オランダ・スウェーデンご訪問に際し(平成12年)

天皇皇后両陛下の記者会見

ご訪問国:オランダ・スウェーデン(スイス・フィンランドお立ち寄り)

ご訪問期間:平成12年5月20日~6月1日

会見年月日:平成12年5月8日

会見場所:宮殿 石橋の間

記者会見をなさる天皇皇后両陛下
記者会見をなさる天皇皇后両陛下
(写真:宮内庁)

宮内記者会代表質問

問1 両陛下にお尋ねいたします。今回は2年ぶりの外国ご訪問です。訪問に当たっての抱負や,特に関心をお持ちの点,楽しみにされている訪問先などを,公務以外のものも含めて,お聞かせいただければと思っております。
天皇陛下

お答えに当たって,不十分な点もあるといけないと思いまして,準備したものを見ながらお答えしたいと思っています。

この度オランダ国女王陛下並びにスウェーデン国国王陛下からご招待を頂き,両国を公式に訪問することになりました。ご招待に対して深く感謝しています。

オランダとの交流は1600年,オランダ船「デ・リーフデ号」が大分県臼杵湾に漂着したことに始まります。今年は400周年の記念の年に当たり,その記念行事の名誉総裁を務める両国の皇太子が出席して,臼杵と長崎で記念式典が行われたところです。そして一年間にわたって,両国の理解を深める様々な行事が両国で行われると聞いております。このような年に私どもがオランダを訪問することをうれしく思っています。私どもはこの400年の歴史を顧みつつ,両国の相互理解と友好のきずなが強められるよう努めていきたいと思っています。

私がオランダを訪問するのは今度が三度目に当たります。初めてオランダを訪問したのは1953年英国女王陛下の戴冠式に出席した時欧州各国を訪問した時のことであり,オランダでは,ユリアナ女王陛下並びにベルンハルト王配殿下に午(さん)を頂きました。それから10年後,ご即位前のベアトリックス女王陛下が国賓として我が国をご訪問になりました。その後も女王陛下には何度も日本にいらっしゃり,また,私どももオランダを訪問したり,あるいは,ベルギーのボードワン国王ご夫妻がラーケンの王宮に女王ご夫妻と私どもをよんでくださり,一時を過ごしたことなどがあります。そのような女王陛下と私どもの間には,様々な思い出があります。オランダをこの前訪問した時は,この度も泊めていただくヘット・アウデ・ローに女王ご夫妻とお子様方と共に一晩を過ごしたことが懐かしく思い起こされます。ご即位後は女王というお立場上,厳しい感情のあることも配慮されて,日本になかなかいらっしゃることはできませんでしたが,平成3年に国賓としてお迎えすることができました。女王陛下が私どもと共に両国の友好関係の増進を心に懸けていらっしゃることを心強く,また,うれしく思っております。私どものスペイン訪問時にマドリッドで女王陛下とお会いしてから,6年が()ちました。再び女王陛下にお目に掛かれるのを楽しみにしております。

スウェーデンもオランダと同じく訪問したのは3回目になります。初めて訪問するのは,オランダと同じ時1953年のことで,グスタフ・アドルフ六世国王陛下並びに王妃陛下をソフィエロにお訪ねしました。戦後8年が()った日本からスウェーデンを訪れますと,スウェーデンの豊かで美しいことがしみじみと感じられました。40年余を経た今日,当時豊かで美しいと感じられた国々と日本の人々が同じような生活を享受していることに深い感慨を覚えます。ここに至るまでに日本の人々が築き上げた努力を深くたたえたく思います。二度目の訪問は,現国王陛下並びに王妃陛下が国賓として日本をご訪問になったことに対する答訪として昭和天皇のご名代で皇后と共に訪問しました。国王ご夫妻から丁重なおもてなしを受けるとともに,ご一緒したウプサラ大学では解体新書を訳した中川淳庵と桂川甫周が,当時オランダの商館に医師として来日したツンベリーが帰国した後,ツンベリーにあてて出した手紙が大学の図書館に保存されているのを見ました。当時の遠く離れた日本とスウェーデンとの交流を感銘深い思いで見ました。この度長野オリンピックでお目に掛かって以来,再び国王陛下にお目に掛かることを楽しみにしております。

この度の訪問では時差調節の意味を兼ねてスイスのジュネーブに立ち寄り,また,オランダとスウェーデンの訪問の間の週末をフィンランドで過ごすことになっています。

スイスを訪れるのは,1953年以来47年ぶりのことになります。スイスでは国際赤十字委員会を訪問することになっていますが,ここには昭憲皇太后基金があり,平時の事業に運用されています。第一次世界大戦前の,戦争が盛んに行われている時期に,このような平時のための基金が日本から送られたことに対し,当時の日本の人々の英知に深い感銘を覚えます。フィンランドには15年前,スウェーデンを訪問した時と同じ時に,皇太子の立場で訪問し,コイヴィスト元大統領御夫妻の丁重なおもてなしを頂きました。この度の訪問では現大統領閣下にお会いするとともに,私の即位の礼にも来てくださったコイヴィスト元大統領御夫妻にもお会いすることを楽しみにしております。

オランダを訪れたのは,もう21年前,ユリアナ女王陛下の時でありました。また,スウェーデンを訪問したのも15年前のことになります。この機会にオランダ国女王陛下並びにスウェーデン国国王陛下を始め旧知の人々と旧交を温め,また新たに多くの人々と接し,訪問国に対する理解を深め,それぞれの国との友好関係の増進に努めていきたいと思っております。

皇后陛下

公式訪問の最初の地であるオランダには,今陛下もお話になりましたが,かつて訪問した折の,快い思い出があります。ヘット・アウデ・ローにお招きいただき,夕刻,馬車で野生の動物を見にまいりました時,まだお小さかった皇子様方が,ポニーに乗って元気に付いていらしたお姿が今も目に浮かびます。

ベアトリックス女王陛下が初めて日本においでになったのは,まだ王女でいらしたころで,その時女王陛下も,陛下も,私も,皆20代でございました。その時に芽生え,その後お会いする度に深められたお互いの間の友情を,私は大切なものに思っており,この度の訪問でも,女王陛下及びご家族との再会を楽しみにしております。今回の日程には,アムステルダム,ハーグに加え,私にとっては初めてのロッテルダム,ライデン,また,懐かしいヘット・アウデ・ローの再訪も組み入れられており,それぞれの地で,人々との良い交流が持てると良いと思います。

オランダと申しますと,まだ独身であったころの40数年前,一人で訪れた際に見た,レンブラントやゴッホなどの素晴らしい絵を思い出します。その時初めてフェルメールの作品を見,その女性像に心をひかれましたが,当時私はまだフェルメール(Vermeer)の名を知らず,ヴァーミアというおかしな読み方で記憶をしてしまい,その後この二つの名前が一つになるまでにかなりの年月を費やしてしまった思い出があります。この度の日程には,残念なことに美術館は入りませんでしたが,アムステルダム市長が,ゴッホ美術館に会見の場を持ってくださいますので,その機会に幾つかの絵を見せていただけるのではないかと楽しみにしております。

スウェーデンは15年前,当時東宮殿下でいらした陛下とご一緒に参りました。お若い両陛下が「時代と共に」という言葉をモットーに,一生懸命新しい御代を築いていらした御様子が,今も鮮やかに思い出されます。歓迎式典の時に,宮殿の窓の所で可(わい)い敬礼を見せてくださった3人の小さなお子様方も,今は立派に成長なさっており,両陛下やご家族との再会が待たれます。前回の訪問で,多くの行事に行動を共にしてくださった国王の叔父君であるバーティル殿下がその後お亡くなりになり,この度お目に掛かれないことを残念に思いますが,リリアン妃殿下にお目に掛かった時には,思い出をお話し合い,殿下のお上をおしのびしようと思います。

前回の時にはウプサラを訪問し,リンネの生家やウプサラ大学を訪問いたしました。大学の図書館で,先ほど陛下もおっしゃった,中川淳庵や桂川甫周のツンベリーにあてた手紙を見た時の感動を思い出します。今回の訪問では,マリエフレードの訪問が計画されており,私どものスウェーデンの思い出に,また新しい地域での思い出が加えらることをうれしく思っております。

この2か国の訪問国に加え,この度それぞれの国に入る前に,スイスとフィンランドを訪問いたします。非公式な訪問になりますが,両国の大統領が午(さん)や晩(さん)を催してくださり,またジュネーブやヘルシンキのそれぞれの市庁舎で,市民の歓迎会を催してくださることを知り,楽しみにしています。ジュネーブにはたくさんの国際機関があり,この度は赤十字国際委員会を訪問するほか,国連の諸機関で働かれる日本や各国の職員の代表の方とお会いする機会も持ちます。世界の様々な問題に触れる機会であり,得難い経験になるのではないかと思っています。

この度の4か国の訪問が,これまでそれぞれの国との友好に尽くされた,数しれぬ多くの方々の努力の成果に支えられ,なお一層相互の信頼を増す機会となるよう,心を尽くして務めを果たしたいと思います。

問2 両陛下にお伺いいたします。オランダについては,鎖国時代も日本は多くのことを学び,交流400年目の節目の訪問となります。一方,先の大戦で捕虜や抑留者の処遇をめぐりまして訴訟やデモが起こされるなど,わだかまりもまだ残っています。こうした歴史を踏まえ,オランダの人々に,どのようなお気持ちをお伝えしたいとお考えでしょうか。
天皇陛下

今日に至る日本の歩みを振り返るとき,この400年にわたるオランダとの交流の歴史は非常に意義深いものだったと思います。特に鎖国時代はオランダが欧州への唯一の窓口であり,様々なことを日本の人々はオランダから学んできました。幕府はオランダ商館を通して,世界情勢に関する情報に接し,また医者などが蘭学を通して,欧州の科学に接することができました。日本が諸外国と国交を結んだ後も,河川改修や航海技術についてオランダの人々の恩恵を被っています。我が国が,諸外国の日本並びに近隣地域への進出に対応し,それらの国々と国交を結び,独立を守り,国を発展させることができた陰にはオランダとの交流が大きな役割を持っていたと考えられます。このような歴史が続いた後で第二次世界大戦の時に,戦火を交えることになったことは返す返すも残念なことでした。この戦争によって多くの犠牲者が生じ,今なお傷みを抱えている人々がいることは本当に心の痛むことです。このような両国民の間の交流の歴史を全体として認識し,その上に立って,一層の友好関係を進めていきたいと願っていることを伝えたいと思います。

皇后陛下

日本とオランダとの間には,長い特異な交流の歴史があります。かつて大阪で適塾を訪ねた時,江戸の末期,全国からそこに集まり,蘭学を学んだ若い人々の志に触れ,胸の熱くなるのを覚えたことでしたが,福沢諭吉を始めとし適塾門下生のその後を思います時,蘭学が有意の若者によって学ばれ,その後の日本の近代化に果たした役割を思わずにはいられません。明治以降も,ファン・ドールンや,デ・レイケ,エッシャーなどが,農業土木や治水の分野で,日本に大きな貢献をいたしました。また,幕末にヘルハルダス・ファビウスによって行われた海事全般における指導は,日本の海軍を育て,その後我が国が国を守り,独立を維持していく上で大きな助けとなりました。ファビウスが,日本人に対するに,誠実と品位をもってし,決して武器を持って影響力を得ようとするようなことをしてはならないとその日記の中で自らを戒めていたということが,オランダ在住のフォス・美弥子さんの翻訳を得,オランダ駐(さつ)の池田大使によって日本に紹介されています。

このような両国の交流の歴史の中で,先の大戦は両国の関係に深い傷跡を残しました。アジアで当時を過ごした人々の中で,今なお()えることのない悲しみを負って生きている人がおられることに心を痛めております。私どもは今回の訪問で,日蘭の長い交流を通じ,両国の人々が誠意と努力をもって築き上げた強い友情のきずなを確認し,それを更に強める努力をいたしたいと思いますが,それと同時にその同じオランダの地に,今もなお戦時中のつらい記憶に苦しむ人々のおられることを決して忘れることなく,また,両国のきずなが今後二度と損なわれることのないよう祈りつつ,訪問の日々を過ごすつもりでおります。

問3 両陛下にお尋ねいたします。ヨーロッパの王室は,概して国民に身近な存在で,たとえばオランダのベアトリックス女王陛下が,路面電車に乗って移動したり,お忍びで国内各地に出掛けて市民と交流するなど,気軽に行動しておられると聞いています。こうした欧州諸国の王室の在り方について,両陛下はどのようなご感想をお持ちでしょうか。日本の皇室と国民との距離をどうとっていかれたいかについても,併せてお伺いできれば幸いでございます。
天皇陛下

欧州の王室も日本の皇室もそれぞれの歴史を受け継いで今日に至っています。1953年スウェーデンを訪問した時,王宮で国王主宰の閣議が行われる部屋を見た記憶があります。当時の国王と政治の関係は制度上大日本帝国憲法に近いものではなかったかと思います。この制度は現国王の時に大きく変わり,国王と政治の関係も制度上は欧州諸国の中で最も日本の憲法に近いものになってきているように思います。このような制度上の立場も国により,時代によって違っていますが,それぞれの王室も皇室も常に国民の幸せを願って務めを果たしているということでは共通していると思います。それぞれの王室や皇室の在り方はそれぞれの国民の願いにこたえて考えられており,日本の皇室と国民との関係も日本国憲法に定められている天皇は日本国の象徴であり,日本国民統合の象徴であるということがどういうふうにあるべきかということを元にして考えていくことが大切と思います。皇室と国民との距離ということも,例えば,明治以前と以後,あるいは昭和の戦前と戦後で大きく変わっています。私は常に国民と心を共にすることを念頭に置きつつ,国と国民のために望ましい在り方を求めていきたいと思っています。

皇后陛下

日本の場合,皇室の中心でいらっしゃる天皇のお立場は,国の象徴であり,国民統合の象徴であると憲法で定められており,この天皇の象徴性とまた国民統合の象徴としてのお立場が,陛下を始め私どもの行動の枠を決めるとともに,皇室が国民から遊離したものとはならず,国民の中にしっかりと内在した存在であらねばならないという自覚を保たせています。近年王室や皇室の在り方の中で,国民との距離ということが往々にして問題とされることが多うございますが,私はこの距離,親近性というものを,単に物理的な距離によって測る必要はないのではないかと考えております。象徴でいらっしゃる陛下のおそばで,私も常に国民の上に心を寄せ,国民の喜び事を共に喜び,国民の悲しい折には共に悲しみ,また共にそれを耐え続けていけるようでありたいと願っており,これはきっと欧州の王室の方々も,類似のお気持ちをお持ちでいらっしゃることと思います。

陛下も,私も,国民と皇室とが,常に理解と信頼をもって温かく結ばれているようでありたいと願っており,国民との接点はこれからも大切にしていきたいと考えております。ただ,それぞれの王室や皇室に,国民がどのような形や度合を持ってその接点を求めていくかということは,必ずしも各国一様であるとは思いません。日本にふさわしい形で,国民と皇室との間の親しみがはぐくまれていくことを願っております。

問4 両陛下にお尋ねいたします。今回のご訪問に向けて,どのような準備をなさっておられますでしょうか。お調べになったことや今回特別にお読みになった本などがございましたら,お聞かせいただければと思います。
天皇陛下

今年は日蘭交流400周年の年に当たりますので,これに関連した歴史を書いた物には目を通しています。「デ・リーフデ号」の漂着の時期は,オランダがスペインから独立するための80年に及ぶ戦争が断続的に行われた時期であり,日本と深くかかわってきたオランダの歴史にもこの機会に理解を深めていきたいと思っています。

今は明治の初めに日本の河川改修に携わったデ・レイケ始めオランダ人技術者のことを書いた本を著者から頂いたのでそれを読んでいます。この本には,明治の初めごろは日本の山の木々が伐採され,土砂の流出が激しく,洪水が起こりやすい状況になっていたことが書かれています。この状況は戦後の日本の荒廃した山を思い起こさせるものです。我が国で古くから重視された治山,治水という課題は多くの人々の努力によって,大きく改善されましたが,残念ながら今日も引き続き抱えている問題であり,その取組の先駆者であるデ・レイケなどオランダ人の当時の役割には深い興味が持たれます。日蘭交流400周年というこの機会に諸外国と国交を開いて日も浅い日本がオランダから招(へい)し,日本の発展に尽くしてくれた人々について心に留めておきたいと思っています。

皇后陛下

昨年,訪問のお話が具体化してきたころから,スウェーデンのラーゲルレーフの短編やフィンランドのトペリウスの白樺と星の物語など,若いころに読んだ懐かしい本を再び取り出して読んでおりました。今年に入り,そろそろ旅行の準備に取り掛かろうと思っていたころから,介護保険制度の導入の問題や,また予期せぬ有珠山の噴火のことなどがあり,読んでおきたい新聞や雑誌の記事が多く,ふとすると国内のことにのみ目が向くようになっておりました。

そうした中,新聞の書評で,今,陛下もお触れになった,オランダのデ・レイケに関する本が出版されたことを知り,求めました。専門の記述の所は少し難しいのですが,今,興味深く読んでいます。

また,赤十字の訪問を控え,以前から読んでみたいと思っていた,日本赤十字社の誕生前後に関わる資料に今目を通しています。明治の初年に赤十字の思想に触れ,一国の文明度は国民の間にいかに人道思想が浸透しているかによって測られると考え,日本赤十字社の創設と育成に力を注いだ佐野常民や志を同じくする大給恒(おぎゅうゆずる)などの行跡に触れ,改めて先人への敬意を深くしております。

訪問の準備として学ぶことは,往々にして日本を更に深く知ることとつながり,うれしいことに思います。また,先に述べましたデ・レイケやファビウス,ツンベリーのように,日本の発展に力を貸した外国人の存在を知ることも大きな喜びであり,その人々の母国である国々ヘの親しみを増し,旅をする気持ちに大きな弾みを与えられます。

在日外国報道協会代表質問

問5 両陛下にお尋ねいたします。今回ご訪問なされるヨーロッパでは女性の王位継承が認められておりますが,日本でもこのような形に皇位継承権が変わるべきだと思われますか,お聞かせ下さい。
天皇陛下

皇位継承については皇室典範によって定められており,この法律を国民がどのように考えるかということになると思います。私からこの問題について発言することは控えたいと思います。

皇后陛下

私も陛下と同じように考えており,この質問への答は控えます。

問6 最後に両陛下にお尋ねいたします。オランダやスウェーデンを始め北欧諸国は福祉国家として知られております。困難な財政問題を抱える日本のこれからの福祉の在り方についてどのようにお考えか,お聞かせ下さい。
天皇陛下

先ほど戦後間もなくスウェーデンを訪問した時にその豊かさと美しさが心に残ったということをお話しましたが,そのころの日本は国民所得も低く,まず経済の発展による国民生活の向上が求められていました。そのような中で福祉問題に一生懸命に取り組んできた人々があり,各地でそれらの人々の精神が受け継がれ,福祉面の充実に貢献しています。しかし,一般的に関心が高まったのは近年になってからで,今日多くの人々が福祉面に関心を持ち,ボランティアを志す人々が多くなってきていることは心強いことと思います。

今日福祉の問題で最も重要なことは急速な高齢化の問題です。スウェーデンなど現在高齢化率の高い国々は徐々に高齢化が進んできましたが,日本の場合は高齢化が急速に進み,それを支える若い人々の数が非常に少ない状況になっています。

この高齢化問題には克服されなければならない様々な課題があることと思いますが,戦後,経済の発展,公害の減少など様々な困難を乗り越えてきた日本の人々がこの困難な問題に対しても皆で協力し,国民一人一人が幸せな気持ちで日々を過ごせるような社会を築いていくことと深く信頼しています。

皇后陛下

北欧諸国の社会福祉への取組は本当に立派であると思います。質問にありましたように,今日本は困難な財政問題を抱えており,福祉との取組にも多くの苦労があるようです。ただ一方では非常に心強く思われることもあり,それは近年人々の間で,「生活の質」を考える風潮が強まり,それに伴い自分の生きがいについて考え,他者とのつながり,他者との助け合い,また他者への奉仕などについて,今までにも増して真剣に考える風潮が全般に強まってきていることです。

差し当たり今は,この4月から実施に移された介護保険制度のことが一番心に懸かっています。まだ始まったばかりで,少なからぬ混乱もあるように見られますが,やがてそのよい結果が,お年寄りやその家族,また,その人々を支えている介護者や奉仕者に,共に助け合って生きていく社会の安心感と充実感をもたらし,そうような中から,日本がこれから対応していかなければならない高齢化社会への福祉の道が少しずつでも見えてくるようになることを,今,心から願っています。

天皇陛下

出発に当たって,非常に気に懸かっていますことは,有珠山の噴火のことです。有珠山が噴火を始めた時は,その対応が多くの人々の努力で順調に進み,けがをする人も無くて,避難ができました。避難所生活も長くなり,噴火の方も現在続いている最中であり,様々な苦労が地域の人々にあることと察しております。このような苦労の多いこととは察していますが,皆が十分に災害に気を付け,また,心身の健康を大切にしてこの時期を乗り越えていただきたいと願っています。大きな災害が起こらないことを切に念じています。