秋篠宮皇嗣同妃両殿下 ベトナムご訪問時のおことば(一覧)

ベトナム

令和5年9月21日(木)
スアン国家副主席主催午餐会(迎賓館)

スアン国家副主席閣下、ご列席の皆様

このたび、日本とベトナムが外交関係を樹立してから50年という節目の年にあたり、ベトナム社会主義共和国からのお招きで、貴国を訪問できましたことを大変嬉しく思います。そして本日、スアン国家副主席閣下には、私たちのために、このような午餐会を催していただき、深く感謝申し上げます。

また、この機会に、2009年の当時の皇太子殿下、2017年の当時の天皇皇后両陛下、そして私たちが以前にこの地を訪れました時に、貴国の皆様から受けた温かい歓迎と様々なお心遣いをいただいたことに対して厚く御礼申し上げます。

今日の両国の友好関係は、千年を超える長い交流の歴史の中で培われてまいりました。遡ること8世紀には、当時我が国の都であった奈良で盧舎那仏開眼の法要が行われ、現在のベトナム中部にあったチャンパ王国の僧侶ぶってつによって舞が奉納されたと伝えられております。その時の音楽、林邑楽は、我が国の雅楽の楽曲として現在でも演奏されております。

また、16世紀から17世紀にかけて、国際貿易港として栄えたベトナム中部に位置するホイアンに、我が国から多くの交易船が訪れ、日本町が作られました。

そして、20世紀初頭には、「東遊ドンズー運動」の下、最盛期には約200名に及ぶ貴国の青年たちが我が国に留学していたこともありました。今回の訪問では、ホイアンを訪れるとともに、その当時のベトナムのゴック・ホア王女と日本人商人荒木宗太郎の物語を描いたオペラ「アニオー姫」を鑑賞する予定です。

今日、両国の友好関係は、新たな50年に向けて動き出しています。

日本には、約50万人のベトナムの人々が暮らしており、特に留学生、介護福祉士、コンピュータ技師など、若い世代の人たちが大半を占めています。いっぽう、貴国で活動する日本人や日本企業の数も増えてきているとともに、日本人にとってベトナムは、魅力的な観光地になっています。我が国にとって貴国は身近な国であるとともに、共に歩むパートナーとなっていると申せましょう。

今回の訪問では、先人達が築いてきた日本とベトナムの交流の歩みに思いを馳せるとともに、これからの50年を担う人々と接し、改めて両国関係についての理解を深める機会にしたいと思います。

ここに、スアン国家副主席閣下とご列席の皆様のご健勝、ならびにベトナム社会主義共和国と貴国国民のますますのご繁栄、そして日越両国間の友好親善が一層発展することを祈念し、ここに杯をあげたいと思います。

令和5年9月21日(木)
日越外交関係樹立50周年記念式典(ICC)

マイ越日友好議員連盟会長、ルア越日友好協会会長、クアン副首相、ご列席の皆様

日本とベトナムの外交関係樹立50周年という記念すべき年に、ベトナム社会主義共和国のご招待により、妻と共に貴国を再訪することができましたことを誠に喜ばしく思います。

また、只今は、ルア会長から丁重な歓迎のお言葉をいただき、心から感謝申し上げます。そして、本日の「日越外交関係樹立50周年記念式典」を皆さまと共に、このように盛大にお祝いできますことは、私たちにとって誠に嬉しいことでございます。

またかつて、現在の天皇陛下、上皇上皇后両陛下、そして私たちが貴国を訪問した際には、貴国の方々は大変温かく迎えてくださいました。そのことに対し、厚く御礼申し上げます。

今日の両国の友好関係は、千年以上の長い交流の歴史の中で培われてきました。8世紀に現在のベトナム中部にあったチャンパ王国から渡来した僧侶のぶってつは、当時我が国の都であった奈良で盧舎那仏の開眼法要が執り行われた際、舞楽を奉納するとともに、チャンパの舞や音楽を日本の楽師たちに教えたと伝えられております。その時の音楽、「林邑楽」は、我が国の雅楽の楽曲として現在でも演奏されています。

また、16世紀から17世紀にかけての朱印船貿易の時代、国際貿易港として栄えたホイアンに、我が国から多くの交易船が訪れ、フェイフォに日本町が作られました。

今回の訪問では、そのホイアンを訪問いたしますが、17世紀当時に交易を行っていた日本人商人の荒木宗太郎と結婚し、日本の長崎でその生涯を過ごしたベトナムの王女ゴック・ホア姫の物語を描いたオペラ「アニオー姫」の初演を鑑賞する予定です。

その後、日本が鎖国をしたことで、日越の交流が途絶えていましたが、20世紀の初頭には、「東遊ドンズー運動」の下、最盛期には約200名に及ぶ貴国の青年たちが我が国に留学していたこともありました。

これらの歴史に思いを馳せながら、日本とベトナムとの交流の歩みに触れることができればと思っております。

1973年に日越両国の外交関係が樹立されてから50年が経ちました。その間、両国の交流はますます盛んになり、現在、我が国には、約50万人のベトナムの人々が暮らし、様々な分野で活躍されています。特に近年、留学生をはじめとして両国の若い世代の交流が活発になっていることを大変喜ばしく思います。

貴国滞在中には、元日本留学生や元技術者、「アンダー40」と呼ばれる両国の架け橋として活躍している若い世代、そして日越大学の学生とお話する機会を持つことになっており、楽しみにしております。

加えて近年、地方間の交流も大変盛んになっており、両国の各地において、日越それぞれの文化を紹介する催しが開催され、お互いの食文化や音楽などを多くの人々が楽しんでいることを嬉しく思っております。日越両国の交流は、年月の経過とともに着実に進展し、一層幅広く、経済、農業、環境など、多様な分野においても協力関係が深まっております。

本日、先の大戦終結後貴国に残り、フランスとの第1次インドシナ戦争で共に戦うなどした元残留日本兵のご家族にお目にかかりました。ベトナムが独立をした後、勧告によって帰国せざるをえなかった元残留日本兵のご家族は、多くの苦労をしてこられたと聞いております。しかし、そのような中にも、元日本兵がベトナムで築いた家族と日本への帰国後に築いた家族との間で、今でも交流が続いている方がおられることを伺い、深い感慨を覚えました。

このように、両国の友好関係は、長い歴史の中で、両国国民の不断の努力によって紡がれてきたものと考えます。このたびの私どもの訪問が、両国国民の相互理解と友好の絆をさらに深める一助になれば幸いです。

おわりにマイ越日友好議員連盟会長、ルア会長、クアン副首相、ならびにご列席の皆様のご健勝、そして日越友好関係のますますの発展を祈念し、本式典に寄せる言葉といたします。

令和5年9月22日(金)
トゥオン国家主席主催午餐会(国家主席府)

ヴォー・ヴァン・トゥオン国家主席閣下、同令夫人、ご列席の皆様

このたび、日本とベトナムの外交関係樹立50周年という記念の年にあたり、ベトナム社会主義共和国からのお招きで、貴国を訪問できましたことを大変嬉しく思います。そして本日、トゥオン国家主席閣下には、私どものために、このような午餐会を催していただき、深く感謝申し上げます。

また、2009年の当時の皇太子殿下と2017年の当時の天皇皇后両陛下のご訪問、そして以前に私どもがベトナムを訪問した際、貴国の皆様からは、温かい歓迎と様々なお心遣いをいただきました。この機会に厚く御礼申し上げます。

私自身、今回のベトナム訪問は3回目となります。前回訪問した約10年前から変わらぬ活気溢れる街の風景に懐かしさを覚えるとともに、商業施設が建ち並び、オートバイに加えて以前にも増して多くの自動車が行き交う様子に、貴国の目覚ましい発展ぶりを感じました。

両国は外交関係樹立から50年を迎え、あらゆる分野で良好な関係を築いております。特に、約50万人のベトナムの人々が、留学生や技術者などとして日本で暮らしており、様々な形で我が国の経済社会を支えてくれています。

それとともに、ベトナムはグローバルなサプライチェーンの中心としての役割を強めており、この地で活動する日本人や日本企業の数も増加しております。

一昨日、在留邦人と面会いたしましたが、貴国の人々と手を携えながら、地域に溶け込んでいる様子を知り、両国国民の交流が更に深まっていることを実感いたしました。

現在に至るまで続く、両国の友好関係の礎は、古くからお互いが尊敬し合い、たゆむことなく交流を続けてきたことによるものと思います。外交関係樹立50周年を迎えた今日、この友好関係は着実に次世代に引き継がれております。

本日午後には、「アンダー40」と呼ばれる両国で活躍する方々とお会いする予定にしています。若い世代の人たちが、お互いの国の慣習や文化に触れ、それらを尊重しながら、両国の発展のために尽力していると聞いており、お話をすることを楽しみにしております。

トゥオン国家主席閣下におかれては、かつて訪日青年団のリーダーとして、日本各地を訪問されたご経験がおありと伺っております。今後、閣下をはじめとする、若い世代の人々によって、両国の友好関係がますます発展することを期待しております。

ここに、トゥオン国家主席閣下、令夫人、ご列席の皆様のご健勝、ならびにベトナム社会主義共和国と貴国国民のますますのご繁栄、そして日越両国間の友好親善が一層発展することを祈念し、杯をあげたいと思います。

令和5年9月23日(土)
クオン・クアンナム省党委書記主催晩餐会(ホテル・ロイヤルホイアン)

ファン・ヴィエット・クオン・クアンナム省党委書記、同令夫人、ご列席の皆様

このたび、日本とベトナム外交関係樹立50周年という節目の年にあたり貴国を再訪し、ここホイアンを訪れることができましたことを誠に嬉しく思います。また、クオン・クアンナム省党委書記には、私たちのために、このような晩餐会を催していただき、心より感謝いたします。

私自身、今回のベトナム訪問は3回目になりますが、ホイアンには初めて参りました。

ここホイアンには、両国の友好関係の長い歴史が刻まれていると承知しております。16世紀から17世紀にかけて、国際貿易港として栄え、我が国から多くの交易船が訪れ、フェイフォには日本町が作られました。先ほど、ホイアン旧市街にて、御朱印船や日本橋を見学し、日本とベトナムの交流の歩みの一端に触れることができました。

この時代に関連して、昨夜、私たちは、当地が舞台である、17世紀の貴国のゴック・ホア王女とその夫となった日本人商人の荒木宗太郎の物語を描いたオペラ「アニオー姫」を鑑賞しました。そのゴック・ホア王女は、日本の長崎に渡り、生涯をそこで過ごし、市内の大音寺で夫とともに眠っています。そして、この二人のことは、我が国の重要無形民俗文化財指定の「長崎くんち」に7年に1度表され、「アニオーさん」と呼ばれ、今でも人々に親しまれております。

遡ること8世紀以来、ベトナムと日本は長い歴史の中で交流を深めてまいりました。その歴史を礎として、現在では、約50万人のベトナムの人々が日本に在住し、様々な形で我が国の経済社会を支えてくれています。また、クアンナム省では2003年以降19回にわたり、ホイアン旧市街で「ホイアン日本祭り」が行われてきており、本年も8月に開催され、大盛況であったと聞きました。

こうしていにしえから続く日本とベトナム間の交流が次世代にも引き継がれていることは喜ばしく、両国の友好関係がますます発展していくことを切に願っております。

おわりに、今回の私たちのクアンナム省訪問に際し、ご尽力くださったクオン党委書記、同令夫人を始め、関係の皆様に心より感謝いたしますとともに、ご列席の皆様のご健勝と日越関係の一層の発展を祈念いたします。

令和5年9月24日(日)
クアン・ダナン市党委書記主催晩餐会(フラマリゾート)

グエン・ヴァン・クアン・ダナン市党委書記、ご列席の皆様

このたび、日本とベトナム外交関係樹立50周年という節目の年にあたり、貴国を再訪し、ここダナン市を訪れることができましたことを大変嬉しく思います。また、クアン・ダナン市党委書記には、私たちのために、このような午餐会を催していただき、深く感謝いたします。

私自身、今回のベトナム訪問は3回目となりますが、ダナン市を訪れるのは初めてです。昨日、当地に到着してから、ダナンの街並み、美しいビーチに加え、ホイアンやミーソン遺跡を見学いたしました。

チャンパ王国の8世紀の時代にあった日本とベトナムとの交流史に思いを馳せるとともに、世界遺産に指定されているレンガ造りの遺跡では、どのようにしてレンガを接着しているのかなど、興味が尽きませんでした。そのようなことからも、改めてダナンの魅力を強く実感いたしました。

ダナンは日本人にも人気のリゾート地であり、当地を訪問する日本人観光客数が着実に増加し、コロナ禍前の2019年には18万人を超えたと承知しております。そして本年3月には、日本と当地を繋ぐ直行便が再開され、日本からの訪問者数は再び増加傾向にあるとのことです。

また、2022年1月には、在ダナン総領事館が開設され、地元ダナン市を始め近隣のクアンナム省やトゥアティエン・フエ省などとの連携も深まってきていると聞いております。当地では、2014年以降8回にわたって「ダナン市日越文化交流フェスティバル」が開催されております。このような催しを通じ、人と人との交流と両国の友好関係がますます発展していくことを心より願っております。

おわりに、今回の私たちのダナン市訪問に際し、ご尽力いただいたクアン党委書記を始め、関係の皆様に心より感謝いたしますとともに、ご列席の皆様のご健勝と日越関係の一層の発展を祈念いたします。

秋篠宮皇嗣同妃両殿下のご印象

令和5年9月29日(金)
ベトナムご訪問を終えて

日本とベトナム社会主義共和国の外交関係樹立から50年という年にあたり、ベトナム国からお招きをいただき、同国を訪問できましたことは、私たちにとって誠に嬉しいことで、深く感謝しております。

今回の訪問においては、トゥオン国家主席閣下を表敬するとともに、催して下さった午餐会では、同国家主席閣下ご夫妻と親しくお話しをする機会をいただきました。また、スアン国家副主席閣下を表敬した際には、歓迎行事とそれに続く懇談をした後に、徒歩で200メートルほど離れたホーチミンの家をご案内下さいました。そして、催して下さった午餐会では、国家主席閣下の時と同様、日越関係・交流についてのことや、それぞれの国の文化についてお話しをすることができました。

国家副主席とお目にかかった夜には、主要行事である「日越外交関係50周年記念式典」が開催されました。多くの人たちが出席し、改めて両国の親しい関係が表れた一夜だったと思います。幾人かの挨拶がありましたが、ベトナム側代表者であるマイ越日友好議員連盟会長が、上皇陛下の御製を紹介したのは印象的でした。

この記念の年に関連する主要行事のひとつとして、ハノイにてオペラ「アニオー姫」の初演がありました。このオペラは、日越両国のアーティストや研究者、そして在ベトナム日本大使館が協力して、17世紀にあった史実に基づいて作られたものです。場面場面によって、ベトナム語と日本語の両方の言葉が用いられていましたが、6声あるベトナム語については、声調を変えず、かつ美しい響きになるように曲が作られたと聞き、大変な労を費やしたのではないかと推察しました。また、このオペラを観賞することで、当時の歴史の一幕も知ることができる作品だと感じました。

今日、両国の友好関係は、新たな50年に向けて動き出しています。そうしたこともあり、次の世代を担う人たちとも懇談する機会を持つことができるようにしました。例えば、「アンダー40」と呼ばれる日越両国の人たち、元技能実習生、元留学生、日越大学の学生から、仕事や取り組んでいる活動などについての話を聞きました。さらに年齢が下がりますが、ハノイ日本人学校では、生徒・児童たちと会い、その折りには、現在ベトナムにいるからこそ経験できることがあるとの話を聞きました。こうしてベトナムで暮らす子どもたちが、将来的に両国の架け橋になってくれることを願っております。

また、元残留日本兵のご家族(子と孫)と懇談をする機会がありました。先の大戦後、700人から800人とも言われる日本兵がベトナムに残り、第一次インドシナ戦争を共に戦いました。そして、当地で家庭を築きました。しかし、ベトナムが独立をした後、残留日本兵たちは、勧告によって日本へ帰国をせざるを得ない状況になりました。このようにして、別れ別れになった家族は、その後多くの労苦をすることになりましたが、その中には再び交流が行われるようになった人たちや、双方で新たに築いた家族同士の交流をしている人たちもいると聞きました。その方たちのことは、現在の上皇上皇后両陛下が訪越された折に会っておられますし、書かれたものでは知っておりましたが、実際にお話しをすることで、現在の状況の一端を知ることができました。

ハノイにおいては、私たち二人がそれぞれ訪れてみたい場所やこの機会に会ってお話しをしたい方がいました。以下に簡単にその時のことを記します。

 文仁:

3回目になりますが、自然科学大学生物学博物館を訪ねました。自然史系の大学博物館は、その国のさまざまな生き物の標本を蒐集・保存し将来へと継承するとともに、研究や学生が実習する大変大切な場所になります。私自身、ベトナムの動物相にも関心があることから、今回も訪ねました。円口類から霊長類まで様々な動物が展示されていましたが、それらの標本群展示の中には、皇太子時代の上皇陛下が、1976年に新種記載をされたハゼのパラタイプ標本が今も変わらず展示されておりました。この場所において、大切に保管・展示され、来訪する人が誰でも見ることができることを嬉しく思いました。

 紀子:

ハノイ滞在の最終日には、耳が聞こえない人が働いている企業「キムヴィエット」を訪れました。作業場では、生地の色遣いと模様の組み合わせが美しく、デザイン性の高い動物等の縫いぐるみを製造する過程に見入り、カフェでは、ベトナムの手話を教えてもらいながら飲み物を注文したり、一緒にベトナムの手話と日本の手話を使いながら交流できたりしたことも良き思い出でした。

続いて、宿舎において絵本に関する懇談の機会があり、上皇后様がベトナムを訪問されたときにお会いになった関係者から、活動のお話を伺うことができました。これまで日本の絵本を翻訳し出版した本を、ベトナムの病院などにいる子どもたちに届けるなど、さまざまな活動をしながら、今年から子どもたちの読み聞かせの研修を行って、子どもと本を結びつける活動を更に広げていきたいとの強いお気持ちにふれることができました。

今次訪問中には、ハノイの他に中部のダナンとホイアンを初めて訪れました。ダナンは、ベトナムで3番目に人口が多い都市で日本の企業も進出しています。それら企業の方々やJICA海外協力隊の隊員、教育に従事している方々と懇談をして、この地の様子を伺うことができました。また文仁は、済生会の総裁をしていることから、同会が創立100周年の一環事業として始めた「ダナンがん病院」の医師の研修受け入れに参加した医療従事者と懇談をしました。

ホイアンへの訪問は、17世紀を最盛期として、かつての朱印船貿易の拠点となり、多くの日本人が居住した「日本町」があったとされる旧市街の「日越文化空間」を訪ねることにありました。この場所で見た、長崎県より寄贈された御朱印船に、遠くからはるばる当地に来た日本人の商人たちの活躍に思いを馳せました。

また、有名な色とりどりのランタンが飾られるホイアン旧市街地を歩き、「日本文化の家」に着きました。訪ねてきた人たちにベトナムの人たちが折り紙や茶道、書道を紹介している様子を見ることができ、また長崎県や堺市などにゆかりのある展示もあり、日本とのつながりをとても大切にしていることが感じられました。

そして、ホイアンの名所でもある「日本橋(来遠橋)」は現在修復中で、JICAが技術支援を行っています。17世紀に日本町の日本人が建てたとされており、その当時の建築材が出土しているそうです。現在見ることができるものは、その当時のものではないと言われていますが、この橋が造られた当初は、どのような形の橋だったのかを想像しながら、いつの日かこの橋を渡ってみたく思いました。

日が暮れ、月夜に照らされたホイアンの夜景は大層美しく、アニオー姫の名前であるゴック・ホア王女通りを、灯がついたランタンや精霊流しを見ながら歩きました。

滞在の最終日には、4世紀から13世紀にこの地を治めていたチャム族の国チャンパ(林邑国)のミーソン遺跡を見学しました。いろいろな所で遺跡見学をすることは、私たちの楽しみでもありますので、今回行ってみたい場所の一つでした。

レンガを主材料として、その一部が砂岩で造られている赤い色をした祠堂は美しく、内部はレンガを僅かにずらしつつ積み上げていく技法が用いられていました。とくに、これら隙間がほとんどないレンガをどのように接着をしたのかについては、大いに興味をそそられました。

今回、5泊の滞在でしたが、その間にハノイとダナン、ホイアンを訪れ、いくつもの日本とゆかりのある場所を視察することができました。また、さまざまな立場で両国関係に尽力をしている方たちとも交流することができ、私たちにとって有意義な旅になりました。

今次訪問に当たっては、国家主席閣下ご夫妻、国家副主席閣下、そしてさまざまな関係者から大変ご丁寧にお迎えいただくとともに、行く先々で多くの人たちに温かく迎えていただき有り難いことでした。私たちの訪問に際し、力を尽くしてくださり、心を寄せてくださった多くの方々に感謝の意を表します。この50周年を里程標として、日本とベトナムとの友好親善関係がさらに深まることを心から祈念しております。