主な式典におけるおことば(平成20年)

天皇陛下のおことば

第169回国会開会式
平成20年1月18日(金)(国会議事堂)

本日,第169回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

国会が,永年にわたり,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

自治体消防制度60周年記念式典
平成20年3月7日(金)(日本武道館)

本日,ここに,全国から参加した消防長,消防団長を始め,多くの関係者と共に,自治体消防制度60周年を祝うことを誠に喜ばしく思います。

市町村を主体とする現在の消防制度が発足したのは,戦後間もなく,困難なことの多い状況下,さらに様々な新しい制度が作られた時代でありました。その後,自治体消防は,社会の変化に対応して,火災の予防や消火のみならず,災害から国民の生命,身体及び財産を守り,国民生活の安全を確保するため,救急や救助などの重要な役割も担うようになりました。ここに,関係者の長年にわたる昼夜を分かたぬ努力に深く敬意を表します。また,その間,厳しい任務を遂行する中で,負傷した人々に思いを致し,殉職した人々やその遺族に心から哀悼の意を表したく思います。

今日,都市においては,建築物の高層化などが進み,消防活動に大きな危険や困難を伴っており,また,高齢化や過疎化が進んでいる地域においては,人々を守っていくために,地域に根ざした消防活動が求められております。こうした状況に合わせ,消防活動の安全を確保しつつ,消防職員や団員が十分に活動できるよう技術を開発し,訓練を重ねていくことが極めて重要であり,消防関係者の労苦が深く察せられます。

今後とも,全国各地の消防関係者が,安心で安全な社会を築くために力を尽くしていくことを願うとともに,国民一人一人が消防の使命の達成に一致協力していくことを切に希望いたします。

2008年(第24回)日本国際賞授賞式
平成20年4月23日(水)(国立劇場)

第24回日本国際賞の授賞式に当たり,「情報通信の理論と技術」の分野において,ヴィントン・サーフ博士とロバート・カーン博士が,「ゲノム・遺伝医学」の分野において,ビクター・マキューズィック博士が,それぞれ受賞されたことを心からお祝いいたします。

1970年代の初めごろまでは,電話も無線通信もそれぞれ固有のネットワークのみを通じて伝送されており,異なるネットワークの間をつなげることはできませんでした。この問題を克服し,異なるネットワーク間のデータ送受信を可能にするため,サーフ博士とカーン博士はTCPと名付けた通信プロトコルを開発され,1974年に共著の論文で発表されました。この通信プロトコルはその後更に改良が加えられ,現在インターネットで用いられているTCP/IPという通信プロトコルに発展しました。人類の生活様式を一変させた今日のネットワーク社会は,両博士の先駆的な努力により実現したものです。

マキューズィック博士は,病気と遺伝子の関係を研究する遺伝医学を創設され,半世紀以上の長期にわたり研究を重ねられました。その成果は体系的にまとめられ,世界の臨床医の必読の書といわれています。また,博士は,国際ヒトゲノム解析機構創立にも携わられ,代表責任者の任をとられるなど,ヒトゲノム解析の先導者となり,遺伝子情報を活用する医学の発展に大きく寄与されました。

3博士の御研究は情報技術と医学のそれぞれの分野で未踏の領域を(ひら)いたものであり,その成果は人々の生活に多くの便宜を与えました。

科学技術が今後とも国境を越え,人々の協力によって発展し,人類の幸せに資することを願い,式典に寄せる言葉といたします。

日本ブラジル交流年・日本人ブラジル移住100周年記念式典
平成20年4月24日(木)(ホテルオークラ)

本日,ここに,日本ブラジル交流年・日本人ブラジル移住100周年記念式典が,ブラジル政府代表,ブラジルの各界で活躍している日系人の代表を始め,多数の両国関係者の出席を得て開催されることを誠にうれしく思います。

今から100年前,日本からの最初の移住者が,笠戸丸(かさとまる)でサントス港に上陸して以来,数多くの日本人がブラジルに移り住み,今では,日系人の総数は,150万人を超え,ブラジルは,海外における日系人の最も多い国となっております。

初期の移住者は,移住環境が十分に把握されない状況の中で入植しました。移住者を取り巻く自然環境や病気も,また移住者が接する人たちの言語も,未知の世界であり,そうした中で農業に取り組んだ人々の心身の苦労はいかばかりであったかと察せられます。移住者は,そのような厳しい環境の中でまじめに努力を重ね,地域の人々から信頼されるようになりました。今日,日系の人々が様々な分野で活躍し,ブラジル社会に貢献していることを頼もしく感ずるとともに,これまでに努力を重ねてきた日系の人々の労苦に深く思いを致すのであります。その陰には永年にわたって日本人移住者を温かく受け入れてきたブラジル政府並びに国民の厚意があったことを忘れることはできません。

私どもが,笠戸丸(かさとまる)でブラジルに渡った第1回移住者にお会いしたのは,今から41年前,1967年のことでありました。59年振りに日本の土を踏まれた70代前後の9人の元気な移住者にお会いしたことが今も懐かしく思い起こされます。

私どもは皇太子の時に2回,即位後に1回ブラジルを訪問し,大統領閣下を始め,ブラジルの人々から温かいおもてなしを受けるとともに,各地で日本人移住者とその子孫にお会いしてきました。最初の訪問は1967年,2回目は1978年日本人ブラジル移住70周年記念式典出席の機会であり,3回目は1997年でした。3回目の時には笠戸丸(かさとまる)の移住者の中でただ1人の生存者であった中川トミさんにもお会いしました。中川さんが本年の100周年を待たず,一昨年亡くなられたことは誠に残念なことでした。

近年,ブラジルから数多くの日系人が日本に来て生活するようになりました。私は,今月初めに,皇后と共に,多くの日系人が工場などで働いている群馬県の太田市及び大泉(まち)を訪れましたが,日系人が地域社会に適応することを助けるために,職場や,地元の小学校などで,いろいろな施策が進められていることは心強いことです。ブラジルにおいて日本からの移住者が温かく受け入れられたのと同様に,今後とも,日本の地域社会において,日々努力を重ねている日系の人々が温かく迎えられることが大切であると思います。

なお,この機会に,先の大戦によって大きな痛手を受けた日本に対し,戦後サンパウロ市の日本人有志が「日本戦災同胞救援会」を結成し,3年間にわたって救援物資を送られてきたことを思い起こし,血を分けた同胞の厚情に改めて感謝の意を表したく思います。

今日,日本とブラジルの関係は,ますます緊密になり,両国国民の間の交流も活発になってきております。今や両国に住むこととなった日系人の存在は,両国間の(きずな)を更に強めることになることと思います。ここに日本ブラジル交流年・日本人ブラジル移住100周年に行われる様々な行事が,両国国民の相互理解と友好関係の増進に資することとなることを期待し,式典に寄せる言葉といたします。

国賓 中華人民共和国主席閣下及び同令夫人のための宮中晩餐
平成20年5月7日(水)(宮殿)

この度,中華人民共和国主席胡錦濤閣下が,令夫人と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに今夕を共に過ごしますことは誠に喜ばしいことであります。主席閣下には,今から10年前,日中平和友好条約締結20周年に当たる1998年,国家副主席として我が国を御訪問になり皇居でお会いしましたが,この度国家主席として再びお迎えしたことをうれしく思います。

私が皇后と共に貴国を訪問いたしましたのは,1992年,日中国交正常化20周年の年でありました。御招待いただいた楊尚昆国家主席を始め,貴国政府から心のこもったおもてなしを頂き,訪れた各地で多くの人々から温かく迎えられたことは,今も懐かしく思い起こされます。

私は,かつて7世紀から9世紀にかけて,我が国の遣唐使が訪れた唐の都長安があった西安を訪れたいと思っておりましたので,この訪問に当たって,これが実現したことは,うれしいことでした。唐の様々な文物は遣唐使や同行した留学生,留学僧によって我が国にもたらされ,我が国の人々はそれを熱心に学びました。再来年建都1300年を迎える奈良,京都の都市計画,また,当時の律令制度も,我が国が唐から学んだものであります。8世紀前半に在位した聖武天皇の遺愛品などを収めた正倉院には,唐からもたらされた品々も多く保管され,当時の唐と我が国の交流の跡をしのばせます。この度主席閣下が御訪問になる奈良の唐招提寺は,唐から渡ってきた鑑真和上により創建され,来年は1250周年を迎えます。和上の我が国への渡航には,それに対する妨害や難船という困難があり,我が国側の強い希望と,和上の視力を失っても変わらざる熱意によって,6回目にようやく実現しました。奈良では,聖武上皇,光明皇太后,孝謙天皇以下百官が和上から戒を受けました。鑑真和上の渡航にも示されるように,当時の航海は大きな危険を伴うものであり,多くの人々が難船の犠牲となりました。このような危険を顧みず,渡航を試みた人々の努力に深く思いを致すものであります。

近年貴国と我が国との間の協力により,喜ばしい成果が生まれていることとして,佐渡におけるトキの繁殖の成功があります。トキはかつてはロシアの南東部から中国以東の地域に広く分布していましたが,各地で絶滅し,1981年,佐渡にだけ残った5羽の野生のトキを飼育下で繁殖させるために捕獲したときには,野生のトキは世界中から姿を消したと考えられました。しかし幸いなことに,その同じ年に,貴国の陝西省洋県で野生のトキが発見されました。我が国のトキは残念ながら繁殖に成功せず,すべて死亡しましたが,貴国のトキとの交配の試みなどを通して両国間の交流が進み,トキの繁殖に関する知識は蓄積されていきました。こうした努力を背景に,国賓として訪問された江沢民国家主席と,公賓として訪問された朱鎔基国務院総理から3羽のトキが贈られ,その子孫は順調に育ち,今日では飼育下で100羽を超えるまでになりました。今年の秋には,佐渡で放鳥される予定と聞いております。トキを守るため,国境を越えて永年にわたり協力し合った関係者の努力を思い,両国間の友好の印として,トキが,我が国の空に白い羽を羽ばたかせる日の来ることの早からんことを期待しております。

日中平和友好条約締結30周年を迎える本年は,「日中青少年友好交流年」として,日中両国の間で数多くの交流事業が行われると聞いております。日中両国が様々な分野で協力を進めることがますます重要になっている今日,こうした交流を通じて,両国の若い人々の間に友情が培われることは,誠に意義深いことと思います。長い歴史を両国民が共に顧み,未来に向けて友好のきずなを深めていくことを願っております。

本年8月には,北京において第29回オリンピック競技大会が開催されます。この大会が,世界の人々の友好親善を深める契機となることを心より希望いたします。

今,日本は新緑のもえる美しい季節を迎えました。この度の御滞在が,実り多く,思い出深いものとなりますよう,心から期待してやみません。

ここに杯を挙げて,胡主席閣下並びに令夫人の御健勝と中華人民共和国国民の幸せを祈ります。

中華人民共和国主席閣下のご答辞

海上保安制度創設60周年記念式典
平成20年5月12日(月)(パレスホテル)

本日,海上保安制度創設60周年記念式典が挙行されるに当たり,関係者と一堂に会することを,喜ばしく思います。

海上保安制度の(かなめ)である海上保安庁法は,昭和23年に制定,施行されました。当時はまだ戦後間もなく,我が国周辺の海には機雷が散在し,航行の指針となる灯台の多くも破壊されており,航海は危険を伴うものでありました。昭和24年私が(とも)から尾道へ瀬戸内海を船で渡るとき,機雷の危険に備えて,木造船を使用するよう話のあったことも記憶しています。掃海作業や灯台の復旧は当時極めて重要な任務でありましたが,多くの危険を伴う作業であり,残念なことに掃海作業中に事故で殉職した職員もありました。厳しい状況の下で,様々な危険や困難を乗り越え,海の安全の確保に尽力した関係者のあったことを思い,その労苦をしのびます。また離島や人里離れた岬の灯台を守ってきた人々の苦労にも計り知れないものがあったことと察せられます。そのような日々から今日に至るまで,海上保安庁の職員は,海上における人々の生命及び財産の保護,海上の安全及び治安の確保のために,大きな役割を果たしてきました。昼夜を分かたぬその努力に対し,ここに深く敬意を表するものであります。

私どもは,かつて横浜海上防災基地を訪れ,訓練水槽の中で,特殊救難隊による激浪の中での救難訓練を見学する機会を持ちました。非常に厳しい訓練でしたが,遭難救助の陰にある,こうした地道な訓練を目の当たりにし,誠に心強く思いました。

なお,この機会に,海上保安の任務の遂行に当たる中,過去,不幸にも殉職された人々とその遺族に対し,衷心より哀悼の意を表します。

関係者の努力により,今後とも我が国を囲む海が一層安全で,美しく,豊かであることを願い,式典に寄せる言葉といたします。

第59回全国植樹祭
平成20年6月15日(日)(秋田県立北欧の杜公園)

第59回全国植樹祭に当たり,ここ「北欧の杜公園」において,全国からの参加者と共に植樹を行うことを誠に喜ばしく思います。

昨日発生した岩手・宮城内陸地震によって各地で被害が生じました。行方不明になった人々が速やかに救出されるよう念じており,また,亡くなった人々の遺族や災害を受けた人々の悲しみや苦労に深く思いを致しております。現地では余震が続いていると聞いておりますが,一刻も早く人々の生活の平安が取り戻されることを願っております。

秋田県において全国植樹祭の前身である第19回「植樹行事並びに国土緑化大会」が開催されたのはちょうど40年前のことになります。それから10年後,この植樹行事の行われた田沢湖畔で第2回全国育樹祭が行われ,私どもは昭和天皇,香淳皇后お手植えの秋田スギの枝打ちと施肥(せひ)を行いました。当時の記念植樹の秋田スギは立派に育ち,「県民の森」として林業研修の場や県民憩いの場として利用されていると聞いております。

我が国は国土の3分の2が森林に覆われており,水に恵まれた緑豊かな国です。しかし一方,急(しゅん)な地形が多く,国土を豊かに潤す水も大雨や台風のときには大きな災害をもたらします。このような環境の下で,我が国の人々は木材資源の維持,災害の防止や水源のかん養などのために森を育ててきました。秋田スギの美林も人々の永年にわたる努力の(たまもの)であり,その基礎は19世紀に賀藤景林(かげしげ)景琴(かげきよ)父子による植林事業によって確立されました。

近年科学技術の進歩に伴って研究が進み,森林の持つ様々な機能がより正確に理解されるようになりました。川の上流に植林すると,その川の河口や沿岸の海のプランクトンが増殖し,水産資源を豊かにすることも分かってきました。また温暖化防止に森林が果たす役割についても大きな期待が持たれています。我が国の人々が古くから親しんできた木や森について,過去の経験と現在の知識を基にして更に理解を深めていくことが大切と思います。

この度の全国植樹祭を契機として,更に多くの人々の間に森づくりに参加していく気運が高まることを願い,式典に寄せる言葉といたします。

全国戦没者追悼式
平成20年8月15日(金)(日本武道館)

本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に63年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

第28回全国豊かな海づくり大会
平成20年9月7日(日)(朱鷺メッセ(新潟県))

第28回全国豊かな海づくり大会が日本海に面したここ新潟市で開催されることを誠に喜ばしく思います。

暖流と寒流の流れる海に囲まれた我が国は古くから豊かな海の恵みを享受してきました。しかし戦後の産業発展に伴う海岸の埋め立て,海砂利の採取,汚水の流入などが藻場を狭め,各地で海に住む生物の生息環境が悪化してきました。このような状況に対処するため,近年,国民の間に海を守ろうとする意識が高まり,全国各地で海岸の清掃や河川の上流への植林などの活動が多くの人々の手によって進められていることは非常に心強いことです。

新潟県には信濃川や阿賀野川を始め,数多くの河川が流れ,そこにはサケやサクラマスが遡上(そじょう)してきます。県の北部を流れる三面(みおもて)川は,村上藩の青砥(あおと)武平治(ぶへいじ)綱義(つなよし)の建議により,遡上したサケを囲い込んで産卵させる「種川の制」というサケの増殖事業が18世紀後半に始められたところとして知られています。この制度により,一時は枯渇寸前までいったサケは次第に増加し,藩の財政を潤すことになりました。戦後も三面川のサケに危機が訪れたこともありましたが,人々が協力して資源を守り増やすことに努め,捕獲高も順調に推移しています。現在,三面川では,川を豊かに,そしてその川の注ぐ海を豊かにすることを目指して,漁業者,住民,ボランティアが「さけの森林(もり)づくり」に力を尽くしているとのことです。戦後各地で荒れた川が水質良好な水をたたえて流れるようになっていくことはうれしいことです。今日,県内全域の川でサケの人工ふ化増殖の取組が盛んに行われており,多くの小学校で,漁業者の協力を得ながら稚魚の飼育や放流に取り組んでいると聞いています。小学生がこれらの経験を通して自分たちの住む地域の環境について考える機会を与えられることは意義深いことと思います。私も日光に疎開した小学生のとき,ヒメマスを,卵がふ化し稚魚が浮上するまで,飼ったことがあり,今も懐かしく思い起こすことがあります。

2度にわたる震災を乗り越え,新潟県で開催されるこの大会が,海や漁業への関心と理解を深め,人々が協力して豊かな海をつくっていくための契機となることを願い,大会に寄せる言葉といたします。

第63回国民体育大会開会式
平成20年9月27日(土)(大分スポーツ公園九州石油ドーム(大分県))

第63回国民体育大会が大分県で開催されるに当たり,全国から参加した選手,役員,並びに多くの県民と共に開会式に臨むことを誠に喜ばしく思います。

国民体育大会は,終戦の翌年,戦後の厳しい状況にもかかわらず,スポーツの復興を願う人々の熱意によって第1回大会が開催されて以来,スポーツの普及と振興に大きな役割を果たしてきました。一昨年の大会からは,これまで別々に開催されてきた夏季と秋季の大会が統合され,一つの大会として行われるようになりました。国民体育大会の望ましい在り方を求め,努力を重ねてきた関係者に深く敬意を表します。

前回,大分県で国民体育大会が開催されたのは,42年前の第21回大会でありました。私どもは皇太子,皇太子妃として,夏季大会と,秋季大会後に行われた全国身体障害者スポーツ大会に出席しました。この夏季大会は台風による雨の影響を受け,漕艇(そうてい)競技が延期されたり,プールの水温が下がるなど選手や関係者に苦労の多い大会だったと思います。また全国身体障害者スポーツ大会は,その前年より始められたので,まだ誕生間もない2回目の大会でありました。審判を始め,大会に協力した県の体育協会関係者には様々な苦労があったことと思いますが,皆一丸となってこの大会を支えたことが今もうれしく思い起こされます。今日,全国障害者スポーツ大会を始め,障害者のスポーツに多くの人々が関心を寄せ,盛んになってきていることに深い感慨を覚えます。

選手の皆さんには,日ごろ鍛えた力と技を十分に発揮されるとともに,お互いの友情と地元大分県民との交流を深められるよう願っております。

多くの県民に支えられて開催されるこの大会が,選手にとり,また,大分県民にとり,心に残る実り多いものになることを期待し,開会式に寄せる言葉といたします。

第170回国会開会式
平成20年9月29日(月)(国会議事堂)

本日,第170回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

「全国社会福祉協議会100周年記念 感謝の集い 記念式典」
平成20年10月6日(月)(新霞が関ビル)

全国から参加した福祉関係者と共に,全国社会福祉協議会の100周年を祝うことを,誠に喜ばしく思います。

今から100年前,全国社会福祉協議会の前身である中央慈善協会が設立された明治41年当時は,まだ福祉制度が十分に整備されておらず,強い使命感を持った民間の篤志家や宗教に携わる人々が,孤児や棄児の保護,犯罪少年の更生などの分野で活動を進め,次第に,貧民の救済や貧困防止などの分野にまで対象を(ひろ)げていった時期でありました。そうした志ある人々が,慈善事業の一層の発展を期して設立した中央慈善協会は,以来,福祉の現場実践を担う人々の結集の場となり,社会福祉制度の充実,実践の向上のための研究,提言,研修,さらには新たな立法化の運動などを進め,我が国の福祉の発展に大きな役割を果たしてきました。福祉に対する人々の関心がまだそれほど高くはなく,厳しい状況にあった時代に,恵まれない人々を支えるために,様々な活動を続けてきた先達(せんだつ)の苦労をしのび,ここに深く敬意を表します。

現在我が国の社会は高齢化が進み,様々な問題が生じています。昔と異なり,少ない人数で高齢者を始め,支援を必要とする人々を支えていかなければなりません。誠に厳しい状況にありますが,一方,近年災害時に多数のボランティアが救援活動に参加するなど社会の連帯感が深まり,人々の福祉への関心も高まってきていることを感じます。国民のこのような気持ちが更に高まり,社会的に機能し,人々が支え合い,協力し合って生きていく社会が築かれていくことを期待しております。

100周年に当たって開かれるこの集いが,過去を顧み,今後の社会福祉の在り方に思いを致す契機となることを願い,式典に寄せる言葉といたします。

第5回世界水産学会議記念式典
平成20年10月22日(水)(パシフィコ横浜)

この度,第5回世界水産学会議が,国の内外から多数の参加者を得て,横浜で開催されることを誠に喜ばしく思います。

世界水産学会議は,1992年に初めてギリシャで開催され,その後4年ごとにオーストラリア,中国,カナダと巡り,今回日本で開催されました。多くの我が国の研究者が,ここに集う世界の研究者と会議の席を共にし,研究について話し合う機会を持つことは,我が国の水産学の発展のためにも極めて意義深いことと思います。

人類は,古くから多くの水産生物を食料などに利用してきました。しかし近年,日本を始め各地で,乱獲や環境悪化の結果,水産生物資源の減少が顕著になってきております。戦後の我が国の発展において,工業生産は大きな役割を果たしましたが,その一方で,海の汚染や海産生物の繁殖場の喪失をもたらしました。水産生物の繁殖に重要な役割を担う我が国周辺の藻場の面積は,この30年で4割も減少し,我が国周辺の海の生産力は低下しました。このような海の環境を改善し,資源管理を十分に行い,水産生物を豊かにするために,今日水産学上の様々な研究が行われています。そして,その研究を基にした取組が行われていることは非常に心強いことです。我が国ではかつて,海岸沿いに魚付林として伐採を禁じられた森林が各地にありましたが,19世紀半ば以降その多くが伐採されてしまいました。しかし,近年水産学上の見地から森林の働きが見直されるようになり,河川の上流に漁業者が植林するようなことも行われています。

水産学が研究対象とする海は世界をつなげています。その海の環境を守り,水産生物を持続的に利用していくためには,世界の水産学者の国境を越えた協力が重要と思います。水産業に関係する様々な分野の英知が結集され,その成果が人類の幸せに資することを願い,記念式典に寄せる言葉といたします。

慶應義塾創立150年記念式典
平成20年11月8日(土)(慶應義塾大学日吉キャンパス)

慶應義塾創立150年に当たり,海外からの参列者を含む大勢の関係者と共に,この記念式典に臨むことを喜ばしく思います。

慶應義塾はその創立者,福沢諭吉が,今から150年前の安政5年,1858年に江戸に蘭学塾を開いたことに始まりますが,この蘭学塾が開かれた1858年は,日本にとっても誠に重大な年でありました。それまで日本は,ほぼ200年にわたり鎖国政策を続けていましたが,嘉永6年,1853年に来航した米国艦隊のペリー提督との交渉の結果,もはやその政策を維持することができなくなり,米,英,仏,露,蘭の5か国と修好通商条約を結び,開国に向かって歩み出しました。1858年は,これらの条約を調印した年でありましたが,開国支持者と,それに反対する勢力が争う中での,厳しい出発でありました。このような困難な状況の中で,世界の情勢と欧州の文物を,オランダ語を通して学んでいた人々が,開国した日本を支える上に,重要な役割を果たしました。申すまでもなく,福沢諭吉はその一人であり,著作を通じ,また慶應義塾の教育を通して,我が国の人々に大きな影響を与えました。そうした中,日本は修好通商条約調印から31年にして,大日本帝国憲法を発布し,翌年には,第1回帝国議会を開くまでに近代国家としての制度を整えるに至っています。長い平和な鎖国時代に国民が文化を享受し,国民の識字率も高い状態にあったとは申せ,このように短期間に国が発展した陰には,当時の志ある人々が,いかばかり努力をしたかとの思いを深くするのであります。

慶應義塾は,今日まで,福沢諭吉の教えである「独立自尊」の精神を基に,我が国の各分野において,国の発展と国民の幸せに貢献する多くの人々を育て,また,文化の向上に寄与するとともに,外国人留学生の受入れなど国際交流にも意を用いてきました。

今日,我が国は,幾多の課題に直面しており,また,国際社会において,日本が各国との協力の下に対処していかなければならない問題も少なくありません。このような状況下,教育が果たすべき役割は,誠に重要であり,今後も慶應義塾が,国の内外で活躍する人材を数多く育て,送り出すことを期待しています。

創立150年という,この喜ぶべき節目の年に当たり,慶應義塾と我が国の歴史を併せて顧み,塾の関係者が,これからの日々の歩みにおいても,教育に,研究に,更なる力を尽くされることを願い,私のお祝いの言葉といたします。

国賓 スペイン国王陛下及び王妃陛下のための宮中晩餐
平成20年11月10日(月)(宮殿)

初めに,昨日アフガニスタンで発生したテロ事件によって犠牲になられた貴国の兵士に対し,深く哀悼の意を表します。

この度,スペイン王国フアン・カルロス一世国王陛下が,ソフィア王妃陛下と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに,今夕を共に過ごしますことを,誠に喜ばしく思います。

国王王妃両陛下に初めて私どもがお会いしたのは,1962年,両陛下が御成婚後間もなく我が国をお訪ねになったときのことであり,両陛下も私どももまだ20代のころでありました。その後,両陛下は御即位前に2回,御即位後に3回我が国にいらっしゃり,一方,私はまだ独身であった1953年,貴国を訪問したのを始めとし,結婚後は二人して即位前に2回,即位後に1回貴国を訪問しております。したがって両陛下も私どももそれぞれの訪問は短期間のことでありましたが,お互いの国の発展を,永年にわたって見続けてきたことになります。

私の最初の貴国訪問は,終戦後日本と連合国との間に結ばれた平和条約が発効した翌年のことで,我が国が先の戦争で大きな痛手を受けたように,貴国も内戦による痛手を受け,貴国の人々の生活も当時の日本の生活に近い厳しい状況にあることを感じました。しかしそのような状況にあっても,人々は明るく,また多くの出会った人々が,日本への親しみを表してくれたことが印象に残っております。

私が2度目に,そして皇后が最初に貴国を訪問したのは,1973年のことです。その前年,両陛下が公賓として我が国を御訪問になったことにこたえての訪問でした。マドリードにおいてフランコ総統を始め,多くの人々から温かく迎えられましたが,特に両陛下にはビルバオやセビリアにも御同行頂き,心のこもったおもてなしを頂きました。南部のセビリアの晩餐会では,日本人の踊り手も含むフラメンコダンスを鑑賞し,その後は,お二方と4人して深夜の街をゆっくり歩いたことが,懐かしい記憶として残っています。また北部のサンティリャーナ・デル・マールに宿泊した機会には,私の少年時代から耳に親しんできたアルタミラの洞窟(どうくつ)をも訪れることができました。フェリペ二世によって建てられたエル・エスコリアルでは,そのころ九州にあったセミナリオで印刷された和漢朗詠集を見ることができ,両国の交流の跡をしのびました。この訪問は,この外にもトレド,サンタンデール,グラナダ,コルドバへの訪問を含み,貴国の様々な歴史に触れた旅でした。

私どもは,陛下が国王として即位なさった後の1985年と1994年に,貴国を再び訪問いたしました。陛下御即位後の貴国に訪問の一歩を記し,まず感じましたことは,貴国が民主社会の建設に向かって,大きく歩み始めていることでした。このことに深い感銘を受けたことが,今も鮮やかに思い起こされます。今日,貴国は安定した民主国家として発展しておりますが,その陰には,陛下の計り知れぬ御努力があったことと思います。中でも,陛下の果断な対処により,軍の反乱が無血に鎮圧されたときのことは,私どもの心に強く残るものでありました。

今日,国際社会において,そして欧州連合の中で重要な地位を占めている貴国と,我が国との間で,貿易や投資,観光,文化,国際協力など様々な分野で友好・協力関係が発展していることを,誠に喜ばしく思います。今後とも両国の関係が,様々な分野における人と人との交流を通じて,より一層緊密になり,両国国民の相互理解が更に深まることを希望いたします。

この度,両陛下は,御新婚後の御訪問の際にいらっしゃった京都を,再び御訪問になる予定と伺っております。私どもも,源氏物語千年紀記念式典に出席のため,この月の初めには京都におりました。丁度紅葉が始まるところでした。両陛下がいらっしゃるころには紅葉も美しくなり,お楽しみ頂けることと期待しております。この度の両陛下の我が国御訪問がお楽しく,実り多いものとなりますよう,心から願っております。

ここに杯を挙げて,国王王妃両陛下の御健勝と,スペイン国民の幸せを祈ります。

スペイン国王陛下のご答辞

第24回国際生物学賞授賞式
平成20年12月8日(月)(日本学士院会館)

ジョージ・デイビッド・ティルマン博士が第24回国際生物学賞を受賞されたことを心からお祝いいたします。

博士は,草原での大規模な実験を通じて,競争がありつつも多様な植物が共存する生態原理を解明され,多様な植物の種類が含まれる草原の生態系は,少数の種類しか含まない生態系に比べて,生産性が高いだけでなく,旱魃(かんばつ)などの環境変動に対しても強く,安定していることを示されました。博士のこの御研究はこの分野での基礎研究の発展に大きく貢献したと聞いております。

また,博士は,持続可能な農業のあり方やバイオ燃料の生産についても,示唆に富んだ提案をされておりますが,今後,環境問題に取り組む上で,博士の御研究の意義は,ますます高まるものと思います。

博士が今後ともお元気に研究生活を送られ,生物学の一層の進展に寄与されるよう,またその研究成果が広く社会に活用されることを期待し,お祝いの言葉といたします。