東京都小笠原村硫黄島ご視察
令和7年4月21日
宮内庁総務課広報室
令和7年4月7日(月)、天皇皇后両陛下は、東京都小笠原村硫黄島をご訪問になりました。
両陛下は、硫黄島戦没者の碑(天山慰霊碑)、硫黄島島民平和祈念墓地公園、鎮魂の丘において、それぞれご拝礼になり、犠牲になられた多くの方々に深い哀悼の意を捧げられました。
海上自衛隊硫黄島航空基地ご到着
小笠原の自然概要ご聴取
両陛下は、我が国で初めて原生自然環境保全地域に指定されてから50年の節目を迎える南硫黄島を含む、小笠原の自然概要についてお聞きになりました。
硫黄島戦没者の碑(天山慰霊碑)
【硫黄島戦没者の碑(天山慰霊碑)】
日本政府が建立した戦没者慰霊碑で、2万余名の硫黄島戦没将兵の慰霊のため昭和46年3月26日に竣工しました。旧海軍指揮所のあった天山壕の上に作られており、この地は最後の拠点として組織的戦闘の行われた場所です。
硫黄島島民平和祈念墓地公園
【硫黄島島民平和祈念墓地公園】
昭和19年、戦争の激化に伴い硫黄島においても島民の強制疎開が行われました。島民の中でも健康な若者103名は軍属として徴用され、そのうち、82名の島民が犠牲になりました。本公園は、小笠原村が未来永劫の平和の願いを込めて、平成2年に戦前の島民墓地の敷地に整備しました。
鎮魂の丘
【鎮魂の丘】
鎮魂の碑は、硫黄島で戦没した全ての方々の慰霊のため、島の東北部台地の南先端(南地区)に建立されました。ここは、島の最南端にある摺鉢山を望み、南海岸を一望のもとに見渡せる眺望の優れたところです。また、米軍が上陸した南海岸に面していたため激戦地となった場所でもあり、数々の戦跡が残っています。東京都は、碑の建立にちなんで、このあたり一帯の台地を「鎮魂の丘」と名づけました。(竣工:昭和58年8月31日)
両陛下は、鎮魂の丘でのご拝礼後、その基壇の地下にある粟津壕を壕の入口からご覧になりました。
両陛下は、激しい戦いの中で尊い命が失われた戦跡を実際にお訪ねになり、改めて戦争の悲惨さを肌でお感じになるとともに、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにされました。
関係者とのご懇談
両陛下は、ご質問も交えつつ、お一人お一人のお話に耳を傾けられました。それぞれの方のこれまでの取組をおねぎらいになるとともに、関係者の長年の苦労や悲しみに改めて心をお寄せになりました。
また、戦争の記憶を風化させずに次の世代に継承する活動についてもお聞きになり、そのような活動は、今後ますます意義深くなっていくものとお思いになりました。
海上自衛隊硫黄島航空基地ご出発
両陛下は今回、昭和20年に硫黄島で激しい戦闘が行われ、多くの方が尊い命を落とされてから80年という節目の年を迎える中、硫黄島を訪問されて戦没者の慰霊をおできになったことを感慨深くお思いになりました。