皇太子殿下 ドイツご訪問時のおことば

ドイツ

平成23年6月22日(水)
ヴルフ大統領夫妻主催晩餐会における皇太子殿下おことば(ベルヴュー宮殿)

ヴルフ大統領閣下,令夫人,ご列席の皆様,

ただ今閣下より頂きました歓迎の言葉に感謝申し上げます。また,日独交流150周年の記念の年に当たり,閣下より貴国ご訪問のご招待を頂きましたことに心から感謝いたします。

答礼の挨拶に先立ち,3月11日の東日本大震災に際し,ヴルフ大統領閣下を始め,ドイツ国民の皆様より寄せられましたお見舞いのお気持ちと,ドイツ政府,民間からの様々な支援に対しこの場をお借りして感謝の意を申し上げたいと思います。今月4日,私自身,被災地の一つである宮城県を訪れ,震災から3か月が()つ中,依然として避難所等で不自由な生活を続ける被災者の方々をお見舞いしました。国内外の数多くの方々の支援もあり,被災地は少しずつ復旧,復興に向かいつつありますが,ドイツの皆様におかれては,引き続き,復興への道のりを温かくお見守りいただければ幸いです。

大統領閣下,

東京がまだ「江戸」と呼ばれていた時代,今から150年前の1861年に日本とプロイセンとの間で修好通商条約が署名されました。その後,間もなく,日本は明治時代になり,近代国家としての道を歩み始めましたが,日本よりも少し先に近代国家として登場したドイツは,当時の日本にとりお手本でありました。医学や科学技術,法制度,文化など多くのことを近代日本はドイツから学びました。その後,日独両国は,アジアとヨーロッパにおいて,戦争への道を歩んだ時代を経て,第二次世界大戦後,共に奇跡の復興と呼ばれる経済成長を経験しました。また,戦後の歩みの中で,世界の平和と繁栄に共に手を携えて貢献してきました。昨今,新興国の経済発展には目覚ましいものがありますが,日独両国は,これからも世界の平和と繁栄に貢献する国であり続けたいと願います。

私は今,150年間の国と国との友好の歴史につき簡単に振り返りましたが,今日の日独の強い(きずな)は,人と人との友情の積み重ねによるものであると思います。

本日私は,日本の近代文学において重要な作家である森鴎外が,19世紀後半,ベルリンに留学していた時代のゆかりの場所を訪れました。その時代にはごく限られた人々にしかその機会がなかったドイツへの留学も,今日では年間2,000人以上の日本人がドイツに留学し,ドイツにおいても,多くの方々が日本に関心を持っていただいています。ドイツの日本に対する関心分野は,浮世絵などの伝統文化のみならず,いわゆるポップカルチャーにまで,その裾野が広がってきていると伺っております。今回私は,滞在期間中に,日本に関心を持つドイツの若い世代,日独交流に貢献してこられた日独双方の方々にお会いいたしますが,私のドイツ訪問を契機として,両国のより多くの人々が,双方の国に関心を持ち,交流のネットワークが更にきめ細かいものとなることを祈っております。また,この場をお借りして,日独関係の(きずな)を強固なものにする礎を築き上げてこられた多くの先人たち,また本日この席にお集まりの全ての方々のご活躍とご尽力にこの場を借りて改めて感謝と敬意の念を表したいと思います。

大統領閣下,

私のドイツ,またベルリンとの最初の出会いは,1968年11月にさかのぼります。当時8才だった私は,父母に伴われて,来日中のベルリン聖ヘドウィヒ大聖堂合唱団と,ボン・ベートーベンホール交響楽団によるベートーベンの交響曲第9番の演奏を鑑賞し,子供心に美しい旋律とドイツ語の力強い響きが強く印象に残ったことを今でも懐かしく思い出します。その後,私は短い滞在を含め3度ドイツを訪問しましたが,ここベルリンには24年前に初めて訪問しました。その際,私は,日独間の知的・文化的交流の中核として設立されたベルリン日独センターの開所式に出席しました。その建物は,ベルリンの壁の崩壊と東西ドイツの再統一という歴史的な出来事を踏まえ,今日では日本大使公邸及び在独日本大使館になりました。昨日大使公邸を訪ねた際,私が当時植樹した桜は成長し,春になると満開の花を咲かせると伺い大変感慨深く思いました。

そして今朝,ヴルフ大統領閣下との会談の後で大統領閣下から美しいベルヴュー宮殿の庭園をご案内いただき,今回大統領宮の庭にも新たな桜の植樹をさせていただく機会に恵まれました。ヴルフ大統領閣下は,これまで既に何度も日本を訪問され,自ら日独交流の担い手として精力的に活動されてきたと伺っており,今回新たな桜の植樹を大統領閣下と共に行うという,すばらしい機会を与えてくださったことに対し深く感謝申し上げたいと思います。

Möge der "Kirschbaum von Berlin",
den ich heute gemeinsam mit Ihnen,
sehr geehrter Herr Bundespräsident,
gepflanzt habe,
schöne Blüten treiben
und zu einem Symbol der Freundschaft
zwischen Japan und Deutschland werden.
Mit diesem Wunsch
möchte ich meine Worte an Sie beschließen.

Auf die japanisch-deutsche Freundschaft!

(本日大統領閣下と共に植えたベルリンの桜の樹が,美しい花を咲かせ,これからの日独両国の友好の象徴となることを祈念し,私の挨拶に代えます。
  日独友好を祈って(乾杯)。)

平成23年6月23日(木)
ヴォーヴェライト・ベルリン州首相主催昼食会における皇太子殿下おことば(フリードリヒスフェルデ城)

ヴォーヴェライト・ベルリン州首相,ご列席の皆様,

ただ今州首相から温かい歓迎のお言葉を頂き,ありがとうございます。また,東日本大震災に関する温かいお見舞いの言葉を頂いたことに感謝の意を表します。今回の東日本大震災では,多くの方々からお見舞いとご支援を賜りましたが,ここベルリン州においても,震災発生以来,ヴォーヴェライト州首相を始め,多くの市民による連帯の気持ちが示されたことを大変有り難く思っております。

先ほどヴォーヴェライト州首相とご一緒にブランデンブルク門を東から西へとくぐりましたが,東西冷戦の時代には,ベルリン分断の象徴とされたブランデンブルク門が,今日では統一の象徴となり,こうして自由に往来できるようになったことに深い感慨を覚えます。思い起こせば24年前,私が最初にベルリンを訪問した際には,ブランデンブルグ門は厚い壁の向こうに見えましたし,本日お招きいただいたフリードリヒスフェルデ城を含め,ベルリンの東側には足を踏み入れる機会はありませんでした。ここに改めて,東西に分断されたベルリンが一つとなり,首都として美しい景観を持つ大都市として発展したことを(うれ)しく思い,また,統一後のベルリンの皆様のご努力に敬意を表します。

150年の日独交流の歴史を振り返ると,ベルリンはその時代時代で様々な分野での人々の交流の舞台となってきました。医学では,昨日その旧居を訪ねた森鴎外や,同時期にロベルト・コッホに師事した北里柴三郎が挙げられます。北里博士は,後に第1回ノーベル医学賞を受賞するエミール・アドルフ・フォン・ベーリングとともにジフテリアと破傷風の血清療法の研究を確立しました。

また,スポーツの分野では,1936年のベルリンオリンピック女子200メートル平泳ぎでの前畑秀子選手の優勝や,最近では,ベルリンマラソンにおいて,日本人女性が2000年から6年連続で優勝するなど,様々な競技で交流が盛んです。明日私は,ベルリンにある日本人学校と,隣接し姉妹校交流を行うコンラート学校を訪ねますが,次代を担う日独両国の子供たちが,相互に交流を深めるとともに,様々な分野で協力し,競い合い,その中でノーベル賞学者や金メダリストたちが生まれていくことを期待したいと思います。

最後に,ベルリン日独センターについて一言触れたいと思います。私は,1987年にベルリン日独センターの開所式に出席以来,日独センターの活動に関心を持ってまいりました。ベルリン州が設立以来,日独センターの活動を力強く支援していただいたことを大変うれしく思います。

ここに,ベルリンの更なる発展を祈念して,杯を挙げたいと思います。

Ich wünsche Ihnen alles Gute!

(皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。)

平成23年6月24日(金)
日独シンポジウムにおける皇太子殿下おことば(ベルリン日独センター)

本日のシンポジウムの挨拶に先立ち,今年3月に発生した東日本大震災に際し,ヴルフ大統領を始め多くの皆様より,震災当初よりお見舞いや多大な支援を頂いたことに心から感謝したいと思います。

本年は,日・プロイセン修好通商条約調印から150年という節目の年に当たり,日独交流150周年日本側名誉総裁としてドイツを訪問する機会を得,日独交流に重要な役割を果たしてきたベルリン日独センターでの本日のシンポジウムに出席できることを大変うれしく思います。

本日の会場となっているベルリン日独センターは,日独・日欧間の学術の出会いの場として1985年に設立されて活動を開始し,以来,約四半世紀の間で,3,500件以上の事業を実施し,日独両国の官民による支援の下,日独,日欧間の知的・文化的・人的交流の推進のため,大きな役割を演じてこられました。私は,1987年11月に,現在ドイツ統一を経て日本大使館及び大使公邸として利用されているベルリン日独センターの開所式に出席いたしましたが,それから24年を経た今日,本センターが日独両国民の活発な交流の一翼をしっかりと担い,日独・日欧間の重要な懸け橋として発展していることを目の当たりにすることは,大変感慨深いものがあります。また,ベルリン日独センターは,冒頭に言及いたしました東日本大震災に関し,ドイツにおける支援の取りまとめを行うなど,大変ご尽力いただいたと伺っております。この場をお借りして,ボッセ事務総長を始めとする皆様に感謝するとともに,昨年創立25周年を迎えられたベルリン日独センターが今後一層発展することを祈念いたします。

ご列席の皆様,

150年にわたる日独交流の歴史を振り返りますと,日本が近代国家へと国造りを行うに当たり,医学を始めとする自然科学,法制度等の社会科学など,様々な学問分野でドイツを模範として学んできた時期がありました。その後,第二次大戦を経て,戦後の廃(きょ)の中,両国の交流は,ゼロからスタートをせざるを得ませんでした。戦後,日独両国は,同じような復興と発展の軌跡をたどる中で結び付きを強め,今日,基本的価値を共有するグローバルなパートナーとして,核軍縮・不拡散,世界経済,国連改革,平和構築といった,国際社会に共通する諸課題の解決に向け緊密に連携しております。80年代半ば,当時の日独両国政府の関係者が,ここベルリンの地に日独センターを建設することを決定したのは,共に先進工業国として,日本とドイツがグローバルな視野に立って学術交流をリードしていくことを期待してのものだったと思います。以来,日本とドイツは,先ほど挙げた分野のみならず,例えば科学技術分野では基礎科学で両国研究所間の協力が行われるなど,様々な分野での協力を行ってきました。

本日のシンポジウムでは,こうした様々な日独協力のテーマの中から,特に環境,資源及び災害対策に関する日独協力という,今日の両国,ひいては国際社会全体にとり重要な課題が取り上げられると承知しております。

日独両国は,緑豊かな環境の中で美しい自然の恵みを受け,多様な文化を生み,育んできました。この美しい自然環境を大切にし,次の世代に引き継いでいくことは,私たちの世代に課せられた大切な使命だと思います。また,今回取り上げられる防災の分野は,今後日独間で協力が期待されるいわば日独協力のフロンティアであると伺っておりますが,3月11日の東日本大震災を受け,日本にとってはとりわけ関心の高いテーマの一つです。

環境に関しては,日独間では,既に,2007年に始まった「日独環境フォーラム」等を通じ,この分野での専門家同士により,再生可能エネルギーや省エネルギーといった分野についての意見交換が進められてきております。本日は,日独のみならず国連の専門家の方々のお話を聞き,グローバルな諸課題に対し,日独両国がどのような形で関わっていくべきかを改めて考える良いきっかけになることを期待しています。

日独交流150周年は,これまでの両国の交流の歴史を振り返る機会であると同時に,急速に変貌する世界の中で,未来に向けて日独の協力や交流を深め,新たにしていく機会でもあると思います。今回のシンポジウムでの議論が,この分野における日独交流の,次の世代に向けての第一歩となることを希望いたします。

ご列席の皆様,

先日私は,大統領晩餐会における挨拶の中で,日独の(きずな)は,両国間の人と人との交流の積み重ねによるものである旨申し上げました。

本日のシンポジウムを通じ,関係者の皆さんが相互に交流を深め,日独,ひいてはグローバルな視点から,本日取り上げられる分野での協力が一層進んでいくことを願い,私の挨拶といたします。

Viel Erfolg diesem Symposium!
Vielen Dank für Ihre Aufmerksamkeit!

(シンポジウムの成功をお祈りします。ご静聴ありがとうございました。)