「プリンセス・マサコ」(ベン・ヒルズ)に関する宮内庁書簡(日本語仮訳)

2007年2月1日

ベン・ヒルズ氏へ

貴著「雅子妃ー菊の玉座の囚人」について,この書簡を送ります。

長年皇室報道を専門としてきた或る老練な新聞記者が,この本を読んで,「各ページに間違いがあるのではないかというくらい」不正確な箇所が目につくと書いています。また,より実質内容に関わる観点から,政府は,この本の描いている皇室像が如何に歪んだものであるかに驚き,対応ぶりを検討しています。その間,ここでは,天皇皇后両陛下の側近にお仕えしている立場から,両陛下に直接関わり,しかも明らかに事実と異なる一つの箇所に絞って,問題を提起します。

この本の第7章で,貴方は,「天皇には,年間に千件以上・・の公務があるといわれるが,いずれも,・・当たり障りのない行事への,負担のない形式的な出席ばかりである」と述べた上で,「日本の皇室が,ダイアナ妃による・・レプロシー・ミッション・・への支援のような論議を呼ぶ事柄に関わりをもつことはありえない」と断定しています。

ここで貴方は,両陛下が,40年にわたってレプロシー,すなわちハンセン病の問題に大きく関与してこられたことを全く無視しています。日本には,全国各地に13箇所の国立ハンセン病療養所があります。両陛下は,1968年,皇太子皇太子妃の時代に,鹿児島県の奄美大島にある療養所をお訪ねになって以来,2005年までの間に,これらの国立ハンセン病療養所のうち青森,群馬,東京,岡山(2箇所),鹿児島(2箇所)および沖縄(2箇所)の各都県にある9箇所を訪ねてこられました。

これらの療養所のご訪問に当たっては,入所者と膝をつき合わせ,手を握って,病いと差別,偏見に苦しんできたその人々の苦しみを分かち合い,慰められるとともに,園長,医師,看護師など入所者の世話をしている人々の労をねぎらってこられました。

1975年に沖縄県の療養所の一つをお訪ねになった時には,入所者が,御訪問を終えられてお帰りになる両陛下を,沖縄の伝統的な別れの歌を歌ってお送りし,また,後に,感謝の意をこめた詩をお送りしました。これに対し,天皇陛下は,沖縄特有の定型詩を詠んで,この人々の気持ちにお応えになっています(陛下は,さきの大戦で唯一地上戦が行われ,その後1972年まで米国の施政権のもとに置かれることとなった沖縄の人々の苦難を理解する一助として,沖縄の古典文学を学ばれました)。2004年,両陛下は香川県の高松市をお訪ねになりましたが,その折,市の沖合にある小さな島の療養所から入所者が来て,両陛下にお目にかかっています。また,翌2005年の岡山県ご訪問の際は,ほぼ一日をかけて,島にある隣接した二つの療養所をそれぞれお訪ねになりました。

これまで入所者にお会いになることができなかった3箇所の療養所については,皇后陛下が,それぞれの園長をお招きになって,現状をお聞きになっています。また,皇后陛下は,政府の委託によって過去の日本政府のハンセン病患者隔離政策を批判的に検証した2005年の報告書が出版された際には,関係者をお招きになって,説明を聴取しておられます。

両陛下のこれらの活動は,常に静かに行われてきましたが,両陛下とハンセン病問題に関わる以上の事実は,全て報道され,記録されており,初歩的な調査によって,容易に知りうることであります。

また,天皇の公務は,「当たり障りのない行事への,負担のない形式的な出席ばかりである」というのが貴方の見解でありますが,例えば,1975年に皇太子同妃として沖縄を訪問された時には,ご訪問に反対した過激派が至近距離から火炎瓶を投げつけたにもかかわらず,全く予定を変更することなく訪問を続けられました。1995年,戦後最悪の自然災害となった阪神・淡路大震災が発生した際には,被災地に飛ばれ,本土と淡路島の双方にわたって,被災者の避難した小学校の体育館などを回ってその人々と一日を過ごされました。1994年,終戦50年に先立ち,両陛下は,硫黄島に赴かれ,日米双方の戦死者のために祈られました。2005年には,終戦60年に当たり,さきの大戦で激しい戦闘の行われたサイパン島を訪問され,炎天下,島内の日米韓各国民と現地島民の戦没者のための慰霊碑や大勢の婦女子が戦争の末期に身を投げた崖などで心をこめた祈りを捧げられました。

両陛下は,社会福祉の分野全般にわたって,この47年,困難を抱えた人々をたゆみなく励まし,慰めてこられました。これまでに,全都道府県の400箇所を超える福祉施設(知的障害者,身体障害者,高齢者,幼児などのための施設)を訪ねられ,外国においても,英国のストークマンデヴィル身体障害者スポーツ・センター(1976),いくつもの福祉施設が集まり,人々がナチス時代にも障害者たちを護り通したドイツの町ベーテル(1993),米国のナショナル障害者サーヴィス・センター(1994)など様々な福祉施設をたずねてこられています。貴方の母国オーストラリアでは,皇后陛下が,パース・リハビリティション病院(1973)を訪ねておられます。

貴方は,両陛下のなさっていることが,無意味で形式的なことばかりであると示唆しているように見えますが,仮に,そうであるとするならば,何故,世論調査で,現在の形の皇室に対して,常に75パーセントを超える支持があるのでしょうか。また,何故,両陛下が地方に旅行される度に,何万という人々が両陛下を歓迎するために喜んで沿道に出てくるのでしょうか。

以上の諸点について,著者はどのように考えるのか,少なくも,事実関係のはっきりしている皇室のハンセン病への関与に関して,回答を求めたいと思います。

侍従長 渡辺 允