文仁親王同妃両殿下 クロアチア,スロバキア及びスロベニアご訪問を終えられてのご印象

文仁親王同妃両殿下 クロアチア,スロバキア及びスロベニアご訪問を終えられてのご印象

(平成25年6月29日)
クロアチア,スロバキア及びスロベニア訪問を終えて

今年,外交関係樹立20周年を迎えたクロアチアとスロバキア,ならびに昨年外交関係樹立20周年を迎えたスロベニアの3カ国に,各国大統領のご招待により訪問できましたことを誠に嬉しく思います。それぞれの国の大統領を始めとする関係者には,大変温かく迎えていただくとともに,種々のご配慮をいただきましたことに感謝申し上げます。

このたびの訪問中には,3カ国それぞれの国において,外交関係樹立20周年の記念行事が行われ,クロアチアとスロバキアの両国においては大統領が共催して下さいました。そして,音楽の演奏や民族舞踊などが大変よい雰囲気のなかで執り行われたことは,誠に喜ばしいことでした。

クロアチアにおいては,首都のザグレブの他にいくつかの地域を訪れました。16の湖とそれを繋ぐ滝の景観が美しいプリトヴィッツェ湖群国立公園では,散策をしながら様々な色合いをもつ湖面の美しさを堪能することができました。また,クロアチア特有のナイーブ・アートには,農村の生活ぶりなどが描かれており,その素朴な画風が魅力につながっているように思いました。また,このナイーブ・アートとともに,伝統的な手工芸品を紹介している施設も見学しましたが,絵画や手工芸品を通して,昔の農村の様子を推察する機会にもなりました。

農村に関連しますが,七面鳥農家を訪問しました。七面鳥はアメリカ大陸の原産であり,欧州には移入されたものですが,この地で飼養されている品種は,改良をそれほど加えておらず,16世紀に導入された時の形質を保持しているそうです。欧州では経済性のみにこだわらず,古くからある家畜品種を残していくことを大切にしていますが,この地の七面鳥にもその姿勢を見ることができました。

かつて海洋貿易によって繁栄したドゥブロヴニクでは,中世に築かれた街中,そして城壁を歩きましたが,そこから見渡せるアドリア海,行き交う遊覧船や人の多さから,現在の観光地としての姿とともに,重厚な雰囲気を醸す城壁(要塞)に囲まれた街の光景に歴史を感じました。そして,早い時期から上下水道が整備され,薬局や孤児院が建てられ,往時の状況に思いを馳せました。

来月からEUの一員となるクロアチアは,活気にあふれた印象を受けました。そのいっぽう,旧ユーゴ紛争時に甚大な被害を受けたオトチャッツにある老人ホームにおいて,かつての紛争を経験された入居者に会いましたが,住み慣れた土地を離れ,大きな悲しみを抱きつつ過ごしているという話を聞きました。また,この地域には,いまだに多くの地雷が残っており,撤去の作業が今後も長く続くものであることを知り,改めて平和の大切さを実感しました。

また,東日本大震災後に被害を受けた日本人が速やかに健康を回復することを願いながら千羽鶴を折ってくれた児童たちが通う小学校を訪問しました。両国は地理的に遠く離れていますが,このように子どもたちをはじめ,素晴らしい歌声を披露してくれた合唱団員など,訪問中に出会った人々から,震災で被害を受けた人々のことを深く案じ,それぞれの立場で心から支援していきたい気持ちが強く感じられ,嬉しく思いました。

2つ目の訪問国となったスロバキアにおいては,最初に冷戦時代の犠牲者の慰霊碑(自由の門)に献花をしました。川を挟んですぐ対岸はオーストリアになり,現在では平和な風景が広がっています。この場所が冷戦時代には東側ブロックの最前線であり,オーストリアへと川を渡って亡命を図る人たちが多数狙撃されたこと,また,この碑の建立を提唱し自身も長い年月にわたって刑を科せられた人の説明から,自由の大切さとそのような歴史があったことを記憶にとどめることの重要性を改めて認識しました。

首都のブラチスラバの他に東スロバキア地方を訪れる機会に恵まれました。当地では,タトラ国立公園内にあるシトゥルプスケー山湖の畔から美しいタトラ山地を眺望するとともに,植物園において数々の固有種を実見しました。また,ユネスコの無形文化遺産に登録されている楽器,フヤラの工房を見学することを通して,改めてその楽器の有する音色の多様性について理解を深めることができました。

伝統楽器との関連で言えば,フヤラやツインバルなどの演奏に合わせて,スロバキアの民族舞踊「ルチニツァ」の舞台を初めて鑑賞しました。躍動感あふれる踊りと音楽は素晴らしく,日本でも幾度か公演をし,東日本大震災の被災地においても上演をしてくれたと聞きました。

さらに,スロバキアの中でもワインを最も多く生産している小カルパチア地方を訪ねることもできました。醸造所にて葡萄の種類や醸造過程についての話を聞きましたが,この地域の土壌には,砂と礫が適度に混ざっており,葡萄の生育に適しているとの説明が特に印象に残りました。

また,約20年前に日本学科が開設されたコメニウス大学において,日本について学んでいる学生たちから,同大学における日本語教育や日本へ留学した学生の体験談のプレゼンテーションがありました。その機会に,どのような分野に関心があるのかを聞いてみると,歴史,書道,ポップカルチャー,妖怪など,相当多岐にわたっており,今後日本とスロバキアを繋ぐ人たちが育ってきていることを実感いたしました。

最後に訪問したスロベニアにおいては,大統領とそのパートナーの方にご案内いただいて,リュブリャナ市内にある大聖堂や小高い丘の上にある城跡などを興味深く見て廻ることができました。また,同日の夜には,同国における最も大きな芸術の祭典であるリュブリャナ・フェスティバルの開会式にもお招きをいただきました。これは,偶然にも私たちの滞在中に行われた催しでした。大統領とそのパートナーの方,同じく滞在されていた英国のウェセックス伯爵殿下ご夫妻とともに,素晴らしい夜の一時を過ごすことができました。

スロベニアにおいても,スロバキアと同様に日本学科を設置しているリュブリャナ大学を訪れ,学部生,院生,そして卒業生たちと交流をしました。リュブリャナ大学でもスロバキアのコメニウス大学同様,学生たちの関心が単に日本語のみではなく,社会学や音声学など多岐にわたっていることに感心いたしました。

ポストイナの鍾乳洞は,欧州でも最大規模の鍾乳洞ですが,鍾乳石や石筍など自然によって作り出されたフォルムの素晴らしさは想像以上のものがありました。また,洞内に生息するホライモリなど,生物学的に興味深い生き物にも接することができました。

水銀鉱山で有名なイドリアにおいて,当初は鉱山夫の配偶者によって作られていたレースは,現在では代表的な伝統工芸品として有名になっていますが,それらの模様とそのモチーフが多様であることを知りました。そしてレース編みを教えている学校において,生徒たちが熱心にレース作りに取り組んでいる様子を見ましたが,ボビンを操るきわめて複雑な作業を手際よく行っている姿に感心をいたしました。

イドリア市は,水銀の採掘を行っていた地域ですが,そのために起こった身体的・心身的な障害には重いものがあったと聞きました。日本の水俣市においても,水銀が起因する水俣病は深刻な問題であり,そのようなこともあってこの両市は交流を深めてきました。近いうちに,水俣市の高校生がイドリア市を訪ねるとの話も聞きました。このように,若い世代の人たちの交流も両国の関係にとって大切なことであると思います。

本年20周年を迎えたクロアチアとスロバキア,そして昨年20周年を迎えたスロベニア,これら3カ国と日本との友好親善関係が,さらに進展することを心より願っております。