,多くの人々とよい巡り合いを持ちたいと願っています。

問2 今回は2週間で4か国を回る長旅となりますが,天皇陛下は5月,風邪でご日程の一部を控えられたこともあり,健康面で新たに気を付けられていることはありますでしょうか。皇后さまもご自身の健康管理に加え,陛下に何か気遣われていることはありますでしょうか。
天皇陛下

珍しく長引く風邪となり多くの人々に心配をかけたことと思っています。一つ行事を取りやめたことは残念なことでしたが,熱のあった期間がほとんど休日の期間でしたので,それ以上,日程を変更することはなくて済みました。皇后はいつもそばにいて心を尽くして世話してくれましたが,大事な休みの期間でしたので,自分自身の仕事や休養ができなかったのではないかと案じています。健康面では,新たに何かを行っているということはありません。この度の訪問は,前回同様,忙しい日程ですので,十分に健康面に気を付けていきたいと思っています。

皇后陛下

この度は,今までになくお咳がおありになり,お案じ申し上げました。ご不例の間も国事行為であるご公務はすべてお務めになりましたが,外出を一つ取りやめられ,連休と週末を休養にお充てになりました。

陛下は特に健康のために何かをするということはなさっていらっしゃいませんが,ご生活の習慣そのものが結果として健康的なものとなっており,有り難いことにこれまでほとんどいつもお元気にお過ごしになっていらっしゃいました。年をお加えになる中,お仕事は減っておりませんので,これからは陛下のお疲れに皆して注意し,適当なご静養をとっていただくことが大切と思います。

陛下のお仕事は,他の者が代わって差し上げるということのできないものが多く,周囲も交代でお供をいたしますので,連日にわたる陛下のお仕事の総量を,ともすれば見失いがちになります。

陛下のお仕事の性質上,私もすべての時におそばにあるということはできませんが,陛下のお仕事の量や連続性をおそばにいて体験し,せめて陛下のお疲れの度合いをお察しできるようでありたいと思っております。

問3 今回の訪問国は音楽を始め芸術・文化の面で日本人に親しまれている国ですが,両陛下は各国の芸術・文化についてどのような印象を持たれていますか。さらに,経済などその他の分野を含め,今後,日本はどのような関係を築いてゆくべきだと思われますか。
天皇陛下

今回の訪問国は,それぞれ豊かな芸術・文化を築いてきました。そして,これらの芸術・文化によって日本人に親しまれております。音楽はその中で最も日本人に親しまれているものと思います。私も食事の折に,これらの国々の音楽を楽しむことがあります。

歴史を振り返ってみますと,神聖ローマ帝国の中心であり,短期間ドイツに併合されたオーストリアを除き,他の国々は国を分割されたり,失ったり,あるいは他国の勢力下に置かれたり,厳しい道のりを経てきました。これらの国々には,厳しい状況下に過ごしている人々を表した作品や,失われた祖国に愛を込めて作った作品があります。これらの作品は,世界の人々に共有され,日本の人々にも親しまれていますが,これらの作品の歴史的背景を理解することは大切なことと思います。私もこの機会に,これらの国々の歴史への理解を深めていきたいと思っています。

これらの国々と日本との間には,これまで様々な芸術・文化の分野で交流がありました。これを基にして,更に幅広い分野での交流を発達させ,これらの国の人々と日本人との間にしっかりした信頼関係が育っていくことを願っています。

皇后は音楽や絵を楽しみ,また,本もよく読んでおり,この質問にお答えするのにふさわしいと思いますので,後を譲ります。

皇后陛下

どういたしましょう。<まつ>のように「おまかせくださりませ」と申しますには,この3番の質問は少し難しゅうございました。そのままのお答えにならないかもしれません。少し的の外れた形でお答えすることになるかもしれませんが,私のできる範囲でまとめてまいりましたので,それに沿ってお答えいたします。

今回の4か国は,それぞれ初めて訪れる国ですが,振り返ってみますと,私はこれまでそれぞれの国と,淡いながら何かよい巡り合いをしてきたように思います。

そのうちのあるものは本であり,カレル・チャペックの郵便屋さんの物語や,それについていたヨセフ・チャペックの挿絵,モルナールの「パール街の少年たち」,シェンキェヴィチの「クオ・ヴァディス」等でした。1970年の世界万国博のチェコ館で見た,美しい一冊の本の姿も忘れることができません。チェコの教育者コメニウスの本であるという説明を受けましたが,一国を代表するものとして本が飾られていたということが,その後も長く私の記憶に残りました。

4か国の音楽も,あるものはハイドンの小夜曲や,シューベルト,モーツァルトの子守歌のように,幼いころの記憶と共にあり,あるものは,例えば「ウィーンの森の物語」のように,高校時代の音楽の授業風景と共にあります。昭和25年,戦後初めて海外から来日したピアニストが弾いたショパンが,私が演奏会で聴いた初めてのショパンでした。まだ日本が世界の各国と平和条約を結ぶ以前のことであり,戦後の貧しさの中にも,少しずつ,活気を見せ始めた町の情景と共に思い出されます。子供のころ,両親の持っていた古い楽譜の中で美しい旋律に巡り合い,時々弾いていました。後年これが,ドヴォルザークの「わが母の教え給いし」であることを知りました。今でも好きな曲の一つです。私の学生時代,まだバルトークやコダイを聴く機会は余りなく,ハンガリーの音楽では,リストの交響詩「前奏曲」をよく聴いていました。

中・東欧の絵画に出会うのは,随分後になってのころで,今でも私はそのほとんどを画集の中でしか知りません。今年の一月,東京で「ウィーン分離派」の展覧会が開かれ,残念なことに私は行くことができませんでしたが,図録を求めて楽しみました。その中に「聖エリザベートの薔薇の奇蹟」という絵があり,私の中で,それまで物語の主人公としてだけ記憶されていた聖エリザベートがハンガリーの王妃であることを知りました。ハンガリーの訪問を間近に控え,この絵を見た偶然をうれしく思っています。

質問に対する答えにはなっていないような気がいたしますが,まだ行ったことのない国々の芸術・文化の印象につき,それぞれ語ることは私には難しく,このような形で答えさせていただきました。

以上の4か国,中でもチェコ,ポーランド,ハンガリーは中央ヨーロッパという一つの地域としてとらえられますが,それぞれの国の芸術・文化は,それぞれに少しずつ違う香りを持っており,ここにこの地域の文化の面白さ・素晴らしさもあるのかもしれません。ロシアと西ヨーロッパの間のそれほど広くない地域に,こうした個性のある国々が存在し,非常に愛国的・土着的でありながら,世界の人々の心に届く普遍的な文化を創り出したということに深い感銘を覚えます。

この度訪問する国々と日本との間に,これからも精神文化の交流が一層盛んに行われていくことを希望しております。

問4 4問目に移らさせていただきます。訪問国のうち,ポーランド,ハンガリー,チェコは1989年から90年にかけての「東欧革命」を経て,新しい政治体制を実現させましたが,天皇陛下はこの歴史をどのようにご覧になって,いらっしゃいますか。
天皇陛下

第二次世界大戦では,ポーランド,ハンガリー,チェコスロバキアは日本と同じく大きな被害を受けました。ただ,日本は,戦後すぐ復興に取り組むことができましたが,ポーランド,ハンガリー,チェコスロバキアは,ソビエト連邦の支配下に入り,厳しい統制の下で戦後の歩みを始めなければなりませんでした。

チェコスロバキアのマサリク外相の不明の死は,私の当時の記憶に残っております。その後,1956年のハンガリー動乱,1968年の「プラハの春」自由化運動など,ソ連支配下の一党独裁体制に対する反対の運動が行われましたが,成功しませんでした。今日につながる動きとしては,1980年のポーランドの自主的労働組合「連帯」の発足に始まると思われます。そして,1989年の秋,ハンガリーが東独から西独への人々の出国する道を開いたことが,やがて,ベルリンの壁の崩壊につながり,各国における民主主義と自由への歩みを確かなものにしていきました。

私自身,東欧が変わりつつあることを実感したのは,1989年昭和天皇の大喪の礼にハンガリー国シュトラウブ幹部会議長が参列されましたが,その方が共産党員でないことを知ったことでした。昭和天皇はこの世界の大きな変容を見ずに亡くなられたことを,時々残念に思い起こしています。

私は,多くの苦難の道のりを越えて今日を築き上げたこれらの国々の人々が,今後とも民主主義と自由を享受しつつ,幸せに発展していくことを願っております。

在日外国報道協会代表質問

問5 両陛下にお伺いたします。ヨーロッパの多くの王室は,しばしば旅行をしたり,気軽なイベントに参加したり,町を自転車で走ったりさえされて,「より自由」な生活様式を楽しんでおられるように見られます。日本に来た外国特派員は,日本の皇室をヨーロッパに比べ世間からずっと隔離された存在であるとみています。特派員の中には,これは二十世紀初頭,天皇陛下が現人神であられたころの名残ではないかという者もおります。両陛下は,お孫様方が成長なさった時のためにどのような生活様式をお望みか,お聞かせ願えるでしょうか。
天皇陛下

私は即位以来,日本国憲法に象徴と定められている天皇のあるべき姿を求めて国民の期待にこたえるよう務めを行ってきました。

お話にあったしばしば旅行をしたり,気軽なイベントに参加したり,町を自転車で走ったりという「より自由な」生活様式を楽しむということも,この観点に立って考えるべき問題だと思います。また国民との関係についても同様です。

ただ今日の日本の皇室が世間から隔離された存在であるとは思いません。確かに1603年から1867年まで続いた江戸幕府下の天皇は,ほとんど京都御所の外に出ることもなく,世間から隔離された存在と言い得ると思います。しかし,明治天皇以後の天皇には各地への巡幸があり,世間から隔離されていたという表現はふさわしくないと思います。

私も即位以来,45の都道府県を回りました。出席する行事の関係で,何回か訪れた県もあります。まだ2県が残っていますが,近いうちにすべての県を回りたいと思っています。国と国民の姿を知り,国民と気持ちを分かち合うことは,象徴の立場から大切なことと考えています。それと共にそのことは私自身の喜びでもあります。

質問にあった孫たちが成長した時にどのような生活様式を望むかという問題は,その時の国民が,皇室がどのようにあることを望むかということにかかっており,今ここでお答えすることはできません。

皇后陛下

私も自転車に乗るのは好きで,日光や軽井沢では,時々,陛下や子供たちと街の中のサイクリングを楽しみました。しかし,この交通量の多い東京で私が自転車に乗るとしたら,私もこわいし,周りの人たちもハラハラするのではないかと思います。

気軽なイベントに参加したり,しばしば自由に旅をすることは,確かにこれまで私たちの生活には余りなかったことかもしれません。

私たちの旅行は,その多くが公的な旅行であり,年に4,5回,国内の各地を回ります。日本には離島が多く,また山がちで,僻地も多いので,ある時にはかなりの距離を旅することにもなります。

結婚以来,このような旅を毎年重ね,陛下と私は,これまでに日本全国の都道府県を訪れ,九百余の市町村を訪ねてまいりました。島は20訪ねましたが,まだ行かなくてはならないと思う多くの島が残っています。中には,三宅島のように長く続いている噴火のために着陸することはできず,空中から島の様子を見なければならないような島もありました。

自由な旅というものではなく,疲れを感じることもありますが,日本の各地を知り,様々な分野で働く多くの人々と出会えるこのような旅,また多くの人々と笑顔を交わし合うことのできるこのような旅は,私たちにいつも疲れを上まわる喜びを与えてくれていました。

ゆとりができれば,陛下も私も自由な旅に出ることがあるかもしれません。それでも,これからも私たちは,日本の各地の人々の生活を知るために,これまでどおり公的な旅を続けて行きたいと思っています。

孫たちの時代のことは予測ができません。立場上の制約が過度に及び,子供たちの人間性を歪めたり,人間性の発展を阻害するような時代にならねばよいと願いますが,それさえなければ,少しぐらい不自由な生活の中でも,子供たちが伸び伸びと育っていくことはできると思っています。そのうちに孫の中のだれかが,東京の街中を上手に自転車で走っていくようなこともあり得ないことではないかと思っています。

問6 両陛下にお伺いいたします。皇室とオーストリアは長い間深い友好関係にあります。この度のオーストリアご訪問に当たっての主な目的とオーストリア国民への日本からのメッセージがございましたらお聞かせください。
天皇陛下

この度,オーストリアを訪れることを楽しみにしています。

オーストリアを訪れる時期は主として週末に当たりますが,そこで歴史に富む豊かな文化と自然を味わいたいと思っています。

オーストリアは音楽の面で最も日本人に親しまれていると思います。多くの日本人がオーストリアで音楽を学び,そこで演奏活動にいそしんでいます。戦後,オーストリアと日本との国交が再開されたのは1955年のことですが,その翌年,ウィーン少年合唱団が来日し,多くの日本人に深い感動を与えたことを記憶しています。まだ日本を訪ねる外国の音楽家も少ない時でした。皇居の楽部でも,香淳皇后のために演奏会が催され,まだ結婚前の私もその席に連なりました。後年,ウィーン少年合唱団が東宮御所を訪れた時には,私どもは家族だけで聴くのは惜しい機会と思い,日本の合唱団の子供たちを招き,一緒に聴きました。この度オーストリアで再びウィーン少年合唱団の演奏を聴くことを楽しみにしています。

今日,日本ではスキーが盛んですが,その元を開いたのは1911年から12年にかけてオーストリアのレルヒ少佐が新潟県の高田と北海道の旭川で陸軍軍人等にスキーを教えたことに始まります。戦後,オーストリアのスキー界と日本のスキー界の交流は盛んになっており,多くの日本人がオーストリアからスキーを学びました。

これ以外の分野でもオーストリアと日本との交流は過去に行われていましたが,今後交流が幅広く行われ,両国民の相互理解と友好関係が深まっていくことを願っています。

皇后陛下

この度,ポーランド,ハンガリーを公式訪問するに当たり,その旅行の始めと中間に来る週末に,それぞれチェコ,オーストリアを訪問させていただきます。この訪問につき,両国の大統領閣下と政府が温かい配慮を示してくださり,旅行の準備をしていてくださるということを知り,深く感謝しております。

両国からはかつて大統領ご夫妻が国賓として日本を訪問してくださいました。両国を訪れるこの機会に大統領閣下ご夫妻にご挨拶を申し上げたいと思っております。また,この滞在の折に少しでも両国の方々とお会いしたいと思い,幾つかの日程を組んでいただいております。

オーストリアでの日程には,以前からご招待をいただいていたウィーン楽友協会への訪問が含まれています。この度ようやくご招待にこたえることができ,うれしく思っています。このほか,大統領閣下のご招待でシェーンブルン,ヴェルヴェデール等を訪問し,アウガルテンでウィーン少年合唱団の少年たちと会います。もう今から少年たちの歌声が聞こえてくるような気持ちでおります。

メッセージをお送りするということはできませんが,この訪問を心から楽しみにしていることをお伝えいたします。

関連質問

問 関連して天皇陛下にお尋ねいたします。
陛下はイギリスのエリザベス女王の戴冠式に参列されて以来,これまでに合わせて50の国を訪問されたと伺っておりますけれども,今回それに新たに4つの国が加わります。ただ,そう申しましてもまだ訪れておられない国が沢山残っております。外務省に聞きましたら,国連に加盟している国だけで189あるということなんですけれども,今後,韓国,ロシアなどを含めましてまだ行かれていない国々を訪問したいというお気持ちがございますでしょうか。お聞かせください。
天皇陛下

この問題に関しましては,前にもお話したことがあると思いますが,私の外国訪問は政府が検討し,政府が決定することになっております。外国の方々からご招待をいただくことがありますが,そのように皆お話ししております。それでよろしいでしょうか。