上皇后陛下のご近況について(お誕生日に際し)(令和2年)

令和2年10月20日:上皇職

本年3月31日,平成5年12月から26年余お住まいになった皇居吹上御所から仙洞仮御所にご移居になりました。

この頃から新型コロナウイルスの感染拡大が懸念されたため,ご移居後はお出ましや人をお招きになることもなく,陛下とお二人で静かな日々をお過ごしになりました。この間,毎日,侍医や侍従に国内外の感染状況をお尋ねになり,永井皇室医務主管から説明をお受けになるなどして,この新しい感染症に注意を払ってこられました。そして,医療従事者,感染症専門家,国や自治体関係者の懸命の努力,感染リスクがある中で日常生活を支える市井の人々の献身に心をお寄せになり,生業を制限され,スポーツや音楽その他の芸能活動等を自粛する人々の置かれた厳しい状況を案じてこられました。

新型コロナウイルスの感染が依然として続いていることから,今年はすべてのお誕生日行事と恒例の御祝御膳もお控えになります。

沖縄慰霊の日,広島・長崎原爆の日,終戦記念日には,御在位中と変わりなく仙洞仮御所で陛下と共にご黙祷になり,また,宮中祭祀が行われる時間はいつもお慎みになっていらっしゃいます。

本年7月,熊本県など九州地方等で大雨による洪水被害が発生しましたが,これまでと同様に報道を注視され,犠牲者を悼み,被災者,被災地の様子を案じていらっしゃいました。また,東日本大震災の被災地のその後の復興状況をいつもお心に懸けていらっしゃいます。

今年5月以降,ほぼ毎日,午後にお熱が37度を超え,翌朝に平熱に戻る原因不明の症状がおありで,今も続いています。安静になさっている訳ではありませんが,やはり,ご移居前の長期間にわたる,時として早朝から夜遅くに及ぶお引き移りのためのお仕事のお疲れが未だおありだと拝察されます。

昨春からのご体重の減少は,少し落ち着かれたものの未だご回復に至らず,心不全の診断指標であるBNP値も高い状態が続いています。最近は,乳がんご手術後のホルモン療法によると思われる左手指のご不自由がおありで,ご移居後は数人の日本人作曲家の曲目を練習されることを楽しみになさっていらっしゃいましたので,おさびしいことだと思います。今まで出来ていたことを授かっていたこととお思いになるのか,お出来にならないことを「お返しした」と表現され,受け止めていらっしゃるご様子です。

陛下との朝夕のご散策では,これまでの日々を振り返られることが多く,昭和35年の徳仁親王殿下(当時)ご出産7か月後のハワイを始めとする16日間に及ぶアメリカ各州,また,その2か月後の28日間に及ぶイラン,エチオピア,インド,ネパールへの外国ご訪問,昭和,平成の時代にそれぞれほぼ二巡された地方へのご旅行(上皇后さまは昭和期の高知県,平成期の香川県ご訪問は1回),心を尽くしてお務めになった宮中祭祀,ご家族で昭和天皇,香淳皇后と過ごされた日々,国民学校時代に同じ国定教科書で学ばれ,お二人とも特にご記憶が深い“巻雲”という雲や,“野菊”という唱歌のことなどを懐かしそうにお話になっていらっしゃいます。時折の陛下のお尋ねに60年を超える歳月を共に歩まれた上皇后さま故にお答えになれるお話も多く,お二人で楽しそうに記憶を辿られるお姿は,お側で拝見していて何か長閑で豊かさに包まれていると感じます。

軽井沢のユウスゲ,阪神淡路大震災の復興・鎮魂のシンボル「はるかのひまわり」,全島避難した三宅島噴火被災者から贈られた溶岩に施された寄せ植え,岩手県大槌町のハマギク,宇宙飛行士山崎直子さんと宇宙を旅したその種が福島県の学童に贈られ,更に子どもたちから両陛下に送られて育ててこられたアサガオ等々。御所からお移しになった仮御所のお庭に咲く花々をご覧になり,お手入れになることも,穏やかでゆったりとしたご日常の一部となっています。

また,ご散歩の時に出会われる上皇職,皇宮警察の職員と挨拶を交わされたり,もしかして「アマビエ」が描かれた飛行機が空港に近い仮御所上空に飛ばないかと,大きな音がする空を見上げられたりすることもおありです。

平成の時代から続いているご朝食後の陛下とのご本の音読は今もお続けになっていて,山本健吉の「ことばの歳時記」をお読みです。

多くの方から寄せられる手紙や著書等に目を通されることもご日課となっていますが,コロナ禍で人々との交流が制限される中,平成の終わりに出版されたDVDブック「降りつむ」に収められた上皇后さまの映像付き詩のご朗読を視聴した方たちから,多くの反響の手紙が上皇職の事務やお手許に届けられており,文字や映像と共にお声の持つ力に改めて驚かされています。

上皇后さまがお過ごしになるお時間の大半は,ご高齢となった陛下に寄り添ってお支えになることに費やされています。ご自身も決して万全なご体調ではありませんが,陛下にご不自由がないよう,また,日々を楽しくお過ごしになれるようきめ細かくお心を配っていらっしゃいます。お疲れになるのではと拝察することもしばしばですが,「こうした時のためにこそ自分がいるのだから」と仰せになり,終日,献身的に陛下のお世話をなさっています。

ご家族のことについては,公私の事を問わず,それぞれの方のご健康を願いながら,いつも遠くからひたすら静かにお見守りになっていらっしゃいます。